第3夜 月下の復讐者
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
穏やかな昼下がりのこと。
風景画を描くからとティエドールが歩みを止めたため、小休憩を取っていたおなまーえに衝撃が走る。
「そろそろおなまーえちゃんもひとりで任務に行ってみよっか」
「……へ?」
まるで世間話をするかのようにさりげないティエドールの言葉。おなまーえは顔を青ざめた。
「え?それはどういう…?」
言葉の意味を理解はしているものの、つい聞き返す。
「ほら、可愛い子には旅をさせよって東洋のことわざもあるしね。そろそろ僕たちの助けなしでもやっていけるようにしてかなきゃ」
「い、いきなりですか?」
ティエドール師匠に拾われて半年。まだ黒の教団というところにも行ったことのない私は戦いになんて参加できず、いつも兄弟子や師匠の後ろに身を潜めているだけだった。
簡単な結界は張ることはできたから、巻き込まれた一般人の保護の役目も与えられたが、正直なところ
とにもかくにも、そんな私がひとりで任務なんて絶対にできっこない。
「ひとりでですか…?」
「うーーーん、でもやっぱり心配だなぁ」
「元帥…」
「女の子の弟子なんて久々だからねぇ」
ついつい過保護になっちゃう、とぼやくティエドールの言葉に、マリが困ったように相槌を打つ。
そのままこの話が無かったことになれば良い、と内心期待する。そう願うくらいには、わたしはエクソシストとしての覚悟をしていない。
ティエドールは少し考え込んだ後、閃いたように手を打った。
「そうだ!ユー君についてってもらおうか」
「あ?」
「え」
我関せずを貫いていた神田が声を上げる。
おそるおそる彼の顔色を伺うと、神田は眉間に皺を寄せて心底嫌だと言わんばかりの顔をしている。
神田ユウ。この男は、アクマに襲われた私を助けてくれた命の恩人である。
初めて出会ったときこそ感謝したが、それ以降は話しかけても無視されるし、いつも機嫌が悪そうに無愛想だし、怖い人という印象しか抱けなかった。
「なんで俺がガキの子守なんてしなきゃならねぇんだ、ジジイ」
「だってユー君が適任なんだもん。マー君は見てられなくて手出ししちゃうだろう?」
「まぁ…」
「か、神田さんとふたりでの任務ってことですよね?」
「いいや、基本的に任務自体はおなまーえちゃんひとりでやってもらう。ユー君は何かあった時の保護者役だね」
「え…」
要は危険な状況にならない限り、神田さんは私に手を貸さないということだ。
確かにマリは優しいから私が少しでも困ったら手助けしてくれるだろうが、この人はきっと助けてくれない。
「ユー君ならむやみに手助けしたりしないし、おなまーえちゃんの成長を見守る役には適任だ」
「成長って…私、あの…」
目が泳いでいるのが自分でもわかる。
先ほどから歯切れの悪い返事をしていることには理由がある。
アクマに襲われているところを助けてもらって半年。兄弟子たちの後ろから、その戦いを見ていた私は『自分はエクソシストにはなれない』と確信した。
それは資格のあるなしにかかわらず、むしろなりたくなんてない。
(だって…無理でしょ…)
あの恐ろしいものを相手にすると足がすくんでしまって、戦うなんてとてもできない。
特殊な訓練を積んでいるわけでもなければ、天性の才能を持っているわけでもない。私はたまたまイノセンスに適合してしまった一般人なのだ。
でも身寄りのない私を拾ってくれた師匠に真正面からそれを伝えることはできなくて、ズルズルと引きずって今日まで至っている。
「わ、私まだひとりじゃ何もできないというか、役に立たないというか…」
「自信がないかい?」
「は、はい。あの、まだ自力でアクマも退治したこともなくて…」
兄弟子が弱らせたやつにとどめを刺したことはある。
動けない的にむかって、至近距離から黒い矢を一本放つだけの簡単な仕事だった。
あれでは自分で倒したとは言えない。
「ああ、大丈夫。今回の任務はアクマの出現情報はほとんどないから」
「え?」
師匠のところに来た任務というから、アクマがたくさん出てくるような危険な任務だと思ったが、どうやら違うようだ。
「本来は探索部隊の仕事なんだけどね、ちょうど近くを通るから僕が引き取ったんだ」
「どんな内容なんですか」
「ああ、それはね」
ティエドールの物腰柔らかい笑みが、今はとても恐ろしく見えた。
「街の人が何十人と行方不明になっているんだよ」
▲▼
明日の夜に迎えにいくからと簡素な地図を渡され、私は荒野に放り出された。
自分の心とは反対に、清々しいくらいの青い空。
地図を頼りに半刻歩き、ようやく街が見えてきた。ここからみても結構大きな街だ。
「この街、ですよね…」
「……」
神田に声をかけても返事はない。意地悪をされているのかと錯覚するほどに無視を決め込んでいる。
(こわいなぁ…)
初めての任務に怖がっているのではない。神田の冷たい視線に震えているのだ。
