第11章 東京国
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夢を久しぶりに見た。
この広い世界でひとりきり。
夢の中の私はお姫様で、一人でアプリコットティーの入ったティーカップを眺めている。でも決してそれに口をつけたりはしない。
この広い世界でひとりきり。
レモンキャンディもクランベリースコーンもブルーベリージャムも、まるでインクのように机の上に散乱しているけど、どれも手を出せない。私には関係のないことだから。
この広い世界でひとりきり。
向かいの席には誰もいないし、この部屋にもこの建物にもこの世界にも私一人だけで、空はずっと同じ色でそよ風すらも吹かない。
この広い世界でひとりきり。
人も動物もここにはいなくて、お姫様になりたいという夢は叶ったのに、それを祝ってくれる人が誰もいない。
この広い世界でひとりきり。
この広い世界でひとりぽっち。
まるで世界が止まってしまったかのような、静かな静かな夢。
**********
――ふわっ
何かが触れる感覚がして、おなまーえはゆっくり眼を開ける。
「…ならおまえも答えろよ」
「なにをー?」
「……」
目の前にファイの背中が見えた。どうやら毛布をかけてくれたらしい。黒鋼の姿はファイの陰に隠れて見えない。
「……?」
最初に聞こえてきた声で、黒鋼がとても真剣な話をしようとしていることはわかった。ここで起きても何もいいことはないだろうから、敢えてそのまま寝ているふりをする。ただでさえ、先ほどの静かすぎる夢のせいできっと酷い顔をしているのだろうから。
おなまーえはギュッと毛布を握った。
「あの口笛。高麗国とやらで死ぬかもしれない時でも、おまえは魔力を使わなかった。言ってたな、『元にいた国の水底で眠っている奴が目覚めたら、追いつかれるかもしれない。だから逃げなきゃならない、色んな世界を』って」
「黒りん記憶力いいねぇ。さっすがお父さん」
「……」
パチパチという拍手の音が聞こえるが、黒鋼はツッコまない。
「つっこんでようー。寂しいじゃないー」
「…おまえが罪人で追われてるのか、それとも別の理由があるのか、俺には関係ねぇ」
「黒様らしいねぇ」
「おまえがそう望んでるんだろ。へらへらしながら誰も寄せ付けないように、誰とも関わらねぇように」
「……」
きっとこれはファイを救うために必要な弾糾だ。他に構ってる余裕なんてない私には、それを暴くことはできなかった。
ファイも私の体について何も言わなかった。私もファイのしがらみを解きほぐそうとはしなかった。似たもの同士、互いに目を背け合うことで都合が良かったから、それ以上踏み込むことをしなかった。
「だがな、今のおまえは小僧の熱を気にして、姫がこの国の惨状を知ることを案じて、小娘の身体のことを気にかけている」
「……」
それは私のことをというより、私がいつ転化するかわからないから気にしているだけだろう。私の体のことを、ファイは多分私よりずっと前から知っている。
「それに、前の国で使ったあの魔力」
「……言ったでしょ?オレは死ねないって。だから」
「おまえは『自分では死ねない』だけだろう。だが誰かのせいで死ぬなら別だ」
「……」
空気がひんやりとする。重い空気に、おなまーえは居心地が悪そうに眉をしかめた。
「ひとつ前の国。あのまま何もしなければ俺達は捕まるか、悪くすりゃ死んでたかもな」
「……」
「なのにおまえは自分から魔力を使った。自分から関わったんだ、あいつらに」
レコルト国でいっそ小狼を見捨ててもよかったのだ。きっと旅の初めの彼ならばそうした。そして仮に十分な魔力と知識があるとしたら、今の私でもそうするだろう。だって関係のないことだから。
「……オレは」
彼は口を噤んだ。
――ザァァアアア
雨の音がやけに大きく聞こえる。ツンとした薬品じみた埃の匂いが非常に不快だ。
「オレは、オレが関わることで、誰も不幸にしたくない」
「……」
不幸とは。巡り合わせが悪いこと。幸せでないこと。
彼の言う不幸とはなんなのか。
寂しくないこと?傷つかないこと?死なないこと?
(私にとっての不幸は、ひとりぽっちになること)
サクラのように、この世界の全てに愛されたいとは思わない。私にはそんな器量も気立てもないから。
だから。
小狼がいなくても/その聡明な発想がなくても
黒鋼がいなくても/その力強い精神力がなくても
サクラがいなくても/その朗らかな笑顔がなくても
(私は別に構わない――ファイがいる限り)
最後にただひとり、ファイだけでも私のことを見てくれていたなら、私は魔女になることだって怖くない。
そうまどろむのは歪んだ幸せだということはわかっている。本質からかけ離れた愚か者の、刹那の見て見ぬ振り。それを正そうとする心はとうに朽ちてしまった。
「ちょっといいかな」
「おう、もう寝てるか」
ファイにとっては助け舟。タイミング良く、都庁の人たちが部屋に入ってくる。
「大丈夫、黒様が聞きますー」
ファイが愛想よく返した。黒鋼は立ち上がる瞬間ファイの腕をぐいっと引っ張りその耳にボソッと何かを呟く。
「いたいよーぅ」
「言ったな、俺には関係ねぇと」
「いてて。うん、きいたー。だから気にしないでオレのこと」
「お前の過去は関係ねぇんだよ。だから…」
そう言って彼はファイの腕を乱暴に離した。
「いい加減、今の自分に腹ぁ括れ」
黒鋼は部屋から出ていった。
「……」
「……」
静寂と雨の音が支配する。
ファイは後ろの壁に背をつけて崩れ落ちた。ぐしゃりと顔を歪めて、それを隠すように手で覆う。
「あはは。難しいよ…オレには」
「…………」
おなまーえは無表情のまま目を瞑った。
たしかに私は幸せで、このまま永遠に時間が過ぎればいいと思っているけれど、私が今の彼にしてあげられることは、なにもない。