子連れライオン/エヴァンゲリオン

子連れライオン/エヴァンゲリオン2
「降りてこ〜い……タルトを焼いたんだ、キラキラのフルーツがたくさん乗ってるぞ。好きなピースを選んでいいぞ〜」
「けーちゃんさっき購買でシールたくさん買ったからさぁ、これで一緒に遊ぼうよ。レオナちゃんの気に入ったのがあればあげるから〜」

 サムの店の裏手を少し進んだところに生えた、大木・上手に向かってトレイとケイトは元気に声出しをしていた。放課後である。彼らの向かう樹上には、ケイトの呼ぶ通りレオナがいる。二人は保護対象物の安全確保というタスクの為、このレオナの捕縛を目論み今は物で釣ろうと頑張っていた。
 
 中秋の候、とある晴れた日。レオナ・キングスカラー第一王女殿下は在学中の校内にて、魔法薬事故の影響を受け"小さく"なってしまっていた。
 目をばってんにして仰向けに、床に落っこちていたところを発見された……身体は、まず誰がどう見ても丈からして子どもとしか呼べないものであり。全ての衣類を泥のように引きずって、あの華やかで息が詰まるような圧倒的肉体の美貌の影はない。子供は大層ちんちくりんで頬がぷくっ!と丸かった。
 何せそれを一目見て、実戦課題のペアを組んでいた相手のヴィルが「決めた。アンタが今日からアタシの紫の上よ」と言い、クルーウェルが「俺はコイツの為なら悪魔にもなろう。着替えてくる。止めないでくれ。プラダを着るんだ俺は!!!」と宣うほどである。元の姿をわかっていて未来性を感じる……と同時にひょっとしたら再教育が可能なのではないか?と頭の良い男共に錯覚を覚えさせるような、そういうどうしようもない程のちんちくりんとなっていた。

 尚当の本人は目覚めるや否やヴィルに向かって「なんだこのオカマは」と言い放ち、クルーウェルに向かっては「臭いから近寄るな」と恐れ知らずの差別的発言をしたので……。脳波の測定を受け、大人としての記憶を失っていることを証明され、つまるところ再教育は恐らく可能と言ったところであるのだが。
 閑話休題。小さくなったレオナ・キングスカラー王女はどんな大人も手を焼くような、すこぶる生意気・わんぱく・クソガキ三重苦と成り果てて、日々学園の中を好き放題過ごしていた。
 知的好奇心旺盛な上に体力の豊かに有り余った獣人の子供、そこには怠惰な生活のかけらもない。いざとなれば読書や内遊び、座ってのお勉強も問題なくこなしてみせるのであるが、目下気に入りは子供の足にはとかく広い学園内の探検と、適当な木に上っての昼寝のようだった。
 レオナは基本的に学園内で放し飼いとされていて、寝食の面倒こそ元々彼女の小間使いであった鬣犬が管理しているが、それ以外の時間は至って好きに過ごしているらしい。というのは、言っても聞かないためである。子供は目を離すと勝手に何処かへ行ってしまう。
 それに当たって学園の生徒へは……構う構わないは自由であるが、絶対死なせないように、とだけ。簡潔すぎるお触れが出ていた。
 レオナ自体は小生意気なだけあって、流石に同年代の子供よりは遥かに物事をわかっている……特に危機意識への判断力というのが優れているようなのであるが、如何せん動きが常人には常軌を逸して激しいので、危なそうなことを平気でやる。それこそ裸足で駆け回ったり、そのままぬるぬると木に上って寝こけたり、そういう事を平気でやるのだ。従って、多分レオナの必要としている以上に危なく見えて……特に平野に生まれた人間たちは、中でも顔見知りは特に、子供を死なせないよう適宜声かけ、周知、保護活動に日夜励んでいた。
 いくら個人主義の学園とは言え、流石にこんないたいけな子供に敷地内で死なれちゃ寝覚めが悪いので。

