1戦目
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納屋はみんなのいる居間から離れたところにあった。
物置と化していて、誰もここには近づかない。
こもるには打って付けの場所だった。
彼は暗がりでパソコンをいじっているから、かすかな灯りが動いているのが遠くから見える。
おなまーえは足音を立てずにそっと納屋に近づいた。
「……」
すうっと息を飲む。
4年ぶりに見る彼は、自分の記憶とは随分と違っていた。
短かった髪は顔を覆うほどの長さに整えられていて、柔らかかった手足は引き締まり、筋肉が程よく付いていた。
ヘッドホンをしていてこちらには気がついていないだろう。
そう思って息を吐いた瞬間、彼は気配を察知してゆっくりとそれを外した。
「誰?」
そして緩慢な動きでこちらに顔を向ける。
彼の目の周りの筋肉が小さく動いた。
「ひ、久しぶり、佳主馬…」
「……おなまーえ?」
よかった。
忘れられてなかった。
今更ながら変なところはないだろうか。
髪は自然に降ろしてるはずだし、服はふんわりとした白の半袖と黒のホットパンツで、サンダルを履いてきたから裸足。
うん、多分大丈夫。
姉にも突っ込まれたりしてないから大丈夫。多分。
一方、佳主馬は片目を前髪で隠していて、タンクトップに短パンというラフな格好だった。
タンクトップの色が、心なしか万助叔父さんを彷彿させる。
顔立ちは変わっていない。
昔のままであることにほっと安堵する。
「なんできたの?」
「ひどい言い草。栄ばあちゃんが90歳の誕生日だから」
「いや、そういうことじゃなくて…」
「納屋に?」
「うん」
「聖美さんにここにいるって聞いたから」
「会いにきてくれたの?」
「う、うん」
会いにきた。
そう、会いにきた。
ちょっと言葉の表現に迷ったものの、「顔見せに来ただけ」と訂正するのもまた何か違うような気がして、おなまーえはコクリと頷いた。
「…ふーん」
彼は興味をなさそうに視線を逸らした。
あ、やばい。
このままでは会話が終わってしまう。
他に会話のネタがないか。
それ以前にここにもうちょっと居座る理由がないかと、おなまーえは小さい頭でフル回転で思考を巡らす。
ふと、パソコンの画面に、ウサギのアバターが映っているのが見えた。
「か、佳主馬、しばらく見ててもいい?」
我ながらチャンピオン相手によく言えたと、褒められていいと思う。
気が散るから普通は嫌がるだろうに。
「…いいよ」
佳主馬は嫌がるそぶりを一切見せず、承諾してくれた。
「お邪魔します」
そっと納屋に入る。
見れば見るほど煩雑に物が置かれていて、パソコンを置くスペースは無理やり作っている感が否めない。
「無線?」
「まさか。有線持ってきてる」
ネットワーク設備も佳主馬の好きなようにカスタムしているようだ。
「ん」
彼は自身が座ってた座布団を引きずって、こちらによこしてきた。
「いいよ、私お邪魔してるだけだし」
「いいから」
ぐいっと手が引かれる。
「!」
その力強さに、おなまーえは思わずバランスを崩してよろけた。
「っと」
だがすんでのところで片足を踏み込み、なんとか転倒は免れる。
「あ、ごめん」
「ん、平気」
おなまーえは後悔する。
(バカ私。耐えちゃダメじゃん。不本意だけど姉を見習うのよ、おなまーえ)
姉の方が女性らしさはずっと上だ。
昔から姉はよくモテていた。
理想が高いから、誰かと付き合ったことはないけれど、姉の仕草は男ウケするのだとおなまーえはわかっていた。
今の一部始終が姉なら、きっと踏み込まずにそのまま転倒していただろうに。
そして好きな人に覆いかぶさってハプニングを起こしていただろうに。
ああ、勿体無いことをした。
悶々と反省会を繰り広げ、おなまーえは差し出された座布団に腰を下ろす。
「試合?」
「じゃない。トレーニング」
それっきり、佳主馬はこちらを見たり話しかけたりすることはせずに、ただ画面の奥の作業に没頭していた。
だが大音量で音楽を流していたヘッドホンが、再度耳にセットされることはなかった。
++++++
時間が過ぎるのはあっという間で、この納屋だけ時間が止まっているかのようであった。
おなまーえも佳主馬も一言も発さない。
ただ互いの息遣いと佳主馬のタイピング音が響くだけの、静かな空間だった。
ほんのりと暖かくなるような雄の匂いが佳主馬から漂ってくる。
変態ではない。断じて。
以前テレビで見たことがあるんだ。
生物は異性に惹かれる際、匂いを重視している。
心地よいと感じれば生物学的に相性は良いし、不快に感じれば相性が悪いという解説だった気がする。
わずか30センチの距離を心地よいと感じる私は、彼との相性が良いのだろうか。
そんな夢のような時間を引き裂く声が遠くから聞こえた。
「おなまーえーー!夕飯の時間だよー!」
何処かから、姉が呼ぶ声が聞こえる。
「…バカ姉」
ちょっとは気を利かせてくれ。
こっちは4年分の恋情を噛みしめているところなのだから。
「今行くー!」
居間に届くくらいの声を張って、おなまーえは応えた。
「佳主馬も行く?」
「いかない」
「…何か持ってこようか?」
立ち上がるついでに、おつかいがないか佳主馬に問いかける。
それを口実に夕食後もまたここに来るから。
「……じゃあ麦茶もってきて」
「食べ物は?」
「いらない」
「お腹空かないの?」
「夕飯はいい」
じゃあ麦茶と、今度は座布団を持って訪れよう。
早めに夕飯も切り上げて、早くここに戻ってきたい。
おなまーえは暖かさの残る座布団を彼に返す。
「…じゃ、行くね」
「あのさ」
「ん?」
立ち上がろうとしたおなまーえは呼び止められて固まる。
佳主馬は視線を画面に向けたまま問いかけてきた。
「…兄弟ってどんな感じ?」
「…どんなって」
ああそうか。
彼は妹ができることに、少なからず戸惑いを感じているのか。
兄弟のいる先達として、何か言えることはないだろうか。
「うーん…」
おなまーえは能天気な姉に思いを馳せる。
天真爛漫な姉に対し、クールだとよく言われる妹。
周囲を振り回す側の姉と、振り回される側の妹。
男からモテる姉に対し、告白なんて一度もされたことがない妹。
年上に可愛がられる姉と、年上に頼られる妹。
ウンウンと悩み、おなまーえは姉に虐げられる日常を思い返す。
「……相反する性質を得るのは、兄弟喧嘩の宿命かな」
「なんの話?」
「私の場合、夏希みたいにはなりたくないなって思ってたらこう育った」
「ああ…」
「同性か異性かでも違うと思うよ」
「そっか」
「じゃ、行ってくる」
「うん」
納屋から一歩外に出る。
ただそれだけなのに、ひんやりとする廊下が別世界のようで、おなまーえは少し寂しい気持ちを抱いた。
居間に近づくほどに、佳主馬の暖かいにおいが、少しずつ遠ざかっていった。
【続】