とうげんあんき
23時を過ぎれば医務室も静かだ。
応援要請を受け、数週間前から都内の方で援護部隊の仕事にあたっていた。
ここ最近は、状況や負傷者も落ち着いてきた。明日、明後日には京都に戻れるだろう。
医務室内の片付けやカルテ記録を一通り終えて、椅子の背にもたれながら小さく息を吐いた。
――あー、そろそろお酒飲みたい。……けど、
「今日まではコーヒーで我慢かなぁ」
言いながら、ふう、と肩の力を抜いたところで音もなく扉が開く。自然とそちらを見れば、予想外の人物がそこに居て思わず一度瞬きをした。
「おや?ダノッチ。夜更かし?」
ダノッチは答えない。代わりに、誰もいないベッドをちらりと見てから口を開いた。
「……確認したいことがある」
「え~こわ……俺なんかやらかした?」
「暦と何があった」
すぐに言葉がでなかった。
一瞬の静寂に、時計の音だけが室内に響いた。見透かすような目に少し肩をすくめながら、思い当たる夜を頭の中で探る。
「何があったって……"命を繋いだ”だけ、だよ?いつも通り」
「……あれ以降、暦の"在り方"が変わった」
ダノッチの声は低くて、やけに静かだった。背もたれから上体を起こし、軽く笑ってダノッチへ向き直る。
「へ~、どんな風に?」
「慢心がなくなった。どの任務にも慎重さが見られるようになった」
「おお。それはいい事♡」
「もうひとつ。訓練にも真面目に取り組むようになった。以前までは感覚で動いていた部分が多かったが、自分の血の扱い方や足りない部分をどう補うかを頭でも考えるようになったな」
「そっかぁ。シロちゃん頑張ってるんだねぇ」
笑いながら立ち上がる。淹れ損ねたコーヒーを二人分用意しようと、カップを手に取った。
「何かを守るために強くなるのはいい。だが、今のあいつは、"守る事"に盲目的にも見える」
その言葉で、カップを持つ手が止まる。
思わず笑顔が消えた。
「……ダノッチは、そう見えるんだ?」
「お前が誤魔化してるだけだだろう」
――…痛いところ突くよね、この人。
一瞬だけ黙って天井を仰いだあと、手元のカップへ視線を落として、ぽつりと話し始める。
「……俺がした事なんて、本当にいつも通りだよ」
「シロちゃん…――片腕、もう繋がってない状態で運ばれてきたんだよ」
四肢が繋がってない患者が運ばれてくるなんてしょっちゅうだ。
……なのに、シロちゃんの"それ"は、あの時の光景は、今でも妙に鮮明に覚えてる。
「まっすーが運んでくれて、俺は血を使って治した。……それだけの話」
ダノッチは黙ったままだ。俺はケトルのスイッチを入れて、インスタントコーヒーの封を開けながら続ける。
「シロちゃん、泣きそうなの、必死に我慢しててさ」
あの時の顔を思い出す。
「"もう死ぬんだと思った"って。"仲間に会えないと思った"って。"怖かった"って。……声震わせて言うのよ、あのシロちゃんが」
「……だから、」
「ちょっとだけ、甘やかした」
その言葉の直後、湯が沸いた音。ケトルを手に取りカップへと注ぐ。昇る湯気とコーヒーの香りが、俺とダノッチの間で薄らと揺れた。
落とした目線のせいでダノッチの顔は見えない。けれど、なんとなく分かるのが付き合いの長さだ。
「……京夜」
「わかってるってぇ…あの状況で踏み込んだのは、俺もよくなかったと思ってるよ…」
あの子の"先輩"としては良くても、"医師"としては越えちゃいけなかったと思っている。
カップをひとつ彼の前のテーブルへと置いた。ダノッチは小さく息を吐いたあと、テーブルの正面に置かれた椅子に座り、カップを手に取る。
――あれから、シロちゃんが俺を特別に想ってくれている事には気づいていた。
でも、
死にかけて、"ああ、もうダメだ"ってところから這い戻った時に、目が覚めたら一番近くにいたのが俺だったってだけ。俺の手で、命が繋がったのは確かだ。
それでも、
あれは【刷り込み】みたいなものだ。
あの場にいたのがダノッチでも、まっすーでも、きっと同じだった。
"命を救ってくれた人の言葉"。あの時のシロちゃんには、それが世界の全部に見えたはずだ。
「……だから、俺はあの子から受け取るつもりはないよ」
