氷点下の贈り物

「――うし、こんなもんかな!」
 いつもは何かと生意気に振る舞って、要らないお節介ばかり焼いてくる癖に、こういうときのま〜くんはずるい。年相応、あるいはそれより幼い子供みたいに、目の前のことと全力で向かい合って、曇りのない、太陽みたいに眩しい笑顔を見せる。それに俺が何度魅了され、灰にされかけているかなんて知りもしない癖に。
「お〜、立派に出来たねぇ。十年前とは大違い」
「……バケツ持ってきた後ずっとサボってた奴が何言ってるんだ」
「やっぱりおじいちゃんに雪だるま作りは重労働だったよねぇ。連結と飾りつけくらいは手伝ってあげたんだから、むしろ褒めてほしいんだけど」
 遠い昔の約束を果たし、再び俺の家の庭に現れた雪だるま。あのときま〜くんが壊してしまったものと大体同じくらいの大きさであるはずなのに、それはま〜くんより頭一つ分小さくて、もうバケツを載せるのに背伸びをする必要が無くなってしまっていた。
「昔はこんなのに手が届かなかったんだな〜」
「それなのに無理しちゃったなんて、いかにもオコサマだよねぇ。結果『りっちゃ……ごめ、ごめんなさい……』って」
「いい加減にしないと怒るぞ」
「ふふっ、からかい甲斐のある若者の相手は面白いから、つい……♪」
「――それにしても、こいつ何だか豪華になったな」
 十年も経てば、当然俺の装飾センスも格段に向上するわけで。石と木の枝で顔や腕を足しただけの旧作とは違い、壊れたじょうろの口や萎れかけの雑草、カラスの羽根に蔓植物の支柱、みかん、エトセトラ。家の中も外もじっくり探せば、案外宝物に満ちている。だから、何処ぞの誰かさんではないけれども、お菓子作りのときと似たようなインスピレーションが自然と沸いてきて、気付けば最高傑作の出来上がり、という塩梅だ。
「分かる? やっぱりま〜くんだけが、俺の理解者……♪」
「何か刺したところにかき氷のシロップまでかけようとしたときには流石に止めたけどな……。でもまぁ、上出来だろ」
「この前兄者が『りつをいめーじしてつくったのじゃ』とか言って、変な雪だるまの写真送り付けてきたからさぁ……あんなのに負けてられないと思うと、張り切っちゃうよねぇ」
「あぁ、あれな。俺も見たけど、そっくりだったんじゃね? 口元とか」
「うぅ、やめてよ……ま〜くんの意地悪」
「ははっ、悪い悪い」
 それにしても雪というものは、踏みしめると柔らかくて、光に当たるとキラキラして――本当にかき氷のシロップをかけて食べてしまいたいくらい美味しそうだ。これを空の上でゆっくりと冷やしてから地上へ届けるというのだから、まったくご苦労様としか言いようがない。
「……ま〜くん、今度は何を企んでるの」
 ふと気付くと、ま〜くんは既に雪だるまの傍から離れた位置で、シャベルを片手にまだそこそこ量のある雪を掻き集めていた。
「これだけ積もってれば、もう一つ何か出来そうだと思ってな」
「なぁに、また雪だるま? もう正直勘弁してほしいんだけど」
「違う違う。かまくらとかどうだ? 流石に二人とも入れるようなのは無理っぽいけど、これだけあれば一人分は作れるだろ」
 ほら、とま〜くんがシャベルで示す雪山は、雪だるまの全長以上、ま〜くんの身長未満といった感じ。これ程の雪をひたすら集め続けたとは、休日でも働かねば気が済まないま〜くんらしい。
「ん〜……かまくらで寝るのも悪くないねぇ……ま〜くんが作ってくれるなら考えてあげても良いよ」
「いや、それお前は作らないこと前提だろ。いいから手伝え」
「やだぁ、疲れた……めんどい……老人を酷使するなんて、労働基準法違反で訴えるよ?」
「何を言ってるんだお前は」
 呆れながらも、ま〜くんの表情からは楽しそうな笑顔が失せ切っていない。その証拠に、「さ〜て、もうちょい集めるかな」などと言いながらコートを雪山の横に脱ぎ捨て、下に着ていたトレーナーの袖まで捲って、気合い十分といった感じでまた動き始めているのだ。
 陽射しの強い夏が嫌いだからと言って、その対極に位置する冬は好きなのかと聞かれると、別にそうでもないように思える。しかし、こうしてまた飽きもせず雪を降らせてくれたおかげで、近頃あまり見られない、ま〜くんの無邪気な一面がひょっこりと顔を出してくれたのだから、寒さも存外捨てたものではない、なんて。
 夜中ぼんやりと眺めていた天気予報によれば、この辺りは十センチか十五センチくらい積もっているらしい。それだけ降れば地面だけでは飽き足らず、隣の家から長く枝を伸ばした桜の木にまで載るのも、まぁ当然といえば当然だろう。確か、こんな日には用心しなければいけないことがあった気がするのだが、はてさて、それは何だったか。