 今はまさにその最中。発見者は購買に買い出しに来ていたトレイとケイト。店内の窓から樹上に引っかかる、レオナの白いワンピースが見えたので、あわやと思い駆けつけてきたというところであった。
 太い枝の上にもたりと寝そべり顎を乗せたレオナの足は裸足で、ぷくりと柔らかい小さな足の裏がぷらんと片方ずり落とされている。それが湿った風にソヨソヨ揺れる緑の葉の中に、木漏れ日を浴びて明るくあって、如何にもあどけなくポカめいていた。
 本人自体、年上の級友たちの大声に無理やり起こされたというのがあって、未だ眠たげな顔をしている。それも不満気な顔である。むっつりと眉をひそめて、重たく瞬く、然しそのかんばせには年若さ故か普段ほどの迫力は無い。左瞼に走る筈の傷痕さえこの折どういうわけか消え失せていたので、寧ろ無垢な魂が萌芽にむずがっているような、そういう一種愛くるしささえ覚えるなりであった。
 レオナはぐるる、と喉を鳴らす。然しオヤツの甘言に釣られたとでも言うのか。暫くすると降ろした足を揺らして目を擦る。そうして「カイワレがいい。ラギーでもいい」と宣った。


「れ、レオナ氏〜……靴履こう。持ってきたから。降りておいで〜……」

 クラスきっての三度見たら死ぬ肖像、凶星の光り輝くギャルことケイト・ダイヤモンドに突如呼び出されたイデアは、その巨大な手に見合わぬピンクの小さなサンダルを持って現れた。これは裸足のレオナの足元にクツが見当たらないことに気がついたケイトが言付けた為である。レオナは木に上るためだとか、追手をまく、スニークを完遂させるためだとか言って靴を脱ぎそのへんに捨ててしまうことが多々有ったので、この日も多分どこかしらに転がしてきたのだろう。
 そしてラギーは兎も角カイワレ、イデアと言うのは……これまた何故か。この小さな姫君にやたら気に入られている従僕の青年の名であった。姫君はその時のご気分によって、カイワレかラギーの言うことしか聞かない……と宣うようなことがあったので、イデアはその都度……結構な確率で駆り出され、迎えだのなんだのを任されている、そういう状況である。
 故にこの時ともなれば我が儘にも慣れて、最早嫌がることもなく、必要な荷物だけを持って気軽に顔を出していた。
 木漏れ日の中にイデアの白い頬は涼しく飄々と光って見えている。レオナは秋の日にも未だ翳らない新緑の目を、待ち人の姿にやっとくるんと光らせて、「クツ履かねえ」と言った。

「え〜、足痛くなっちゃうよ……。降りておいで、そこの水道で洗った後履かせてあげるから」
「痛くならねえ。お前が抱いて運べばいいだろ」
「まぁそれでもいいですケド……」
「言ったな?」
「あっ、コラ」

 レオナは枝からビョンと飛び降りて駆け寄るとイデアに向かって腕を伸ばす。その危なっかしい振る舞いにイデアは眉を顰めて、レオナを抱き上げながらほとほと大人しやかに叱った。然しそんなもんに子供が聞く耳を持つわけもなく……レオナはまるで無視をして、目の前の首に縋りつきながらイデアのパーカーの脇腹を小さな足で蹴りつけている。落ち着く場所を探しているらしかった。
 それから今しがた、己を呼んでいたトレイの方を向く。「……オヤツ、食う」と、そう言った。

「あ俺か?うんうん、いいぞ。食べに来い、自信作なんだ。
今日は晴れてたから芝生の上にテーブルセットを出して、バラの庭でお茶会にしよう。レオナはなんの紅茶が好きかな」
「けーちゃんはクイーン・メリーがいいな〜。薄く切ったオレンジをつけてさ〜」
「姫川亜弓?ドゥフ、け、ケイト氏どこまで読んだ?」
「どこだろ、結構最後までいったと思うんだけど」
「紅天女争奪編アツすぎんかアレ、拙者はマジでずっと紫のバラの人が出てくる度にキレ続けているわけだが……何なん?アイツ、成人が未成年に手出すことを検討するなよ。オタクの風上にも置けないね。桜小路くんの何が悪かったっていうんですか?え?てかこれハーツまで拙者が運ぶんですか……」
「心配するな、タルトはイデアの分もある。滅多にないお客人だからな、たくさん御馳走するとも」
「煽るな〜……」

