[Theme 01]3年目編
09
神岡から飛行機で、西へ。
空港リムジンで県境を渡り、瑛にとっては交流戦以来だが、はるかにとっては3年ぶりとなる、その場所を訪れた。
レンガ造りの外観が目に入るなり、はるかの瞳が揺れる。
オフシーズンで人通りもまばらな中でも、瞳を閉じれば黒土の感触や、ネット越しのはるかの視線を思い出すようだった。
高校名が掲出されていたボード。
瑛の姿に目を細めながら涙を流すはるかを、抱き締めた場所。
あの日のツーショットは、さすがにもうロック画面にはしていないけど、アプリのアイコンが並ぶその後ろにそっと表示させている。
「…歴史館とか、見る?」
「あ…」
危うく涙が浮かんできそうだったので、ごまかすようにそう言った。
その手はさりげなく、はるかの手を握って。
すぐに振りほどかれてしまうかと思ったけれど、はるかも同じような心持なのか、そっと握り返してくれた。
球場の歴史を紹介する展示の数々に、はるかは我を忘れて見入っていた。
はるかほどの野球ファンであればどれも聞いたことのある情報ばかりだろうけど、一つ一つじっくりと眺めている。
実際のユニフォームや道具類の展示を前にした瞬間などは、大声を出さないよう必死に唇を結んでいて、そのいじらしさに何度も笑いが込み上げた。
奥へ進むと、高校野球についてのエリアも展開されていた。
歴代の名勝負にまつわるエピソードや、今年の試合結果など。
スクリーンに映し出された試合の映像に、目が留まった。
過去の名勝負を投影しているようで、ちょうど名門校の球児が豪快な一発を放つシーンだった。
──あの音は、世界でもっとも美しい音楽…の、ひとつだと思う
金属バットの打球音を、はるかはそう言っていた。
今も、そうなのだろうか。
願わくば木製バットに変わった今の瑛の打球音を、同じように感じてくれていたらと思う。
これからも何度だって新しい景色を見せてやりたいし、いつかそれがこの歴史館の展示のように、はるかの心の中にずっと残って欲しい。
「わ…」
一気に開かれた視界に、はるかが声を漏らした。
そこはバックスクリーンの真下、球場全体を見渡せる場所だった。
「こんなとこ、入れるんだね…!」
「まあ、すぐそこ座席だしな」
何でもないように返したけれど、内野手の瑛にとっても、後方からの眺めは新鮮だった。
こうして見るとずいぶん広く見えるような気がする。
だけど、何人もの選手たちが、夢を追い人生を懸けて戦う場所だと思うと、あまりに狭い気もした。
そしてその場所を眺めるはるかの背中が、心底愛おしい。
今その瞳に、どんな景色を思い浮かべているのだろうか。
「あのー、日坂選手ですか?ハリアーズの…」
背後から控えめな声が聞こえて、振り返る。
初老の男性が一人、入口から瑛を見上げていた。
「あ…はい。そうです」
「やっぱり、そうですか!ご旅行ですか?」
握手やサインを求めるでもなく、それ以上距離を縮めることすらせずに訪ねてくる。
害のなさそうな様子に安堵して、はるかの背中に視線を向けた。
「そうです。それで…」
連れがいるのですいません、そう言おうとしたけれど、何か様子がおかしい。
「はるか…?」
声をかけても、反応がない。
「はるか、はるか…!」
肩を強く揺すぶると、ようやく顔を上げた。
その瞳からはらはらと涙をこぼしていて、心臓が凍り付いた。
「…わ、ごめん…なんか、感極まっちゃって」
はるかはそう言って、慌ててハンカチを取り出した。
悲しんでいる訳ではないと知って、ひどく安堵しながら、ここへ来てから離れてしまっていた手を握りなおした。
「…あ、そういうわけで、今プライベートなんで」
「え?」
背後に向かって声をかけると、はるかは驚きの声を上げた。
「ええ、すいません。素敵な彼女さんですね。来シーズンも頑張ってください!」
「どうも」
男性ははるかにも微笑ましそうな表情を向けて、歩いていった。
「い、今のまずかったんじゃ…」
「たぶんペラペラ言うタイプじゃねえだろ。言ってもらってもいいんだけど…」
「確かにそんな気はしたけど…でも!」
「いいんだって、もう」
真っ青な顔をしているはるかに、穏やかな笑みを返す。
彼はきっと、“公表”前に遭遇した最初で最後の人になるのだろう。
