第6章 桜都国
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ワンココンビは市役所に用事があるということで今日も外出している。昨日とは違ってカフェは繁盛し、ファイもサクラもおなまーえも休みなく働いた。
お昼時を過ぎてひと段落したころ、料理を運んだり掃除をすること以外にもできることを増やしたいと、サクラが洗い物をかってでていた。
「ゆっくりでいいよーサクラちゃん」
「はい、でもあともうちょっとですから」
ファイは台所で夜に向けての仕込み作業をし、おなまーえは店内の清掃を行なっていた。
「一緒に旅してるみんなに、わたし何も出来ないから。出来る事だけでも頑張りたいんです」
「…サクラちゃんの想いはちゃんと伝わってるよ」
小狼くんに。
わたしや黒鋼やファイの役に立ちたいのは本心だろう。それ以上に自分のためにその身を投げ打つ小狼のために、何かできることはないかと模索している。
そのひたむきな姿はとても眩しく見えたから、視線を逸らして清掃作業に戻る。
「いつか…少しでも辛い事を分けてもらえると、いいんです…けど…」
「きゃー!サクラ危ない!」
「!?」
「おっと」
モコナの悲鳴におなまーえは振り返る。カウンター越しにいるはずのサクラの姿が見えず、慌てて台所側に回った。どうやらサクラが寝てしまい、倒れたところをファイがキャッチしたようだ。
よかったと声に出すよりも先に、ファイがぽつりと呟いた。
「……本当に良い子だね、サクラちゃん。他に構ってる暇なんてない筈のオレが、幸せを願ってしまうくらい」
「……」
その言葉が、いつも笑顔の仮面で隠しているファイの本心であることはすぐに分かった。だって眼差しがとても優しかった。自然にあがった口角は私ではなくサクラに向けられているもの。
(……ダメだ)
この人を好きになってはいけない。
この人を好きになると私は絶対傷つく。
この人は私をいつか見捨てる。
ポケットに入れたコンパクトをギュッと掴む。これは思い出。
わたしはこれ以上のものを望まない。
わたしはこれ以上の見返りを求めない。
わたしはこれ以上この人を好きにならない。
(…この人を救えるのは私じゃない)
ファイの笑顔がわざとらしいことくらいはわかっていた。おこがましい私は、いつかその仮面の下を私が解放してあげられたらなどと驕っていた。
でも今の彼を見て確信した。無力感にぐっと感情を堪える。
「……わたし、毛布取ってきますね」
自分の世界に帰る、そのために対価を差し出してこの旅に参加した。でももう私にとって、この旅の人たちはただの連れ合いではない。共に旅をする仲間で大切な人たち。
案外絆されるのは早いものだと自嘲する。自分の中で大きくなっていた仲間を初めて自覚する。
タオルケットを手にリビングに戻る。モコナの微かな声が聞こえる。
「一緒に旅してる間にその寂しさが減って、サクラやおなまーえみたいな暖かい感じが増えたら良いなって、モコナ思うの」
「…そうなるといいね」
「……」
続いてファイの切なそうな声が聞こえた。
ひとつ呼吸をして、わざと明るい声でリビングに足を踏み入れる。まるで今きたばっかりを装って。
「毛布持ってきたんですけど、なにか私のこと呼びました?」
「いや、おなまーえちゃんは頼りになるなーってモコナと話してたのー」
「今更知ったんですかー?」
「ずっと前から知ってるよーぅ」
ペタリと貼り付けられた笑顔の仮面。
あなたが偽るのなら、私もこの気持ちを隠し続けましょう。
あなたの闇に触れないように。あなたの闇に取り込まれないように。
――カランカラーン
ワンココンビが帰ってくるには些か早い。お客さんが来たのだろうと、おなまーえとファイは営業スマイルを向けた。
「いらっしゃいませー」
「!」
「あ、またきてくれたんですね、お兄さん」
一昨日、一人で店番をしていた時に来店してくれたお兄さんがまた来てくれた。生憎小狼は今日もいないから手合わせは叶わない。
「すみません、今日も『ちっこいワンコ』は外出中で…」
「おなまーえちゃん」
席を案内するために駆け寄ろうとしたらファイに止められた。いつにもなく真剣な声色だ。
「どうしました、ファイさん」
「おなまーえちゃん、モコナ。サクラちゃんのそばにいて」
「え?」
ファイはサクラをソファに寝かせると、そっとタオルケットをかけて青年に向き合った。
「…何になさいますかー?」
ファイは男を席に案内せずに立ったまま問いかける。
「ここに鬼児狩りがいますよね」
「申し訳ないんですが、今は外出してるんです」
「あなたは違うんですか?」
男がにこっと尋ねる。
「オレはここで喫茶店やってますー」
「…それだけの魔力があるのに?」
「…貴方もね」
そのピリピリとした空気は、まるで互いに武器を向け合っているような威圧感であった。
「っ…」
一触即発な空気に、おなまーえは声を出すことができない。
「…で、『ちっこいワンコ』に何の用でしょうか」
「消えてもらおうと思って」
男の背後の影が歪に動き出す。
「あれは…鬼児?」
揺らめいた影は明らかな殺意を持ってこちらを見ている。
対照的に、青年は不気味なくらいこちらに敵意がない。いや、正確には関心がないというべきだろうか。関心はないが、邪魔をするなら排除する。彼にはそれだけの実力が備わっている。
