— RELOAD —


月明かりが静かに森を照らす。
ざわり…と夜風が木々を揺らし、その奥に立つ女は、まるで人形のようだった。
焦点の合わない瞳に感情の見えない顔。
ただそこに在るだけのような存在。

「──ねぇ、お姉ちゃん」

そんな女とは対象的に隣に立つ少女はクスクスと喉を鳴らして笑った。

「もうすぐだねぇ。ふふっ、楽しみだなぁ……」

返事はない。
女はただぼんやりと宙を見つめている。
けれど──

「許せないよね」
 
少女がそう囁いた瞬間だけ。
その瞳に、どろりとした憎悪が滲んだ。

「大丈夫だよ?花鈴がちゃんと全部終わらせてあげる。みーんな、ちゃんと壊してあげるから」

にこり、と無邪気に笑った少女は、まるで遊園地へ向かう子供のように弾んだ声を漏らす。

「うふふっ……さぁ、復讐(おままごと)の始まりだよ」

風が吹く。
冷たい夜気が森を撫で、木々のざわめきがどこまでも広がっていく。その音はまるで、誰かの悲鳴を先取りするようだった。まだ誰も知らない これから訪れる結末を。

ただひとつ確かなのは――

この憎悪は、もう誰にも止められないということだけだった……


───────────────────
 
ガキンッ!!
 
「今日も今日とて団体さんだことでっと!」

襲ってきた妖怪の団体を相手にしながら錫杖を振り抜いた悟浄の横で
 
「も〜腹減ったー!!」
「もう少しで街に着くのでそれまでの辛抱ですよ」

悟空が飛び掛かってきた妖怪を蹴り飛ばし、八戒は微笑みながら襲い掛かる妖怪を紙一重で避け気功を放つ。
 
「減らず口より先に片付けろ」

乾いた銃声が響く。
三蔵の銃弾に撃ち抜かれた妖怪が、その場へ崩れ落ちた。しかしその背後へ、別の妖怪が飛び掛かり、それに気づき双葉の投げたクナイが一直線に妖怪の喉元を裂き赤黒い血飛沫が月夜に舞う。

「っしゃー!終わったー!!」

悟空が大きく伸びをする。
辺りに残るのは、倒した妖怪の屍の山。
先に進もうとしたその瞬間だった。

「!!」

ぴたり、と。
双葉の動きが止まる。

「双葉?」

八戒が双葉の名前を呼ぶもただじっと、森の奥を見つめていた。

ざわり

木々が怪しく揺れる。
月明かりの差し込む暗闇の中から、ひとつの影が現れる

「あはっ…あなたが双葉ちゃんか」
「……花鈴…さん?」

無邪気な声。
そこに立っていたのは、幼い少女だった。
月光を受けて揺れる茶色の綺麗な髪。
楽しそうに細められた瞳。
その顔を見た瞬間、双葉の呼吸が止まり気づけばその少女の名前が口から零れていた。
 
