[Theme 01]3年目編
05
「“勝利の女神”か…」
彼女の“推し”がその言葉を口にしている光景には、とてつもなく嫌な汗が浮かんだ。
甲子園球場での正也との対決から一週間、今度はこちらの本拠地で、拓真たちとの対決が繰り広げられた。
一勝一敗で臨んだ最終日、延長12回をもってしても決着がつかず、カードは引き分けと相成った。
拓真との席に、貴文から声がかかったのには驚いた。
聞けば拓真は、捕手の大先輩である貴文と、オフの自主トレを共にしているらしい。
そんな拓真も瑛にとっては先輩であり、なかなか気が引ける心持でもあったが、はるかのいない家に帰るくらいならと、二人についていくことにしたのだった。
「はい。瑛だけでなく、部員全員が力をもらっていたと思います」
「そうか…大物なんだな、瑛の婚約者は」
「“婚約者”…?」
貴文の言葉に目を丸くした拓真は、そのまま視線を瑛に移した。
「…そうか。ついに婚約していたのか」
少しやわらかくなったその表情を、なぜだか直視できない気がして。
ビールジョッキを見つめれば、コースターを濡らす水滴がデジャヴのようだ。
『このピアノは、海を渡らない──』
ふいに、テレビのナレーションが耳に入った。
貴文の行きつけだという、カウンターだけの店。
貸し切りの店内で垂れ流されていたテレビのモニターに、なんとなく三人とも顔を向ける。
『本気で夢を叶えたいなら、僕が君の病を治してみせよう』
「ああ、カミさんが好きなんだよ。この人」
白衣を翻す俳優の姿に、彼自身の名前と、役名が重ねられる。
流れている音楽は、チームメイトの登場曲でも聞き覚えのあるアーティストのものだが、短い映像から垣間見えるストーリーに既視感があった。
『7月3日22時放送スタート』
拓真が、静かに息を呑むのが分かった。
画面は既に、騒がしいバラエティ番組に切り替わっている。
しかしその前の一瞬、ドラマのティザー映像の最後に、小さな文字でその名前が記されていたのだ。
「今のは…」
「拓、どうした?」
「あ…はるかが出るやつですね。演奏吹き替えとかいうので」
CMとして放送されているということは、もう隠しておく必要はないのだろう。
その事実を口にすれば、拓真だけでなく貴文も大きく口を開けて驚いていた。
「演奏吹き替えって、音だけってことか?」
「なんか、演奏してる手元とかも出るらしいです」
「バレないのか?その…サイズ感で」
拓真の素朴な疑問にはつい、吹き出しそうになった。
かくいう瑛も同じ疑問をぶつけ、はるかを拗ねさせてしまったが、なるべく引きで撮れば問題なさそうらしい。
「撮影は?神岡じゃやらないだろ」
「東峰なので、今月はほぼ向こうに行ってます。ギリギリで声かけられたから余裕がないらしくて」
「それは、急な話で大変だな。他の仕事もあるだろうに」
事情が事情なので融通は利きそうなものだが、出演依頼の前に受けていた仕事はなるべくそのまま引き受けているらしく、こちらと東峰を反復横跳びのように行き来している様は瑛の目から見てもかなり慌ただしい。
瑛も遠征があるので顔を合わさない日が続き、昨夜久しぶりに一緒にベッドに入れたと思ったら、目が覚めるともうはるかの姿はなかった。
なんだか同棲前に戻ったようで──むしろ部屋中にはるかの気配が残っている分、余計に寂しく感じる日々を送っていた。
「早く結婚したい…」
目の前に二人の先輩がいることも忘れて、無意識に呟いていた。
「結婚したら、仕事は辞めてもらうのか?」
「そういう訳じゃないですけど…今回みたいな無茶はやめてくれるかなって」
「そんな気はしないけどな、あいつは」
拓真の声が、少し鋭く感じられた。
感じられた、ではなく。
瑛を真っ直ぐに見据えていたその瞳には、確かに強い意志が秘められていた。
「…いつ頃とか、決めてるのか?親御さんに挨拶とかも」
張り詰めた空気を緩めたのは、貴文だった。
「あ、まあ…今オフかな、とは。親にはまだです」
「まさかプロポーズもまだとか言わないよな?」
「え…」
場を和ませようと明るく放った貴文だが、瑛は言葉に詰まる。
「確かに…お前ならやりかねないな」
最程よりは表情をやわらげた拓真の一言も、完膚なきまでの図星である。
──でも、今更それ以外の選択肢なんてねえだろ。
曖昧な笑みを浮かべながらジョッキを煽っても、酔いは一向に回ってこなかった。
“あの日”はすぐに気分が良くなって、明け方まで夢見心地だったというのに。
はるかの素肌の感触を、もう何日味わっていないだろうか。
“早くはるかのこと抱きたい。早く帰ってきて”
二人の目を盗んで綴ったメッセージには、翌朝になっても既読は付いていなかった。