「……?」
 丸坊主の桜の木、そのいちばん低い位置に生えた枝。白い塊が、身を乗り出すように――
「!」
「凛月?」
「ま〜くん、あぶな――」

『――続いて、お天気です。今日も、記録的な寒波の影響により、全国的に厳しい寒さが続いております。県内でも、昨日深夜から未明にかけて雪が降り、十センチから十五センチ程度の積雪となっております。外出の際には防寒対策をきっちりと行い、路面や水道管の凍結、木の枝や屋根からの雪の落下等に十分ご注意ください。では、今後の予想天気図です――』
 些か忠告が遅すぎるのではあるまいか、と、真顔で淡々と指差し棒を操る若い女に届かない舌打ちをする。このような事態を想定出来なかったこちらにも非はあるが、まさしく事後にそう言われるとどうしても苛立ちが勝ってしまった。
「へっ……くし! うぅ〜……」
「ま〜くん、大丈夫? とりあえず適当に持ってきたけど」
「ん、サンキュ……」
 電気ストーブの前で毛布にくるまりながらがたがた震えるま〜くんに、作りたてのココアを差し出す。ゆっくりと手を伸ばしてマグカップを受け取ったのを確認してから、ベッドで縮こまっていた掛け布団を引きずり下ろし、毛布の上から掛けてやった。
「どう?」
「う〜ん……ココアは美味いけど、やっぱり寒気が……」
 背中にまで入ったからな、と、ま〜くんは毛布の下でもぞもぞと背中を撫でて、紫色の湯気を立てるココアを一口啜った。
「つか、悪いな凛月。わざわざ世話させちまって」
「好きでやってるんだからいいの。流石にそんな状態の人間ほっとく程鬼じゃないし。それに、もともと俺がま〜くんのお世話をしてあげてたんだからねぇ……♪」
「それだけは嘘だと断言出来るからな?」
 残りのココアを一気に呷り、流石に息苦しくなったのか、ま〜くんは頭まで被っていた毛布と布団を肩まで下ろす。
「凛月、おかわりもらえるか?」
「そんなに気に入った?」
「いや、そうじゃない――勿論美味いことに変わりはないんだけど――まだ、何となく芯が冷えてて……」
 これは重症だ。ここ数日は記録的寒波がどうとか言って、国内の南の方でも雪が降るレベルらしいから、そんなときにコートも着ないで頭から氷の塊を被れば、下手をすれば風邪を引いてしまう。
 ま〜くんの様子を伺うべく、そっと顔を覗き込む。
 まだ布団の外の酸素を取り切れていないのか、若干荒い息遣い。ストーブ付近の熱い空気が当たって上気した頬。体力的に弱って、焦点の合わない目――。
「……ま〜くん」
 いつもは何かと生意気に振る舞って、要らないお節介ばかり焼いてくる癖に、こういうときのま〜くんはずるい。
「……何だ? もし作るのに時間かかるなら――」
 それに俺が何度魅了され、灰にされかけているかなんて知りもしない癖に。
「温まることなら、何でも良いんだよね?」
「んっ……」
 震えを収めるように体ごと抱きかかえ、血色の悪くなった唇を塞ぐ。不用意に動いて毛布や布団を燃やさないよう、それらを後ろへと追いやることも忘れない。
「ふぁっ、ん……」
 触れた瞬間は冷たかった唇も、隙間を舌でなぞって、その奥の歯列や上顎、舌の付け根を擽ってみれば、徐々に適温を取り戻していく。漏れ出る呼吸音が不規則になり始めたところで解放すると、二人の舌先を脆い蜘蛛の糸が繋いだ。
「はっ、ぁ……りつ、だめだって……」
「分かってるよ。病人襲う程までに飢えてないって」
「なっ……これの、何処が……!」
「でも、ま〜くんは少し無防備が過ぎるかなぁ」
「は……?」
 額に唇で軽く触れた後、遠くへ置き去りになっていた毛布と布団を引き寄せて、俺ごと包むようにそれらをま〜くんに掛け直す。
「十年前に約束した雪だるまを作ったから、次の十年後の目標はかまくらだねぇ」
「ははっ。そのときはお互い、かまくらなんか作る余裕が無いくらいには忙しかったりしてな」
「それはそれで構わないよ。だってそうなったら、二人住んでも余るくらい大きな新築一戸建てを買って、ま〜くんとそこに同棲して一生お世話してもらえば良いもんね……♪」
「な、何言って……! ん、ふっ……」
 抗議を抑えて再び響かせる、二人分の水音と息遣い。遮光カーテンとドアが閉め切られたこの部屋には、流石に空も何も届けてはくれまい。
 だから、代わりに。あんたがま〜くんに悪戯した代わりに。俺がま〜くんに、温もりを与えてみせるから。
「今の住まいはお布団で我慢してねぇ〜?」
「だから、意味分かんねぇよ」
 冬は嫌い、しかし捨てたものではない。改めてそう感じながら。
2/2ページ
スキ