第11章 東京国
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地下の貯水槽の扉に辿り着いた。武器を持って入るなという指示をされ、逆らうのも時間の無駄と判断した黒鋼は手に持っていた蒼氷を乱暴に投げた。
中に入るとたくさんの人がいた。それ駆け寄ろうとした瞬間。
――シュワっ
サクラの身体が光のように溶け始る。
「消えたぞ!」
「おそらくこの水の中にある魂のもとへ移動したのかと…」
「なんでもありなのね…」
おなまーえの呟きに池を覗き込んでいたモコナが反応した。
「おなまーえ…?」
モコナは小狼に手渡ししたはず。小狼はファイとともに狩りに出かけたと聞いた。何故こんな地下にいるのだろうか。
こちらの姿を認めたモコナは大急ぎで飛びついてくる。
「おなまーえ!黒鋼!!」
「なんで白まんじゅうだけなんだ!?」
「ファイと小狼くんは!?」
「ふたりとも水の中から出てこないの!」
「!?」
「水って…」
この地下に広がる渦を巻いた水。決して透明度が高くないそれは、この国の人たちの希望であり、争いの種である飲料水。
「……」
息を飲んで渦を見つめる。
荒れ狂う貯水槽からは不穏な気が漂っている。何かある。この底に、何かがいる。
――ドッドッドッ
得体の知れない恐怖感に心臓が鳴り止まない。それが来たと認めたら、この旅は終わってしまう。この旅が終わったら、私は。
――パアァン
次の瞬間、貯水槽の水が弾けた。蒸発とも気発とも違う。まるで底に誘うかのように、水が道を作りだした。
「「!!」」
黒鋼とおなまーえは、水槽の底を見て目つきを変えた。
「う、そ…」
「っ!」
おなまーえは掠れた声でその場に崩れ落ちた。呆然と、眼球が乾くのなんて御構い無しにその丸い目をただただ開く。そこから目を背けたいのに、釘付けにされる。
(いやだ…)
いやだいやだいやだ。そんなことさせたくなかったのに。そんなことになって欲しくなかったのに。そんなことにならないようにしたかったのに。
「っ…」
「いやぁぁあああ!!!!!」
現実を受け入れられなくて、悲痛な叫びがこだまする。
数メートル下の水底で起きていた悲劇。
そこには、血だらけのファイをひきずる小狼の姿があった。
ぐったりとしたファイは、それでも微かに呼吸をしているのが見える。
「っ!ファイ!」
「待て!」
黒鋼の震える声に止められて、おなまーえは足を踏みとどめる。
「なんで止めるんですか!」
「小僧の目をよく見ろ」
静かな声にハッとして、身を乗り出して小狼を凝視した。遠くからでも見える、小狼の目の色。
「青い…」
彼の目は氷のように冷たく、海のように青かった。その青さはおなまーえが大好きな色で、コンパクトの宝石と同じ色で、ファイの優しい目の色で、いつも愛しいと思ったソレで。
「っ――!!」
言葉にならない悲鳴。怒りでどうにかなりそうだった。この怒りは小狼に対してのものではない。
関係ないと見て見ぬ振りをしていた人がいる。小狼の様子がおかしいことも、ファイが何かを抱えていることも、サクラがあんなに眠りこけていることも、黒鋼が何かおかしいと探っていることも、全部全部関係ないと目を瞑った。これは紛れもなく自分が招いた、必然的な結果だった。
「おなまーえしっかりして!」
「はっ…」
モコナの言葉で我に帰る。虫の息だがファイはまだ生きている。我を忘れるにはまだ少し早い。
「っ…」
改めて地下の様子を観察する。ファイは左目から血を流していて、両目ともぴたりと閉じている。一方、小狼の翡翠の綺麗だった目は青く淀み、口元にべったりと血がついている。くちゃくちゃと残酷な咀嚼音がここまで聞こえてきていて、そこから導き出される答えはひとつだった。