その言葉を聞いても、ダノッチはすぐには何も言わなかった。コーヒーの湯気が静かに揺れて、部屋に時計の音だけが落ちる。一度カップに口をつけたあと、ダノッチが静かに言葉を紡いだ。
「死にかけた人間が、命を救った相手に縋るのは珍しくない」
「……」
「強くなろうとする理由が、"誰かのため"なのは構わない。だが、"自分を捨てていい"理由にはならない」
「捨てさせないよ」
間髪入れずに言葉を挟む。
「そんな思い込みで、シロちゃんの命を捨てさせるつもりはない。だから俺は――、」
「違う」
今度はダノッチが俺の言葉を遮った。視線がぶつかる。
ダノッチはいつもの顔で、でも射すように俺を真っすぐに見つめる。
「刷り込みだろうが何だろうが、暦にとってはとっくに"本物"だ」
胸の奥が、わずかに軋む。
ダノッチは淡々と続けた。
「お前が火をつけた」
「だから、『目を逸らすな』と言っている」
彼の低い声が、胸に突き刺さる。
室内に沈黙が落ちた。言葉に詰まる俺に、ダノッチは再びカップを持ち上げ口をつける。
――本当に、この人は……。
短く息を吐き出して、頭を掻いた。
「……ダノッチはさ、ほんと、なんでも見えてるんだね」
見透かされた気がした。俺が本当に目を逸らしている部分を。
『受け取っちゃいけない』それは本心だ。
けど、
本当に怖いのは、あの時、思わず手を伸ばしてしまった"衝動"の方だ。
あれがもし、一時の情ではなく本当に育ってしまったら、それはきっと彼女を利用する事になる。
――それだけは、やっちゃいけない。
「お前が見ようとしていないだけだ」
「手厳しいなぁ……」
「お前が暦に対して感じた"それ"が、一時的なのか、そうじゃないのかは重要じゃない」
「いやいや…重要でしょ。倫理的に問題でしょ」
「大事なのは、お前が、暦を死なせない事だ」
再び言葉に詰まる。俺はカップを見つめたまま、あの日彼女へ約束した言葉を思いだす。
「……ダノッチそれさ…俺にどうしろって言ってんの?」
「手綱を握れ」
短い言葉だった。でも、それだけで十分だった。
「起きたことは、もう覆らない」
「なら」
カップを持ち上げながらダノッチは言った。
「最後まで面倒を見ろ」
それだけ言って、コーヒーを飲み干す。医務室に再び静けさが戻った。湯気の消えかけたコーヒーを見つめながら、俺はしばらく何も言えなかった。
「……あの子の信頼が、思い込みから生まれたって事を分かった上で受け止めろって?」
「そうだ」
即答。思わず小さく笑う。
「……ほんと、怖いこと言うよねぇ。どーすんの?俺がシロちゃんの純粋な想いを利用してよからぬことしたら」
「するのか」
「しないよ。つーか、そうなるのが怖いからこっちは見ないふりしてやり過ごそうとしてたのにさぁ~~~…」
言いながら半ば倒れこむように椅子に座る。背もたれに力の抜けた身体を預け、天井を見上げる。
……ダノッチが言いたい事は分かってる。
両手で顔を覆う。目を閉じて、あの日シロちゃんと交わした言葉を思い出す。
――『俺がいる限り、シロちゃんは絶対死なせない』
――『……じゃあ』
――『……私がいる限り、京夜先輩は絶対死なせない。絶対、守ります』
――『約束、です』
――『うん。ありがとう、シロちゃん』
瞼を開く。目を覆っていた両手を口元に添える。
「……死なせない」
小さく、でもはっきりと口にした言葉。
ダノッチはしばらくこちらを見つめたあと、立ち上がった。それを少し恨めし気に目で追いかける。
「……部下想いだねぇ」
「死なれたら困るからな」
「いいの?その大事な部下を俺に任せちゃってさ」
こちらに向けた背中に問いかけると、彼は扉にかけた手を止めた。
「お前なら、何も問題ないだろう」
思わず、目を見開く。
振り返らず、それだけ言ってダノッチは出て行った。再びひとりとなった医務室に、時計の音だけが淡々と刻まれる。
「……たまにそういう事、サラッと言うんだよなぁ」
小さく笑って、すっかり温くなったコーヒーを口に運ぶ。口に広がる苦さに少しだけ顔を顰めた。
「――守るよ、ちゃんと」
あの子の命も、境界線も。
・
・
・
【暦シロコ】
花魁坂さん助けてもらって以降、『京夜先輩絶対守るマン』になる
行動指針はすべて『京夜先輩♡』
絶対的な信頼、信仰、依存、執着で中身はすんごい事になってる
