第18章 世界の片隅
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「お、百目鬼くん、いらっしゃーい」
「「百目鬼久しぶりー♡」」
機嫌が悪いわけではないのに、むすっとしているこの男は百目鬼静。それを満面の笑みで迎えたのはこの家の守り神、マルとモロである。
この店に住み込みで働かせてもらってから10年以上経った。その間に、四月一日は成長したし、おなまーえも大人っぽくなった。あくまで成長はしないから、取り巻く雰囲気の変化に過ぎないが。
「マルモロ。四月一日くんに伝えてきて。すぐ行くから」
「「はーい♡」」
パタパタと走る2人の姿を見送ると百目鬼の荷物に手を伸ばした。彼もまた手慣れた手つきでそれを渡す。
「百目鬼くんがきてくれると、四月一日くんも調子いいみたいだから嬉しいです」
「…そっすかね」
最初の頃はこの無愛想さが苦手だった。何か悪いことをしてしまったのかと萎縮してたが、ここ10年で、彼は基本的にこんな感じの対応しかしないと分かり、特に気にしなくなった。黒鋼をさらに無愛想にした感じ。
彼を連れて縁側に向かうと、四月一日が軽く挨拶をしておなまーえの持っている荷物を漁る。
「買ってきたか」
「おう、白菜だけいいのがなかったが」
「六月じゃ無理か」
「ほうれん草は良さげじゃないですか?」
「うーん、それも冬のが旨いんだが、仕方ねぇか。おなまーえさん、夕飯作るから手伝って」
「はーい。マルモロ、百目鬼くんの荷物とお召し物よろしく」
「「はーい!」」
**********
「「「ご馳走さまでした」」」
おなまーえが手伝ったことは極わずか。ほとんど四月一日の味付けの食事は相変わらず絶品だった。
「お粗末様」
「おー!食後に酒も肴も用意済みとは、さすが良妻!」
「だから妻じゃねぇっての!」
黒モコナと四月一日の会話は、心なしか白モコナと黒鋼の会話を彷彿とさせる。
今頃はどんな世界を回っているのだろうか。怪我をしていないといいけれど。
「今日の日本酒はなにかなー♪純米ー♪吟醸ー♪それも♪」
「モコナお歌上手ね」
「おうとも!白モコナにも負けないからな!」
「んなことより、マルモロと一緒にこの膳片付けろ」
「えぇー!?百目鬼とおなまーえは!?」
「こいつは食材買ってきたし、おなまーえさんは作るの手伝ってくれた」
「モコナだって手伝ったぞ!」
「何を」
「食べるの手伝った!」
「言うと思った。マルーモロー、下げてくれー」
「「はーい」」
黒モコナは文句こそ言っていたが、食後に開ける予定の「大吟醸」の単語を聞くや否や、張り切って片付けに行った。
「…私も行ってきます」
「おなまーえさんは休んでていいよ」
「いえいえ、お二人で話したいこともあるでしょうし」
おなまーえは軽やかな足取りで庭を去って行った。
「……」
「んな警戒すんなって。いい加減10年だぞ」
おなまーえが去り、あからさまにその方向をじっと見つめる百目鬼に四月一日が苦笑した。
「いきなり自分ちにバイトだっつって上がり込んでくる奴いたらだれだって警戒するだろ」
「ここはお前の家じゃねぇだろ」
座敷に上がり、コトリとお酒を置く。
「あの人だっていたくてここにいるわけじゃないんだ。おなまーえさんは時空が歪んでいるこの空間でしか生きられない。待ってる人がいるのは、おれもあの人も同じだ」
「………」
百目鬼は無言でグラスにお酒を注いだ。
**********
「さて、どうしたもんかなぁ」
「それ、まだ出来てないんですか?」
「真剣に考えてるからこそ、悩むんだよ」
「優柔不断ですね」
「辛辣だなぁ」
半紙に向かって正座をする四月一日、その向かいでひたすら編み物をするおなまーえ。ここ数年、よく見る光景である。
「おなまーえさんの方はそろそろ完成しそうだね、それ」
四月一日は、おなまーえの手元にある細長いものを指して優しく笑った。
「はい。手先が器用じゃないくせに染色からやったんで、すごく時間かかっちゃいましたけどね」
彼女の手元では、蒼と金の糸で編まれたミサンガが、ほぼ完成形を成している。側には紫と白の糸で出来たミサンガ。
蒼と紫の色は材料にこだわって草木染したものである。金と白の色はそれぞれゴールドとプラチナを薄く貼り付けてできた糸。
編み目も丁寧で、両方とも真ん中あたりには不自然な隙間があった。おなまーえはその隙間部分を丁寧に指でなぞる。
「彼らが一体いつ来るのかわかりませんけど、とりあえず間に合いそうで良かったです」
「かれこれ10年だもんね」
「向こうはどれくらいの時間を過ごしてるかはわからないけど、気持ち悪いって言われないか不安ですね」
ふわりと困ったように笑う彼女は、大切な人を想う気持ちでいっぱいだった。
