第9章 ピッフル国
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
迫りくる恐怖。
静かに心が朽ちていくのをただ眺めていることしかできないことの、どれほど恐ろしいことよ。
泣いても立ち止まっても、過去に戻ることは決してできない。
緩やかな崩壊は、だが確実に目の前に迫っていた。
ピッフル国
近未来的な建物が軒を連ねる。この国は今までの中でもかなり安全な国であるため、のんびりと過ごすことができている。戦い続きだった男性陣もこれで休息の時間となるだろう。
おなまーえは朝食を終えてアイスティーをたくさん作っていた。それもこれも外で待つ黒鋼のせい。
「おはようございます」
小狼が降りてきた。
「おっはよー」
「おはよ」
「ファイー♡」
モコナがファイに飛びつきに行った。
「小狼起こしてきたよ」
「えらいね、モコナ」
「小狼くん、起きがけで悪いんだけどアイスティー出してきてくれる?」
「え?」
「外にたくさんお客さんがいるの」
アイスティーを配りながら、ことのあらましを簡単に説明する。サクラの羽根が景品となったレースに参加することになった一行。その機体に必要な部品が不足してしまったため、黒鋼とサクラが買い出しに出たのだが、帰ってきた黒鋼が引き連れていたのはサクラだけでなく、大量のボディガードに囲まれた黒髪の女の子であった。
「改めてご挨拶を。わたくし『ピッフル・プリンセス社』の社長、知世=ダイドウジと申します」
「社長さんだー!一番偉い人なんだー。すごいねー」
おなまーえとさほど年齢も変わらない少女が、いちカンパニーのトップを務めているというのだから相当な実力の持ち主だ。
「ひょっとして『ピッフル・プリンセス社』ってあのレースの…」
「ええ。我が社が主催しています」
ドラゴンフライレース。それは今一行が参加しようとしているイベントのことだ。
「せっかくの『ドラゴンフライ』のレース!そして豪華賞品!」
知世はうっとりしながら話し続ける。
「スタートから最後にチェッカーフラッグが振られるその瞬間まで!その全てを記録に収めたい!その為には!!レースに出場してくれるヒロインが必要なんですわー!」
そしてサクラの腕を掴み、上に振り上げた。ボディーガードが一斉に拍手をする。
「さぁ!サクラさん、早速貴方の飛びっぷりをみせてくださいませ!」
「えっ!」
「あー…」
「……」
「私何も言いませんよ」
皆が口を噤むのもわけがある。
――バルンッ
軽快なエンジン音が響く。サクラはゴーグルを装着し、一気にアクセルを踏んだ。機体は上空に浮かび上がり、知世は感嘆の声を漏らす。一同もホッとしたのもつかの間。
――ぷすん ぷすん
「きゃっ!?」
間抜けな音とともに、機体は大きく傾き地面に落下していく。
「きゃーー!」
――ぽてっ
皆が案じていたように、サクラは地面に衝突する。そう、贔屓目に見てもサクラは運転が下手なのである。
「姫ー!!」
小狼が大急ぎで駆け寄る。
「うーん、サクラちゃん大丈夫ですかね?」
「どうだろうねぇー」
「私も頑張らなきゃ」
「応援してるよー」
事の発端の知世は満足そうにしていた。
**********
夜。
サクラは小狼に操縦の仕方を習っていた。おなまーえは掃除の片手間にそれを窓から眺めた。サクラと小狼の手があたってしまい、2人は顔を赤らめている。その初々しさは、見ているこっちも恥ずかしい気持ちになってくるほどだ。
「あはは、微笑ましいねぇ」
「ですね」
「そういえば今日の黒たんも微笑ましかったー」
「ああ?」
ファイが黒鋼に新しい酒瓶を渡しながら話した。
「知世ちゃん」
「……」
黒鋼の眉間にさらにシワが寄った。あまり触れて欲しくなさそうな顔をしている。
「黒たんの国のお姫様にそっくりだったんでしょ?名前も一緒ー」
「いつしか私が勘違いされた知世姫ですよね」
「いつも以上に喋らなかったもんねー」
「それでいてしっかりと知世ちゃん気にしてましたし」
「「おもしろかったなー」」
「…っ!」
息を合わせて黒鋼にちょっかいを出すおなまーえとファイ。お前らこそくっつくなら早くくっつけ。そう叫びたい黒鋼は心をグッと堪えた。
「でも結構会うもんだねぇ。姿は同じでも同じじゃない人に。日本国の知世姫もあんな感じだったの?」
「明るくて元気な子でしたよね」
「……」
黒鋼はその質問には答えなかった。
「……おまえはまだ会ってねぇようだな。逃げ続けなきゃならねぇ理由と」
「………」
ファイは押し黙ってしまった。そんな彼のことをおなまーえは心配そうに覗き込む。
「ファイ?」
「…同じ顔でも同じ奴とは限らねぇけどな」
黒鋼は構わず続けた。
「……分かるよ」
ファイが重々しく口を開いた。さっきまでの軽い調子ではなく、真剣な声で。
「ただ同じ顔をしているだけなのか、それともあの人なのか、オレには分かる」
「……」
「君に、知世姫が分かるようにー」
「……」
「……」
へにゃりと笑ったファイはまたいつもの笑顔を被る。黒鋼はなんの回答もせず、ただ彼を見下ろしていた。
「きゃー!!」
「きゃー♡」
不意に外から悲鳴が聞こえた。悲鳴に加え、機体が迫る音もする。
――ガツンッ!!