神岡から飛行機で、西へ。
空港リムジンで県境を渡り、瑛にとっては交流戦以来だが、はるかにとっては3年ぶりとなる、その場所を訪れた。
レンガ造りの外観が目に入るなり、はるかの瞳が揺れる。
オフシーズンで人通りもまばらな中でも、瞳を閉じれば黒土の感触や、ネット越しのはるかの視線を思い出すようだった。
高校名が掲出されていたボード。
瑛の姿に目を細めながら涙を流すはるかを、抱き締めた場所。
あの日のツーショットは、さすがにもうロック画面にはしていないけど、アプリのアイコンが並ぶその後ろにそっと表示させている。
「…歴史館とか、見る?」
「あ…」
危うく涙が浮かんできそうだったので、ごまかすようにそう言った。
その手はさりげなく、はるかの手を握って。
すぐに振りほどかれてしまうかと思ったけれど、はるかも同じような心持なのか、そっと握り返してくれた。
球場の歴史を紹介する展示の数々に、はるかは我を忘れて見入っていた。
はるかほどの野球ファンであればどれも聞いたことのある情報ばかりだろうけど、一つ一つじっくりと眺めている。
実際のユニフォームや道具類の展示を前にした瞬間などは、大声を出さないよう必死に唇を結んでいて、そのいじらしさに何度も笑いが込み上げた。
奥へ進むと、高校野球についてのエリアも展開されていた。
歴代の名勝負にまつわるエピソードや、今年の試合結果など。
スクリーンに映し出された試合の映像に、目が留まった。
過去の名勝負を投影しているようで、ちょうど名門校の球児が豪快な一発を放つシーンだった。
──あの音は、世界でもっとも美しい音楽…の、ひとつだと思う
金属バットの打球音を、はるかはそう言っていた。
今も、そうなのだろうか。
願わくば木製バットに変わった今の瑛の打球音を、同じように感じてくれていたらと思う。
これからも何度だって新しい景色を見せてやりたいし、いつかそれがこの歴史館の展示のように、はるかの心の中にずっと残って欲しい。
「わ…」
一気に開かれた視界に、はるかが声を漏らした。
そこはバックスクリーンの真下、球場全体を見渡せる場所だった。
「こんなとこ、入れるんだね…!」
「まあ、すぐそこ座席だしな」
何でもないように返したけれど、内野手の瑛にとっても、後方からの眺めは新鮮だった。
こうして見るとずいぶん広く見えるような気がする。
だけど、何人もの選手たちが、夢を追い人生を懸けて戦う場所だと思うと、あまりに狭い気もした。
そしてその場所を眺めるはるかの背中が、心底愛おしい。
今その瞳に、どんな景色を思い浮かべているのだろうか。
「あのー、日坂選手ですか?ハリアーズの…」
背後から控えめな声が聞こえて、振り返る。
初老の男性が一人、入口から瑛を見上げていた。
「あ…はい。そうです」
「やっぱり、そうですか!ご旅行ですか?」
握手やサインを求めるでもなく、それ以上距離を縮めることすらせずに訪ねてくる。
害のなさそうな様子に安堵して、はるかの背中に視線を向けた。
「そうです。それで…」
連れがいるのですいません、そう言おうとしたけれど、何か様子がおかしい。
「はるか…?」
声をかけても、反応がない。
「はるか、はるか…!」
肩を強く揺すぶると、ようやく顔を上げた。
その瞳からはらはらと涙をこぼしていて、心臓が凍り付いた。
「…わ、ごめん…なんか、感極まっちゃって」
はるかはそう言って、慌ててハンカチを取り出した。
悲しんでいる訳ではないと知って、ひどく安堵しながら、ここへ来てから離れてしまっていた手を握りなおした。
「…あ、そういうわけで、今プライベートなんで」
「え?」
背後に向かって声をかけると、はるかは驚きの声を上げた。
「ええ、すいません。素敵な彼女さんですね。来シーズンも頑張ってください!」
「どうも」
男性ははるかにも微笑ましそうな表情を向けて、歩いていった。
「い、今のまずかったんじゃ…」
「たぶんペラペラ言うタイプじゃねえだろ。言ってもらってもいいんだけど…」
「確かにそんな気はしたけど…でも!」
「いいんだって、もう」
真っ青な顔をしているはるかに、穏やかな笑みを返す。
彼はきっと、“公表”前に遭遇した最初で最後の人になるのだろう。