「糸は人とひとを繋げるもの。ミサンガは願いを祈るためのもの。貴女の想いが届くようにおれも願ってますよ」
「…だといいんですけど」
この店に来てからというもの、この女性はただひたすらに一途だった。その姿が自分と重なり、四月一日は心の底から彼女を応援していた。
「出来たかー、四月一日ー」
モコナがのんびりとした声で2人のいる部屋に入ってきた。
「や、まだだ」
「何年もずっとずっと悩んでるからね…」
「モコナが考えてやろうか」
「おれの華押をか?」
「おう!すっごいの考えてやるぞ!やっぱインパクトは大事だよな!超合金にしやすそうなの!あと変形!これは外せないぞ!」
ノリノリで力説するモコナに、おなまーえは苦笑した四月一日は呆れた顔をした。
「かっこいいねぇ」
「なんで署名代わりに使う華押が超合金になって変形しなきゃなんねぇんだよ」
「かっこいいじゃないか!特撮ヒーローみたいな華押!他にないぞ!四月一日のだってすぐにわかるぞ!これぞ華押の真骨頂!!」
「そんなのできるの?」
「まぁ確かに可能っちゃ可能ですけど…。華押は本人証明のサインみたいなもんだから、大体は名前の一字を崩したものとか自然物を図案化したもんってのが相場です」
「なるほど。お花とか、お月様とか?」
「そうそう。あとは蝶とか…」
「……」
寂しそうに顔をうつむかせた四月一日をおなまーえはちらりと一瞥する。
会いたくても会えない寂しさはよく知っている。それは他人がその場しのぎの言葉をかけたとしても埋まることはなく、より一層辛くなるものだから、あえて言葉はかけない。
「……」
おなまーえは黙ってミサンガ作りの作業に戻った。
――ポツポツ
間も無くして、水が軒を叩く音が聞こえる。
「あれ?雨?」
おなまーえは庭に入った縦筋を見て立ち上がった。縁側から空を除くが、青色が見えるほど晴れている。
「狐の嫁入りか」
「あ、洗濯物しまわなきゃ」
そそくさと庭に出たおなまーえの後に続いて、四月一日が縁側に出る。
「……これも必然。久しぶりにやってみるか」
ここ数日晴れていてくれたおかげで、幸い洗濯物の量は少なかった。おなまーえが洗濯物をかかえてパタパタと戻ると四月一日が庭に降りてきた。
「何かやるの?」
「うん。聴鏡って言ってこんな感じの天気の日に、鏡を持って立って、最初に聞こえた音を兆しにするんです」
「兆し…」
兆しとは、物事が起ころうとする気配や変化のことである。
華押が決まらない四月一日。ミサンガを編み上げたおなまーえ。そして狐の嫁入り。タイミングが良いといえば確かにそうだが、これもまた必然である。
「あ!」
「え?」
不意におなまーえが声を上げた。視線の先は四月一日の手元にある小さな入れ物。少し傷や汚れのついたそれは蒼い宝石が散りばめられたコンパクトだった。桜都国でファイからもらった、最初で最後のプレゼント。
侑子に対価として渡したのだから、冷静に考えればこの店にあるのは明白だったのに、10年間一度も気がつかなかった。きっとそうなるようになっていたのだろう。対価とはそういうものだ。
「どうかしましたか?」
「……いえ、なんでもないです」
それはもう私のものではない。形あるものは渡してしまったけれど、思い出は胸にしまっているから、惜しくはない。
――ザァァー
雨脚は変わらず、水と草の匂いが辺りに立ち込める。雨に打たれる四月一日はそっとコンパクトを裾にしまう。
「おなまーえさんはそこにいてください。声は出さないで」
「はい」
庭の中央でそっと目を閉じた彼を見守る。
――キィィィイイイン
あたり一帯に甲高い音が響いた。それはかつておなまーえがよく耳にしていた馴染みのある音。
(懐かしい…)
細い雨が降る昼過ぎ。太陽の輝きが鏡に反射したように見えて、思わず目を逸らした。鏡は四月一日の裾にしまわれているはずなのに。
その刹那。彼女の優しい目は、大きく見開かれた。
「っ!!」
シュルンという音と共に現れた3人。揺るがない強さを携える赤い目、大切なものを守りきる勇気ある翡翠の目、柔らかく芯のある蒼色の目。
思わず体が震える。息がうまくできない。
ああ、なんで良い日だろうか。ずっとずっとこの時を待っていた。待ち焦がれていた。目の前に、会いたかった人たちがいる。
「ファイ!みんな…!!」
「おかえり!!」
黒モコナと共に、おなまーえは走り出した。雨に濡れるのを物ともせず彼に飛びつく。抱きとめる腕は、幻覚でも夢でもない。
ガバッと顔を上に上げる。昔と変わらない笑顔がそこにある。
「おまたせ、おなまーえ」
「っ!うん!」
苦しいほど抱きしめられ、周りの視線なんて気にならない。今だけはそんなことはおかまいなしに幸せを噛み締めていた。
《fin》
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