「“勝利の女神”か…」
彼女の“推し”がその言葉を口にしている光景には、とてつもなく嫌な汗が浮かんだ。
甲子園球場での正也との対決から一週間、今度はこちらの本拠地で、拓真たちとの対決が繰り広げられた。
一勝一敗で臨んだ最終日、延長12回をもってしても決着がつかず、カードは引き分けと相成った。
拓真との席に、貴文から声がかかったのには驚いた。
聞けば拓真は、捕手の大先輩である貴文と、オフの自主トレを共にしているらしい。
そんな拓真も瑛にとっては先輩であり、なかなか気が引ける心持でもあったが、はるかのいない家に帰るくらいならと、二人についていくことにしたのだった。
「はい。瑛だけでなく、部員全員が力をもらっていたと思います」
「そうか…大物なんだな、瑛の婚約者は」
「“婚約者”…?」
貴文の言葉に目を丸くした拓真は、そのまま視線を瑛に移した。
「…そうか。ついに婚約していたのか」
少しやわらかくなったその表情を、なぜだか直視できない気がして。
ビールジョッキを見つめれば、コースターを濡らす水滴がデジャヴのようだ。
『このピアノは、海を渡らない──』
ふいに、テレビのナレーションが耳に入った。
貴文の行きつけだという、カウンターだけの店。
貸し切りの店内で垂れ流されていたテレビのモニターに、なんとなく三人とも顔を向ける。
『本気で夢を叶えたいなら、僕が君の病を治してみせよう』
「ああ、カミさんが好きなんだよ。この人」
白衣を翻す俳優の姿に、彼自身の名前と、役名が重ねられる。
流れている音楽は、チームメイトの登場曲でも聞き覚えのあるアーティストのものだが、短い映像から垣間見えるストーリーに既視感があった。
『7月3日22時放送スタート』
拓真が、静かに息を呑むのが分かった。
画面は既に、騒がしいバラエティ番組に切り替わっている。
しかしその前の一瞬、ドラマのティザー映像の最後に、小さな文字でその名前が記されていたのだ。
「今のは…」
「拓、どうした?」
「あ…はるかが出るやつですね。演奏吹き替えとかいうので」
CMとして放送されているということは、もう隠しておく必要はないのだろう。
その事実を口にすれば、拓真だけでなく貴文も大きく口を開けて驚いていた。
「演奏吹き替えって、音だけってことか?」
「なんか、演奏してる手元とかも出るらしいです」
「バレないのか?その…サイズ感で」
拓真の素朴な疑問にはつい、吹き出しそうになった。
かくいう瑛も同じ疑問をぶつけ、はるかを拗ねさせてしまったが、なるべく引きで撮れば問題なさそうらしい。
「撮影は?神岡じゃやらないだろ」
「東峰なので、今月はほぼ向こうに行ってます。ギリギリで声かけられたから余裕がないらしくて」
「それは、急な話で大変だな。他の仕事もあるだろうに」
事情が事情なので融通は利きそうなものだが、出演依頼の前に受けていた仕事はなるべくそのまま引き受けているらしく、こちらと東峰を反復横跳びのように行き来している様は瑛の目から見てもかなり慌ただしい。
瑛も遠征があるので顔を合わさない日が続き、昨夜久しぶりに一緒にベッドに入れたと思ったら、目が覚めるともうはるかの姿はなかった。
なんだか同棲前に戻ったようで──むしろ部屋中にはるかの気配が残っている分、余計に寂しく感じる日々を送っていた。
「早く結婚したい…」
目の前に二人の先輩がいることも忘れて、無意識に呟いていた。
「結婚したら、仕事は辞めてもらうのか?」
「そういう訳じゃないですけど…今回みたいな無茶はやめてくれるかなって」
「そんな気はしないけどな、あいつは」
拓真の声が、少し鋭く感じられた。
感じられた、ではなく。
瑛を真っ直ぐに見据えていたその瞳には、確かに強い意志が秘められていた。
「…いつ頃とか、決めてるのか?親御さんに挨拶とかも」
張り詰めた空気を緩めたのは、貴文だった。
「あ、まあ…今オフかな、とは。親にはまだです」
「まさかプロポーズもまだとか言わないよな?」
「え…」
場を和ませようと明るく放った貴文だが、瑛は言葉に詰まる。
「確かに…お前ならやりかねないな」
最程よりは表情をやわらげた拓真の一言も、完膚なきまでの図星である。
──でも、今更それ以外の選択肢なんてねえだろ。
曖昧な笑みを浮かべながらジョッキを煽っても、酔いは一向に回ってこなかった。
“あの日”はすぐに気分が良くなって、明け方まで夢見心地だったというのに。
はるかの素肌の感触を、もう何日味わっていないだろうか。
“早くはるかのこと抱きたい。早く帰ってきて”
二人の目を盗んで綴ったメッセージには、翌朝になっても既読は付いていなかった。