――

「それにしても随分仲良しだよね〜、二人。前からそうだっけ?」
 
「いやまア……懐かれたモンですわ……」
「だよね、……なんかあった?」
「……、さぁね、お姫様のお気まぐれじゃないスか。下賤の従僕には何が何やら……」

 イデアはそう宣うが、残念ながらきっかけとなった出来事は至極当然に存在していた。確か風のよく出ている日のことだった。道端で物理的に転んでいるレオナをイデアが助け起こしたのが、紛うことなき彼らの発端である。
 さて、レオナと言えば今は子供のなりをしているとは言え、元の学友は……イデアとあまり話す機会もないような一軍の華々しい美女であった。よって彼としてはこの事態にも、まずあまり関わり合いになりたくはなかったのであるが……いざその子供の形に、目の前で石畳の上にべちゃっと転ばれてしまえば。それでいて尚泣き出すような様子も見せず、粛々と何事もなかったかのように……一人で起き上がろうとする小さい健気な背中を見せられてしまえば、陥落せざるを得ないと言えよう。
 その折は全然授業時間中であったし。イデアの他に、周囲に手を差し伸べられそうな人影はなかったのだ。それに何より、それこそ小さな子供が、ろくに泣くことも覚えず……どころか我慢を覗かせるようですらない。諦めたように冷たい顔をして、転んでおいてすぐ前を見たのが彼の心を貫いた。
 レオナの見てくれは精々が四、五歳と言ったところ。そんな子供が、気位が高いと言えばそれまでだが……痛がることもできないというのは、些かフケンゼンであるという風に彼には思えたのだ。
 故にこの時のイデアはつい、レオナの元に駆けつけてしまって、手を引いて傍の水道に連れて行った。そして膝の擦り剥いているのを洗ってやって、ベンチに座らせ偶々持ち合わせていたプリキュア(趣味)のカットバンを貼り付けてやったのだ。これがこの時も……購買部の前であったので。彼は直ぐ様中でクリームを沢山盛ったストロベリーフラペチーノを買って来て、小さな褐色の手に握らせてやって。サバナクローまで送ってやったのだ。
 尚この時「痛いから運べ」と強請られて、言う通りにしてからというもの、何故だかイデア自身を交通の便……所謂「アシ」だと認識されているようなので、何なら彼はちょっと、救助にあたり甘やかしたことを後悔し始めてさえいるのだが……。兎も角、そういうような接触があった。

「痒いから、辞めてね……」

 ハーツラビュルの薔薇の園にて。従僕に運ばれて来たプリンセスは昼下がりの簡易的なお茶会に招待されていた。
 簡易的とは言いつつも、グレードが落とされているのは参加者が絞られているといったところで……女王の玉座に座る者が親しい者を招いて個人的に開く、そういうアットホームな豪奢については確約されている。
 芝生の庭には木陰の元、テーブルセットが引き出され、勿論テーブルには清潔に真っ白いクロスが、その脇にはクラシックスタイルのケーキスタンドが置かれ、中央には目玉オヤツであったタルトが……既にサーブされたので欠けた状態で並ぶ。クイーン・メリーは夏の暮れの海みたいに深く赤くて、香り高い湯気を立てていて、ティーセットの傍にはケイトの所望した通り薄切りのオレンジが添えられていた。
 円卓に着いたリドルはニコニコと、本当に嬉しそうにサーブされたタルトをモリモリ食べていて、然しタルトを食べているのは彼だけだった。ケイトは紅茶を手持ち無沙汰に掻き回しながら、ケーキスタンドから取り上げたキュウリサンドばかり食べており……、レオナと言えばイデアの膝の上に陣取ったままで。横向きに座る格好になって……ケイトからせしめたキラキラのフレークシールを、イデアの肌に一生懸命貼っている。
 なんのかんの、イデアやら、ケイトやら、年上のご歓談の合間にもレオナはもちもちシールを貼る仕事にばかり励んでいて……。サーブされたタルトこそ平らげてはいるものの、豪勢なアフタヌーンティーセットを減らすのは半ば、頬を髪と同じほどペカペカに赤くした後輩ばかりなのであった。

「……うんうん、それはイデアくんが悪いね☆」

 と、上記の道理、イデアとレオナの間に生まれた……新たな謎の関係性について、聞き出したケイトはそう宣った。
 彼女は長く伸ばして緩く巻いた、マリーゴールドの金の髪を……形の良い耳にかけながら小さなレオナを覗き込む。そしてかの有名な縞模様の猫みたいにニンマリ笑うと、「おクツ持って追っかけてきてくれるのは誰かなんて、相場が決まってるもんねえ」と囁いた。
 レオナはこれにも、変わらず口を噤んだまま。険も持たせずゆっくり瞬いて……。然しケイトの袖を引っ張ると、彼女の爪の磨かれた白い手を掴む。そしてその輝く手の甲の肌に、一つ、ハートのシールをやっぱり直に貼った。

