【第4章】今も変わらない何か
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「すごく感動しました!ありきたりな言葉しか出てこなくて恥ずかしいですけど…」
終演後、私はすぐ興奮気味にバージルさんに笑い掛ける。
生演奏って五感全てで楽しめて、収録済みの音源とは全然違った。
また気になる公演があったら是非来たいと思える。
バージルさんは私の瞳をしっかり見て口角を上げた。
「俺もこういった機会は初めてだが、来て良かった」
「バージルさんも初めてなんですね。私だけかと思いました」
「…俺にも初めてのことはある」
お互いに「初めて」って、Vとの1ヶ月間も何回かあったなと思った。
またそんな関係がこれから続いていくといいなと祈りにも似た気持ちでいたら、ふとバージルさんが顎に手をやり呟く。
「カプリース第24番が聴けるとは思わなかった」
「…っ…」
やっぱり。
いや、わかっていたけれど、バージルさんはVなんだ。
今日ここに来て、あの思い出の中の1曲を一緒に聞けて良かった。
たとえバージルさんが覚えていなくても、私は十分満たされる。
目を見開いて黙ったままでいたら、バージルさんは小首を傾げた。
「どうした?」
「…すみません、なんでもないです」
ホールから出口までも来た時と同様にたくさんの人がいたので、エスコートされながら外に出る。
とりあえず、お昼に待ち合わせした駅までの道を戻りながら、まだバージルさんと一緒にいたい気持ちが段々膨らんでいく。
だってここで別れたら、次いつ会えるか分からない。
どちらかが約束を切り出さない限り、これで終わりかもしれない。
そんなの、嫌だ。
駅前に辿り着いて、また自分から勇気を出した。
「ちょっと早いですけど、夕食も一緒にどうですか…?」
「そうだな…」
「あっダメだったら全然いいんですよ!」
バージルさんが視線を逸らして顎に手を当てたので、断られる前に予防線を張る。
少ししてから、また私の方に向き合ってくれた。
「いや、構わない。聞きたいこともある」
「き、聞きたいこと…?」
「別に身構えることではない」
そんなこと言われても、改めて言われたらどきどきする。
バージルさんが聞きたいことってなんだろう?
Vとの1ヶ月のこと?
この3年間のこと?
私の身体のこと?
思い当たる節がありすぎて分からなくなってきた。
とにかく、まだ一緒にいられるんだと、私たちは夕食に最適なお店を探し始めた。
「なんか…緊張しちゃいます」
「今更か?」
「だって、今まで誰かと一緒にこういうお店に入ったことないんで…」
「どこも飲食店は変わらないだろう」
色々悩んだけど、選んだのはテラスがあるレストラン&カフェ。
季節的に気候がいいし、今ちょうど昼と夜が混じり合うマジックアワーですごくロマンチック。
ひとりなら何も考えず入れるのに、そこにバージルさんがいると妙に緊張する。
しかもメニューが見やすいように、今横並びで座っていて、すぐ傍に隣にバージルさんがいる。
さっきのコンサートホールでも隣にいたけど、シチュエーションが違うとこんなに緊張するものなんだと思った。
「…バージルさん慣れてるんですか?」
「弟が酒好きでな…無理矢理連れて来られたことがある」
私が恐る恐る聞くと意外な答えが返ってくる。
昔Vから聞いた話だと、弟とはあまり仲が良くないイメージだったけど、今は一緒に食事に行くくらいにはうまくいってるんだ。
その後バージルさんが全部私の好きなように頼んでいいというから、メニューから適当に何品か選ぶ。
当然アルコールメニューもあって、もう飲める年齢なのにきっかけがなくて1度も飲んだことがないなとぼんやり眺めていた。
「…飲むか?」
「えっ!お酒まだ飲んだことないからどうしようかと…」
興味はあるけど、今じゃなくてもいい。
もしここで何か失態があったらと思うと踏み切れない。
「まぁ…物は試しだ、飲んでみろ」
メニューを閉じ掛けていた私の背中を押したのは、やっぱりバージルさんだった。
お互いに1杯ずつ注文し、私の前に差し出されたのはバックス・フィズというオレンジのカクテル。
前もってアドバイスされたのか、バージルさんが選んでくれた。
乾杯してちょっとだけ怖がりながら口にすると、ほとんどオレンジジュースで続けて飲んでしまう。
「美味しい」
「…調子に乗って飲むなよ」
私の様子を見てバージルさんの眉毛がぴくりと動き、注意されてやっとグラスを置く。
「あ、はい…ごめんなさい」
気付けば街はほとんど闇に包まれていて、点灯し始めたガス灯がぼんやり周囲を照らしてくれている。
こんな素敵な雰囲気で、美味しい食事と初めてのお酒、隣にバージルさんなんて、今日の夜は「特別」過ぎる。
改めて時間を得て、バージルさんの顔を覗き込んだ。
「この間からずっと考えていたことがあって…」
「ああ」
「バージルさんはどうして私の名前を知っていたんですか?」
記憶が抜けているのに、ずっと私を探して名前も知っていたのは何か理由があるはず。
そうでなければそもそも私に興味すら抱かなかっただろうから。
私の疑問に、バージルさんは恐らく事前に用意していたあのブレイクの詩集を取り出した。
「これだ」
ずっとVが持っていた本。
捲られたページには「ゆりの花」の詩が載っていて、Vが私にぴったりだと言ってくれたのを思い出す。
確かゆりは「純愛の象徴」だと言っていた。
一緒に作ったデイリリーの押し花も、何故か書き込まれている私の名前も、あの時の期間限定の恋を蘇らせる。
「ゆりの花のページにお前の名前が書いてあった。押し花と共に」
知らない間にVが私の名前を書いていたから、バージルさんは私の名前を知っていたんだ。
しかも書き込んであるのが「ゆりの花」のページだったから、暗にそういう関係だったと分かった上で私を探していたはず…。
どういう気持ちで私を探していたんだろう?
