29. 目を閉まるまで
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(………あれ?)
人間というのは死ぬと傷みを感じないものなのだろうか。
それとも死に直面すると感覚が麻痺するのだろうか。
いずれにせよまだ体は自由に動くようだ。おなまーえはゆっくり目を開けた。
「こんなところでくたばるなんてそれこそ笑い話ですヨ。貴女にしては諦めるのが早いのでは?」
雪のように白い肌、闇夜に浮かぶ銀髪、敵を鋭く射抜く紅の瞳。
白の騎士に細い剣を差し込む『彼』の姿がそこにあった。
本物のナイトが、そこにいた。
「ぇ…」
なぜ『彼』がここにいるのか、おなまーえには分からなかった。
「グォォォ…!」
剣を抜けば白の騎士の残り滓はチリとなって消えていく。
帽子屋のチェイン殺しの能力が効果を発揮したのだろう。
(なんで…)
おなまーえは目の前で呆気なく散って行く白の騎士を見ながらショックを受けた表情をしていた。
(なんで、今になって…)
剣に纏わりついた塵を払うように彼は剣を振る。
その姿がひとしおに格好良く見えた。
(なんで…来てしまったの…!?)
罪を償うため、一人きりで命を散らそうと決めたというのに。
「……随分と、懐かしい顔でしたネ」
白の騎士が完全に消失したことを確認し、なんの感情もこもっていない声で呟くとブレイクはこちらに振り向いた。
彼の顔を見た途端、冷めきっていたおなまーえの心が熱く燃え上がる。
「……な…んで…」
「助けてくれたのか、ですカ?当然ですよ。」
ブレイクは小さく咳き込んだ。
「貴女は私の友ですから」
「っ」
それでも彼は友という表現をした。
決して愛を囁いてはくれなかった。
体にこもっていた熱が放出されるように冷えて行く。
体が、機能を停止しようとしているのだ。
「…っとに、最後まで私の想いには応えてくれないんですね。」
「………」
「ズルい人」
そう儚く笑ったおなまーえはとても美しかった。
いや、勿論ブレイクの目には映らないのだが彼はそう感じた。
「けほっ…」
今度はおなまーえが咳き込んだ。
口の端からツゥと血が流れ、仰向けの彼女の頬を赤く塗らす。
「ねぇ、ケビン。白詰草の花詞、調べましたか?」
「えぇ。この時代に来てすぐに調べましたよ。ステキな花詞でしたね。」
「……そうそれだけなんですね」
あぁ、私の想いは砕け散った。
もう体だけでなく、心ももうボロボロだ。
あとはもう一思いに殺してもらうしかない。
「ねぇ、ブレイク」
「なんですか、おなまーえ」
「私……もう長くはありません」
「ハイ」
「このままだとまたアヴィスに引きずり込まれます」
「……ハイ」
悲しくないのに涙がこぼれた。
それは仰向けのおなまーえの耳を伝って乾いた砂に吸い込まれて行く。
「私、以前ブレイクに貸しを作っていましたよね」
それは随分と昔の話。
オズと初めて出会った日。
ギルバートの名を隠していることを察しておなまーえが気を使った時のこと。
「あぁ、ありましたネェ、そんなことも」
ブレイクは懐かしそうに目を細める。
おなまーえもそれを見て目を細めた。
あの時はまだ誰かが死ぬだなんて、自分が死ぬだなんて考えてもいなかった。
「その貸し、今ここで返してください」
「いいですヨ。何が望みですか?」
おなまーえは柔らかく真紅の瞳を細めた。
「私を、人のまま死なせてください」
「……」
わかっていただろうに、彼は顔を歪めた。
それほどまでに優しいヒト。
愛しくて、恋しくて、憎々しかった。
愛と憎しみは似て非なるもの。
でも彼女にとっては憎しみこそが愛であり、愛こそが憎しみであった。
そうなるように生きてきてしまった。
「お願いです。私は、あの果てのない世界に行きたくない。」
延々と黒い海が広がるアヴィス。
今度こそ、あの世界に迷い込んだら出れないだろう。
(いや、それともチェインになって終わるのかな…)
いずれにせよ、そんな終わり方は嫌だ。
せめて最期は貴方の手で、貴方だけに看取られて逝きたい。
「……ワカリマシタ」
それしか救いはない。
「ありがとう」
ブレイクは自分の声が震えているのに気づいていたが、おなまーえの心臓に向かって垂直に構える剣は一切揺れていなかった。
彼女は静かに目を瞑った。
(ああ、やっと解放される)
まっすぐな銀色。
ヒュッと風を切る音がした。
「っ…ごほっ」
口から大きく血を吐き出す。
帽子屋の手で心臓をひとつきされたのだ。
ほとんど赤の騎士と一体化したこの体は耐えることができない。
(あぁ、一つ渡さなきゃいけないものを忘れてた)
おなまーえは縋るようにまだ動く右手を伸ばした。
「エミリー……ラトウィッジの浴室においてきちゃいました……あとで…取りに行って…あげ…て……」
息も絶え絶えになりながら、最期の告白をした。
先ほどまでとは比べ物にならないほど急速に体が冷えていく。
死が目の前に迫っていた。
もうこれで本当に最後だ。
「…っ……」
おなまーえはゆっくりと真紅の目を閉じた。
腕からは力が抜け、ずるっと力なく地面に打ち付けられる。
穏やかな死に顔、緩やかな風に吹かれる金色の髪。
血の気が失せた彼女の肌を、その胸に突き刺さるブレイクの黒い細剣を一層際立たせた。
「……」
真っ暗な視界、風の音、自身の呼吸の音。
ザークシーズ=ブレイクがいくら耳を澄ませても、ここでは1人分の呼吸しか聞こえなかった。
「…ハッ、ハハ…」
乾いた笑い声。
それでも白髪の騎士は涙は流さなかった。
「言えるわけないじゃないですカ。私も貴女のことが好きだったなんて。」
最期だけでも主君の望みを叶えてあげることができた。
守ってあげることはできなかったけれども。
「おなまーえお嬢様は、幸せでしたか?」
彼の呟きはサブリエの暗闇にポツリと落ちた。
end