第14章 インフィニティ
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ありもしない楽園を求めて、人々は盤上遊戯に没頭する。
キングを討ち取るために、ルークもクイーンもナイトも犠牲にして、敵すらもこちらに取り込んで。
そうして得た報酬には、果たしてどんな価値があるのだろうか。
インフィニティ
ふわりと体が宙に舞い。
――ドサッ!
鈍い音とともに落下する。
「イッ!!」
久々に痛みというものをこの体に感じる。まさに鮮烈。生を実感できるほど。
モコナが毎度おなまーえを落としてたのは、侑子譲りかと苦笑する。
「イテテ」
ゆっくりと立ち上がり、周囲を確認する。そこは立派なお屋敷の庭であった。
「ここ、は?」
「…貴女がおなまーえさんですか?」
「!」
不意に声をかけられた。バッと後ろを向くと、柔和な男性がこちらに歩いてくる。
「えぇ。そういう貴方がイーグルさん?」
「そうです」
彼はにっこりと微笑むとおなまーえの前でかしずいてその手を取った。
王子様がお姫様にやるようなポーズだ。
「侑子さんから貴女のことは聞いておりましたが、まさかこんなに美しい女性だとは」
彼はおなまーえの手の甲にキスをする。ふんわりと、焼き菓子のような口づけ。
「っ!」
思わず赤面し、手を振り払った。
「っあ、ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ突然失礼いたしました。あなたの国ではこういう作法はなかったんですね」
「そ、そうですね」
最近手の甲にキスをするのが流行っているのだろうか。そんな文化、定着されても困るのだが。
気を取り直しておなまーえは姿勢を正す。
「取引をしにきました」
「こんなところで立ち話も良くない。どうぞ中に」
おなまーえはエスコートされ、屋敷の中に入っていった。
**********
――この国で、オレたちはチェスの駒として戦っている。
試合で精神力を疲弊させたサクラを休ませて、ファイはリビングに戻る。
「サクラちゃん眠ったよ。モコナと一緒に」
「……」
『小狼』はもう既に部屋で休んでいるから、このリビングには黒鋼ただ一人しかいない。話しかけても素っ気ない返事しか返されない。当然だ。そうなるように自らが線引きしたのだから。
「何か飲む?」
「…酒」
「しょうがないね」
そういう変わらないところは安心する。
ファイはお酒の準備をしようと黒鋼に背中を向けた。
「お前も飲め」
「……」
ふわりと香る甘い匂いに、金色の目がギラつく。そっと肩越しに振り返ると、黒鋼の手首はざっくりと切られ、そこから血が滴り落ちていた。
血を飲みたいだなんて思いたくはないのに、この身体は栄養を欲している。
「飲まねぇなら好きにしろ。このまま流れていくだけだ」
「……」
血液がポトポトと床に垂れ落ちる。そのなんと芳醇なことか。
「本当にしょうがないねぇ『黒鋼』は」
ファイは黄色い瞳を細めて呟くと、唇をその手首に近づけた。芳しい香りに本能が疼く。ゆっくりと舌を這わせ、血を啜る。そうしないと自分は生きられないから。
――ピクッ
気配を感じ、ファイは視線だけを窓辺に向ける。
「…気付いた?」
「あぁ」
「…見張られてるね」
窓の向こうではチカチカとガラスが光っている。おそらく双眼鏡か何かの類いだろう。
「次のチェスの相手かな。それとも…」
「今までの旅で俺達を見ていた奴らか」
「どちらにせよ…」
ファイはゆっくり唇を離して拭う。
「もう傷つけさせない」
「……」
大切な人たちを、もう二度と失いたくないから。
小狼とおなまーえが居なくなってから、その話題に触れるものはいない。お互いに口に出さない事が暗黙の了解となっていた。
(しかし、これじゃあ小娘も報われないだろう)
黒鋼はグイッとお酒を煽る。
少女が守ろうとしたものは不変の平穏だった。旅の仲間が穏やかに健やかに過ごせるように、己が運命を誰にも打ち明けることなく守ろうとした。その結末がこれだ。
おなまーえがいたらこの現状が変わったかと問われれば、きっと何も変わらなかっただろう。でもファイはきっと違っていただろう。死んだ女を、サクラに重ねることなんてしなかったはずだ。
「……」
やりきれない気持ちを押し込むため、黒鋼は次の瓶を開けた。
**********
いくつもの試合を経て、いつものようにサクラを部屋に送り届けた日のこと。
「分かってるんです」
「……」
「あの人は小狼くんじゃないって」
サクラは枕に顔を埋めて呟いた。
例え飛王・リードに造られただけの存在だとしても。今までいろんな世界で出会ったように、姿は同じでも魂が異なる人と頭では理解していても。
「顔だけじゃない。声も仕草も、あの真っ直ぐすぎる瞳も。同じところを、似ているところを見つけるたびにダメなの」
