第11章 東京国
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早朝、おなまーえは目を覚ました。
また同じ夢を見ていた。ひとりぽっちでテーブルに座り、アプリコットティーをただ眺めているだけの夢を。
雨はもう止んでいて、湿気が肌にまとわりついて気持ち悪い。
起きているのは私だけで、黒鋼とファイも熟睡しているようだ。侑子と話すなら今が唯一の機会。
毛布を畳み、目当てのモコナを抱き上げ、部屋を出ようとする。
「……」
ファイに目をやる。彼はうつ伏せ寝で息苦しそうな体勢をしていた。桜都国で見たあどけない寝顔は窺えない。
おなまーえは彼にそっと近づき膝を立ててしゃがんだ。
「………」
魔が差しただけ。やましい気持ちなんて一切なかった。
やわからな髪に顔を近づき、口づけをした。唇がそっと触れるだけのキスとも呼べないそれは、親愛なるあなたへのせめてもの愛情表現。
ここに来てからろくに風呂にだって入れていないのに、彼の髪はふんわりと良い香りがした。
「…何してんだろ」
イケナイコトをしている自覚はあるから、自嘲気味に笑う。でもこれがきっと最初で最後になるだろう。なんとなくそんな気がした。
「……」
モコナを連れておなまーえはそそくさと1人部屋を出た。彼女が逃げるように出ていった後に、黒鋼とファイは薄く目を細めた。
**********
半分夢見心地のモコナにお願いをして侑子に繋いでもらった。
「侑子さん」
「ええ」
侑子はわかっていたとでもいうように静かに微笑んだ。
「同じ夢を見るんです。この世界で私はただひとりぽっちで、私を置いて世界が先へと進んでいくような、そんな夢を」
「夢の世界もまたひとつの異世界よ。あなたが望んでも望まなくても、それは現実」
「私の中に、何かがいるんです」
「……」
「サクラちゃんを足手まといだなんて思ってもいないのに、どこかでそう感じている私がいて、勝手にジェラシーを感じている」
「……」
「私の最後の楔が何かはわかっています。遅かれ早かれ、それが外れた時に私は魔女になる。それを壊されたくなくて…!」
「落ち着きなさい、おなまーえ。さっきからあなた発言が乱れてるわよ」
「……すみません」
まとまっていない頭で発言してしまったから、そのままの感情をぶつけていた。
私の中に何かがいる恐怖。残る最後の楔がいつ外れるかわからない恐怖。恐怖というものは、人の思考を鈍くさせる。
「……」
すぅっと深呼吸する。決して爽快とはいえない空気を肺いっぱいに満たして気持ちを落ち着ける。
「……少し、落ち着きました」
「続けなさい」
「はい」
聞きたいことが山ほどあるのだ。今は時間がないから、必要なことだけを聞かなければ。
「小狼くんも黒鋼さんも、少しずつ私の体のこと気がついてます」
「ええ」
「ファイは多分初めから知っていたんだと思います」
「……」
「それ以上に私の知らないことを、侑子さんは知っている」
「そうね」
「教えてください。キュゥべえと…インキュベーターと、一体どんな取引をしたんですか」
「ええ。それを知る権利があなたにはある」
インキュベーターはこれを実験と称していたそうだ。
彼らはより大きなエネルギーを魔法少女から回収する研究を行っていた。現在の回収方法ではローリスクな分、人類が滅んだ後を見据えた貯蓄が叶わない。 多少のリスクと代償は冒しても、新しいエネルギーの生成方法が求められていた。
たどり着いた方法が、異世界巡りによる因果の増大。魔法少女を様々な運命に触れることでエネルギーを発生させ、その身体に貯蓄させるというシステムであった。
しかし、次元を超える技術は彼らの科学水準でも追いついていないため、今回は様子見も兼ねて侑子に依頼。私のソウルジェムがグリーフシードに転化する予兆が現れたら、おなまーえの体を元の世界に返すことも契約条件であるという。
「…やっぱりそうなんですね」
「…驚かないのね」
「まぁ、そんな気はしてましたから」
レコルト国で読んだ本では、インキュベーターの最大の目的はこの世界のエネルギーバランスを保つこと。その調達のためには少女の命ですら使い捨て扱いする彼らだ。因果とやらは知らなかったが、奴らの考えそうなことは大体察しがつく。
「やっぱり魔女になることは避けられないんですね」
「ええ。残念ながらその必然は変えることはできないわ」
もしかしたら魔女にならずに済む未来もあるかも知れないと、心のどこかで思っていた。わずかな可能性は今ここで絶たれた。