──知らない…けれど知っている。
花南の遺品の中にあった、たった一枚の写真。

「見つけたよぉ、双葉ちゃん」

少女は嬉しそうに笑うと、その後ろを振り返った。

「ねぇ、お姉ちゃん?」

ゆらり。ローブを深く被った人物が、ゆっくりと森の奥から姿を現す。
次の瞬間。

「双葉ッ!!」

八戒の叫び声。
黒い影が、一気に双葉へと迫った。

「ッ!!!?」

熱い。
視界いっぱいに鮮血が飛び散る。
何が起きたのか理解できない。
ただ、目の前には。

「な、んで……」

刃を握ったまま立ち尽くす、大切な人 花南の姿だった。

「ッ!!!?双葉ァァァア!!!!!」

悟空の叫び声が森に響く。
崩れ落ちる双葉の身体を、咄嗟に八戒が抱き留めた。

「双葉!!しっかりしてください!!」

どくどくと溢れ出す血。
白い指先が、瞬く間に赤く染まっていく。

「ッ……」

その姿に八戒の顔から焦りを感じる。
その刹那 空気が変わる。
びり、と肌を刺すような殺気に、悟空と悟浄が息を呑んだ。

「……テメェ」

悟浄が武器を構える。
悟空も低く唸りながら、花南と花鈴を睨みつけた。

「あはっ」

そんな空気など気にも留めず、花鈴は楽しそうに笑う。

「やっぱり双葉ちゃん、すっごく大事にされてるんだねぇ」
「……ッ」

八戒の視線が鋭く細まる。
花南が再び刃を持ち上げた。
それはまるで感情のない人形のような動き。
――その瞬間。

「だーめ、お姉ちゃん」

ぴくり、と花南の動きが止まる。
花鈴はくすくす笑いながら、細い指を軽く揺らした。

「今日はここまでだよ」
「……」
「だってぇ、すぐ壊れちゃったらつまんないもん」

無邪気な声。
けれど、その言葉に宿るものはあまりにも昏い。
花鈴はぐったりと八戒に抱きかかえられた双葉を見つめ、嬉しそうに笑った。

「また遊ぼうね、双葉ちゃん」

ざわり、と風が吹く。
次の瞬間、花南の身体が後ろへ跳んだ。
ローブが夜闇へ溶け込んでいく。

「あっ、おい!!」

悟浄が舌打ちする。
悟空も追おうと地面を蹴った。
しかし。

「待ちなさい悟空!!」

八戒の鋭い声が、それを止めた。

「っ……!!」

振り返った悟空の視界に映ったのは、苦しそうに息をする双葉の姿だった。

「……双葉」

その小さな呟きだけが、静かな森の中へ落ちた……

────────────────────

双葉を抱え、一行は最寄りの町へと駆け込んだ。

宿屋の一室。
八戒の気功と応急処置を施された双葉は、今は静かにベッドへ横たわっている。

部屋を包むのは重苦しい沈黙だけだった。
その沈黙を破ったのは、ベッドの横で双葉の寝顔を見つめていた悟空だった。
 
「……あの姉ちゃん。生きてる匂いがしなかった」
「どういうことだ?」

悟浄が煙草を咥えながら眉をひそめる。

「うーん、なんて言えばいいかわかんねぇんだけど……」

悟空は言葉を探すように視線を泳がせた。

「生きてるっていうか、無理やり動かされてるっていうか。中身がカラッポの人形みたいな?」

部屋に重い沈黙が落ちる。

「双葉ちゃんの姉ちゃんって確か……」
「えぇ」

八戒が静かに頷く。

「事故で亡くなっています。遺体は発見されなかったと言っていましたね」
「……」
「…ですが、あれはどう見ても普通の状態ではありませんでした」

眼鏡の奥の瞳が冷たく細まる。

「妖術なのか、禁術なのか……あるいは別の何かか」
「死者を動かしてるってか?」

悟浄の言葉に八戒は僅かに目を伏せた。

「まだ分かりません。ですが――」

双葉へ視線を向ける。

「彼女たちの背後に、何者かがいるのは間違いないでしょう」
「……死者蘇生なんざ、碌な術じゃねぇな」

今まで黙っていた三蔵が低く吐き捨てた。
部屋の空気がさらに重く沈む。
ベッドの上では、双葉が苦しそうに眉を寄せていた。
 
「どっちにしろこのままって訳にも行かねぇだろうな…」

悟浄が煙草の灰を落としながら呟く。

「あのガキもそうだが、双葉ちゃんの姉ちゃんの件も放っとくには気分悪ぃ」
「えぇ」

八戒も静かに頷いた。

「彼女たちが何者なのか。そして何故双葉を狙ったのか」

モノクロの奥の瞳が細まる。

「まずはそこから調べる必要がありそうですね」
 
────────────────────

意識が浮上する。
重い瞼をゆっくりと開けば、見慣れない天井が視界に映った。

「……」

身体を動かそうとした瞬間、胸に鋭い痛みが走る。

「っ……」

その痛みに思わず顔をしかめた。
 
──そうだ。
花南に斬られた。

あの時の光景が脳裏を過ぎり、双葉は無意識に布団を握り締める。
部屋の中は静かで八戒達の姿は見当たらない。
夕日が窓から差し込み、穏やかな光が室内を照らしていた。

どれくらい眠っていたのだろう。

ぼんやりとそんなことを考えた、その時だった。
──カタン。
小さな音が響く。

「……?」

双葉が視線を向ける。
窓が少しだけ開いていた。
吹き込んだ風がカーテンを揺らす。

「あ、起きた」
「ッ!?」

窓枠に腰掛ける少女の姿に、双葉の目が見開かれた。
夕日に照らされた茶色の髪。
足をぶらぶらと揺らしながら、少女は嬉しそうに笑っていた。
それはまるで友達の家に遊びに来た子供のような無邪気さを感じる。

