第3夜 月下の復讐者
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「っ…」
呼吸を整えて、自身を落ち着かせる。
あれはまだ生まれたばかりのアクマ。きっと私でも倒せる。
バクバクと跳ねる心臓を押さえ込む。震える足を両手で引っ叩く。
細い指で、なんとかイノセンスを起動しようとした瞬間。
「きゃああああ!?!?」
「っ、え」
私の甘い考えを打ち砕くように、背後から悲鳴が聞こえた。
振り向くと、おどろおどろしい筒が目に入る。
ざっと7体のレベル1アクマが逃げ惑う人々を襲っていた。さっきまで教会の信者のフリをしていたやつらだ。
「そ、そんな…」
私ですら足がすくんでいるのだ。ただの一般市民がアクマ相手に太刀打ちできるはずがない。
――悲鳴。
血飛沫をあげて切り刻まれる人々。
キャノン砲を浴びてアクマのウイルスに感染する人々。
――死体。
ウイルスに侵されて、ペンタクルが全身に湧き上がる体。
それが全身を覆い尽くした時、人間の体は石のように固まってしまう。
なんて現実味のない光景だろうか。
先ほど叱咤した足がこれっぽっちも動かない。
思考が完全にフリーズしてしまう。
――それでいいじゃん。
――私はエクソシストにならないって決めたんだから。
悪魔の囁きが聞こえた。
「っ、やめてぇえ!!!」
思いとは裏腹に、がむしゃらにイノセンスを掴みアクマに向かって矢を放つ。
真っ直ぐで淀みのない黒が、まんまるのアクマに突き刺さる。
――ピシッ
当たりどころが良かったようで、ボディにはヒビがはいる。
だが覚醒したばかりの能力だから、威力はとても低い。一体を倒すのに十数本の攻撃が必要だ。
もちろんその間にも生身の人間がどんどん殺されていく。
一人を守れば、その隙に別の人が殺される。その繰り返し。
「っ、くっ…」
溢れ出る雫は悔し涙だ。
覚悟ができていなかった。エクソシストの資格の意味を理解していなかった。
イノセンスという戦う力があるのに、私はまだそれを使いこなせていない。もっと私が強ければ、この人たちを救えるのに…!!
やっとの思いで二体目を倒した頃。
教会内で生きているのは私と、教祖と、ロゼリアの三人だけだった。
壇上から教祖がこちらを見下ろす。
「君は一般市民とは違うな。もしやエクソシストか?」
「……」
「質問に答えないとは、躾のなっていない小娘だな。だがまぁいい、見たところ半人前といったところか。半人前のエクソシストがこの街になんの用だ?」
「…連続行方不明事件、あなたが仕組んだことですか」
怒りを押し殺して尋ねる。
「この光景を見てつまらないことを聞くな。もちろんそうだとも。伯爵様と私は、いわばビジネスパートナーなのだよ。私は信者を素材として提供する。伯爵様はその費用を払う。シンプルだろう?」
「お金のためにこの人たちを騙して殺したっていうの?」
「私は手を汚していない」
「っ、」
言葉が出なかった。
伯爵にブローカーがいるというのは、師匠から聞いたことがある。いま教祖が説明したように、アクマの素材となる人間を提供する代わりに、多額の援助金を伯爵は支払うらしい。
いま目の前にしてわかる。彼らは人間を自分と同じ生命だと思っていない。利己的で、他者の命をなんとも思っていない悪魔だ。
教祖の隣のロゼリアは目を見開いてわなわなと震えていた。
「ちが…私、そんなつもりじゃ…」
パブリック教会は教祖が作った、アクマ製造のための隠蓑。大切な人がいなくなれば、藁にもすがる思いで人は神に祈りを捧げる。
希望を謳いながら、願いを悪用する組織であることを、きっとロゼリアは知らなかった。
疑うことを知らない彼女は夢にも思わなかったに違いない。
ただ妹に会いたい。それだけだったはずだ。
「さぁローズ、邪魔が入ったが問題ない。ロゼリアの皮を被りなさい」
さっきロゼリアが呼び戻した魂。それを動力源として生まれたアクマがゆっくりと彼女に向かって歩き始める。
「いや…」
「やめて!!」
「アクマたち、そのうるさい小娘を殺せ。イノセンスさえあれば伯爵様への土産になる」
教祖の言葉に、残っていた5体のアクマがおなまーえを取り囲むように足止めする。無機質なキャノン砲がこちらに向いた。
「っ、
砲撃が来る前に、身を守るために結界を張る。
5体同時に倒す技術も応用力も持ち合わせていないから、いまこの場を凌ぐためだけに力を使う。
でもそれは、同時にロゼリアを見捨てることを意味していて。
「やめて…」
「ロゼリアっ…!!」
薄いレースの結界を隔てて見える。
恐怖に怯える彼女の目を、私は一生忘れない。
容易く崩れる体。うちつけられる柔らかい四肢。こじ開けられる口。
そこから彼女の体内に入り込んでいくアクマ。
「くっ…ううっ…!!」
駆け寄ってあのアクマを破壊したい。でも集中砲火を食らっている今、結界から出ることは私自身の死を意味する。
