hollow ataraxia《結》
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――シュワッ
"彼ら"が徐々にひとりでに消え始めた。
そろそろリミットが近いのだろう。
魔法の残り時間は、もう5分もないのだろう。
シンデレラは12時を過ぎれば魔法が解けてしまう。
おなまーえを食べようとしていた"彼ら"は、消滅に成すすべなく溶けていく。
「………」
ランサーも槍を地面につけた。
これ以上無意味に戦う必要はないと判断したのだろう。
黒い月が、まるでニタリと笑うように弧を描いている。
街の灯りが消えたため、星の天幕がいっそう美しく見えた。
辺りを覆い尽くしていた夥しい数の赤は完全に消滅した。
わずか数秒で、無数がゼロになった。
静寂。
舞台にいるのはおなまーえとランサーだけ。
ここは第五次聖杯戦争の完結とは別の、あくまで幕間の物語だが、今ここに一つのストーリーが完結しようとしている。
「ランサー」
ヒロインは、槍を下ろしてビルを見上げるヒーローに声をかけた。
「……アレだな。俺が言うのもなんだが、姿も気配もねぇのに声がするってのもなかなか不気味なもんだな。」
「ほんと、それをあなたが言う?」
ふふっと頬を緩める。
英霊も幽霊も、普通の人間からしてみれば同じようなものなのに。
これからこの"おなまーえ"という意識が消滅する。
あんなに恐れていた死の先にあるのは、虚無というなんとも肩透かしな真っ白な空間だった。
それでも意識を失うということに恐怖は覚えるのだが、彼が隣で看取ってくれると思うだけで震える体を抑えることができた。
おなまーえも、ランサーを見習ってビルの屋上を見上げる。
細い、蜘蛛の糸のようなヴァージンロード。
「…あの2人はうまくやってるのかな」
「さぁな。ダメだったらまた1日目に戻るだけなんだろ。」
「まぁ、そうだね」
それでもこの時間が無為に終わってしまうのは、なんだかもったいない気がした。
全員参加の聖杯戦争。
これでダメならきっとこの先、少年が自力で5日目を取り戻すことはできない。
小さな杯が壊れるのを待つだけとなる。
透明な階段が少しずつ消えていく。
――キィン
おなまーえの背筋に冷たいものが走った。
(……ああ。上手くいっちゃったか。)
少年は無事に天の杯に至った。
勝者が聖杯を手にすれば、この4日間の再現は止まる。
次に短針が12時を超えた時、少年は未だ見ぬ5日目を迎えることだろう。
それは同時に、おなまーえの死を示す。
(………)
この1時間の奇跡を想い、おなまーえは目を緩めた。
「……とっても楽しかった」
「……そうかい。そりゃよかった。」
ポツリと溢れた本心に、ランサーが相打ちをしてくれた。
ランサーの釣りの隣で惚ける時間も、アンリマユとの会話も、ここでこうしてともに戦えることも。
後から考えれば、全部全部楽しかった。
体の痛みから解放されて、非常に充実した時間だった。
――ゴーン
――ゴーン
――ゴーン
終わりを告げる、鐘がなる。
魔法が解ける時間だ。
時間にして、残り1分。
後悔だけはしないように。
「……そろそろお別れみたい」
「ああ」
「ありがとう、ランサー。もう会うことはないだろうけど。」
足元が消えていく。
神経はあるのに、動かすことができない、不思議な感覚。
「………」
ランサーはこちらを見てはくれないが、その態度が一番彼らしいなと思うから、悲しくはない。
お別れは言えた。
あと伝えなきゃいけないことは――ああ、ひとつだけあった。
ありきたりなセリフで、三文芝居の締めくくりにはふさわしいフィナーレだろう。
一張羅のドレス。
彼からもらった花束。
お姫様にしてはちょっと物足りないが、そこは笑顔でカバー。
急げ、急げ。
タイムリミットまで、もう残り5秒もない。
「あのね」
おなまーえはランサーの頬に手を当てた。
「私、あなたに出会えてよかっ―――」
――シュワッ
"彼ら"と同様に、おなまーえもまた溶けるように姿を消した。
後には何も残らず、だがほんのりと――甘い香りがランサーの鼻をかすめた。
これは、薔薇の香りだろうか。
「……逝ったな」
秋の天の川を見上げる。
ランサーは粗野で荒々しい性格だが、人に気を回すことは得意であった。
彼女に与えた薔薇の花。
自分でもどうして2本しか添えなかったのか気になって、バイトの暇な時間に花の雑誌を漁った。
薔薇の花言葉は本数によって意味が異なるらしい。
2本の意味は『この世界に2人きり』。
『私、あなたに出会えてよかっ――』
おなまーえという名の少女の声は、想像以上に幼かった。
彼女がこの意味を知っていたかどうかはわからない。
だが、少女の全身全霊の愛に、少しでも応えられたのなら幸いだ。
「……しっかし、どうしてこう、良いオンナばかりに縁がねぇんだろうなぁ」
ランサーは己が運命を、ほんの少しばかり恨んだ。
《hollow ataraxia 終》