「おはよう、双葉ちゃん」

鈴を転がすような明るい声。
そのあまりにも屈託のない響きに、双葉の背筋がひやりと冷える。

「……なんで」

掠れた声が零れる。
花鈴はぱちぱちと瞬きをし、きょとんと首を傾げた。

「会いに来たから?」

悪びれる様子など欠片もない。
まるで当然のことを言うような口調だった。

「会いに……」
「うん」

花鈴は花が咲くようににっこりと笑う。

「死んでなくてよかったぁ」

心の底から安堵したように胸を撫で下ろしながら。
その笑顔は無邪気だからこそ恐ろしい。

「……何しに来たの」

双葉の問いに、花鈴は少しだけ考える素振りを見せた。唇に指を当て、小首を傾げる仕草は年相応に愛らしい。

「んー?」

それから。
とても楽しそうに笑った。
瞳だけが妙に爛々と輝いて見えた。

「双葉ちゃんとお話ししたくて」

弾んだ声。
けれどその視線は一度も双葉から逸れない。
獲物を見つけた獣のように。
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
花鈴は双葉を見つめたまま続けた。

「だってぇ」

甘えるように語尾を伸ばしながら。
その笑顔のまま。

「やっと見つけたんだもん」

嬉しそうに頬を緩めるその表情は、再会を喜ぶ少女そのものだった。なのに、その声には逃がさないと言わんばかりの執着が滲んでいた。
 
「ねぇ双葉ちゃん」

花鈴が窓枠の上で足をぶらぶらと揺らす。

「お姉ちゃん 優しかった?」
「……」
「いっぱいぎゅーってしてくれた?」
「……」
「頭撫でてくれた?髪の毛結んでくれた?」

双葉の指先がぴくりと震えた。
花南の笑顔が脳裏を過ぎる。
施設に居た自分を迎えに来てくれた日。
一緒に過ごした時間。
大切な記憶。
けれど花鈴はそんな双葉の様子を見て、くすりと笑った。

「そっかぁ」

嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。

「いいなぁ」
「……え?」
「だって花鈴、知らないもん」

花鈴は窓の外へ視線を向けた。

「お姉ちゃんにぎゅーってしてもらったのも」
「手を繋いだことも」
「お話したことも」

その声はあまりにも穏やかだった。

「全部、双葉ちゃんが持ってっちゃったから」
「ッ……」

双葉の息が詰まる。
花鈴は再びこちらを見た。
にっこりと花が咲くような笑顔で。

「でもね」

そして。
何でもないことのように告げる。

「お姉ちゃんにとって、あなたは所詮私の代わりでしかなかったんだよ?可哀想で哀れな双葉ちゃん」
「…ぁ……」

言葉が出ない。
胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。

──そんなはずない。
そう言いたいのに。
花南は何も話してくれなかった。
花鈴という妹の存在を。
自分は何も知らなかった。
彼女が死ぬまで何も知らなかった。

「知らなかったでしょ?」

花鈴がくすくすと笑う。

「だってお姉ちゃん、一度も話してないもんね」
「……」
「花鈴のこと」

双葉の肩がびくりと震えた。

「ねぇ双葉ちゃん」

花鈴は窓枠から軽やかに飛び降りる。
とん、と小さな音が鳴った。

「お姉ちゃんが死んだ時、何思った?」
「……」
「寂しかった?」
「……」
「会いたかった?」

双葉は唇を噛み締める。

──そんなの決まっている。
寂しかった。会いたかった。
もう一度だけ声を聞きたかった。
名前を呼んでほしかった。笑ってほしかった。
謝りたいことだって、言いたかったことだってたくさん、たくさんあった。

