第11章 東京国
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ゆっくりと目を開けて、涙を零す。
あちらが現実で、こちらが夢だったらどんなに良いだろうと思った。
涙が溢れてしまうような、なんでもない日常。もう手の届かない、泡沫の記憶。魔法少女が最後に見るそれは、魔女へと変わる前兆。
ぽろぽろと涙をこぼして、辺りを見回す。どのくらい倒れていたのだろうか。
「起きたか」
「黒鋼さん…」
気絶する前は多くの人がいた部屋だったが、今は黒鋼と横たわるファイしかいない。
「みなさんは…」
「会議だとよ。この国の事情はわからねぇ」
「サクラちゃんは?」
「外だ」
「……そうですか」
黒鋼ではなく、サクラが対価を払うと自分から買って出たのだろう。
グイッと目元を拭う。涙は必要ない。
パサっと落ちた毛布を気にも止めず、おなまーえは外を眺めた。まだ雨は降ってきていない。
――パチリ
――ゆらっ
ファイがそっと体を起こす。
「……」
「よかった、起きたんですね」
汗は引いていて、髪はぐちゃぐちゃで、左目は眼帯で隠されているが虚なのだろう。彼の目は澄んだ蒼色ではなく、眩しい金色に変貌していた。おなまーえの好きだった色は、もうそこにはない。
「体、痛いところとかありませんか」
「……」
ふいっとファイは顔を逸らす。まるでおなまーえのことが目に入っていないかのように。
「おはよう『黒鋼』」
「……」
そして黒鋼に対して、あだ名ではなく本名で呼び掛けた。
「……え?」
おなまーえは一歩後退る。
(今、わざと無視された…?)
にわかに騒つく。気のせいであって欲しいと思うのに、彼の金色の瞳に私は映らない。
「ぁ…」
何か声を出したいのに、それすらも無視されてしまったらどうしようと尻込みして、結局口を閉じてしまう。
「悪いんだけど、次元の魔女さんとお話ししたいんだ」
「……」
「大丈夫、逃げたりしないよ」
「……行くぞ、小娘」
黒鋼に促されて、結局言いたいことも確認したいこともできないまま、部屋から追い出される。
仲間をあだ名では呼ばない。親しい少女とは顔を合わせない。これがファイの答えだと、認めたくはなかった。
「……」
茫然と部屋を振り返り見るおなまーえを見て、黒鋼は一層眉を潜めた。
**********
都庁の出入口がよく見える位置に、おなまーえは腰をかける。一階と二階の間のコンクリートが飛び出しているところからは見晴らしが良く、サクラが帰ってきてもすぐに気がつく。
「……最後の楔」
先程のファイの態度は気のせいだと自分に言い聞かせる。そうでもしないとココロが保たなかった。
「おい小娘」
「……なんですか黒鋼さん」
黒鋼の遠慮のなさが、今はとても安心した。
黒鋼は小さく丸めた布の塊をおなまーえに向かって投げつける。防雨服だ。ここは見晴らしが良い分雨に濡れてしまうから、気を遣ってくれたのだろう。
「どうも」
短く礼を言うと、同様に防護服を『小狼』に投げつけていた。みな考えることは同じで、この東京のどこで異変が起きても駆けつけるように常に見張っている。
「もうもどらねぇのか、小僧は」
「……」
「色々と決めねぇとな。姫が帰って来る前に」
「貴方は決めたのか」
「ああ。変わらねぇことと変わったことがある」
黒鋼は目を瞑る。
「おまえはどうなんだ、小娘」
「……」
こちらに話を振られると少し困る。私は未来が定められている身で、この旅とはなんら関係のない人間だから。
「私は…」
もうすぐ魔女になっちゃいますから、さよならですよ。
「どうなるんでしょうね」
「……」
曖昧に笑って黒鋼を黙らせる。これ以上は答えられないし、私もすべてを知っているわけではないから。
黒鋼が言葉を返そうとする瞬間。
「何故、サクラちゃんだけで対価を取りに行かせたんだ」
「……」
