じゅじゅつ

高専本館の奥、さらにその下。

生徒の多くは存在すら知らない地下フロアに、虎杖悠仁はいた。
階段を下りるたび、空気が変わる。光が遠のき、音が鈍くなる。

那由多の目に飛び込んできたのは──
生活感の薄い、小さな部屋だった。

外界の光は届かない。
天井に埋め込まれた白い蛍光灯だけが、淡く、無機質に空間を照らしている。

ベッド。テレビ。ソファ。冷蔵庫。

最低限。
生きていくためだけの部屋。

家入の反転術式のおかげで、那由多の身体にはさっきまでの血と裂傷が嘘のように残っていない。
けれど、制服の裾には、乾いた血が薄くこびりついたままだった。

それだけが、さっきまでの現実を証明している。

那由多の視線が、自然と部屋の中央へ吸い寄せられる。

ソファに座る少年。
――虎杖悠仁。

五条と伊地知がすでに話していたらしく、那由多の入室に三人の視線が一斉に向いた。

「那由多〜。僕がいない間に、また無茶させられたねぇ」

ひらりと手を上げる五条悟。声は軽い。けれど、その奥に滲む怒りを、那由多はよく知っている。

「いやー上層部って私の血を蛇口捻る感覚で使いますよね〜。わは〜あのジジィたち死なないかな〜」

へら、と笑う。笑っている。
でも、芯のところは、ひどく疲れていた。身体は戻っても、魂の疲労は消えない。

「ね〜死なないかな〜」

五条が同じ温度で返す。伊地知が一歩引いて二人を見る。

(……小夜さん、段々五条さんに似てきてないか……?)

五条が視線を横へ滑らせる。

「悠仁。この子は2年の小夜那由多。君の先輩だよ」

那由多は一歩前へ出て、ぱっと、明るく笑った。

「よろしくね♡ さっきは助けてくれてありがとう」

虎杖が立ち上がる。少しだけ照れたように、口元を緩めて。

「あ、うん。よろしく、小夜先輩」

「那由多でいいよ!」

食い気味の要求に虎杖がきょとんとする。

「じゃあ……那由多先輩?」

その呼び方に、那由多の心臓が小さく跳ねた。

(かわいい……!)

虎杖本人は、那由多が自分の一挙一動にときめいてる事なんてまったく気づいていない。
ただ、胸を押さえ明らかに挙動のおかしい那由多を見て、首を傾げた。

(なんかこの人、さっきからちょいちょい様子がおかしくね……?)

深呼吸を繰り返し落ち着きを取り戻した那由多は、気を取り直しくるりと五条へ向き直る。

「ねぇ先生!さっきの話の続き、虎杖くんってなんで匿われてるんですか?秘密にするのは全然いいんですけど……」

高専に戻るまでの間、車内で通話した五条から告げられたのは『虎杖悠仁は、とある理由で"存在を秘匿"されている』という事だった。
「まぁ詳しい事は戻ってから」と軽く言われ、家入の治療を受けたあと彼女からこの場所を教わり今に至る――。

那由多の質問に、五条が顎に手を当て、にっと笑う。

「那由多は最近任務に出っぱなしだったし、知らないよね。悠仁はね──」

「宿儺の器なんだよ」

一拍。

空白。

「………すくな……」

那由多がぱち、と目を瞬かせ五条から虎杖へと視線を移す。
その反応に、虎杖が少しだけ身構えたとき。

「あーーーー、真希ちゃんたちが話してた“宿儺の器の1年生”って虎杖くんの事なんだ!?」

合点がいったとばかりに、那由多はぱんっと両手を合わせた。

(反応軽……)

伊地知は思わず思う。呪術師が、"宿儺の器"だと聞いた反応にしては淡泊だ。
そして那由多の場合、"宿儺"というより"虎杖悠仁"に対する興味の方が大きいように伊地知には感じられた。

五条は人差し指を立て、話を続ける。

「でね。復帰は一週間後の交流会と決めてるから、それまではこの事はナイショね。他に知ってるのは七海と硝子くらいかな」

「え!虎杖くん交流会出るの!?」

「え、うん。多分?」

「え~~~~~っ!!私その日、任務だ~~~……」

落胆の声を落とす那由多に五条が首を傾げる。

「あれ?那由多、交流会苦手だから出たくないって日下部さんに言ってなかった?」

「話が変わったの!」

す、と。虎杖の横へ。肩が触れるほど、距離を詰める。

「虎杖くんが出るなら、一緒がいい!」

「……ん?」

なんで?の顔。

一瞬きょとんとした五条だったが、すぐに口をにや~と緩め、指でハートを作る。

「えっ。もしかして那由多……悠仁に惚れた?♡」

「えっ!!?」

「うん!結婚したい!」

「ええっ!!!??」

驚き戸惑う虎杖を尻目に、五条は楽しそうに笑う。

「青春だね〜♡でもダーメ。その日ただでさえ交流会で人がいなくなるのに、那由多が行かないと他に任務行ける人いなくなるでしょ」

「え~~~!」

「その代わり、任務までの数日間は好きにここ来ていいよ」

「あれっ!?俺の意志は!?」

「乗った!」

「だから俺の意志は!?ねぇ!!」

那由多はもう止まらない。くるりと虎杖に向き直り、ずいと迫る。

「虎杖くんって彼女いる?」

「あ、那由多先輩って話聞かない感じなのね……」

距離を詰める那由多に思わず身を引きながら、ぎこちない仕草で虎杖は頬を掻く。

「いや、いないけど……」

「じゃあ結婚して」

「なんで!?"じゃあ"の意味がわかんないってば!!」

「パートナーがいるのに結婚は良くないでしょ?確認大事!」

「初対面の人にいきなりプロポーズするのも良くないと思うよ…?」

「えっ……だめ……?」

しゅん、と那由多の肩が落ちる。その落差が――あまりにも真っ直ぐにわかりやすい様子に、虎杖の視線が泳ぐ。

「だ、だめっていうか……!」

「……そ、そういうのは……もっと……お互いを知ってからするもんなんじゃないの?大事なことだし……」

その言葉に、那由多の瞳に、再び星が灯る。

「!!!!!!じゃあ虎杖くんのこともっと教えて!!私のこともなんでも教えるから!!」

「え~…すごい前のめりじゃん……」

言いながらも、虎杖は眉を下げてどこか可笑しそうに笑っている。

「……まぁ。仲良くはしたいからさ」


「ひとまず、友達からってことで」

少し照れたようなその横顔は、戦場の顔とは違う柔らかい笑み。
那由多の胸の奥で、何かが弾けた。

「かっこいい!結婚して!!」

「あの、先輩…聞いてた?」

「若いっていいね〜♡」

「…………(虎杖くん、がんばれ)」

こうして──

高専の地下の、小さな部屋から。

血と呪いと秘密に囲まれたその場所で。
那由多の“求婚の日々”が、本格的に幕を開けた。

星に撃ち抜かれた少女は、もう後戻りなどしない。

世界は、もう色づいてしまったのだから。
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