――――――

「あ、レオナ氏来たの……」
「チェスやりたい」
「はいはい、いいよ。いらっしゃい」

 昼の日中に来客が一人。ぺちぺちとノックとも呼べない軽い音が……低いところからするので、戸を開くとレオナが立っている。
 今日も今日とて授業にはリモートでの参加を決め込んでいたイデアは、その急な来客も拒むことなく迎え入れてやった。
 彼は授業こそ参加のテイを取っているものの、手元ではオンラインのPCゲームに夢中……と言ったところであったので、手近に置いたままであった携帯端末を引き寄せ確認する。すると朝の内に某鬣犬より「今日遊びに行きたいって言ってました。夕方引き取ります」とのメッセージが残されていた。
 それに大分遅れて返事をしてから、部屋の扉を手動で……全開にしたまま固定する。これは小さな客人が部屋に立ち入るようになってからの、新しい彼の習慣であった。
 彼は己が、子供になんだか異常に懐かれすぎているという自覚があって、その上でフツウに全ての冤罪を恐れていた。
 シュラウドと言えば本国イチのキモオタであることは自明の理であるし、その状態で日々子供……それも女の子を部屋に連れ込んでいるとなると周囲の目はどうか。幾ら日常的には清廉潔白、模範囚的に勉学の犬として生きている……とは言っても、ついぞ終わったロリコンに見えることに間違いはなし。
 イデアにはこれが大層耐え難かったので……リスク回避の為、来客中には最早自分から、自室の戸を開け放つという物理的手段を取っている。尚扉の前、廊下を挟んで向かい側の壁には新たに監視カメラを設けてあって、戸なんて開けようもんなら室内の様子が全てカメラに筒抜けとなる。そしてイデアはこのカメラの映像を教員諸君が随時リアルタイムで確認できるよう、この為に新たにシステムさえを組んでいた。
 休題。
 兎も角イデアは全ての潔白を証明しつつ、入って突き当たりのベッドにレオナを座らせようと仕向けていて(イデアの部屋にはデスク備え付けのチェアとベッドと床しかまともに座れるところがない)、棚の収納に仕舞ってあったチェスセットを取り出し布団の上に置く。然しそれを眺めていたレオナは、不意にぐいとイデアのズボンを掴んで……デスクの方に引っ張った。

「な、何、どうしたの?」
「座れ」
「あハイ」
「……」
「の、登るのね……」

 レオナはそのまま引っ張って、イデアを元々彼が掛けていたチェアに着席させるとよじよじその膝によじ登る。裾にレースの装飾があるワンピースのムチムチの足で彼のことを椅子にすると、その体に凭れて至極堂々とPCの画面を勝手に見せてもらっているらしい。イデアの首元で獣の耳が、ピルピルと動かされた。

「これなに」
「ゲームだよ。FF14っていうオンライン、……アー、ネットが繋がってて、今おんなじ時間にこのゲームを開いてる、世界中の人達と一緒に遊べるゲーム。」
「ふうん、なにしてる?これは」
「お魚釣ってるんだよ。やってみる?」

 然しレオナの手にはイデアのコントローラーは重たそうに見えたので……彼は操作を切り替えて、キーボードをより手前に引き寄せた。

「ここの数字の2を押すと、水の中に釣り糸を垂らすよ。お魚が食いついたら、この人の頭の上にビックリマークが出るから。そしたらこの隣の3押して……。……お、そうそう」
「これお前か?頭……青い」
「拙者はプレイアブルキャラに自分を投影させない主義故……弟ですね、カッコいいでしょ」
「ふーん……」
「あ、ビックリマーク三つ出たね。三つだとレアなお魚が釣れるんだよ」
「……」

 レオナは小さな爪のハマった指でぷち、ぷちとキーボードを押しイデアに従って2、3匹のサカナを釣ったが然しそのまま飽きた様子。ふい、と画面から目を離すとグニャグニャ体勢を変えてイデアの懐に擦り寄った。
 子供がごろごろ喉を鳴らす濁った音が、服越しに感触として伝わってくる。イデアがそのツムジを見下ろすと、レオナは「寝る。イチジカン経ったら起こせ」と些か難しいような口調で言った。

「あ、アレ、うん。チェスは?」
「起きたらやる」
「んふふ、……眠いならもっと寝ててもいいよ。お昼になったらオルトが来るから、それくらいに起こそうか」
「ン゙……」
「オオ……よし、よし……」