最後の楔はファイが持っている。彼のために今この体は維持されている。破裂しそうな水風船のように、私の体は危うい状態だ。
ならば耐えてみせよう。絶対に、この旅が終わるまでは。
「…他には質問あるかしら」
「じゃあ、私の旅の対価が軽かったことについて。グリーフシードはあったら助かる程度のもので、対価としては不十分な気がしてたんです」
小狼に比べれば、グリーフシードなんてなくても全く問題ない。大切でないわけではないが、なくてはならないものでもないのだ。そんな中途半端なものが対価で良かったのか。この旅が始まってから、ずっとずっと疑問に思っていた。
「インキュベーターが依頼料を前払いしてたんですよね」
「…ええ、その通りよ。あなたを魔女に転化させるのにはグリーフシードは必要がないから、それを取り上げるために対価として要求したわ」
「そっか」
実質、あの場で私は対価を支払っていないのだ。
私に課せられた価値は、いろいろな世界を周り因果律を纏うこと。もういくつも世界を回ったから、インキュベーターの目的は達成されつつあるのだろう。
(……なんで、私だったんだろう。よりにもよって、なんで…)
私はただ運が悪かった。インキュベーターにとって旅立たせる魔法少女なんて、きっと誰でも良かったはずなんだ。杏子でも、隣町の巴マミでも、まだ見ぬ他の魔法少女でも。けれど運悪くおなまーえというひとりの少女に白羽の矢が立った。
私でなくても良かったはずなのに。神にも見放されたような気持ちだ。
手を握り込み、爪が手のひらの柔らかい部分に食い込む。痛みは感じない。
「……」
全部あいつの手のひらの上で、旅に加わったのも、ファイを好きになったのも、こうして心を砕いているのも、全部全部インキュベーターの計画通り。
「無意味なんですね、本当に」
この精神は無力で、この体は無価値で、この軌跡は無意味。さながら舞台上で踊らされるマリオネットのようで、滑稽だ。
虚な目で手を見つめるおなまーえを見かねた侑子は、思わず声をかける。
「…仕組まれたこととそうでないことの違いくらい、あなたならわかるでしょう。あなたの心は紛れもなくあなたが育ててきたものなのよ」
「……」
侑子の言葉は届かない。これ以上の会話は無駄だと、おなまーえは目を伏せる。
「…すみません、そろそろみんな起きてくる頃合いだと思うので、この辺で失礼します」
「……ええ」
「ありがとうございました」
かろうじて礼を言い終え、おなまーえは通信を切る。
「は、ははは…」
絶望に顔を俯かせる。手足から力が抜けて行く感覚がした。重力に従い、しゃがみこむ。
『どお?期待してた答え、得られた?うふふふ』
「…うるさい」
私の中にいるもうひとりが、さも当たり前のようにこちらに話しかけてきた。ピッフル国で初めて聞こえた幻聴はだんだんとはっきり聞こえてくるようになり、今もこいつは耳障りなほど楽しそうに笑っている。
『ふふっ。ほらほら、ワタシは私なんだから邪険にしないでよ』
「…うるさい」
私はそんな下品な笑い方しない。私はあなたなんかとは違う。
『確かにあの魔女の言う通りだったわね。全ては必然だって。ワタシがこの旅に出ることも必然。計画のうちの一つに過ぎないって』
「…うるさい」
『うふふ、彼に出会って恋したのもインキュベーターにとっては好都合だったわけ』
「…うるさい」
『そんなゾンビみたいな体で、よく彼に愛して欲しいなんて思ったわね』
チカッと脳裏にファイの笑顔が浮かぶ。
愛してほしいだなんて、そんなおこがましいこと。
「……思ってない」
『ウソ。満たして欲しい、助けて欲しいって思ったでしょ。だからさっき口付けなんてしたんじゃない。うふふふ』
「彼が私のことを見てくれるなら、それでいい」
『バケモノと罵られたとしても?』
「……」
『はぁ』
呆れたようにソレは大袈裟にため息をつく。
どんな形であれ、蒼い目に私が映るのであれば、私は抗ってみせよう。そこだけは譲れない。それだけが私の唯一の楔だから。
『我ながらほんと健気ね。それとも物分かりの悪い振りでもしてるのかしら。いずれその体は私のものになるのに』
「……あなたは私なんでしょ。いいから黙って」
『ワタシは私だけど、私はワタシじゃないわ』
「……」
『永い付き合いになるんだから、私の名前くらい覚えてなさい』
「……」
『私の名前は"ワルプルギスの夜"よ。うふふふふ』
残酷なくらい、ソレは綺麗に笑った。