応援要請を受け、数週間前から都内の方で援護部隊の仕事にあたっていた。
ここ最近は、状況や負傷者も落ち着いてきた。明日、明後日には京都に戻れるだろう。
医務室内の片付けやカルテ記録を一通り終えて、椅子の背にもたれながら小さく息を吐いた。
――あー、そろそろお酒飲みたい。……けど、
「今日まではコーヒーで我慢かなぁ」
言いながら、ふう、と肩の力を抜いたところで音もなく扉が開く。自然とそちらを見れば、予想外の人物がそこに居て思わず一度瞬きをした。
「おや?ダノッチ。夜更かし?」
ダノッチは答えない。代わりに、誰もいないベッドをちらりと見てから口を開いた。
「……確認したいことがある」
「え~こわ……俺なんかやらかした?」
「暦と何があった」
すぐに言葉がでなかった。
一瞬の静寂に、時計の音だけが室内に響いた。見透かすような目に少し肩をすくめながら、思い当たる夜を頭の中で探る。
「何があったって……"命を繋いだ”だけ、だよ?いつも通り」
「……あれ以降、暦の"在り方"が変わった」
ダノッチの声は低くて、やけに静かだった。背もたれから上体を起こし、軽く笑ってダノッチへ向き直る。
「へ~、どんな風に?」
「慢心がなくなった。どの任務にも慎重さが見られるようになった」
「おお。それはいい事♡」
「もうひとつ。訓練にも真面目に取り組むようになった。以前までは感覚で動いていた部分が多かったが、自分の血の扱い方や足りない部分をどう補うかを頭でも考えるようになったな」
「そっかぁ。シロちゃん頑張ってるんだねぇ」
笑いながら立ち上がる。淹れ損ねたコーヒーを二人分用意しようと、カップを手に取った。
「何かを守るために強くなるのはいい。だが、今のあいつは、"守る事"に盲目的にも見える」
その言葉で、カップを持つ手が止まる。
思わず笑顔が消えた。
「……ダノッチは、そう見えるんだ?」
「お前が誤魔化してるだけだだろう」
――…痛いところ突くよね、この人。
一瞬だけ黙って天井を仰いだあと、手元のカップへ視線を落として、ぽつりと話し始める。
「……俺がした事なんて、本当にいつも通りだよ」
「シロちゃん…――片腕、もう繋がってない状態で運ばれてきたんだよ」
四肢が繋がってない患者が運ばれてくるなんてしょっちゅうだ。
……なのに、シロちゃんの"それ"は、あの時の光景は、今でも妙に鮮明に覚えてる。
「まっすーが運んでくれて、俺は血を使って治した。……それだけの話」
ダノッチは黙ったままだ。俺はケトルのスイッチを入れて、インスタントコーヒーの封を開けながら続ける。
「シロちゃん、泣きそうなの、必死に我慢しててさ」
あの時の顔を思い出す。
「"もう死ぬんだと思った"って。"仲間に会えないと思った"って。"怖かった"って。……声震わせて言うのよ、あのシロちゃんが」
「……だから、」
「ちょっとだけ、甘やかした」
その言葉の直後、湯が沸いた音。ケトルを手に取りカップへと注ぐ。昇る湯気とコーヒーの香りが、俺とダノッチの間で薄らと揺れた。
落とした目線のせいでダノッチの顔は見えない。けれど、なんとなく分かるのが付き合いの長さだ。
「……京夜」
「わかってるってぇ…あの状況で踏み込んだのは、俺もよくなかったと思ってるよ…」
あの子の"先輩"としては良くても、"医師"としては越えちゃいけなかったと思っている。
カップをひとつ彼の前のテーブルへと置いた。ダノッチは小さく息を吐いたあと、テーブルの正面に置かれた椅子に座り、カップを手に取る。
――あれから、シロちゃんが俺を特別に想ってくれている事には気づいていた。
でも、
死にかけて、"ああ、もうダメだ"ってところから這い戻った時に、目が覚めたら一番近くにいたのが俺だったってだけ。俺の手で、命が繋がったのは確かだ。
それでも、
あれは【刷り込み】みたいなものだ。
あの場にいたのがダノッチでも、まっすーでも、きっと同じだった。
"命を救ってくれた人の言葉"。あの時のシロちゃんには、それが世界の全部に見えたはずだ。
「……だから、俺はあの子から受け取るつもりはないよ」
その言葉を聞いても、ダノッチはすぐには何も言わなかった。コーヒーの湯気が静かに揺れて、部屋に時計の音だけが落ちる。一度カップに口をつけたあと、ダノッチが静かに言葉を紡いだ。