私が死ねばロゼリアを助けることができない。元も子もなくなってしまう。
自分の無力さと、嫌に冷静な判断力に腹が立った。
――ピシッ
攻撃を食らい続ければ、いつかは限界が来るもので、あちこちにヒビが入る。
視界がぼやける。泣いている暇などないというのに。
――パキンっ
結界がハラハラと崩れていく。
次くるキャノン砲は避けられない。
「っ…」
これは、多分私の罪なんだと思う。
初めて神田と出会った時、私は命を救われた。
イノセンスという武器を手にした時、私は否応が無しに救う側に立たされていたのに、選べる立場にいると勘違いしていた。
中途半端な気持ちの結果がコレである。
(……ごめんなさい。お父さん、お母さん、お姉ちゃん)
先に逝った家族を想って目を閉じる。
次来る攻撃は避けられないし、もう結界も張れない。結局のところ、アクマを破壊しないことにはその場凌ぎにしかならないのだ。
私にはその方法を学ぶ機会があったのに、学ぶことを放棄した。自ら知ろうとしなかった。
紫色の光が、私の脳を焼く。
もうこれでおしまいだ。
「災厄招来、界蟲『一幻』!!」
次の瞬間、私の背後にいたアクマが爆発した。
振り向くより早く、ぐいっと強く腕を引かれる。
「か…」
「チッ、遅かったか」
黒い長い髪が揺れる。
先ほどの砲撃が、今度は男に降り注ぐ。だが刀を持った彼はキャノン砲を迷わず浴びると、すかさず反撃の技を繰り出した。
その一線の乱れもない動きに、おなまーえは目を奪われる。
「神田…さん…」
思わぬ増援に、教祖は後退りをする。
「エクソシストめ!もう1人いたのか!」
勝ち目がないと判断し、そこからの動きは早かった。
舞台袖、隠し扉らしきところからさっさと外に出ていく。
追いかける隙もなかった。
――ドォォン
厳かだった教会に、アクマの破壊音がよく響く。
レベル1のアクマを倒すのは神田に任せて良いだろう。
おなまーえは重たい足取りで舞台へと上がる。
さながら絞首刑を受ける前の罪人のように。
舞台の真ん中にはロゼリアとアクマがいる。
正確には、まだ彼女の皮をかぶっている最中のアクマがいる。
この状態のアクマは抵抗したり攻撃をすることができない。
今なら私でも容易に破壊できる。
「……ごめんなさい」
彼女がアクマボディに襲われた時、私はロゼリアの命と自分の命を天秤にかけて、自分の命を優先した。
言い訳の余地もなく、それは事実だ。
――グチャ
内臓をかき分け、潰れる音が聞こえる。
――ミシ
骨が歪み、関節が外れる音が聞こえる。
人間の体内に入り込むアクマは、見ていて吐き気をもよおす。
でも絶対に目を離さない。
あの美しい人の姿を、ロゼリアの瞳を、目の前の肉塊を、私は一生忘れてはいけない。
「……」
弓を引っ張れば、何もないところから矢が現れる。
アクマを破壊するための黒い矢。真の意味で人を守るための武器。
歯を食いしばって、その矢をロゼリアとローズに向けた。
「ロゼリアは、良いお姉さんだよ…」
――パァン
右手を離した。矢はアクマの額に命中し、崩れ始める。
「……は」
これで本当に終わり。終幕。完結。めでたしめでたし。
舞台上には私一人だけ。
生き残ったのは私一人だけ。
「……っ、ぁ」
緊張が解けて、涙腺が緩む。
いっそのこと私が消えてしまいたかった。
心の中で、何回も何回も自分を殺す。
小さな私が、私自身を責め立てる。お前のせいだって。
「っ…」
「終わったか」
難なくアクマを退治した神田が、あたりを見回しながら舞台に上がる。
神の像の前に、スポットライトがふたつだけ。美しかった教会は瓦礫と血と肉にまみれ、見る影もなかった。
世界中できっとこんなことが起きてるんだ。
アクマの数だけ、救われなかった想いがある。
アクマの数以上に、救われなかった命がある。
「……っ、無力…でした」
私は、私の罪を懺悔する。
「今回はジジイの采配ミスだ」
「…それはなんの免罪符にもなりません」
拳を床に打つ。慣れない衝撃に身体が悲鳴を上げるが、気持ちがおさまらなかった。
ロゼリアだったものをかき集めても、彼女の命はもう戻らない。無様に懇願したとしても、彼女の魂はもう戻らない。
私がエクソシストになる覚悟をもう少し早くしていれば、きっと彼女のことは助けられたんだ。
自問自答して自己嫌悪に陥る。
「……一つ忠告しておく」
神田は静かに、だが鋭い声で釘を刺す。
「守ろうとは思うな。オレたちは『破壊者』だ」
「……『破壊者』になれば、もうこんな想いしなくて済みますか」
「……ああ」
『破壊者』と言う言葉を頭の中で何度も噛み砕く。
今の私の原動力として、その言葉は十分だった。
もう二度と、目の前で命を失いたくない。
もう少し早ければ、なんて後悔はもうしたくない。
「……私、エクソシストになります。先輩」
神様の前で誓う。生涯をかけて罪を償っていくと。