【第1章】夢のようなひと
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私の父は、昔からジャズが大好きだった。
だから、父がレコード店を営んでいたのは子どもの私にも当たり前だった。
好きなものをそのまま仕事にする。
それはとてもシンプルな人生設計だ。
当然音楽は私には身近なものになった。
あるのが普通で生活の一部。
父がいなかったら、ただ娯楽である音楽は私にとって、ここまでの存在にならなかったかもしれない。
父がいなくなってからも、私はレコード店を残していたかった。
それは父が愛したものを失いたくなったのと、ここにある1枚1枚のレコードが、全て私と父の思い出のような気がしたからだ。
だから。
私はこの街が映画でよく見る「悪夢」に襲われても、ここを離れたくなかった。
人間の血を吸う悪魔の根が現れたのは、数日前の5月16日だ。
私はその時、ちょうど食材を買いに出てレコード店に帰る途中だった。
周りの人が次々と襲われる中なんとか走って、幸運なことに生き延びることができた。
お店の周りにも根が現れて店内は壊れているところもあったけれど、そのまま根が張った状態で安定していた。
私はレコードが残ったことが、何より嬉しいと思った。
目の前で危険が迫った時は命が惜しいと思ったのに、この街から逃げようという気持ちよりも、今はレコードを守りたい思いが強かった。
母は別の街に住んでいて、連絡すれば逃げることはできるだろう。
だけど、ここのお店のレコード全てを持って逃げることはできない。
私は覚悟した。
この街が救われるとしても、このまま悪夢に呑まれるとしても、父の思い出を守ることを。
また数日後。
この悪夢で生き延びるには、絶対何かを食べなければいけない。
犯罪者にはなりたくなかったけれど、すっかり無人と化したスーパーで持てるだけの食料を拝借する。
日のあるうちに出発したのに、帰り道では太陽が沈み掛け暗くなり始めていた。
両手に荷物を持って店の前に辿り着ければ、何故か入口の看板すぐそばに、黒い服を着た全身タトゥーの男性が座り込んでいた。
銀色の杖と、何かの本を持っている。
生きているひとを見るのは、久しぶりだ。
生還者に会えたのは嬉しい。
でもなんで、あえて私のお店の前に?
気づいたら私は彼に、声を掛けていた。
「ねぇ、お店の前で野宿?やめてくれないかな?」
「ああ…お前の店だったのか」
彼はゆっくりとこちらを向くと、特に悪びれる様子もなく囁くような声で言う。
「正確には父の店を継いだんだけど。それより、言うことがあるでしょ?」
「すまないことをした。俺も、ここがいいと思ったんだ」
「?」
やっと謝ってくれたと思ったら、彼はまたゆったりとした動作でレコード店の看板を見つめた。
「いい夢を見られそうだった」
…彼も、音楽が好きなのかな?
こんな世界の終わりみたいな状況で、あえてここを選択したのだから、彼の中である程度音楽は大きな存在なのかもしれない。
「…Vちゃん、こう見えてロマンチストだから!ごめんなァ」
ちょうどその時私と彼の間に、大きな鳥が羽ばたいてお店の看板にとまった。
なんだか色々気になる点はあるけど、1番はこれ。
「鳥が喋った…!?」
「こんな状態じゃ、鳥が喋ってもおかしくないだろォ?お嬢ちゃんいいもの持ってるな、くれよ!猫チャンも何か食いたいって!」
喋る鳥くんは、私が抱えた食材を見て嘴の端を上げる。
同じタイミングで男性の身体の影から、まるで魔法みたいに「猫」が現れた。
「え?何?黒いジャガー?」
「…お前を襲ったりはしないから安心しろ」
黒猫ちゃんは見た目だけで言えば、明らかに肉食。
驚く私に彼は説明してくれる。
「なんだろう。この数日、本当に本に書かれた物語みたいなことばっかり…いいよ、一緒に来て」
「オッやっさしー!行こうぜ、V」
私はこの3人を、お店の中に招待することに決めた。
今私の周りには空想の世界で起きるようなことが溢れている。
3人中2人は人間じゃないけど、悪い人ではなさそうだしまぁいいや。
この籠城生活は、いつ終わるかわからない。
どうせなら楽しまないと。
「BGM代わりに1曲かけるね」
私は中に入って早速レコードを準備した。
街の喧騒から解放されたこの街は少し静か過ぎて毎日流している。
3人が店内に入って入口のドアを閉めた後、彼は再び口を開いた。
「…お前は何故この街に留まっている?わかっているだろうが、危険だ」
「出て行きたくない。それだけ」
私は即答した。
出会ってすぐのひとにここに残る理由を長々と説明するのはどうかと思ったし、言って理解されるかわからない。
彼が言うことは最もだ。
「死ぬかもしれない」
「…わかってる」
「命より大切なものなど…」
「わかっててここにいるの…!」
思わず彼の発言を遮るように、私は大きめの声で言った。
説明していないから当たり前なのに「何も知らないくせに」って私の心が叫んでいる。
「…おい、Vちゃん。珍しく熱くなる理由はわからなくもねェけどよ。お嬢ちゃんにも理由があるようだぜ」
「ありがとう、鳥くん」
私と彼の会話を見かねた鳥くんが間を取り持ってくれ、ちょっとだけ冷静になった私は鳥くんに微笑む。
「理解されないかもしれないけど…ここのお店を捨てて、行けないの」
父の残したお店とたくさんのレコード。
思い出が詰まったこの場所を、今私は自分の命より大切に思ってしまっている。
初めて日常が壊されたあの日にした覚悟を、改めて思い返した。
「…そうか」
「そうかって。今の理由だけでわかってくれたの?」
「なんとなくはな」
「どうだか…」
彼は口角を吊り上げ微笑むけれど、どうしても信じられない。
だって私は、直接的な理由を口にしていないのに。
彼は不意に手に持っていた本を私に差し出して来たので、私はそこで初めてその本をじっくり観察することができた。
それは年代物なのか、表紙が所々傷付いていて変色している。
「…俺にも、大切にしていた「物」がある」
彼の瞳を見つめるとそこでやっと、彼が私の籠城する理由をすぐに納得してくれたのがわかった気がした。
彼も私と、同じような気持ちを持っている。
「私も、大切…ここにある全てが」
レコードは、私にとって特別なもの。
私たちは言葉なしに、どこかでお互いを認めた。
今度は素直に、彼に笑い掛けることができた。
「あなたのお名前聞いていい?私はアリアっていうの」
「名前か………V、だ」
さっき鳥くんも彼を「V」と呼んでいた。
私が聞いたのは本名だったけれど、彼はやっぱり答えてくれない。
でも、私が差し出した手を取ってちゃんと握手してくれた。
end.
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