「花鈴もね」

少女は笑う。
なのにその瞳だけが、どこか昏かった。

「ずーっと会いたかったんだぁ」
「…ッ」
「だから取り返しに来たの」

ぞくり、と背筋が冷える。

「お姉ちゃんを」

花鈴は双葉を見つめる。
まるで品定めでもするように。

「でもねぇ」

にっこりと無邪気な笑顔を浮かべた。

「お姉ちゃん、まだ双葉ちゃんのこと覚えてるよ」
「!!」

双葉が顔を上げる。
その反応を見て、花鈴は嬉しそうに目を細めた。

「だから会いにおいでよ」
「……え?」
「お姉ちゃん、待ってるから」

その言葉だけを残して。
花鈴はひらりと窓枠へ飛び乗った。

「じゃあね、双葉ちゃん」

風が吹く。
カーテンが揺れる。
次の瞬間には、そこに花鈴の姿はなかった。
静まり返った部屋の中。
残された双葉は、ただ呆然と窓を見つめる。

胸の奥で。
消えかけていたはずの希望が、最悪の形で灯り始めていた。

────────────────
──────────
────

「……双葉?」

最初に異変に気付いたのは悟空だった。
本当に一瞬の出来事だった。
部屋へ戻った時、そこにいたはずの少女の姿がない。
開け放たれた窓から、夕方の風が静かに吹き込んでいる。本当に一瞬四人のいない時間を作ってしまった。
悟空の声に、悟浄と八戒も目線を向けた。
嫌な予感がした。
ベッドは空。
つい先程までそこにいたはずの双葉はどこにもいない。

「双葉!!」

悟空が部屋を飛び出す。

「チッ、あのバカどこ行きやがった!!」

悟浄も舌打ちしながら後を追った。
その時だった。

「……」

八戒がふと足を止める。
床へ視線を落としたまま動かない。

「八戒?」

三蔵の声にも答えず、八戒は静かにしゃがみ込んだ。
指先で空をなぞる。
そこには、今にも消えそうなほど微かな妖気の残滓。
細く伸びたそれは、まるで糸のようだった。

「……そういうことですか」

眼鏡の奥の瞳が鋭く細められる。

「何かわかったのか?」

三蔵の問いに、八戒はゆっくり立ち上がった。
穏やかな笑みは既に消えている。

「双葉は誘い出されたようですね」
「なに?」

三蔵の表情が険しくなる。
八戒は窓の外へ視線を向けた。
微かな妖気の糸は、森の方角へ続いている。

「行きましょう」

静かな声だった。
だがその奥には、押し殺した怒りが滲んでいた。
 
─────────────────────
 
森の奥は異様な静けさに包まれていた。
月明かりだけが木々の隙間から差し込み、白く地面を照らしている。クロガネに支えられながら歩いていた双葉は足を止めた。

「……」

目の前には二つの影。
ひとつは幼い少女。
もうひとつはローブを纏った女性。
まるで最初から待っていたかのように。
少女は双葉の姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。