どんなヤツと恋人だったのか単純に気になったのか…。
今バージルさんはどういう感情で私の隣にいるんだろう?
気にし始めると止まらなくなって、ちょっと胸が苦しくなる。
私がまた、今までひとりで舞い上がっていたんじゃないかと不安になっていたら、バージルさんが私の顔を覗き込んだ。
「良かったらこの花の名前を教えてくれないか」
「この花は…」
「実は聞きたかったのはこれのことだ」
今確かに、アイスブルーの瞳には私が映っている。
バージルさんも私と同じように、私に興味を持ってくれている。
そう信じたい。
そう思わせてほしいと、ゆっくり口を開いた。
「…デイリリーです」
「そうか。デイリリーというのか…ずっと気になっていた」
バージルさんは瞳を細めて、愛おしげに押し花を指先で撫でる。
ああ…大丈夫。私たちは同じ気持ちにいる。
「黄色いユリで以前中庭にたくさん咲いていたんです。それを…一緒に摘んで、1輪を2人で押し花にしました」
続けて思い出を説明するのを、真剣に聞いてくれる。
思い出してほしい気持ちがない訳じゃない。
ただ今は、バージルさんの姿勢に応えたい。
「その…V、と…」
私がVという名前を口にすれば、バージルさんが何度か瞬きして目元を手で押さえた。
少し苦しそうに見えて、思わず名前を呼び掛ける。
「…バージルさん?」
「ああ…何でもない」
私を安心させるためか、口角を上げて微笑んでくれた。
もしかしたら断片的にも記憶が戻ったりしたのかもしれない。
この先何かがきっかけで、私との1ヶ月間を思い出したりもあるのかな…。
そんなことを考えながらバージルさんと一緒に、ゆっくり食事とお酒を楽しんだ。
私は相変わらず「この夜がずっと続けばいいのに」とも考えていた。
オレンジのカクテル、バックス・フィズが減っていくのに比例して、段々身体が熱くなって頭がふわふわしてくる。
そんなにたくさん飲んでいないはずだけど、初めてだからか変な感じがしていた。
「…大丈夫か?」
「は、はい…」
調子が悪そうに見えたのか、バージルさんが腰に手を回して私の身体を自分の方に寄せた。
少しずつお互いの体温が混ざり合って、益々変な気持ち。
正気だったら多分、どきどきし過ぎて逃げ出したくなっちゃうだろうな。
「アリア」
バージルさんが私の瞳を覗き込んで、かすれた低い声で名前を呼ぶ。
なんか、だめだ。夢の中にいるみたい。
初めて名前を呼ばれたのが嬉しくて、自然と微笑んだ。
「名前…呼んでくれたんですね…」
「…俺に敬語は使わなくていい」
「だって…バージルさんの方が歳上ですし」
「そんなことは関係ない」
いきなり敬語やめることはできなくて、ただ頷いて返す。
Vの時もタメ口だったし普通にすればいいんだろうけど、まだできない。
「…少しずつ、頑張ってみる…」
ぎこちなく言うと、バージルさんが瞳を細めて微笑んだ。
この夜が過ぎるのを惜しんでいるのは私だけじゃない。
今、この瞬間の私はとても幸せだ。
こうして包まれていると暖かくぽかぽかして、目蓋が重くなってきてしまった。
end.