 子供はイデアの胸元に縋ってグングンと額を押し付けてくるので、眩しいのかな……と思いリモコンで部屋の電気を消してやる。それから魔法で片付けたベッドに連れて行ってやって、その小さな体を巨大なベッドに寝かせるとちゃんと首までフトンをかけてやった。
 こうしてイデアのモラトリアムは長引いた。エオルゼア爆釣の時は近い。

――

「中々良い手ですなぁ。さすレオ(さすが・レオナ氏)、読みが深い。これはさしもの拙者も子供だからって侮ってなどいられない。本気のアナグマ、見せてやりますかっと……」
「ねえ次僕次僕次僕!」
「オルトは後でね」
「ズルイズルイズルイ」
「後で後で笑」
「レオナさん、次僕と勝負だよ。レオナさんが負けたら、今後は僕に敬語を使うように」
「コラッ、子供をいぢめないよ」
「"オルト"こそが兄さんの至高の弟なんだから。でもレオナさんが態度を改めるっていうなら、僕の妹にしてあげてもいいよ」
「ねえその特殊プレイ絶対拙者が権力者各位におこらりるんだわ、やめてもろて……」

 オルトはプリプリと怒りながら、レオナとイデアの盤面の邪魔をした。順番を代わってもらえない為である。然し代わったところでオルトは積まれたAIの性能を駆使してレオナをいぢめるということが、このようにわかりきっていたのでこの場に限っての仲間はずれは多分、英断であった。
 このところ、新しい来客の日々にオルトはレオナを気に入ったようだった。多分、己より幼い形をした生物が物珍しくて面白いのだろう。態度こそ……彼は節々にこうして気取った声を出すものの、同時に構うやり方は温かい。やんわり開いたレオナの紅葉の手の平や、たっぷりとしたほっぺたをフルメタルの指先で随分柔らかくつつくので、害そうというつもりは無いのだと思われた。多分。弱い生き物を可愛がる行為への動作の出力が些かおかしいだけである。
 気取ってみせるのは年嵩ぶりたい為か。或いは兄を取られたようで悔しいのか。
 ま兎も角言葉の強さ程犬猿というわけではないので……オルトは一年生のカリキュラムの合間を縫って度々、兄の部屋に訪れていた。寧ろ子供の加わる日常以前より、その頻度は増してさえいる。
 そしてこのオルトが呼ばれる理由、と言うのがレオナのイデア離れを推し進めるためであった。

 イデアは元来、人格者とは言い難いカスのコミュ難であるし付き合いも悪いのだが、存外その根はイイヤツである。育った環境……もとい親御さんの教育が良かったのであろう、人道意識は大したものだ。
 と言うか、普段の態度で言えばそれより完全主観の好悪で裏付けられる差別主義が問題なのである。彼は善悪、正誤、コンプライアンスを理解していて尚その上で被害妄想甚だしい偏見主導で物を言うのだ。しかも性悪説の信奉者である。
 彼は、人工知能を積んでいない遅れた生き物は全てが全て非合理的で美しくなく、改善も成長も甲斐無しであり、そもそも人類の全ては滅んだ方がこの星の環境に良いと思っている。……彼はペッパー君とオルト以外の全てのものを無意味かつ理不尽に、そこはかとなく嫌っている。
 ……否。それでも彼自身は己の思想が世間的には不適切であるということを全く了解していたので、望まれれば社会正義自体には従うことができる。
 
 つまるところ、彼はいつも……人嫌いでありながらも結果的には面倒見が良かった。
 彼は世界中の子供は全てが全て、少なくとも成人するまでの間は無条件に庇護されるべき存在であり。また健全な教育と環境と正当な評価を、周囲の大人が努めて保証しこれを享受させるべきだと考えている。これは彼自身が、そう育てられてきたからだった。
 幾ら人類種全てを蛇蝎の如く嫌っていても、生まれてきたばかりの分別もつかぬ命に罪はない。せめて自分で物事の責任を取れるようになってから、初めて自立に至らしめられるべきなのだ。そう思っているから、彼は無邪気に懐く子供を全く持って邪険にできない。
 そして子供にしてみても、己を雑に扱うことをせず。何時でも真面目に向き合って、おまけに求めれば求めるだけ拒まず構ってくれる大人に懐かぬわけも無し。
 その上彼女は生まれついた環境故か……そういうふうな相手を、多く求めることは無く。そうして特に気に入った、限られた相手にばかりくっついて回りたがったが為にイデアとの癒着は深刻な問題となっていた。
 他に同条件に置かれているのはラギーであるが、彼女はまだいい。貧民街で多くの年下の面倒を見てきただけあって、彼女は子供のあしらいが上手い。それにそもそも同寮生で、二十歳と十七歳の彼女らにおいても関係や環境はさして変わらないようなものだったのである。故に癒着関係ありきで、都合のいいようにラギー自体のスケジュールが組み立ててある。新しい配慮が特別に必要なわけではない。
 それに引き換えイデアはどうだ。元々無い筈の交友関係が急に、強固に引き結ばれてしまったが為に双方引き時も加減も分からずズブズブになりゆく一方で……。

