第16章 日本国
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「……おなまーえちゃん」
「っ!?」
名前を呼ばれてハッと目を開ける。重力に従い垂れ下がる金色の髪。柔和な、表情。逆さまに見える彼の顔はとても穏やかなものだった。
「ファイ」
ユゥイにそう呼んで良いのか分からなかったけど、慣れ親しんだ呼び方はなかなか変えることができない。
この国についてからは、黒鋼を運んだり各々療養したりと落ち着きがなく、ゆっくりと2人きりになれる時間なんてなかった。
「そんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
ファイが手を差し出した。嫌味のない細い指。グイッと引き起こされ、そのまま立ち上がる。体の上にのっていた花びらがはらはらと舞い落ちた。
「……もう体は平気なの?」
「うん。吸血鬼の力もあるから、治りは早いみたい」
「よかった」
当たり障りのない会話。そこからどう会話を繋げたら良いか分からず、気まずそうに目を逸らす。
「……」
「……」
過去の罪を全て見られた男と、自身の気持ちを伝えてしまった女。
彼はセレス国でのおなまーえの盛大な告白を覚えているのだろうか。勢いに任せて告白してしまったことを、少なからず後悔している。恥ずかしいからだけではない。この先旅を続けていく中で、この感情は余計なものだから。いつかこの心が邪魔になる時が来るから、後悔している。
「あのさ、セレス国で…」
「……」
おなまーえの顔がこわばる。
「オレの過去を見てくれたならわかると思うんだけど。オレね、ずっとずっと自分が生まれてこなければよかったって思ってた」
「……」
「オレのせいで母さんも、ファイも、アシュラ王も死んだ。不吉の子なんて呼ばれてね、本当にその通りだって自分でも思ってた」
「……生まれてこなければよかった命なんてないんですよ」
生まれてこなければよかったなんて、そんなこと、あってはならない。生命は分け隔てなく平等で、その価値は他人の評価によって左右されるものではない。そんな理不尽、あっていいはずがない。
「おなまーえちゃんさ、言ってくれたよね。『産まれてきてくれてありがとう』って」
ファイは少しかがみ、おなまーえと目線を合わせる。目を瞑り、ゆっくりと近づき、あの時と同じように額をコツンと擦り合わせた。
「オレ、今までそんなこと言われたことなかったからすごくびっくりしたんだけど。それ以上に、すごくすごく嬉しかった」
「………」
おなまーえは視線を少し上げた。蒼い瞳と紫の瞳が交差する。彼の言わんとしていることはわかった。
「あの時のお返事、ですか?」
「うん」
好きと伝えた。あの時はもう二度と会えなくなる状況だったから、返事をもらえるとは思っていなかった。
――ドクンドクン
心臓が、破裂するのではないかと思うほど早打ちする。
「……」
ファイはゆっくりと、手を彼女の腰に回した。
「オレもね…おなまーえちゃんに出会えてよかったって心の底から思ってる」
「……私の体はもう」
「わかってるよ、もう生ある人の体じゃないことくらい」
「……」
おなまーえの体は、今やエーテルでできている。肉体は仮初めのもの。魂は神様仕様にカスタムされたもの。姿形こそ以前とは変わっていないが、その中身はもうおなまーえのものとは言えない。
「それでも、オレはおなまーえちゃんのことが好きなんだ」
「…っ」
ずるい。あなたはずるい人だ。諦めようって、あなたが幸せならそれでいいって思ってたのにどうして好きだなんて、そんなこと。
「随分と遠回りしてしまったけれど、これがオレの精一杯の告白」
「っ…」
「できたら返事、聞かせて欲しいな」
肩を震わせ目に涙を浮かべるおなまーえの背中を、ファイの優しい手がそっと撫でる。
「そんなの、言わなくたって…」
言わなくたってどうせ知っているんでしょう。でも言葉を返さないと。何か言わないと。彼はいつまでも待っててくれてしまうから。
私も好きです?嬉しいです?幸せです?