「……」
「どうして目の前にいるのが小狼くんじゃないんだろうって」
「……」
どんなに似ている身代わりを立てても、それは決して代わりにはならない。それはサクラが自分自身に向けて発した言葉だったが、同時にファイにとっては痛いくらい理解していることを再度抉られるような気持ちだった。
「……」
細くて華奢な背中。サクラにおなまーえの面影を重ねるたびに、罪を昇華しようと試みた。でもダメだった。
彼女はこんなふうに笑わない。彼女はこんなふうに呼びかけたりしない。彼女はこんなふうに自分をそばに置いてくれたりなんてしない。
それだけの罪を、オレは犯した。
「ファイ」と呼ぶ彼女の明るい笑顔が、最期の絶望に歪んだ顔が、まぶたの裏から離れない。
「……」
彼女を最初に、阪神共和国で屋上に呼び出した時に殺していれば、こんなに思い入れることはなかっただろうに。どうして自分はあの時、無垢な少女に手をかけられなかったのか。いずれ災厄を呼ぶ存在になるとわかっていたのに。
「ファイさん?」
「…なぁに?サクラちゃん」
「……」
縋るように応える。本来彼女に向けるべきだった真心を絞り出すように。
――ピィン
その瞬間何かが降りてきた感覚がした。
『ファイ…』
「っ!?」
この声は、自分が作った生命体である女の子からの声だ。セレス国に置いてきて、王の目覚めを知らさせるために。
(……チィ)
『ファイ、王様、起きたよ』
(……)
いずれその時が来るのはわかっていた。おなまーえの同じようにオレにもリミットがある。早かれ遅かれ、いずれはこうして追いつかれてしまう。
『王様、目を覚ましたよ。聞こえる?ファイ』
(うん、聞こえてるよ)
頭の中で自分を呼ぶ声に対して、彼は寂しそうに返した。いっそ聞こえないふりをしたかった。王が目を覚ましたのなら、必ず自分のことを追いかけに来る。どこにいても、どれだけ隠れても、彼はファイを見つけ出す。
「ファイさん」
「……」
俯いた彼にサクラが寄り添う。
「なぁに?」
「何か、あったんですね」
「…何も」
そう笑ったファイの唇をサクラが指先で撫でる。
「言いたくないなら言わないでもいいんです。でも、笑いたくないときに笑わないで」
「……」
ふたりはしばらく見つめ合う。似たものどうしたから、救うことはできないけれど、傷を舐め合うことはできるから。
「だったらサクラちゃんもオレの前ではそうして欲しいな」
「……」
「この国に来てサクラちゃんがチェスに参加すると宣言した後、気になってたんだ」
「……」
サクラはもう迷わないと決めた。その後の小狼を探す旅でどんな辛い事があっても、もう巻き込まないために隠し通す。ファイ相手でさえも。だがこの国に来てからサクラは部屋に閉じこもりがちになり、特に『小狼』を避けている。
そして今日の対戦。
主催者が趣向を凝らして茨の壁を作ったり、反則のはずの飛び武器を使用して来た戦いのこと。黒鋼、ファイ、『小狼』が傷ついていく中で、サクラの心が揺れ、3人は思うように身体を動かさなくなった。
「でもね、オレには君がわざと迷ってるように見えたんだ。オレたちにそう思わせる為に。」
「……」
「自分の決心を、オレたちといる事を、迷ってるんだと伝える為に。だからね、あの忍者のお兄さんにも言っておいたんだ。『サクラちゃんが迷ってる』って。余計だったかな?」
「……」
サクラは顔を上げ、怖いほどまっすぐな目でファイを見返した。
「いいえ。いつからわかってましたか?」
「…君がみんなの前で次元の魔女さんにチェスの賞金のことを話したときくらいかな」
彼は淡々と語る。
「小狼くんが通って行った国に復興の為に何かを送りたいってサクラちゃんが言った時、違和感があったんだ。あの国の為に何かしたいと、以前のサクラちゃんが言ったんだったら、オレは『サクラちゃんらしいな』と思うだけだった」
「……」
「でも今の君は違うだろう。さらなる悲劇を起こさないためにも、賞金稼ぎをしている時間があれば小狼くんを追いかける。だから賞金の他に、何かこの国にとどまりたい理由があるんじゃないのかなってね」
「……欲しいものがあるんです」
サクラの答えに、ファイは少し首をかしげる。
「それは、知ったらリビングにいる人たちが怒っちゃうようなものかな」
「……きっと」
「それでも欲しいんだね」
「はい」
「了解。全て君の望み通りに。それがオレの望みだから」
「……」
そう言いながら、ファイはサクラの手を持ち上げ手の甲にキスをした。それは忠誠の証。
おなまーえには何もしてあげられなかった。だから彼女こそは、彼女だけは、最後まで守りたい。
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