第5章 ジェイド国
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――ズウウーン
不穏な音が城にこだました。
「!」
「なに!?」
まるで城の壁が何かに打ち破られたような破壊音。間もなく感じる小刻みな城の揺れ。
――ドドドドドッッ
そして鼓膜を揺さぶる濁流の低い水音。
「水…?」
「川の水を止めてた装置が壊れちゃったんだろうね。古かったしー」
「えぇ!?」
あっかからんと答えるファイに驚きの顔を向ける。
「何でそんなに落ち着いてるんですか!」
「焦ってもしょうがないしぃ?でも急いだ方がいいかもね」
揺れが激しくなり、ヒビの入っているところから小さな瓦礫が落ちてくる。あと数分でこの城は崩れるだろう。
「っ…た、立てない…!?」
だがこの軟弱な足腰はここぞというときに役に立たない。すっかり腰が抜けてしまい、身動きが取れなかった。
「よいしょっと」
それを見たファイはすぐに行動に移す。おなまーえの動かない膝の裏に手を通して、もう片方は背中を支える。阪神共和国でもしてもらった、いわゆるお姫様抱っこ。
「ファイさん!?」
「つかまっててねー」
「わ、私重くて!」
「重くないよーぅ」
「で、でも!!」
「オレもねー、黒ちゃんほどじゃないけどそこそこ力はあるよー。一応男だしぃ」
「っ!」
そうニッコリと笑った彼を直視できなくて、おなまーえは俯いてしまった。崩れゆく城からの脱出を助けてくれるだなんて、そんなのまるで王子様のようで。
ファイの首筋に顔を埋めるように、腕の力を強める。
――ドォーン
壁に穴が空き、そこから大量の水が流れ込んできた。ファイは瓦礫の合間を縫い、器用に出口を目指していく。階段を下り切ったところで、小さな影を複数と、見覚えのある背丈が見えた。
「あ、くろりんだー」
「おう、いたか小娘」
「このとおりー」
「あ…黒鋼さん」
「あとでこってりしばいてやるからな。覚悟しとけ」
「ヒッ」
子どもたちも無事見つかったようで、合流して城から脱出していく。
「小狼くんはー?」
「姫と一緒にまだ地下だ」
「置いていっていいんですか!?」
「アイツがガキども連れて出てけって言ったんだ、大丈夫だろ」
「小狼くん、やるって言った事はちゃんとやるもんねー」
ようやく川の反対側まで辿り着き、崩壊の影響を受けないところで足を下す。
――ゴゴゴゴゴ
崩れゆく城を見て男が叫ぶ。
「おい!来ないぞ!!」
「川の流れが速くなった!」
「これ以上流れが速まると渡れなくなるぞ!」
「本当にあの二人、来るのか!?」
グロサム達が小狼を心配して声をかけて来る。
「「「……」」」
黒鋼とファイは目を瞑り、気配を探っていた。おなまーえは祈るように胸の前で手を組み、城を見つめている。
「……来た」
黒鋼が目を開き呟いた。目の前で水しぶきが上がり腕が伸びて来る。黒鋼がその手をしっかりと握って引っ張り上げた。
「『ひゅー』やったねー、小狼くん」
引き上げられた彼の腕の中にいるサクラ姫は、既に羽根を吸収した後なのか眠ってしまっている。
「先生は!?」
グロサムが駆け寄る。
「わ…かり、ません」
「追ってこないって事は…」
一同は城を見上げる。
――ズンッ
城が崩れ落ちた。瓦礫の山と化したそれを見て、ファイがポツリと呟いた。
「城と運命を共にした…かなぁ」
**********
氷のように冷たくなった足はやっぱり動かなくて、文句を言う黒鋼におぶさりながら街へ戻ってきた。ファイに運ばれていた時よりずっと密着していたのに、口論していたせいかドキドキはしなくて、黒鋼の背中はとても落ち着いた。
宿屋代わりの診療所に到着すると真っ先に風呂場に押し込まれる。
サクラは寝ているから、代わりにモコナに手伝ってもらいながらドレスを脱ぎ、ファイが事前に張ってくれた湯に浸かる。カイルの薬棚から凍傷に効く薬草を拝借して浮かべているのだ。まだ常温のお湯なのに、火傷してしまうのではないかと思うくらい暑く感じてびっくりした。じんじんと染みる手足は少しずつ溶かされていくようで、凍った首元の血の跡も湯に溶けて消えた。
――コンコン
ほうっと一息ついたところで、浴室の扉がノックされた。モコナはもう出ていったし、誰だろうと首を傾げる。
「オレだよー」
「ファイさん?」
「あったかい飲み物もってきたからよかったら飲んでねー。扉のすぐ外に置いておくから」
「あ、ありがとうございます」
「それからタオルと着替えも置いとくからー」
「……」