 とにかく、これを彼ら二人に任せていては恐らく全く改善ができないので、導入されたのがオルトと言うことであった。要するに子供に少しずつお友達の選択肢を増やして……依存先を分散しようと言うのである。現状レオナの保護観察責任者として、実権を握りつつあるのはイデアである。彼を発端とし各種対応の世界を広げる手始めに、既に親しんだ日常に加わる因子を増やす。その因子と、共に過ごす時間が増えれば友達と呼べるほど親しくなるのだって時間の問題だろう。実際、レオナもレオナでいぢめられはすれども然程オルトに拒絶反応を見せない。健やかな環境構築は順調に推し進められている。

――――

 昼時である。この日レオナはラギーに伴われ大食堂で昼食を取っていた。
 学内における学食の普及率というのは非常に高い。学食は基本無料だからだ。また提供されるメニューも全寮制の学園の付属施設であるだけあって栄養バランスに不安が無いし、プラスアルファを追加しない限りは手頃なので、生徒達からすればこれは一種重要なライフラインであった。
 尚普段のレオナは、これを利用せずラギーを使いっ走りとし、購買部ばかりを利用させている。人だかりを嫌う為だ。然しこの新しい日常においては非保護者のレオナに我儘を言う権限は殆ど持たされておらず……また、幼年のレオナを置いて、さもなくば率いて、いつもの如くバーゲンセール状態のパン争奪戦会場へ参戦するのも気が引けるため。ラギーは大人しくレオナを伴って、大食堂を利用することにしているらしい。
 木製の、よく磨かれた長テーブルの一席に、ラギーはレオナを座らせ自身もその隣に座っていた。このテーブルに合わせて設えられているのはこれまたやはり長い背もたれのない形のベンチであるので、隣に座ると特に方々面倒が見やすい。欲しがる皿を寄せてやり、零したパンくずを拾ってやり、口の周りを拭いてやり……。細々と世話を焼いている最中だ。背後の通路からヴィルが声をかけてきた。

「ねえこれレオナのサンダルじゃないの?」
「え?……あ、そうッス!ちょっと、レオナさんまた靴脱いでアンタは」
「フン」
「どこに落ちてたんすか?え?通路?ねえ足ブンってやって捨てたの?」
「クツはかねえ」
「も〜……」

 ラギーは礼を述べながら小さなサンダルを受け取ると、一先ずベンチの下に並べる。レオナはベンチに座った状態で、床に足がつかないから下手に履かせるよりこの方が紛失の心配がなかった。ヴィルはなんとなく流れでレオナの逆隣に席を取り……「いつ見てもアンタは裸足ね、レオナ」と言った。

「今日アタシの部屋に遊びに来ない?アンタに似合いそうなアイテムをたくさん探したの。輝石のジュニアブランドの最新コレクションに、可愛いサンダルが沢山あるわよ」
「……お前はなし長くてつまんないから行かねえ」
「この人どんなクツでも全然履かないッスよ」
「キラキラのラバーサンダルでも?」
「着脱の面倒そうなスニーカーでもね……」
「あんまり甘やかしちゃ駄目よ、ラギー。人は皆美しいヒールを履いて強くなっていくの」
「履かねえ、もういい、ラギー、もう食わない。オマエも追いかけてくんな」
「あらお言葉ね、レディ。でも……そうね、素敵なクツは素敵なところへ連れて行ってくれるものよ」