「死にかけた人間が、命を救った相手に縋るのは珍しくない」
「……」
「強くなろうとする理由が、"誰かのため"なのは構わない。だが、"自分を捨てていい"理由にはならない」
「捨てさせないよ」
間髪入れずに言葉を挟む。
「そんな思い込みで、シロちゃんの命を捨てさせるつもりはない。だから俺は――、」
「違う」
今度はダノッチが俺の言葉を遮った。視線がぶつかる。
ダノッチはいつもの顔で、でも射すように俺を真っすぐに見つめる。
「刷り込みだろうが何だろうが、暦にとってはとっくに"本物"だ」
胸の奥が、わずかに軋む。
ダノッチは淡々と続けた。
「お前が火をつけた」
「だから、『目を逸らすな』と言っている」
彼の低い声が、胸に突き刺さる。
室内に沈黙が落ちた。言葉に詰まる俺に、ダノッチは再びカップを持ち上げ口をつける。
――本当に、この人は……。
短く息を吐き出して、頭を掻いた。
「……ダノッチはさ、ほんと、なんでも見えてるんだね」
見透かされた気がした。俺が本当に目を逸らしている部分を。
『受け取っちゃいけない』それは本心だ。
けど、
本当に怖いのは、あの時、思わず手を伸ばしてしまった"衝動"の方だ。
あれがもし、一時の情ではなく本当に育ってしまったら、それはきっと彼女を利用する事になる。
――それだけは、やっちゃいけない。
「お前が見ようとしていないだけだ」
「手厳しいなぁ……」
「お前が暦に対して感じた"それ"が、一時的なのか、そうじゃないのかは重要じゃない」
「いやいや…重要でしょ。倫理的に問題でしょ」
「大事なのは、お前が、暦を死なせない事だ」
再び言葉に詰まる。俺はカップを見つめたまま、あの日彼女へ約束した言葉を思いだす。
「……ダノッチそれさ…俺にどうしろって言ってんの?」
「手綱を握れ」
短い言葉だった。でも、それだけで十分だった。
「起きたことは、もう覆らない」
「なら」
カップを持ち上げながらダノッチは言った。
「最後まで面倒を見ろ」
それだけ言って、コーヒーを飲み干す。医務室に再び静けさが戻った。湯気の消えかけたコーヒーを見つめながら、俺はしばらく何も言えなかった。
「……あの子の信頼が、思い込みから生まれたって事を分かった上で受け止めろって?」
「そうだ」
即答。思わず小さく笑う。
「……ほんと、怖いこと言うよねぇ。どーすんの?俺がシロちゃんの純粋な想いを利用してよからぬことしたら」
「するのか」
「しないよ。つーか、そうなるのが怖いからこっちは見ないふりしてやり過ごそうとしてたのにさぁ~~~…」
言いながら半ば倒れこむように椅子に座る。背もたれに力の抜けた身体を預け、天井を見上げる。
……ダノッチが言いたい事は分かってる。
両手で顔を覆う。目を閉じて、あの日シロちゃんと交わした言葉を思い出す。
――『俺がいる限り、シロちゃんは絶対死なせない』
――『……じゃあ』
――『……私がいる限り、京夜先輩は絶対死なせない。絶対、守ります』
――『約束、です』
――『うん。ありがとう、シロちゃん』
瞼を開く。目を覆っていた両手を口元に添える。
「……死なせない」
小さく、でもはっきりと口にした言葉。
ダノッチはしばらくこちらを見つめたあと、立ち上がった。それを少し恨めし気に目で追いかける。
「……部下想いだねぇ」
「死なれたら困るからな」
「いいの?その大事な部下を俺に任せちゃってさ」
こちらに向けた背中に問いかけると、彼は扉にかけた手を止めた。
「お前なら、何も問題ないだろう」
思わず、目を見開く。
振り返らず、それだけ言ってダノッチは出て行った。再びひとりとなった医務室に、時計の音だけが淡々と刻まれる。
「……たまにそういう事、サラッと言うんだよなぁ」
小さく笑って、すっかり温くなったコーヒーを口に運ぶ。口に広がる苦さに少しだけ顔を顰めた。
「――守るよ、ちゃんと」
あの子の命も、境界線も。
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【暦シロコ】
花魁坂さん助けてもらって以降、『京夜先輩絶対守るマン』になる
行動指針はすべて『京夜先輩♡』
絶対的な信頼、信仰、依存、執着で中身はすんごい事になってる