何から何まで用意してもらって、まるで自分が子どものように思えてきて情けなくなった。私の冷えた体を温めた事でぬるくなったお湯が、もうすでに温まってきているのもファイの計らいだろう。
「じゃあオレ行くからー」
「ま、待って!」
「ん?」
咄嗟に呼び止めてしまったけど、なにをどう話したらいいのか整理がついていなかった。
「……どうしたの、おなまーえちゃん」
ファイは声色を変える事なく、優しく待ってくれた。
この旅に出て変わったことがある。初めは自分の世界に帰るためだけの仮のメンバーという認識しかしていなかった。だからサクラの羽根集めは命に関わらない程度に手伝って、自分の世界に帰れたらすぐにさよならをするつもりだった。
でも、いつのまにか自ら彼らに関わるようになっていって、それを楽しいと思えるようになった。次はどんな世界に行くんだろうと心躍らせている私がいた。風見野に帰るのはもう少し先でもいいかななんて思ったりもした。
でも楽しいだけの旅ではない。カイルのように悪意をもってこちらを攻撃してくる奴らがいる。それに対して対抗する手段を私はもっていない。
黒鋼は持ち前の戦闘力。ファイは魔法とずば抜けた状況把握能力。小狼は反射神経と諦めない信念。各々に武器があって、私にはそれがない。魔法少女に変化しなければただの普通の女の子だし、頭の回転も速いわけではない。
「……私弱いですよね」
だからそんな言葉がつい漏れてしまった。溢れる言葉は止まらない。
「…足手まといになってる」
「…どうしてそう思うの?」
「なんだか助けてもらってばっかだなって。自分の身も満足に守れてなくって、今回だってカイルのこといち早く気づいたのに何もできなかった」
「……」
「そう思ったら迷惑かけてるなって気がしてしまって…」
話を途中で切ることもできなくて、言葉がどんどん溢れてきた。バカだな、私は。こんなことファイに言っても困らせてしまうだけなのに。扉一枚を隔てて、彼は一体どんな顔をしているんだろう。
「おなまーえちゃん」
「は、はい…」
上擦った声で返事をする。冷静になって、こんなくだらないことを他人に相談している自分が恥ずかしくなってきた。
「……おなまーえちゃん覚えてるかな。最初に次元の魔女さんのところで言われた言葉」
「?」
最初に言われた言葉。初めて異世界に行って雨が降っていて、それがにくたらしくて空を睨みあげた私にかけられた言葉。
「『イレギュラーの4人目』?」
「そう、それー。オレもよくわかんないけどさ、結構重要なキーワードだと思うんだよ」
あの時は状況を把握するのに必死だったから特に気にならなかったけど、たしかに気になる単語だ。多くは語らない侑子が敢えて告げたフレーズ。
「私が想定外の存在ってことですか?」
「うん。つまりね、いい意味で考えればおなまーえちゃんはきっといざという時の切り札になると思うんだ」
「切り札…」
「でもそれはあくまでいざという時の話。普段はオレらで十分対処できるから、だからさ、おなまーえちゃんは守られてて欲しいな。そのいざという時のために」
「……」
ストレートに甘んじて守られていろと言われた気がした。それにショックを受けなかったわけではないけど、抗議できるほどの実力は伴っていない。受け入れるしかないのだろう。役に立てないことがこんなに苦痛だとは思わなかった。
「……おなまーえちゃんはさ、優しいよね」
「…はい?」
「友達を心配させたくないから早く帰りたいはずなのに、小狼くんとサクラちゃんの羽根集めを誰よりも先に手伝ったり。最初の頃ツンツンしてた黒様を叱ったのもおなまーえちゃんだもんねー」
「あ、あれは…」
懐かしい話を出されてもっと恥ずかしくなる。
「そういうことさ、オレにはできないからー」
「え?」
「おなまーえちゃんのこと羨ましいって思うよ」
「?」
ファイの言葉が抽象的で、彼が何を言っているのか全然理解ができない。
『やらない』のならまだわかる。『できない』のは何故だ?
「ま、何が言いたいかというとね。強さって力だけじゃないと思うんだ。小狼くん見ててもそう思うでしょー?」
「…はい」
「優しさは強さになる。おなまーえちゃんはもっともっと強くなるよ。オレたちには届かないくらいに」
『強さは力だけではない』。口の中でそれを何度も反芻する。
『優しさは強さになる』。耳の中で何度もこだまする。
次第に胸の突っかかりが収まっていくのを感じた。
「…ありがとうございます。ちょっとナーバスになってたみたいです」
「元気になってよかったよーぅ」
暖かい。何もかもが暖かい。
彼らがいるから、私はこの旅の一員だと胸を張ることができる。
大丈夫。まだ私は大丈夫だ。