第11章 東京国
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「無理だわ」
颯姫はガーゼを置いて呟いた。彼女の前に横たわるファイは、包帯こそ巻かれているが治療と言える治療は受けていない。
「どういう事!?」
「眼球をえぐり取られてる。普通ならショック死しててもおかしくないような状態よ。それにここには薬も足りない」
「……」
おなまーえは静かに涙を流しながら、ファイの顔を見つめる。これほどまでに回復魔法を使えない自身を恨んだことはない。いや、回復魔法を使えたところで魔力が戻らないことにはどうしようもないのか。
「ファイどうなっちゃうの?」
「「「……」」」
モコナの問いには誰も答えない。だってこのまま放置すれば、確実に彼は死ぬ。それだけは明白なことであった。
「侑子!侑子!!」
モコナが次元の魔女を呼んだ。
「お願い!ファイが死んじゃうよ!侑子!」
「……だ、だめだ…」
「!?」
不意に部屋に弱々しい声が響いた。おなまーえはとっさにファイの腕を掴む。
「オレが生きたままなら…小狼君の…魔力も生きる……半分の魔力でも…大きすぎる……」
弱々しくファイが語る。
「彼を、止められなく…なる」
「「ファイ!!」」
おなまーえとモコナが叫ぶ。
あなたが犠牲になるのはおかしいのに。責められるべきは私で、ファイは何も悪くないから。
――ダンッ
大きな音がした。おなまーえはビクリと肩を鳴らして、音のした方を確認する。
「……誰が、そんな風に腹括れっつった」
「……」
黒鋼の拳が壁にめり込んでいる。彼は俯いているためその表情は見えないが、拳から静かな怒りを感じる。
ズカズカと歩いてきて、彼はファイの胸倉を掴み上げた。
「駄目!黒鋼!!」
「やめて!!」
「……ごめんね」
か細い謝罪。謝る必要なんてないのに。
ファイはそこで意識を失った。
「っ…」
何に変えてでもいい。全てを振り出しに戻せるならなんだってしよう。これが必然だというのであれば、私はそれに抗いたい。争うだけの力を持っているのに。
私の身に纏った因果律は自分の意思で動かせるものでもなく、魔女になるためのエネルギーには先約がいる。私自身に、ファイを救うだけの力は備わっていない。
「魔女、こいつを死なせねぇ方法はあるのか」
『…あるわ』
「っ!!教えてください!」
その言葉におなまーえが食いつく。
『けれど、あたしがやれば対価が重すぎる』
「なんでも差し出します!」
『あなたのことは丁重に扱うように言われてるの。おなまーえから対価は取れないわ』
「っ!」
「俺がやる」
黒鋼が覚悟を決めた顔で侑子の前に立った。
悔しいけれど、今この場で対価を差し出せるのは黒鋼だけだった。
重い空気の中、貯水槽を確認していた牙暁と草彅が戻ってきた。
「やっぱり、地下の水が殆ど消えちまってる」
「「「!!」」」
草彅の言葉に、都庁の人の顔が険しくなる。水はこの国において生命線。先の戦いで全て吹き飛んでしまったから、もう元には戻らない。彼らにとってはファイの命よりそちらの方がずっとずっと重要だろう。
「おれがあの場に現れたから…」
『小狼』が俯く。
「いいえ、僕のせいです」
そう遮ったのは、神威の双子である昴流という男だった。彼はこの世界にきてすぐに、地下の水に沈んできた力に引き寄せられ、ずっとずっと眠っていた。
「眠ったままあの子を引き寄せてしまったのは僕です。だからその後の事が起こるべくして起こったとしても、その場があの地下になったのは僕のせいです」
「……何がきっかけだとしても無くなった水は戻りません。貴方には何か考えがあるようですが」
「はい」
昴流は真っ直ぐに侑子を見上げる。
「お久しぶりです、侑子さん」
「そうね」
「お願いがあります。水が欲しいんです。この地下の水槽を満たす程の」
「「「!!」」」
水が欲しい。昴流の告げた願いは、この国の全員の希望であった。
「……対価がいるわ。貴方達双子に次元を渡る術を与えた時と同じように」
「わかっています」
「……」
昴流は迷いなく返事をした。機械のように受け答えをしていた侑子は、視点を黒鋼に移した。
「黒鋼、あたしに地下水槽を直すように頼みなさい」
「……」
「そして昴流の願いを貴方があたしに頼む代わりに、昴流に言いなさい。昴流の血、吸血鬼の血をファイに与えろと」
「「!?」」
「きゅうけつ、き…?」
吸血鬼とは、民話や伝説などに登場する存在で、生命の根源とも言われる血を吸い栄養源とする、蘇った死人または不死の存在のことを言う。
お伽話では見慣れた存在だが、実在するということに実感が持てず、おなまーえは訝しげにふたりを眺める。
