story
失敗した。
大粒の雨に全身を濡らされながら、デイビットは黒く重たい雲から落ちる雫たちを眺めていた。
好きで寝そべっているわけではない。無知性ディノスに追われている最中に、普段は閉じている暗黒星との回線が突然つながってしまった。向こうから何かが這い出ようとする感覚に、咄嗟に抗おうとして、意識が138億光年を観る。その一瞬で、崖から足を踏み外しした。ぐるりと視界が宙を向く。
デイビットを追いかけてきた哀れな『人類』も続けて落ちてきて、大きな爪が脚に掠る。激痛とともに、意識を失ってしまった。
寸断される前に見た最後の光景は、澄み渡る空に一際白く輝く偽物の太陽だけだった。
(左脚の骨が折れている、出血も酷い)
30mはあるだろう崖から転落し、無知性ディノスは首を折ったのだろう、事切れていた。
デイビットは恐らく生物であれば致命傷だろうものでも、端末たる役目がある身体は死ななかった。しかも、直前に回線がつながっていた影響からか、身体は人間離れした自己再生が始まっている。
人間であろうとしているのに、人間ではない身体は、デイビット自身どうしようもない。それでも善いことをしていれば、枠組み上は人間なんだという他人からしたら傲慢で無理やりの理論を押し通す。
雨の音が五月蝿い。
鼓膜に響く溺れそうな豪雨を一身に受けている。腕と腰の骨折が治った時点で治癒魔術を使おうと心に決めて、デイビットは瞳を閉じる。
痛いほどの雫を感じながら、じっと再生をまつ。幸いにもこの天気のおかげで、血の匂いに誘われて殺戮虫が飛んでくることはない。
徐々感覚を取り戻すと同時に、体温が下がっていることにも気付く。礼装が破れてしまったからか効果が落ちたかと、冷静に考える。
無意識に奥歯が鳴る。寒いと素直に感じる。
人間らしい反応をする自分の身体は、人間外の機能で修復されていることの辻褄の合わなさに、他人事のようにデイビットは小さく嗤う。
「おい、デイビット」
聞き覚えのある声と共にあれだけ降り注いでいた土砂降りが止む。いや、止んだんじゃない、止まったんだ。
水の中を泳いだように濡れてしまった睫毛をゆっくり持ち上げる。
「……テスカトリポカ」
空間がピン留めされたかのように、動くものはデイビットとそのサーヴァントたる戦神のテスカトリポカしかいなかった。
こちらを見下ろす神は一切濡れた様子は無く、長い髪が耳からさらりと落ちた。
「緊急事態かときてみれば、こんな場所でおねんねか?」
デイビットが重傷なことは分かっているだろうに、呑気に軽口を吐き煙草を咥えているテスカトリポカは、短くなったそれを地面に落とし靴底で火を消している。
「煙草の始末はきちんとしろ、悪いことだ」
その仕草に自身の状況にそぐわ無い忠告が出た。思いの外、強い声が出た。目を見開いたテスカトリポカはくつくつと笑って吸殻は煙になってその存在を消した。
「それだけ元気なら大丈夫だな。オレの見立てじゃあ、あと1時間もすれば元通りだ。分かってはいたがバケモノ染みた身体をしてる」
「パスを辿ってきたのか?オマエにはやるべき事を伝えたはずだが、随分と余裕があるんだな」
「そういうなよ、相棒。マスターが死にかけてたら、全てを放り出してでも駆けつける。まぁ、サーヴァントの性だ」
「必要ないことはしなくていい」
そう、デイビットが告げた瞬間。テスカトリポカの空気が変わる。
「オレに、意見か?」
見下ろす瞳はシルバーから鮮やかなトルマリンブルーに染まっている。重苦しいプレッシャーに並みの人間なら、意識を失いかね無い。だが、これくらいで怯むようならテスカトリポカのマスターなどやってられない。
「意見ではない、嘆願だ。見ての通りオレは早々死なない。貴重な時間を割く必要はない」
淡々と事実を告げると、「オマエはなんでそうなのかね」と諦めた声と同時に大きな溜め息を吐かれた。先ほどまでの重圧は消え去る。同時に止まっていた時も動き出した。
強い雨に打たれると思っていたのに、いつまでも雨粒はデイビットを濡らさない。
「ほら、もう立てるだろ?」
神の金糸を白い陽光が照らしている。事象操作でもしたのか、辺りはすっかり晴天だった。
差し伸べられた手を払いのける理由も無く素直に掴むと、ぐいっと身体を起こされる。そしてそのまま抱き締められた。
「どうした?」
「オレを頼らないマスターに困ってんだよ、分かれ」
ぐりぐりと肩口に頭を擦り付ける仕草が、甘えてくる猫のようだった。全能神に抱く感想ではないかも知れないが、随分子どもっぽい仕草をする。
「……善処する」
されるがままになりつつも落としたデイビットの言葉に、「オマエ今日のことを記憶する気ないだろ?」とじっとりと睨まれる。否定しないでいると、その訝しむ瞳が徐々に近づき、そのまま。
「……っ!」
「よし、これで忘れないだろう?」
かさついた唇が、己のそれと重なる。ご丁寧に離れる際にぺろりと舌で舐められて、思考が止まる。
楽しそうなテスカトリポカに、頬が熱くなるのを感じて視線を逸らす。
「恥ずかしいから、記憶ない」
ぼそりと呟いた言葉にテスカトリポカは抗議するようにまた唇を重ねた。
眩しい太陽を背負ったテスカトリポカは神々しくて、目も閉じずに受け入れる。その美しい様は記憶しようと密かに思った。
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