小狼は力の抜けているファイを引っ張り上げ、容赦なくもう一方の目に歯を立てた。
「っ!」
「やめろ!!」
黒鋼が小狼に飛びかかった。
――ドォンッ
落下する重力と、黒鋼自身の筋力で容赦なく殴りかかったはずなのに、しかし小狼は黒鋼の拳を制した。いくら小狼でも、そんな力はなかったはずだ。
「!」
「……」
「…喰ったのか、そいつの目を」
「……」
黒鋼の言葉には答えず、小狼は鳩尾に蹴りを入れる。
「っ!!」
あの黒鋼が不意打ちとはいえ一撃食らった。単純な力勝負では彼に敵わない。
「っ、小狼くん目を覚まして!!」
ならばとおなまーえも黒鋼に続き水槽に飛び込む。風を身に纏い姿を変えると、糸をふんだんに撒き散らし、水槽に蜘蛛の巣のように足場を作る。
こうなれば小狼は捕らえられた蝶も同然、身動きができないはずだ。その隙にファイを救出しようと懐に飛び込んだ。
「……」
「えっ」
だが予想に反して、小狼は動かないはずの手を大きく振り、ファイを宙に放り投げた。糸は確実に小狼を絡めている。それを無理やり引っ張って、自身の皮膚が切れるのなんておかまいなしに小狼は動いているのだ。
放り投げられた人型に気を取られた一瞬が、おなまーえの隙であった。
小狼は糸を引きちぎりながら脚を大きく振り上げ、突っ込んできたおなまーえの首後ろに向かって一気に叩き落とした。
――ガッッ!!
「っ!!」
頭が揺れる。視界が白黒する。衝撃で舌を噛んだ。
攻撃を直にくらってしまったと判断がつくまで、たっぷり2秒は要した。そのくらい素早い身のこなしであり、想定外の対応だった。
「小娘!!」
「おなまーえ!!」
黒鋼とモコナが叫ぶ声が聞こえる。
「っ!」
続けて鋭い膝が鳩尾に突き刺さる。肋骨も何本か折れただろう。肺に突き刺さったものもあるようで、喉奥からこみ上げてきた血を吐き出す。
――ドサッ
湿ったコンクリートに体を打ち付けられる。二連撃の致命傷に、とっさに回復が間に合わない。こちらの策が通用しなかった時点で負けは決していたのかも知れない。
小狼はファイを掴んでいた手で彼女の髪を掴み持ち上げた。
「っ、ぐっ…」
「……」
その身体を舐めるように見まわして。
「……これか」
ある一点で目を止めた。彼の視線が向けられているのは耳元のピアス。つまりソウルジェム。
もともと透き通るような白色だったそれは、灰色に濁った宝石となってしまった。このソウルジェムこそがおなまーえの魔力であり、生命力のカケラ。
これを砕かれたら魔法少女は死ぬ。
(っ…死ぬのか…)
今更ながら、その選択肢は自分では思いつかなかった。魔女になるのが嫌ならば、自ら命を経つ選択も英断だっただろうに。どこまで行っても私は自分が一番可愛いのだろう。
「これも、必要だ」
小狼はボソッとつぶやいて、おなまーえの耳に唇を寄せた。
――カチッ
歯がソウルジェムに当たって音を立てる。これだけ動いても小狼の熱い吐息は規則正しいもので、必死に呼吸を整えている自分との実力差を思い知らされる。
「っぁ…」
柔らかい舌が耳たぶをくすぐる。まるで犯されているかのように錯覚するほど官能的だった。
きっと小狼は耳ごと食いちぎる気だ。それならそれで良いかも知れない。魔女にならずに、ひっそりと死ぬことができるのであれば、それはそれで。
抵抗できないことをいいことに、おなまーえはそっと体を預けた。
「おい、そいつを寄こせ」
黒鋼の低い声が響く。応答するために小狼の唇が離れた。
「魔力の源は耳飾りだ。これさえ奪えばもう用はない」
「寄こせ」
「っ…黒鋼さん…?」