「吸血鬼の治癒能力は人間を遙かに凌ぐ。特にその二人は原種よ。その血を受ければファイは死なないわ」
「ファイ、吸血鬼になっちゃうの?」
モコナが涙しながら問いかけた。
「侑子が見せてくれた本みたいに、いろんな人の血を吸うようになっちゃうの?」
「ただ吸血鬼の血を受けるならね」
お伽話の通りなら、多くの吸血鬼は人間の生き血を啜り、血を吸われた人も吸血鬼になるとされている。モコナはそれを危惧したが、侑子は安心させるように首を振った。
「黒鋼、ファイを死なせたくないのは貴方の願い。ファイはそれを望んでいない。なら貴方も彼を生かした責を負わなければならない」
「何をすりゃあいい」
「貴方が『餌』になりなさい」
おなまーえは完全に蚊帳の外になってしまっている。
(何が起きてるの…)
話についていけない。そもそも『餌』とは一体なんなのか。
小狼が居なくなって、ファイが人間でなくなって、そしたら旅の目的すらも変わってしまって、私がここにいる意味ってなんなんだっけ。
まるで舞台か映画でも見ているように現実味が湧かない。
「昴流の血を飲ませる時に、貴方の血を一緒に飲ませて。そうすればファイは貴方の血だけを受け付けるようになる。いえ、貴方の血しか飲めなくなるわ」
「それって、もし黒鋼に何かあったらファイは…」
「死ぬわね」
つまり黒鋼に何かあったときは、ファイは飢え死にするということだ。責任を取るとはそういうこと。それだけは理解できた。
「っ、侑子さん!!」
おなまーえが声を上げる。
「私も、差し出しま…」
「それはできないわ。残念だけれど」
侑子は厳しくおなまーえに伝える。
「貴女の血はそれほどの価値はないの。それは貴女が一番よく分かってるでしょう」
「っ…」
おなまーえは膝から崩れ落ちた。
わかっていた。そう言われることはわかっていたのに、なんでこの体は役に立たないのだ。価値のない体にどうしようもなくイラついて、自信を抱きしめるように抱えた爪先をぐっと二の腕に食い込ませる。
「……」
静かに涙を流すおなまーえの頭を、黒鋼はひと撫ですると目を瞑った。
「お前はもういい。俺がやるから血をよこせ」
「……っ」
「や、めろ…」
かろうじて聞いていたのだろう。それでも弱々しくファイは抵抗をする。
「うるせえ!」
黒鋼の怒号が響く。
「そんなに死にたきゃ俺が殺してやる。だからそれまで生きてろ」
ファイは少し驚きに片目を見開き、観念したように静かに閉じた。
ファイを救えるのは黒鋼しかいないのだ。自分は何もできない。無力。彼に血を与えるのも、彼を叱咤するのも、彼を支えるのも、私じゃない。
静かに見ていた神威が動いた。
「俺がやる」
「でも神威…」
「もう誰にも昴流の血はやりたくない」
彼もまた大切な人を守らんとする人の一人。
「…ありがとう」
彼のおかげで私たちはまだ旅をすることができる。ファイの命をつなぎとめることができる。
――ピッ
神威は自身の手首を長い爪で引っ掻くと、黒鋼に腕を出すことを要求した。そのまま彼の手首も引っ掻くと二人の血液はファイの唇を赤く彩った。不謹慎ながら、その光景はひどく官能的だった。
――ドクンッ
ファイの身体が大きく跳ねた。
「がっ!!!!」
その目は見開かれ、声にならないうめき声を上げる。
「…ッ…!!」
「抑えていろ。身体の造りが変わるんだ。痛むのは当たり前だ」
黒鋼が両腕を抑える。
私もファイを押さえなければ。そう思って伸ばした手は力なく垂れ下がった。変わろうとしているファイに触れられなかった。
「…ぐッ!!!」
ビクビクと体が跳ね、寝台が音を鳴らす。ファイの取り乱し様に、都庁の人たちは気を遣って部屋を出て行ってくれた。
「姫を抱えてろ」
「…はい」
黒鋼が小狼に指示を出す。ファイの隣に眠るサクラに危害が加わらない様に配慮したのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
こんな無力な私で、ごめんなさい。
おなまーえの小声の涙は床にシミをつくった。
『あーらら、最愛の彼が瀕死だって言うのに、ワタシは何もできないのね』
「……」
よく聴き慣れた自分の声が頭の中で反響する。ワルプルギスの夜と名乗ったこの女は、一部始終全てを見ていた。おなまーえが泣き叫び、戦っている時もただただ見ていた。
『言い返す気力もないか。うふふふ。私には好都合なんだけど。どう?その体を明け渡す気になった?』
「……」
小さく首をふる。まだ絶望はしない。希望はないけれど、それでもまだ魔女にはならない。
『往生際が悪いこと。でももうすぐよ。もうすぐ私は
「……」
楔はまだ切れていない。目が覚めたファイが、私を見てくれるのであればこのギリギリの状況でも耐え抜いて見せよう。