「……」
感覚でわかる。わたしではあの男に勝てない。サクラのそばにと指示された手前、勝手に動くのも憚られる。
「貴方『星史郎さん』ですか。小狼くんに戦い方を教えてくれたっていう」
「貴方も小狼の旅の同行者なのですか」
「そうですねー」
「異なる世界を渡る旅の?」
「……」
わかり切った質問に、ファイは答えない。
「小狼に世界移動の力はなかった。ということは『次元の魔女』に対価を渡したのかな?」
「…貴方もですかー?貴方は凄い『力』の持ち主のようだけれどー。世界を渡る魔力はその右目の魔法具によるものでしょう?」
「さすがですね。これを得る為に対価として本物の右目は魔女に渡したので」
そう言って触れた彼の右目は確かに虚で、その水晶玉は何者も映していなかった。
「けれどその目の魔力は『回数限定』ですよねぇ。渡れる世界の回数が限られてる」
「ええ。だから、少しでも可能性があるなら無駄にしたくないんです。僕が探している二人に会う為に」
前振りもなく鬼児がファイに襲い掛かった。その鋭い爪は床をえぐる。見た目こそ細いが、あの鬼児の威力は大地を削る雷のような衝撃だ。
「ファイ!!」
モコナがたまらず叫び飛び出そうとする。
「サクラちゃんのそばを離れないで!」
攻撃を避けながら、彼はそう指示した。
今ここで自分にできることはサクラを守ることだけ。モコナは素直にサクラにしがみつき、おなまーえはソウルジェムに力を込めてサクラの周りに糸を張り巡らす。何人たりとも近づけないように。
鬼児は容赦なくファイを追いかけ、部屋の備品を破壊していく。
「っ」
ファイが大きく跳躍し着地した時、顔をしかめた。星史郎はそれを見逃さない。
「足を痛めているんですね。魔力を使えばもっと楽に逃げられるでしょう」
「でも魔力は使わないって決めてるんでー」
「じゃあ仕方ありませんね」
この状況でもファイは魔法を使わない。おなまーえと違い使えないのではなく、使わないのだ。
鬼児が一斉にファイを囲んだ。
「ファイさんっ!!!」
「っ!!」
糸が間に合わない。間に合ったとしてもファイを守り切るにはあと一歩及ばない。
「さようなら」
「ファイーー!!!!」
「っ!!」
傷を負ったであろうファイを攻めてこちらに引き寄せようと糸を手繰り寄せ、その透明な手綱は空を掴んだ。
「……え?」
彼のいたところにボロボロのネクタイがひらひらと舞い落ちる。
(消えた…?)
先程の攻撃は致命傷だ。でも骨まで残らないほどの激しい攻撃ではない。ファイの魔力も気配も、もうすでに感じない。そこには最初からなにもなかったかのように、血も髪の毛一本ですらも残っていない。
(こんなの、まるで――)
この国に来てから抱いていた違和感が符号していく。
パズルのピースのようにバラバラだった手がかりがその全体像を表していく。
(まるで――ゲームみたいじゃないか)
最初に抱いた違和感は名前を設定する必要がある、という部分だった。次に家と職業が自由に選べる点。そして狩りの対象として定められた鬼児という存在。
RPGのように何から何までお膳立てされたこの世界に違和感こそ覚えれど、まさかこの世界が作り物だなんて信じられなかった。だから全てに見て見ぬ振りをして、位置の変わらない月を毎夜見上げていたのだ。
「さて」
星史郎は身体をこちらに向けた。
「……」
おなまーえはソファの前に立ち、サクラを庇うように大きく手を広げる。
「この子に用はないですよね」
「ええ。伝言さえ頼めれば誰でも構いませんし、戦う力のないものを無闇に殺したりはしませんから」
今もまだ魔法で張り巡らせた糸は健在だ。だがそれを見たとしても、星史郎はおなまーえを無力と判断した。力の差は歴然としていても、頭にくることにはくるのだ。
「…小狼くんを殺すの?」
「ええ、この世界では彼の存在が少し邪魔になるので」
「小狼くんはこの世界で探すものがある。あなたに邪魔はさせない」
「そうですか。あなたは話が通じそうだったのに、残念だ」
「目の前で好きな人が殺されて、黙っていられるほど大人じゃないんです、わたし」
「…そうでしたか。では同じところへ連れて行って差し上げます」
ファイを消し去った影がまた蠢く。私はあとほんの瞬きのうちに死ぬことだろう。
「おなまーえダメだよ!!!」
サクラを守るモコナが声を上げる。
「大丈夫」
ここはゲームの世界だから、死んだところで現実で目が覚めるだけだ。泡沫の夢だったが、ここで過ごした穏やかな時間はとても充実したものだった。
モコナの悲鳴を背に、おなまーえは星史郎と対峙する。例えるなら仔猫とライオンくらいの力量差。決着は一瞬なのは両者ともわかっていた。
「一つお聞きしたいことがあります」
「なんですか?」
「吸血鬼の双子について、何か知りませんか」
「吸血鬼?聞いたことないです」
「ではもう用はないですね」
星史郎もダメ元で聞いたのだろう。望ましい回答が得られないとわかると容赦がなかった。
鬼児が周りを取り囲む。逃げ場はない。
「っ…」
痛みよりも意識が遠のく方が早くて、そうなるようにシステムが組まれていることを察する。異世界を渡るときとはまた異なる感覚。まるで夢見心地だった意識を無理やり引き上げられたような不快感。
――ピッピッピッ
――ピーッピーッピーッ
そしてわたしは無機質なアナウンスの声と共に目を覚ます。