この気持ちをなんて表せばいいのだろう。言葉が詰まってうまく口に出せない。
「あの…」
「……」
ファイがおなまーえの肩をにぎりそっと身体を離す。
ああ、このままではダメだ。何か言わなきゃとおなまーえが顔を上げた瞬間。
「っ…」
その唇に柔らかい感触が降ってきた。柔らかい金色の髪がゼロ距離に映る。呼吸が止まる。目が閉じられない。
唇から伝わる熱が他人のものだと、理解をする頃にはすぐに解放された。
「っ…ファイ!?」
ほんの一瞬の時間。
柔らかいそれが触れていたと思うだけで芯が熱くなる。カチカチになった体。ユデダコのように顔を真っ赤にしたおなまーえを指差して、当の本人は楽しそうに笑っている。久々に見た、ファイの笑顔。
「あははは、おなまーえちゃんかわいー」
「ひどいっ!!」
「……」
「っ、あ」
今度は後頭部を引き寄せられて塞がれる。優しく吸われるような、啄むようなキス。ファイの着ている着物の襟を、すがるように握ると、腰に回された手がさらに引き寄せられる。
「っ…ん…」
大きな細い木に抱かれているようで、くったりと体を預けてすり寄せる。頭がくらくらして正常な判断ができない。深夜とはいえ誰かに見られたら恥ずかしいのに、そこまで頭が回らないから、ただただ熱を浴びる。
「…っ」
名残惜しくも糸を引いて、濡れた唇は離される。
「……ごめんね、またしたくなっちゃった。もう少し、お話してもいい?」
「…うん」
腕を引かれて広間を出る。花弁を散らした風が扉を開く。まるでふたりを導くように。日本国の目もあやな月は、霞の雲を纏って見守る。
爽やかな夜風。耳に心地よい鈴虫の音。ほんのりと香る干し草の匂い。豊かな自然はおなまーえの高揚した体を鎮まさせる。
縁側にファイが腰を据えたので、おなまーえも隣に座り込む。どちらからともなく、脇に下ろした指先を絡ませた。
「おなまーえちゃんさ、この旅が終わったら何をしたい?」
「この旅が終わったらですか?」
「うん。飛王リードを倒して、もう異世界を旅することがなくなったら。故郷に帰るの?」
「……」
考えてなかった。だってその先に私が存在できる保証はどこにもないから。
神様となった私は『飛王リードを倒すこと』という目的のために、魂だけで現界している。目的を達成、又は体を維持する核を破壊されれば、この細い体は霧散して円環の理に還る――はずだった。
だが私はインフィニティに行くために、『帰る場所』を対価に差し出してしまった。侑子との契約で『帰る場所』を絶たれた私は、円環の理に還ることができない。
私は、飛王リードを倒すという目的を失った瞬間に無に帰る。おなまーえという意識は消滅するのだ。死とは異なる、存在自体の消滅。
「……何がいいですかね」
でも本当のことなんて彼には言えないから。口角を上げて、全身全霊で嘘をつく。『今』を凌ぐためだけの継ぎ接ぎだらけの希望を。
「……どこかの国でカフェでも開きたいですね。いろんな世界からいろんな人が訪ねてくるようなカフェを」
せっかく新しい世界を知ることができたのだ。世界が縦だけでなく、横に広がってると知った今、それをもっともっと見てみたいと思った。
「……じゃあオレもそのお店手伝いたいなー」
「いいですね!桜都国みたいに賑やかになりますね」
ファイと2人でカフェを経営する。うん、悪くないかもしれない。小狼とサクラが毎日のように訪れてくれて、時々黒鋼が顔を出す。侑子さんにも一度くらいは来てもらいたい。
2人は目を合わせてくすくすと笑う。穏やかな夜、手を重ねて未来を語らう。絶対に叶わない、魔法少女の夢物語を。