「あはっ」

嬉しそうな声。

「来てくれたんだ」

双葉は何も答えない。
ただ真っ直ぐ二人を見つめていた。
その様子に花鈴は満足そうに笑う。
そして隣に立つ花南を見上げた。

「花南お姉ちゃん」

くすくすと子供らしい笑い声が響く。

「ラストショーの始まりだよ」
「……」

花南は答えない。
ただ虚ろな瞳で双葉を見つめている。
それでも花鈴は満足そうに笑った。

「うんうん。いい子だね」

まるで聞き分けの良い子供を褒めるような口調。
その無邪気さが、かえって不気味だった。

「それじゃあ――」

月明かりの下。
少女は両腕を大きく広げる。
まるで劇場の幕開けを告げる司会者のように。

「やっちゃえお姉ちゃん!!全部全部壊しちゃえ!!」

甲高い声が森へ響いた。
一瞬の静寂。
そして。

「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

花南が地面を蹴る。
凄まじい風圧。
振るわれた剣が一直線に双葉の喉元へと向かう。
しかし避けようとせず双葉は動かなかった。

「いいよ」

静かな声だった。

「……ッ」

花南の刃が、喉元寸前でぴたりと止まる。
ほんのわずかに、けれど確かに。

「花南になら、殺されてもいいって……」

双葉は震える声で笑った。

「あの日から、ずっと思ってたよ」

脳裏に浮かぶ。
初めて出会った日のこと。
何も感じられなかった自分。
目の前で自殺した父親。
そして。
差し伸べられた温かいひとつの手。

「──私、本当は気付いてた」

花南を見つめる瞳は穏やかで
虚ろな瞳の奥にいるはずの大切な人を。

「初めて会った日」
「……」
「花南、私を見た時、一瞬だけ殺そうとしたでしょ」

花南の指先が震えた。

「でも」

双葉は首を振る。

「それでも嬉しかったの」
「…」
「誰も私を見てくれなかったから」

あの日。
初めて自分へ向けられた視線だった。

「初めて話しかけてくれて、初めて手を差し伸べてくれて……だから私は、その手を握った」

花南の瞳から涙が零れる。

「花南が亡くなった後に全部知ったよ。花鈴のことも。私の父さんが事故を起こして花鈴さんの命を奪ったことも」
「……」
「だから花南が私を殺そうとした理由も」

ずっと考えていた。
自分は何だったのだろうと。
あの優しさは本物だったのかと。
けれど。

「それでも」

双葉は花南を見つめる。

「私は花南の手を取ったこと、一度も後悔したことないよ」
「……ッ」

花南の身体がびくりと震えた。

「もし私が」

双葉は目を閉じる。

「花鈴さんの命を奪った人殺しの娘なら」
「……」
「私の命で花南と花鈴さんの復讐が終わるなら」

ゆっくりと両手を下ろした。
完全に無防備な姿で。
花南の前へ立つ。

「それでいい」

静寂が落ちた。
花南の刃は動かない。双葉も動かない。
ただ互いを見つめていた。

「……」
「……」

そして。
最初に沈黙を壊したのは花鈴だった。

「……は?」

その声からは笑みが消えていた。

「何それ」

ぴくり、と肩が震える。

「何それ何それ何それ」

花鈴の顔から表情が抜け落ちる。

「そんなの駄目じゃん」

ぎり、と歯を噛み締めた。

「双葉ちゃんはもっと苦しまなきゃ駄目なんだよ?」
「……」
「もっと泣いてもっと絶望して、もっともっと全部失わなきゃ駄目なんだよ!!」

叫び声が森へ響く。
張り詰めていた感情が一気に溢れ出した。

「だって!!」

花鈴の瞳からぽろりと涙が零れた。

「花鈴はそうだったのに!!!ずっと痛かったのに!!!ずっと寂しかったのに!!!ずっとずっとひとりだったのに!!!」
「……!」

双葉が目を見開く。

「私が死んじゃった後お姉ちゃん取られた!!私だけのお姉ちゃんだったのに!!会いたかったのに!!ずっと会いたかったのに!!!」

叫ぶたびに糸が揺れる。
花南の身体がびくり、と引き攣った。

「なのに何で!!何でそんな顔できるの!!何でお姉ちゃんを許せるの!!!」
「花鈴さん……」

双葉は言葉を失った。
花鈴が憎んでいたのは自分じゃない。
奪われた時間だった。
二度と取り戻せない、姉との日々だった。
 
その時。

「――そこまでだ」

低い声が響く。
全員の視線が動く。
森の奥。木々の影から現れたのは。

「ったく、手間かけさせやがって」

錫杖を肩に担いだ悟浄。

「双葉!!」

悟空。
そして。
眼鏡の奥に冷たい怒りを宿した八戒。
銃口を真っ直ぐ花鈴へ向けた三蔵が立っていた。
しかし、花鈴は三蔵の銃口など意にも介さない。
張り巡らされた糸が震え、花南の身体へ深く食い込んだ。