そう言えばここには彼もいたんだっけ。ファイを抱えた黒鋼を見て我を取り戻す。
(……そうだ、こんなことしてたらファイが死んでしまう。私が死ぬのは構わないけれど、ファイのもう一方の蒼を小狼くんに奪わせやしない)
黒鋼はファイを床に寝かせると、険しい顔のまま小狼の正面に立つ。そしてなんの前置きもなく、小狼の腕を引っ張り投げた。
――ボキッ
彼の身体は壁に直撃し、鈍い音を立てる。骨の折れる音だ。背骨にヒビが入ったことだろう。ところが小狼は何事もなかったかのように立ち上がる。
小狼は普通の人間の身体だから、おなまーえの糸を引きちぎったことといい、痛みを感じていないわけではないはずだが、それを痛みと感じる理性が欠陥しているように思えた。
黒鋼が投げた際に自由の身となったおなまーえは、そのわずかな時間で回復を施す。
「おまえは魔術師を連れて下がってろ」
「あの小狼君はきっと魔法を使えます。多分黒鋼さんでは役不足ですよ」
小狼は魔力を欲してファイの目やソウルジェムを狙った。旅の道中ではそんな気配は見せていなかったが、魔法の使い方を知っているということだ。
黒鋼ですら相手が務まらないのに、私が出て本当に役に立てるかはわからない。でもやる前から役に立たないと諦めるのは勿体無いから。
「本気でぶつかれば、30秒くらいは拮抗できます」
おなまーえは黒鋼の前に立って糸で作り上げたナイフを構える。
「ざけんな!下がれ!」
「……」
黒鋼が叫んで引き止めるがおなまーえは動かない。
小狼は口元から垂れた血をぬぐい、おなまーえの前に立つ。
「貴方は小狼くんじゃない、けど違うものでもない。何者なの」
「……羽根は取り戻す、必ず」
意思疎通など無意味。彼は羽を取り戻すだけの人形に成り下がった。
「……」
小狼が指を振るう。淡い光がもたらすのは竜巻のような風魔法。それはおなまーえだけを狙ったものではなくて、すべてを薙ぎ払う暴力。
「っ!」
おなまーえは咄嗟に結界を貼ろうとするが、そんな急に大きな結界は張れないから、ファイト黒鋼だけでも守るために小さな防衛魔法を施す。
――ズドォン
その指先から強力な衝撃波が放たれた。爆風がおなまーえに直撃し、意識が朦朧とする。
「ファイの感じがする!今のファイの魔法なの?」
上からモコナの声がした。ファイの心地よい優しい魔力が、人を傷つける兵器として扱われる。それはとても悲しいことで、誰も望んだことではなかったのに。
「っ…」
「お前はもういい」
立つこともままならないおなまーえの手を引き、黒鋼が前に出る。今の結界がなければ、ファイは無事で済まなかっただろうから、おなまーえの判断は間違いではなかった。
小狼と黒鋼が対峙する。武器を置いてきてしまったから、攻撃を防ぐ手立ては何もない。
「あの魔術師の魔力を喰ったのか」
「羽根を取り戻す為に必要なものは手に入れる。邪魔なものは消す」
淡々と繰り返し同じことしか答えない小狼に、黒鋼が歯をくいしばる。
「…こいつは、おまえとあの姫の為に変わったんだ」
旅のはじめ、魔力は使わないと言っていたファイは、レコルト国で仲間を守るために魔法を使った。たとえ誓いを破ってでも、守りたいものが彼にできたのだ。
「小娘だって、お前を殺そうとはしなかった」
おなまーえの最初の攻撃で、仕留めようと思えば小狼の首を跳ねることは容易くできたはずなのに、彼女は自由を奪うだけにとどめた。どんなに変わったって、そのお人好しは今も昔も変わらない。
「おまえ達が少しでも笑ってられるように!おい、聞こえねぇのか小僧!!」
「……」
黒鋼は小狼の心に訴えかけるように叫ぶが、彼の表情は微動だにしない。相変わらず冷たい目で黒鋼を見下ろしている。