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story


 ■■■■■は、失ってばかりだった。
 
 彼の誕生と引き換えに、母はその命の灯火を消した。
 最愛の妻を亡くした悲しみに溺れることなく、父は惜しみない愛情を■■■■■に注いでくれた。模範的な父親然として、それでいて仕事にも熱意を持って打ち込み、研究熱心で、いつも楽しそうにしている父を見ることが大好きだった。
 でも、一緒にいてくれる時間は少なかったから、ある日「父さんの研究室に遊びに来るかい?」そう言われた時、飛び上がるほど嬉しくて。早く明日になればいいのに、そう思っていた。

 楽しみにし過ぎて、良く寝付けなかったものの、わくわくしながら、足を運んだ部屋で父に見せられた木製の輪っか。
 穴が空いているはずなのに、輪の中は何故か何も見えない。どこか嫌な感じがした。
 嬉しそうに父は話すけれど、本能的に離れたい、そう思った瞬間。

 眩いばかりの白が網膜を焼いた。

 たった0.2秒の閃光ののち、目を開ければ愛する父は床にこびりつく黒い染みとなっていた。
 ……もちろん、■■■■■自身も。

 その日、父親と、自分自身も同時に失ってしまったのだ。

 ■■■■■、改めデイビットと名前が変わっても、少年の心はそのまま継続され、終わることはなかった。
 ただ思考面での感じ方、考え方の視点が少し高くなって、記憶の疾患を抱えることとなる。
 毎日繰り返される、更新と漂白。忘れがたい体験も、全て白になる。あの光に飲み込まれた一瞬のように。
 耐えられない、耐えてみせる、耐えられない、耐えて、耐えてみせる。
 その繰り返しだ。終わりなんてない。
 いくら天才的な視点を手に入れたとしても、たった10歳の少年に過ぎないデイビットには、耐えがたい責苦だった。
 それでも、記憶を奪う何かには絶対に負けたくない。負けん気だけで、抗って、抗って、ようやく手に入れた5分という戦利品。誇らしかった。
 常人からはたった5分と言われるだろうが、デイビットにとっての5分は、人生において絶対に忘れたくないことを、確かに記憶できる何物にも変えられない時間。

 それ以外の全てを取りこぼしていた。
 世界からも、拒絶されていた。

 それでも、前を向き続けたデイビットの願いを聞き届けた者がいる。

「戦士の声に応え、現界した。サーヴァント、ルーラー。テスカトリポカだ」

 オマエが望んだ神だ、敬えよ?

 金糸の髪を揺らして、作ったばかりの人の身で、テスカトリポカは人類ではないデイビットの呼びかけに応えてくれた。
 誰かに何かを望むことを諦めていた青年に、初めて与えられたの瞬間だった。

「おいおい、惑星を割る?んな面白えことすんのかよ」
「オレはオマエが人間だろうと化け物だろうと区別はしないし、興味も無い」
「大切なのは、オレが支援するにたる戦士の資格があるかどうかだ。それ以外どうでもいい」
「ヒュウ、デイビット!やるじゃねぇか。さぁて、自分より遥かにでかい獲物を仕留めた感想は?」
「いいから寝ろ、明日のことは明日考えろ」

 世話好きな神。各々が役割を分担し、この一年でなさねばならないことがあるのに、気まぐれにデイビットのもとに煙のように現れては消えていく。
 気付かないうちに、デイビットの大切な5分間にはテスカトリポカが記録ことが多くなった。
 誰にも奪われたくない、そう感じるほどの瞬間をあの神はデイビットに与えてくれていた。

 それは、まるでキラキラと光り輝く宝石ような時間。自身のエゴを達成するまでの束の間だったにも関わらず、一番色鮮やかな記憶。
 人生において、大切なものをいつも無くしていたデイビットは、与えられることに慣れていなかったし、自分に感情なんてものは無いと思っていた。でも、心のどこかで嬉しいと素直に確かに思っていた。気付かないふりをしていただけ。
 自分の目的が完遂されれば、誰一人として生き残ることは出来ない。何もかも消え去ると、分かっていた。もちろん、それは彼も自分も例外では無い。
 それなのに、いざ目の前にするとどうしようもなく、心がざわついた。

「好きにやれ。死者の楽園でまた会おう」

 黄金色の粒子になり、霧散していく姿が残りわずかしかない記憶に刻まれる。

(あぁ、ぼくのかみさまは消えてしまった)

身のうちから、微かに幼い声がした気がした。

「テスカトリポカを退けたのか。やるとは思っていたが───実際に目の当たりにすると、ショックが大きいな」

 また、失った。
 
 地面に口を開けた棺までの足取りは、羽根のように軽い。この穴へ落ちれば全てが終わる。
 それがデイビットが最期に完遂すべき冠位指定。
 無事に人間のように死ねるかは分からない。魂だって何処へ向かうかも分からない。
 怖くなど無い、失うものなどもう無い。
 それでも何故か、今しがた失ったばかりの神がちらつく。

 『あの神は、見てくれているのだろうか』

 真っ直ぐに暗闇に落ちていく瞬間。意識は途切れる。
 彼の煙の匂いに抱き寄せられた気が、した。



 「デイビット、」

 ORTに取り込まれ、消えてなくなったはずの感覚が、急速に蘇ってくる。
 デイビットを呼ぶ、低く心地よい声は何処かから聞こえてきた。

 「テスカトリポカ……?」

 ぱちり、長い睫毛を瞬かせ、目を開けば目の前には、見覚えのない景色が広がっていた。
 一面が乳白色の霧に包まれ、それ以外は何も見えない。それなのに懐かしく何処か満たされている。背中に感じる地面も感触はあるが、冷たくも温かくもない。不思議な空間だった。
 上体を起こし、辺りを見回しても同じ感想だった。

 「ここ、は?」
 「起きたな」
 
 ぽつりと上機嫌な声と同時に金糸のカーテンが顔に降り注ぐ。
 視線が交わったのは三日月のように嗤う青銀の瞳。

 「待っていた」

 嬉しそうに口角を上げて、テスカトリポカはデイビットの頬をさわりと撫でた。
 それは、まるで、大切なものを触るように。
 

 死者の道標である焚き火の前で藤丸を待ち、自ら提案した仕切り直しかけた戦いは、敢えなく負けてしまった。
 拗ねた声でテスカトリポカに文句をいいつつも、潔くテテオカンの北に向かう。
 しっかりとした足取りで歩を進めていた。そこへ、藤丸との会話を終えたのだろう、テスカトリポカが霧に紛れていつの間にか隣に並んだ。
 
 「オレのミクトランパは戦士を労い、癒し、次の戦いに備える場所だ。なんだってある。楽しみにしとけよ」
 「……人間でもないオレを迎え入れて平気なのか?」
 「ははっ!!戦士だっていったろ?オマエはオレが認める立派な戦士だ、問題ない」

 彼の筋張った大きな手のひらに、くしゃりと頭を撫でられた。懐かしい感覚だった。

 「おつかれさん、よくがんばったな」
  「……ありがとう、」
 
 優しい声色は全然似ていないのに、記憶の中の父親を思わせた。
 鼻の奥がつんとして、目の奥が熱い。何故か視界がぼやける。

 デイビットは、与えられたのだと思った。
 魂の安息の地を。
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