「やってよお姉ちゃん!!」

花鈴が叫ぶ。
ぎちりと花南の腕が無理やり持ち上がり剣の切っ先が再び双葉へ向けられた。

「お姉ちゃん!!」

ぎり、と花南の身体が不自然に震える。

「やってってば!!花鈴言うこと聞いてよ!!!」

糸が食い込む。
白い首筋を伝い、血がぽたりと落ちた。
それでも それでも花南は動かなかった。

「……か」
「え?」

花鈴が目を見開く。
花南の唇が微かに動く。

「……か、りん……」

その名前が零れ落ちた瞬間。
花鈴の顔から血の気が引いた。

「お姉、ちゃん……?」

花南の虚ろだった瞳に、微かな光が戻る。
苦しそうに、今にも消えそうなほど弱々しく。
それでも確かに妹を見つめた。

「……ごめん……」
「ッ!!」

花鈴が息を呑む。

「嫌」

首を振る。

「違う」
「花鈴……」
「違う」

一歩、後ずさる。
 
「違う違う違う!!」

花鈴の叫びと共に糸が暴れた。
花南の身体が無理やり引き寄せられる。

「お姉ちゃんは花鈴のなの!!花鈴だけのお姉ちゃんなの!!!」
「ッ……!」
「双葉ちゃんなんかにあげない!!!」

妖気が荒れ狂う。
木々が悲鳴を上げるように揺れた。
その瞬間だった。
花南が、双葉を見た。
涙で滲む視界の向こう。
大切な妹のように思っていた少女を。
そして。
覚悟を決めるように目を閉じた。

「……殺って」
「!」

双葉が顔を上げる。
花南は震える唇で叫んだ。

「殺って双葉!!!」

花鈴の瞳が見開かれる。

「ッ!!?」
「今ならまだ間に合う!!」

血を吐くような叫びだった。

「この子を止めて!!!」
「お姉ちゃん!!!」

花鈴の悲鳴が響く。
暴走した糸が一斉に双葉へ襲い掛かった。

「はぁぁぁぁあああ!!!」

花南の叫びと同時に、双葉は地面を蹴った。
風を切り裂きながら飛び出した。
その瞳にはもう迷いはなかった。

「来ないでッ!!」

花鈴が叫ぶ。
無数の糸が一斉に空を裂いた。
月光を受けた糸は銀色に輝きながら、まるで生き物のように双葉へ襲い掛かる。
だが双葉は止まらない。
手に持ったクナイを振り上げ、ぷつんと小さな音が鳴った。

「――」

次の瞬間。
鋭い銀閃が夜空を走る。
花南の腕へ絡みついていた糸が切れた。

「ッ!?」

花鈴の目が見開かれる。
花南の身体を縛っていた糸が断ち切らたのだ。

「な……」

花南の身体がぐらりと揺れた。
まるで長い悪夢から解放されたかのように、その場へ膝をつく。

「お姉ちゃん!!」

花鈴が悲鳴を上げる。
双葉は止まらない。
一歩また一歩。
真っ直ぐ花鈴へ向かう。

「来ないで!!」

花鈴が両手を振る。
無数の糸が再び双葉へ襲い掛かるよりも早く双葉の指先が静かに動く。

ひゅっ――

風を裂く音。

「え?」

花鈴が目を見開き、気付いた時には遅かった。
細い糸が腕へ絡みつき花鈴の身体を拘束していく。

「なっ……!?」

もがくも解けるどころかむしろ動くほど絡みついていく双葉の糸。

「なんで…」

花鈴の声が震える。
双葉は静かに花鈴を見つめた。
その瞳に、もう迷いはない。

「糸が」

静かな声。

「あなたの専売特許だと思わないで」
「ッ…」

花鈴の顔が歪む。

双葉の指先で揺れる銀糸が、月光を受けて静かに煌めいていた。
花南の操り糸を全て断ち切られ、自分が逆に拘束されている。形勢は完全に逆転。

「……あはは、お見事」

花南の操り糸を全て断ち切られ、形勢は完全に逆転。
それでも花鈴は笑った。
まるで最初から勝敗などどうでもよかったかのように。
しかしひらりと花鈴の背後へ、一枚の黒い羽が舞い落ちる。