――――

 ぺちぺち、と柔らかい肉の潰れるような軽い音。扉を遠隔で開いてやると、小さなレオナが立っている。

「お、どうしたの。……随分可愛い服を着てるね。遊びに行きたいの?」
「……」

 イデアがキャスター付きの椅子にかけたまま、ゴロゴロと後退し、少し足元を開けながら振り返ると、然し子供は扉の前で仁王立ちのままピクリともしない。いつもなら物凄い勢いで膝によじ登ってきて、ムッチリとして寛ぐ筈なのに。その彼女が、今日ばかりはなんだか見慣れぬおめかしをしているようだったので、オシャレに見合うような用事かな……とイデアは見当をつけ声を掛ける。のそ、と巨躯で立ち上がるとその小さな子供に近寄った。

「……」

 子供は何だかやけにプリプリとした裾の広がるワンピースを身に着け、ややワカメちゃんの如き出で立ちをして、レースの靴下に小さなおリボンの飾りのついたピンクのパンプスを履いている。イデアはこの子供が大人しく靴を履いているところを殆ど始めてみたような気がしたのでより一層驚いて、「よそ行きだね」と褒めた。

「おれア、もう帰るからな……」
「ん?」
「世話になった奴らに、バイバイしろって猫ジジイが言った……」
「え?あ!あぁ、そっか!?そっかそっか……鏡の間からだっけ。送ろうか……」
「ン!」

 抱き上げることをねだられるように、腕を伸ばされる。子供曰くこれが最後だと言うので、拒む理由も無くてイデアは「よっ……こらせ……」と腰をいたわる掛け声を出しながら子供を持ち上げた。子供は大人しくイデアの胸元に捕まって、とろりと身を寄せている。ワンピースのスカートはレースのパニエ的なものでちゃんと広がっているらしく、モコモコとして大変抱き上げづらかった。

「まだ誰かにバイバイしに行く?」
「しにいかない。世話になってねえから」
「ンフフ……絶対そんなわけ無くて草。まぁいいか……じゃあこのまま鏡の間に行くよ」


 棺の浮いている間には案の定、教師陣と、同寮の鬣犬と狼程しか呼ばれていなくて、それから結局チェスゲームで子供を配下にしたらしいオルトもいた。子供は実際は薬の効果切れで元のサイズに戻るだけなのであるが……、何故かちゃんと棺に入ってこの学園に来訪し、再び棺に入って帰郷するという"設定"になっているらしく、つまるところこの部屋に子供は眠りに来たのである。薬効の作用の都合上……というか子供には子供サイズの棺、というシステムではそもそもないので、明らかにデカすぎる黒いクラシックな棺の前に立たされて、子供は一層小さく見えた。
 子供は言った。

「お前、おれの故郷に連れて帰ってやってもいい。」
「え?」
「一緒に。ひつぎに、入れてやってもいいぞ。入るだろ」
「んふふ……え?僕?」
「ン」

 それはまるで一世一代の告白のようだった。気に入ったからと。イデアのことを遥か夕焼けの故郷まで、連れて行くつもりで、よそ行きの服を着てステキなクツを履いてこの部屋まで連れてきたらしかった。きっかけはほんの些細で、イデアとしては人間の善性に従って一度転んだ子供を助けた起こしただけなのに。この小さな花の如きオシャレが、あの陽だまりでの芽生えからゆっくり時間をかけて蕾を結び花開いた、愛着による、まさかエスコートの為のそれとは何ともいじらしいことである。
 これをこの……子供にとってはきっと張り詰めた場で、無闇に邪険にできよう筈もなく。イデアは手を取った。

「もし君が、もう少し大きくなってまだおんなじ風に思っていたら、僕にもう一回教えてくれる?僕はまだ学生だから今すぐにっていうのは難しいけど、君が大きくなる頃にまだ気持ちが変わらないなら、その時もう一回、一緒に考えようね」


――――――

 ガンガンガン、と扉を揺さぶるような馬鹿でかいノックの音がする。まさか自寮生に力任せにするような乱暴者が存在している筈も無し、すわ革命か取り立てか!?なんかめっちゃ怒ってる先生か!?と、心当たりのないイデアは恐怖し扉を開けた。そこにはミニスカートからスラリと伸びる長い脚のレオナが立っている。
 彼女はもう大人だったから裸足なんかではきっと走り回ることはなくて、ただなんでだかよくわからないが制服の癖にサンダルを履いて……、仁王立ちに腕を組んで、如何にも不機嫌そうに顔をしかめてイデアのことを待っていた。

「……大きくなったぜ、ダーリン」
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