大きな音と衝撃がトレーラーを襲い、おなまーえがよろけた。すかさず近くにいたファイがそれを支え、おなまーえは転ばずに済む。様子を確かめるため、3人は外に出た。
「ごめんなさいー!!」
またもやサクラが、今度はトレーラーにぶつかったようだ。悲惨な事故現場の割に、サクラに怪我はない。
「サクラちゃん豪快だなぁ」
「……んとに、大丈夫なのかよ」
「当日まで怪我しないといいんですけど」
小狼があわあわしながらサクラに駆け寄るのが見えた。
**********
「よしっ」
おなまーえはゴーグルを装着した。
時刻は深夜。少しだけ風が吹いていて、絶好のフライト日和。
トレーラーの中の人たちは寝静まっており、おなまーえはこっそりと外に出ていた。
比較的にこういったレース系は得意、だと思う。当然、元の世界で運転なんてしたことはないが、ゲームセンターでよくレーシングゲームをしていた。
(杏子よりはうまかったからな、わたし)
ダンシングゲームではいつも負けてたけど、レース系は比較的得意だったから、このたびの大会にも抵抗感はあまりない。手が悴まないようにグローブを身につけ、グッとアクセルを踏みこんだ。大きく軽い機体はふわっと上空に上がった。
月夜の空中散歩なんて単語が頭に浮かび、おなまーえはクスッと笑う。
――ぷすんぷすん
「え」
だが安心したのも束の間。機体から煙が上がり急降下していく。心臓がひゅっと縮こまる。
「い、いやああーー!!」
操縦技術ならお手の物だが、機械の故障とあってはどうしようも無い。ここは空中で、私は空を飛べたりなんてしない。地面にぶつかる、その恐怖でグッと全身を縮こませた。
――ガシャーン
機体が地面に衝突する激しい音。体に何かが当たる衝撃。
「いっ……たくない…?」
しかしおなまーえの体は地面には打ち付けられなかった。ふわっとした、それでいてしっかりとした感触に包まれる。顔を上げると黒鋼がおなまーえを受け止めていた。
「あ、黒鋼さん…」
「……」
ゆったりとした浮遊感と安心感。そのまま彼は地面に降り立ち、おなまーえを乱暴に地面に投げた。
「イッ!!」
腰を打った。
「何すんですか、黒鋼さん!」
おなまーえは感謝の言葉を忘れ、黒鋼に文句を言う。
「何すんですかじゃねぇ。むしろてめぇがなにやってんだ」
「な、なにって自主練です!」
「指導者も無しにか」
「うっ……だって迷惑かけたくなくて……」
「こうやって機体ぶっ壊されるほうが迷惑だ。それにおまえが怪我したらあの魔術師がうるせぇ」
「う…」
おなまーえは言い返せない。
心配をかけたくなくて、でも私は普通の女の子だから人一倍努力しなければいけなくて、暴走気味になっていたのは事実だ。黒鋼の言う通り、指導者もないフライトは非常に危険だ。
少し考えればわかることなのに。
この時、既に残り時間が短くなっていた私は、どうしてそんなに短絡的な思考回路になっていたのかすら、考えることができなくなっていた。
「えへへ、すみません…」
おなまーえは苦笑した。
「……俺が見てやる」
「え、いいんですか?」
「その代わり魔術師には黙ってろ。後で何か言われても面倒クセェ」
「……黒鋼さんはなんでもお見通しなんですね」
「なんでもは見えねぇ。見える範囲がお前よりは少し広いだけだ」
こうやって私が夜特訓することも、私がファイを意識していることも、黒鋼はお見通しだった。
「で、やんのかやらないのか」
「お、お願いします!」
おなまーえと黒鋼の特訓は朝まで続いた。
1/9ページ