「……っ」

花鈴の表情が僅かに変わった。
はっとしたように振り返るも そこには誰もいない。
ただ冷たい満月だけが静かに浮かんでいた。

「――チッ」

花鈴は小さく舌打ちする。

「……『盤上』の時間はおしまい?」

つまらなそうに肩を竦めた。

「つまんないの」

そして。
へたり込んだまま双葉を見上げる。
その顔には相変わらず残酷な笑みが浮かんでいた。

「でもね、可哀想な双葉ちゃん」
「……え?」
「私たちはみんな――」

花鈴がくすりと笑う。

「あの人の手のひらの上で踊らされてるだけなんだよ」

双葉の表情が強張る。

「あの人……?」
「ふふっ」

花鈴は答えない。
代わりに自分の掌を見下ろした。

「……あれ?」

さらりと細い指先から砂が零れ落ちる。
双葉の目が見開かれた。

「花鈴……?」

花南が震える声でその名を呼ぶ。
花鈴自身もようやく気付いたように、自分の腕を見つめた。
月光を受けた身体が、少しずつ崩れ始めていた。

「あーあ」

花鈴はどこか諦めたように笑った。

「やっぱり、そういうことなんだ」
「花鈴!!」

花南が抱きしめた花鈴の身体はもう半分以上が砂となって風に溶けていた。

「お姉ちゃん」

花鈴が見上げるその瞬間だけ。
復讐に歪んでいた瞳が、昔の子供のように揺れた。

「花鈴ね」

ぽろり、と砂が零れる。

「ずっと会いたかった」
「……っ」
「本当に、それだけだったの」
「ごめん…ごめんね花鈴ッ!!」

花南の瞳から涙が溢れる。
花鈴は困ったように笑った。
そして最後に双葉を見る。

「ねぇ双葉ちゃん」
「……」
「黒い烏に気をつけて」

ぞくり、と背筋が震えた。
花鈴は満足そうに微笑む。

「だって、まだ終わってないんだもん」

さらさらと。
月夜の風に身体が崩れていく。

「花鈴!!」

花南の叫びはもう返事のない夜空へと消えた。
少女の姿は完全に砂となり、風に舞う。
森に静寂が落ちる。
長い間張り詰めていた妖気も、少しずつ霧散していった。

「……あの子は」

花南がぽつりと呟く。

「本当は、優しい子だったの」
「……」
「だから私は、あの子を守りたかった」

花南は花鈴が消えた場所を見つめたまま、小さく微笑んだ。

「ごめんね、花鈴。お姉ちゃん、最後まで上手に守ってあげられなかった……」
「……花南」

双葉の震える声が響く。
その時だった。

花南の身体の輪郭が、ふっと揺らいだ。

「……え」

双葉が息を呑む。
月光を浴びた白い指先が、淡い燐光を纏いながら少しずつ透け始めていた。
この世界へ繋ぎ止められていた存在が本来の場所へ還るように。
 
「……ぁ」

双葉の声が震え伸ばした手は空を掴む。
花南はそんな双葉を見つめ、穏やかに微笑んでいた。
まるで長い悪夢からようやく解放されたように。

「か……な……」

喉が詰まる。
それでも双葉は必死に声を絞り出した。

「花、南……!!」

違う。
ずっと呼びたかった名前がある。
けれど生前、照れくさくて恥ずかしくて一度も口にできなかった。
花南は自分を憎んでいたかもしれない。
妹の代わりだったのかもしれない。
それでも

