Blooming 小話

雨は、静かに降っていた。
窓を叩く音だけが、規則的に部屋に響いている。
二人部屋の中は、いつもより少しだけ明かりが落ちていた。
八戒はベッドの端に座ったまま、窓の外を見ている。動いていないわけじゃない。でも、どこかそこにいなかった。

「八戒」

呼んでも、すぐには返事がない。

「八戒?」

もう一度呼ぶと、ようやく小さく視線が動く。

「……すみません」

いつもの声。でも少しだけ遅い。
双葉はそれ以上は聞かなかった。
代わりに、ゆっくりと立ち上がり八戒のすぐ後ろまで歩いて、そこで少しだけ足を止めた。
何も言わず、そのままそっと背中に寄り添うように座る。
触れるか触れないかくらいの距離。
八戒の肩が、ほんの少しだけ揺れた。

「双葉?」

少し驚いた声に双葉は答えない。
ただ、同じように窓の外を見ている。
雨はまだ降っている。
しばらく沈黙が続く。

「……雨、嫌い?」

小さな声で、双葉が聞く。
八戒はすぐには答えず窓の外を見たまま、少しだけ間が空く。

「……少し、苦手でした」

過去形でも現在形でもない曖昧な言い方。
双葉はそれを聞いて、ただ「そっか」とだけ返す。
今度は、さっきと違う沈黙だった。
八戒が少しだけ息を吐く。

「……気づいていたんですね」

双葉は少し首を傾ける。

「八戒、呼んでも返事遅かったから」
 
それだけの理由に八戒は小さく困ったような、でもどこか柔らかい笑い方をする。

「すみません」

双葉はその謝罪に首を振る。

「いいよ。ここいる」

その一言で、空気が少し変わる。
八戒は振り返らないまま、静かに言う。

「……ありがとうございます」

雨音はまだ続いているがさっきより、少しだけ遠く感じる。双葉は背中に寄りかかったまま、目を閉じる。

「雨、ずっとじゃないよ」

ぽつりと言う双葉に小さく頷く。

「ええ」

そのまま二人はしばらく動かず会話もない。
でも離れてはいない。
雨はまだ静かに降っていた。
窓の外は薄くぼやけて、時間の感覚だけがゆっくりになっていく。
八戒はさっきと同じように、窓の方を見ていた。
ただ、さっきよりは少しだけ呼吸が落ち着いている。
その位置は、ずっと変わらない。
寄りかかるわけでもなく触れるわけでもなく、ただ八戒のすぐ後ろにいる
手には、どこかから持ってきた本。
ページをめくる音だけが、小さく落ちる。
八戒は振り返らないまま、静かに言う。

「……本、読んでいるんですか?」
「うん」

短い返事の後しばらく沈黙。
雨音と、本のページが重なるだけの時間。
双葉は特に何も言わず、ただ普通に読んでいる。
けれど一つだけ違うのは、その位置がずっと変わらないことだった。八戒の背中のすぐ後ろを離れないまま。

「双葉」
「なに?」
「そこだと、読みづらくないですか?」

双葉は少し考えてから答える。

「大丈夫だよ……ここがいいから」

それだけ答えられ八戒は少しだけ黙る。
そして、ほんの小さく肩の力を抜く。

「そうですか」

それ以上は言わない。ただ、そこにいることをやめない。双葉はページをめくり視線は本にあるのに、意識の片隅ではずっと八戒の気配を感じていた。

(動かない)
(でも、遠くない)

それが少し不思議だった。
雨の音が少し弱くなる。それでも二人は動かない。
八戒がぽつりと呟く。

「……双葉は、こういう時も変わりませんね」

双葉は本から目を離さずに答える。

「どんな時?」
「……そばにいる時です」

その言葉に、双葉は少しだけ手を止める。
でも振り返らない。

「そう?」
「ええ」

少し間。

「八戒が、一緒にいるから」

それは理由というより、事実の確認だった。
八戒は一瞬だけ目を閉じる。
それから静かに言う。

「……ありがとうございます」

雨はまだ降っている。
でも、部屋の中はさっきより静かではなかった。
むしろ、落ち着いていた。
双葉はまたページをめくる。
背中は変わらずそこにある。
その距離のまま、時間だけが進む。
雨の音は、少しずつ弱くなっていった。
窓の外の気配だけが、遠く残っている。
双葉は本を閉じて、少しだけ伸びをする。
背中にいた気配は、まだそこにある。
変わらないまま。
猪八戒は小さく息を吐いて、窓から視線を戻す。

「……そろそろ休みますか」

いつも通りの声。

「うん」

双葉も短く返し灯りが落ちる。
部屋の明かりが一段階だけ柔らかくなる。
ベッドに並んで座る距離は、少しだけ近い。
でも、無理に詰めた距離じゃない。
八戒が先に横になる。
双葉も少し迷ってから、その隣に横になった。
特に会話はない。
ただ、同じ空気の中にいるだけ。
雨はもうほとんど止んでいた。
残っているのは、遠い音だけ。
双葉は天井を見て、小さく息を吐く。

「……今日」

ぽつり。
八戒は目を閉じたまま、静かに返す。

「はい」
「……同じ部屋でよかった」
 
それだけ言って、双葉は横を向く。
少し間があってから、八戒が小さく答える。

「僕もです」

その声は、いつもより少しだけ近かった。
言葉はそれで終わる。
でも空気は、終わっていない。
双葉の呼吸がゆっくりになる。
八戒も同じように静かになる。
しばらくして、どちらからともなく眠りに落ちる。
朝になる前の、その境目だけが静かに残る。
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