黒鋼の言葉はファイの声に遮られて続かなかった。侑子との話は終わったのだろうか。上からのアングルのため、彼の表情は見えないが、声色から怒りの感情はひしひしと伝わってきた。
「姫がそう望んだからだ」
「そのまま止めもしなかったのか」
「ああ」
このままでは喧嘩を始めるのも辞さないと察して、シュタっとおなまーえは飛び降りた。
「サクラちゃんがひとりで行くことが対価なんです。ファイが手を出したら意味がなくなる」
「……」
返事はない。わかっていたけど。
ファイは険しい顔をして毛布を身に纏い、外に出ようとする。
「姫のところでいくつもりか?」
「だとしたら?」
「ここで待ってろ」
「あの子が無傷で帰って来られないだろう事は君達も分かっている筈だ。だから治療しないんだろう、その背中。この国に薬は少ない。サクラちゃんが怪我をして帰った時、少しでも薬を残しておけるように」
おなまーえと違って、黒鋼の治癒能力は一般人と遜色ない。その焼けただれた背中は空気に触れるたびに痛むだろうに、サクラのために治療を断っていた。
「あの子が帰りたくても帰れなくなっていたら?怪我ならまだいい。でももし命を落としたらもう帰れないんだ」
「それも覚悟の上だろう、あの姫は」
「そこまで分かっていて何故…」
「だからこそ。待っている者の所へ帰って来ると約束した姫を信じて、俺は待つ」
黒鋼はこの旅で、力以外の強さがあることを知った。心や、想い、技術、そしてときに待つことも強さになるのだ。それらを関係のないことだと割り切れないほどには、黒鋼は彼らと関わりすぎた。
「待つ事が、一緒に行く事より痛くてもな」
仲間が傷つく姿は心が切り裂かれるように痛い。だからこそ、それは対価となりうる。
「……オレは待てない」
「信じる事がそんなに恐いか」
「……」
鉛色の空から不意に水滴が落ちてきた。
――ポツ
この酸性の雨は皮膚を溶かし、骨すらも残さない。
「雨だ!この雨すごく痛いのに!サクラ」
「……」
ファイは再び足を進め始めた。雨に打たれるサクラを想像すると一刻でも早く駆けつけたいのだろう。
「待て」
「…まだ止めるなら戦う事になるよ」
「……」
ファイは振り返らずに話す。
「…もし」
今まで静観していた『小狼』が口を開いた。一同は振り返り、彼を見つめる。
「もし助けに行って貴方が傷付けば、サクラ…いや姫はもっと傷付く」
「……」
「きっと自分の体が傷付く何倍も心が傷付く。貴方が、姫を傷付けたくないのと同じように」
その言葉はまるで小狼の言葉を体現したかのようで、おなまーえとファイは少し目を見開いた。
「……本当に同じなんだね、君達は」
悲しいくらい同じだった。きっと小狼もこの状況なら同じことを言ったはずだ。
――ザアァァァアア
無情にも雨は強くなっていく。
「…あ!サクラだ!!」
「「「!!」」」
モコナの声に4人は弾かれたように遠くに目をやった。足を引きずりながらこちらに向かって歩いて来る影。砂と瓦礫の合間をよたよたと歩くその姿は全身傷だらけで、顔半分は赤く染まっている。
「サクラちゃん!!」
「っ…」
サクラはこちらの姿を認めると、安心したのか力なく倒れる。
ファイが真っ先に駆け寄り、自身が身につけていた毛布を剥がし、サクラに巻きつける。一歩遅れて小狼と黒鋼とおなまーえも走り出した。
「……ごめんな、さい……」
爪の剥がれた真っ赤な手で、サクラはファイの服を掴む。
「ファイさんが辛い時に何も出来なくて…ごめんなさい。今もきっと…私よりずっと、貴方が…辛い……」
「……サクラちゃん」
「それでも、生きていてくれてよかった…」
「っ…」
ファイは唇を噛み、静かにサクラを抱きしめた。その手は優しく、大切なものを扱うかのように繊細だった。
――ズキッ
おなまーえの心臓が痛む。こんな時に嫉妬なんてしてる状況ではないというのに、その腕に抱かれているのが自分でないと考えると、より一層ズキズキと痛み出した。