それでも――

「っ!! まって!!」

花南がくれた時間も
優しさも
笑顔も
全部、本物だった。
 
涙が溢れ視界が滲む。

「姉さん!!!」

振り絞ったその言葉が夜空へ響いた。

「!!」

花南が目を見開く。
生前、一度も聞けなかった呼び方。
ずっと欲しかった言葉。

「たくさんのこと教えてくれてありがとう!!!」

双葉は泣きながら叫ぶ。

「姉さんのお陰で私、大切なものをいっぱい見つけられたんだ!!」

声が掠れる。
それでも止まらない。

「姉さん!大好きだよ!! 今までも!! これからも!!」

涙が次から次へと零れ落ちる。

「姉さん!!!」

花南の瞳から、大粒の涙が溢れた。
そこにあったのは哀れみでも罪悪感でもない。
ただ妹を愛する姉の顔だった。

「ッ……」

震える唇が動く。

「あり、が、と……」

花南の身体がさらに光を強くして消えかけていく。

「ずっと……ずっと……」

愛おしそうに双葉へ手を伸ばした。

「あい、して……る……」

白い指先が双葉の頬へ触れようとしたその寸前。
さらり、と温かい光は月光の中へ溶けていった。

「姉さん!!!!!」

双葉が叫ぶ。
そこにはもう誰もいなかった。
ただ静かな夜だけが広がっている。

「……っ」

双葉の膝から力が抜けた。
その場へ崩れ落ちる。
張り詰めていた心の糸が切れたように。
少しずつ動くようになった表情が今はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
けれど。
どう泣けばいいのか分からない。
ただ肩を震わせ、息を詰まらせることしかできない。
そんな双葉の肩を、温かな手が包み込んだ。

「……はっ、かい」

顔を上げる。
八戒は静かに壊れ物を扱うように双葉を引き寄せ、そのまま優しく胸へ抱き締める。

「いいんですよ」

穏やかな声。
どこまでも温かい声。

「いっぱい泣いてください」

その瞬間だった。
花南との思い出が堰を切ったように溢れ出す。

「そうだよ!」

悟空がしゃがみ込む。

「双葉、めちゃくちゃ我慢してたじゃん!」

悟浄も隣へ立つ。

「この際、声出していっぱい泣いとけ」

ぶっきらぼうにそう言いながら優しく、でもくしゃくしゃと頭を撫でた。
花南は本当に自分を愛してくれていた。
自分は代わりなんかじゃなかった。

ずっと。
ずっと家族だった。

「ぁ……っ……」

息が震える。
堪えていたものが、音を立てて崩れていく。
そして。

八戒の胸の中で双葉は17年分の想いを吐き出すように叫んだ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

夜の森へ慟哭が響き渡った。
八戒は何も言わない。
ただ愛おしそうに、何度も何度も双葉の背を撫で続けた。

少し離れた場所で。
三蔵は地面に落ちていた黒い羽を拾い上げ、その羽に眉を顰めた。

「……チッ」

反吐が出るほど見覚えのある気配。
三蔵は西の空を睨みつける。

双葉を抱き締める八戒の耳にだけ。
風に溶けるような声が届いた気がした。

『この子のこと、お願いします』
「……え?」

八戒がふと顔を上げる。
風が静かに頬を撫でた。

「…はい」

自然と小さな返事が零れた。
見上げた先にはただ静かな満月だけが浮かんでいた。

───────────────────

 
──西の地。

薄暗い部屋の中には、静かな駒の音だけが響いていた。
パチン。
机の上に置かれたチェス盤。
その上のポーンが、無造作に倒される。

「あれ」

眼鏡をかけ白衣を羽織る男は、退屈そうに頬杖をついた。

「異世界から呼び寄せたお人形たちは、あっさり壊されてしまったみたいだよ?」

くすり、と笑う。

「細胞まで使ったにしては、少々脆かったんじゃない?」

チェス盤の向こう側。
闇の中に座る人物は微動だにしない。
悔しがる様子もなければ、焦る様子もない。
ただ静かに鼻で笑った。

「構いませんよ」

その声はどこまでも冷たい。

「あれは所詮、ただの実験です」

パチリ。
細長い指がチェスの駒を動かす。

「それよりも」

僅かに口元が歪んだ。

「あの子はどうでした?」
「あぁ」

法衣の男は楽しそうに笑う。

「元気に旅をしてるよ」

そして肩を竦めた。

「相変わらず趣味が悪い」

沈黙。
しばらくして、闇の中の男が静かに呟く。

「まだです」

その声には確信だけがあった。

「本番は、これからですよ」

チェス盤の上へ伸びる指。
ゆっくりと駒を摘み上げる。

「いずれ全ては、あるべき場所へ還る」

パチン。
駒が置かれる。
その音だけが部屋に響いた。
白衣の男は細めた目で盤面を見つめる。

「……なるほど」

面白そうに笑った。

「まだゲームは終わっていない、と」

返事はない。
ただ闇の中で、誰かが静かに笑った気がした。
西の地で蠢く狂気は、まだ誰にも知られていない。
人の願いも。命も。運命さえも。
盤上の駒として弄ぶ存在が、静かに次の一手を待っていた。
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