パタパタと苛立つような足音に耐えきれず、早足で街の中に入る。安っぽい革靴が、石畳を踏みしめた。
「……わぁ」
街は意外にも活気付いていた。
雑貨屋やレストランが立ち並び、所々に娯楽施設もある。人々が不自由なく豊かな暮らしができるくらいには発展している街だった。
「すごい…」
感嘆の声が漏れる。
私が生まれ育った村は辺鄙なところで、隣町に行かないと日用品が揃わなかった。残念なことにティエドール師匠との旅の最中も、こんなに大きな街にはなかなか寄る機会がなかった。
だから街や都市に憧れを持っていて、年相応に目を輝かせてしまうのはしかたのないことだった。
小さな頭をくるくるとふりながら中央広場へと向かう。
足取りは軽やかで、赤いリボンがふわりと揺れた。
「……」
「ハッ!」
ふと感じた、ぞわりとする鋭い視線に背筋が伸びる。
覗き込むように後ろを見れば、15メートル後ろにいる神田がこちらを睨みつけていた。
何も悪いことはしてないけど、思わず物影に隠れる。
今回の任務のテーマは『街の人に聞き込みをすること』。
エクソシストになると探索部隊がいない場合自身の足で聞き込みをすることがある。本来は探索部隊がやるべきだったこの任務は、その練習台としてちょうど良いのだろう。
(でも、師匠みたいにできないよ…)
ティエドールは人望が厚く、人柄の良さが滲み出ている。あの朗らかな笑顔に、人はつい気を許してしまうのだ。
なおかつ師匠の聞き込みはいつも的確で、あっという間に真実を暴く。それがアクマの仕業でなくても、すぐに結論を導いてしまうのだ。
物語でしか知らない探偵という職業の人は、きっとみんなあんな感じなんだろう。
広場を見渡す。
屋台のお兄さん、お子さまを遊ばせている奥様たち、仕事の中休みをしているおじさん。
人がいっぱいいて、誰に話しかけたら良いかも検討がつかない。
「あの」
「!」
建物の陰から険しい顔で広場を睨みつけていたからだろうか。
一人の女性がおなまーえに声をかけてきた。
「もしかして、迷子かしら?」
ふんわりと笑う様子がたんぽぽの花みたいで、とても綺麗な人だった。
「い、いや、ちが…」
「あら、それはごめんなさい。あまりお見かけしないけど、この街の人?」
「えっと、その、旅をしてて…」
「旅人さんだったのね、失礼したわ」
彼女は何も悪くない。
この身なりなら迷子と勘違いされても仕方がないし、その辺りも含めて、この任務は自分に荷が重いと思っている。
ただの子どもに、行方不明事件の有力情報を教えてくれる大人がどこにいるというのだ。
「はじめまして、私はロゼリア」
「…おなまーえです」
「ひとりできたの?」
「あ、保護者…がいるんですけど、今おつかいの途中というか…」
緊張が伝わったのか、ロゼリアは声のトーンを上げて話す。
「…この街はどう?」
「素敵だと思います!」
「ふふ、気に入ってくれて嬉しいわ。この街は南北の都市を繋ぐ真ん中に位置してるの。だから道も整備されてるし、お店も繁盛するし、都市ほどじゃないけどそれなりに栄えてるのよ」
「へぇ!」
「市長がお優しい方なの。この人よ」
差し出されたチラシには、恰幅のいい男性がにっこりと微笑んでいる。その周りには『パブリック教会』『体験セミナー』と書かれている。
「……市長?」
「あ、この人は私の信じる神様の司教様で、この街の市長もやってらっしゃるの。この街のほとんどの人はこの方を崇拝しているわ」
「へえ」
神様だとか宗教だとか、そういうことは考えたことがなかった。
多分両親はなんらかの神様を信じていたと思う。でも幼い私は、そんなこと気に求めたことがなかったし、生活する上で困ることなんて何一つない。
(とはいっても、イノセンスそのものが神様の結晶みたいなところあるからな…)
さしずめ私は、黒の教団という宗教に所属する一員だ。
本部に行ったこともないし、肝心のイノセンスもうまく使いこなせていないし、神様に祈ったりもしていないけど。
「あそこに大きな教会があるでしょう?」
ロゼリアが指さした方向を見ると、真っ白な教会が広場の奥に建っていた。
絢爛豪華な装飾が太陽の光を反射して眩しい。他と比べても新しい建物のようだ。
「わたしが小さい頃、この街はもともとスラム街みたいなところでね。旅の人なんて絶対に立ち寄らないような貧民街だったのよ」
「え、そうは見えないですけど…」
「そうよね。教祖様が街長になられてから、街の開拓が進んで今の姿になったのよ」
嬉しそうに話す彼女に虚偽は含まれていない。
なるほど、この街の実権者というのは事実なのだろう。であれば、連続行方不明事件についても何か知っている可能性がある。
でもいきなり市長に会いたいと告げたところで、出会ったばかりの旅人に詳しいことを教えてくれるとは思えない。
「……もしよければ、この街のこともっと教えてくれませんか」
任務には乗り気ではない。
でもこの街について、行方不明事件について、もっと知ってみたいと思った。