#08
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
案外日常というものは変わりないもので。
友人が死んだとしても、好きな人に大嫌いと言われたとしても、憎き敵の尻尾を掴んだとしても。
朝日は変わらず登り、沈んでいく。
仕事は変わらずにこなさなければならないし、食事も変わらずしなければならない。
「……はぁ」
書類をまとめて、みょーじおなまーえは1つため息を吐いた。
今このフロアには、監視官と執行官の全員が揃っている。
縢秀星の姿ももちろんある。
喧嘩といえば軽く聞こえてしまうが、おそらくそのようなものなのだろう。
口を聞くこともなく、互いに気まずげに視線を逸らし合うだけ。
「……」
大嫌いと言われたとき、ショックを受けるよりも先に体が動いていた。
叩きつけられた指輪に向かって、彼女は床に転がり落ちたのである。
その時の縢の驚いた顔。
だが次の瞬間に、それは怒りの表情に満ちた。
そこからは会話らしい会話は一切していない。
「出て行け」と言われて、素直に彼の部屋を出た。
胸元の布はボタンごと引きちぎられてしまっていたので、唐之杜に上着を借りた。
この分析官、察しはいい方なので、彼女は理由を問わずに服を貸してくれた。
翌日、何事もなかったかのように出勤しても、縢秀星とは一切の会話をしなかった。
――そんな状態が数日続いている。
常守朱の決死のモンタージュの結果、槙島聖護の顔をはっきりと把握することができるようになった。
白髪で、整った顔立ちの青年。
ぱっと見の印象では、犯罪者になんて到底見えなかった。
街灯スキャナなどにも既に探知の手配は済んでいるものの、今のところそちらに引っかかった報告は届いていない。
今日も今日とて何事も無く1日が終わる。
そのはずだった。
――キュオンキュオン
出動の警報が鳴った。
『渋谷区、エリアストレス上昇警報。当直の監視官は直ちに…』
仕事だ。
気分は晴れないが、狭い部屋に閉じこもっているよりはずっとマシ。
気分転換にはなるだろう。
この時、彼女はチェ・グソンの残した言葉の意味を、まだきちんと認識できていなかったのである。
****
事件現場は何の変哲も無い、薬局の調剤室であった。
殺されたのは職員2人。
防犯カメラもサイマティックスキャンもくぐり抜け、犯人は調剤室に侵入し、2人を殺害。
出て行く際も一切のサイコパス測定をパスして、何事もなかったかのように出て行ったのである。
「どういう状況だ?これは…」
「どうもこうも、事件そのものは明快極まりないんだよな。犯人は堂々と玄関から入ってきて係員を殺し、好き放題に薬物を奪った後で平然とそこのドアから出て行った。」
征陸の言葉が全てだった。
事件そのものは明らか。
「一部始終、監視カメラに映ってますよ」
六合塚の言葉に、一同はモニターに注目する。
犯人は顔をすっぽりと覆うほどのヘルメットを被っていた。
「なんだ?このヘルメット。露骨に怪しいじゃん。」
「ただ怪しいというだけでセキュリティーは作動しないわ」
各所に置いてある据え置き式の色相測定装置の分析を行っていた、おなまーえが顔を上げた。
「出た。この人の色相推移。」
スキャナーに残っていたログをグラフ化したものである。
「…エントランスからずっとこの男のサイコパスはクリアカラーの正常値みたいね」
「まるっきりあの槙島ってやつと同じじゃないっすか?サイコパスが正常なまんまで 人殺しができるなんて」
その通りだった。
だが槙島とこの男とでは異なる点が1つある。
「おそらくこのヘルメットが鍵だ。サイマティックスキャンを欺く、何らかの機能があったに違いない。」
「異論はありません。槙島には技術屋として、プログラマーがついてるって、以前唐之杜さん言ってましたよね。多分、そいつが作ったんじゃないかなと。」
「……」
チェ・グソンが作ったのではないかと、暗にそう示した。
縢が冷めた目でこちらを見てきたので、おなまーえは目を俯かせる。
「その線が濃厚だろう。常守監視官を出し抜いた槙島という男も同じような装置を使ったのかもしれない。」
みょーじおなまーえと縢秀星の様子がおかしいことは周りも薄々気が付いているものの、それをわざわざ指摘する者はいなかった。
縢は視線を逸らした彼女を見て、事件に意識を戻した。
「しかしよ、こんなヘルメット一つでサイコパスなんて偽装はできるもんなのか?」
「サイマティックスキャンを遮断するというならまだわかるわ。もちろんその程度のことならセキュリティも突破できない。」
「スキャンニング不能な人物が通過すれば、その時点で警報が鳴りますもんね」
「問題はスキャナーが侵入者のサイコパスを検出している点だ。虫も殺せないほど、善良な一般市民としての色相判定をな。」
みょーじおなまーえが出したデータと、先ほどの事件の映像を見比べながら宜野座は不可解だと呟く。
「…クラッキングかな」
「ありえないわね。こんなに短時間で、場当たり的な犯行なのに、何の痕跡も残さずデータを改ざんするなんて不可能よ。」
現行のセキュリティーは、サイマティックスキャンの信頼性を前提に設計されている。
だからこそサイコパスに問題がなければ、その対象は問題を起こす可能性すらないものとして、素通りすることができる。
「実際の傷害も窃盗も、それを犯罪行為と断定できる機能はドローンのAIには備わっていない」
「全部対象のサイコパスだけを判断基準にしてるから…」
シビュラの出したサイコパスという数値に依存しているこの社会において、まるでそれを皮肉るような事件。
サイコパス数値に異常がなければ犯罪は認められないと。
「…こんな犯罪に対処できる方法はもう この街には残ってない」
常守朱の言葉は、一係に重くのしかかった。
(……これが首都圏を麻痺させるほどの事件なのか?)
おなまーえは顎に手を当てて考え込む。
ヘルメットを作ったのは間違いなくチェ・グソンだろう。
今のご時世、あんな芸当ができるのは彼くらいなものだ。
ならば必ず目的があるはず。
ただ薬局の薬を盗むためだけが彼らの目的ではないはずだ。
首都圏を麻痺させると言った彼の言葉に嘘はないだろう。
誇張も過大評価もないとするのなら、事件はこれだけに終わらないということを指し示す。
「……」
責任の一端を担っているみょーじおなまーえは、必死で彼らの目的について考えこんだ。