hollow ataraxia《起》
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涼夜。
肌寒さは感じない。
ランサーも連れずに、少女はセンタービルの隣の建物の周りを4周する。
特に意味はない。
回るたびに新しい発見があるから、それがただ楽しいだけなのである。
ホテル冬木のロゴはこんななんだとか。
駐車場は4箇所入り口があるけれど、そのうち一つはわかりにくいところにあるとか。
自分の使っていた部屋の電気は消えてるとか。
結局このホテルの玄関は片手で数えられるほどしか利用しなかったとか。
ランサーはここからジャンプして、落下するおなまーえを抱えてくれたとか。
「……まぁそれももう存在しない記録なんだけど」
正確には記録には残るが記憶には残らない。
おなまーえがキャスターに襲われて、このビルのベランダから飛び降りたという事象は確かにあったことだが、それはこの世界での出来事ではない。
この繰り返す第五次聖杯戦争では起こりえない。
"起こるはずがない"。
――ボーン
時計の針が11時を示す。
こんな夜更けに鐘の音なんて、ご近所迷惑も甚だしい。
それとも、被害を被る住人がいないのであれば、それは迷惑にはならないのだろうか。
誰もが寝静まる夜。
うっすらと月明かりが舞台を照らす。
稀に起きている人もいるが、それはごく僅か。
第五次聖杯戦争に参加した彼と、それから協会から派遣された白い少女くらい。
少女の方には会ったことがないけれど、知識として存在だけは知っていた。
きっと向こうもそう。
互いに不可侵を貫いているから、巡り会ったことはないが。
「――――!!!」
「…きた」
今宵もまた奴らがやってくる。
10、100、1000、10000。
深山町から、冬木の大橋を渡ってこの新都まで。
紅い波がとめどなく押し寄せる。
地獄の釜を開けてみたら、きっとこんな感じなのだろうか。
「――――!!」
彼らは一様に何かを求めていた。
目的のために右往左往、跳梁跋扈。
「……?」
ふと一匹が動きを止める。
目的のものではないが、何かを見つけたようだ。
一匹が動きを変えれば、他の個体もその後ろからぞろぞろと着いていく。
「――!――!!」
ホテルの真下。
正面玄関の前。
おなまーえはただまっすぐに立ち呆けていた。
歓喜の声。
砂糖に群がるアリのように。
どこで覚えたのか、彼らはおなまーえが極上の"ご馳走"だと知っている。
薄い肌。
折れてしまいそうな手足。
ほぼ平らな胸。
肉づきの良くない腹。
これのどこに魅力を感じるのか、甚だ疑問である。
「全く、どうせ食べるならもっと良いもの食べなよ」
「――――!!」
おなまーえに"彼ら"の言葉は理解できない。
向こうは理解できているかもしれないが、理性というものがない怪物は容赦なく彼女に襲いかかり、爪を立てる。
「っ、」
ガリっと骨が砕かれる。
痛いと声を上げる前に、腕がちぎり取られた。
「ああ、もう、せっかちなんだから」
痛覚は病院からかっぱらってきたモルヒネで麻痺させている。
毎度毎度こうやって食われるのだ。
痛みなんていちいち味わっていたら、それこそ気が狂ってしまう。
――ガリ、ゴリッ
耳を塞ぎたく鳴るような悪音。
生きたまま食われる小鳥の、なんと憐れなことか。
「っ、今日は一段と激しいんだね」
「――――!!」
「なに?私が衛宮士郎と出会ったから?」
「――――!」
「つっ、そんなに私のこと嫌いなのね」
"彼ら"は死にたくないという願いの産物。
死にたくない"彼"の死骸。
死自体を恐れていないおなまーえは、彼らにとっては鬱陶しい対象なのだ。
その鬱陶しい女が、衛宮士郎と会話をした。
もう絶対に許すものかと言わんばかりに彼らは噛み付く。
「っ…ったく、早く終わって欲しいんだけどなぁ」
この偽りの箱庭で、本物達はそのことに気付かず日常を演じる。
戦いのない、穏やかな日常を。
偽物はただの1人だけ。
だが、おなまーえはそのどちらにも所属しない。
どちらにも所属しない彼女は、この箱庭の中では◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎として扱われる。
「全く。悲しくなっちゃうよね。」
らしくない。
そんな弱音、吐いたことなんてないのに。
何回も繰り返し食われる体に、少し滅入ってしまったのだろうか。
辛うじて残っている眼球を上に向ける。
「ああ――」
思わず感嘆の声が漏れた。
本当にこの世界を創った人は良いセンスをしている。
眩しいほどに、今宵も月が綺麗だ。
《dead end》
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