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[Theme 02]4年目編

43

既に選手たちが姿を消した甲子園球場、魂が抜けたように動けなくなっている者が、スタンドにも一人。

「月城さん!」

涙が溢れて止まらない目元にタオルを押し付けていると、名前を呼ばれた。
その声に、一瞬で涙が引っ込む。

「え…っ!?」
「あらまあ、大泣きじゃない」

人気のないスタンドに立っていたのは、直子と真だった。

いつの間にか観客たちもまばらになっていたらしい。
黙ってうずくまる自分の姿を、周りの人々はさぞ不審に思いながら去っていったことだろう。

──そうじゃなくて!

「な、なぜ、こんなところに…!」
「どっちかっていうと、月城さんの方がどうしてここに?あっちで会うかと思ったのに」
「あ…それは、わたしなりのポリシーというか…」

少しずつ冷静になるとともに、自分が今相当ひどい顔をしているんじゃないかという不安が込み上げてくる。
慌ててタオルで隠すと、直子は笑った。

「大丈夫ですよ、かわいいから。むしろ、その顔はそのまま見せてあげたらいいわ」
「え?」
「ほら、行きましょう!」

行きましょう、とは。
はるかが呆然としている間に、直子も、真までもぐいぐいとはるかを引っ張って歩き出した。

「うちの人からね、連絡がつかないみたいだから迎えに行ってあげてって。きっと月城さん、それどころじゃなかったんですね」
「連絡…」

試合開始以降すっかり存在を忘れていたスマートフォンを手に取ると、瑛からの着信がずらりと並んでいた。

“直子さんたちが来ると思うから、ついてって”

最後にそんなメッセージを残して。

「あの…これからどちらに…?」

振り返った直子の言葉に、はるかは驚愕した。



屋外に設けられたその会場には、試合中以上に冷たい風が吹き抜けていた。

「な、直子さん、真君、寒くないですか…?風邪ひいたら大変ですし、わたしカイロか何か調達しに…!」
「寒くない。カイロならある。いる?」
「わあ…」
「ふふ、月城さん逃げ場はないですよ♡」

二人の間に挟まれ、はるかは言葉に詰まる。

「直子さーん!久しぶり!あれ、もしかして…?」

何人かの女性が連れ立って声をかけてきたので、さらに硬直してしまった。
なんせこんなに選手たちが間近にいる空間も、直子たち以外の選手の身内に会うのも、これがはじめてだ。

「あの、わたしは…」
「月城さん。日坂君の彼女さん!」

躊躇したはるかの代わりに、直子がそう言い放った。
女性たちから歓声が上がる。
おかげで選手たちも何人かこちらを振り返ってしまった。



「あれ、やっぱはるか?」

ニヤニヤと尋ねてくる佑人に顔をしかめる。

「いい加減、名前で呼ぶのやめてもらっていいっすか」
「しつけー。いいじゃん別に」

しつこいのはお前の方だ、などと思いながら視線を戻す。
メイクは直したようだが明らかに目も鼻も赤いはるかの姿に、どれだけ涙していたのだろうと胸が震えた。
この場を離れるわけにいかず、駆け寄って抱き締めてやれないことが心底もどかしい。

「てか、どうせ一緒になるでしょ、苗字」

佑人の言葉に、思わず振り返った。

「そういうことでしょ?ここに呼んだの」

そっと微笑む表情は、先ほどのニヤけ面とは違っていて。

「…それはそれで、せめて呼び捨てやめてください」
「細か!めんどくせー!」
『お待たせいたしました。只今より──』

吹きさらしの会場に、司会の声が響く。
どうやら始まるようだ。

選手の妻たちに囲まれていたはるかと直子らは、いつの間にかまた三人だけで立っている。
はるかはまだこの状況に動揺しているようだった。
この場に呼び出すことは事前に知らせていなかった──知らせたら絶対に来ないだろうと踏んで──ので、無理もないだろう。

フロント陣に続いて、活躍した選手たちが壇上に呼ばれる。
瑛もまた、拍手に包まれながらその場所へ向かった。

そして最後に呼ばれた名前は、もちろん。

『藤堂 貴文選手、お願いします!』

一際大きな拍手と歓声。
会場の奥を見遣れば、案の定はるかが大きな瞳を揺らしていた。

「チーム全員の力で、昨シーズンの忘れ物を取り返すことができました。誰一人欠けても、この勝利はなかったと思います。来年は連覇に向けてさらに頑張って欲しいと思いますが、今夜だけはすべて忘れて楽しみましょう」

頑張って“欲しい”、その言葉に誰もが切なさを覚えながら、その手に枡やビール瓶を掲げる。

貴文も会場の全員へと視線を投げかけ、拳を掲げた。

「皆で日本一の味を噛み締めましょう!それでは──」

カウントダウンの後、全員でスローガンを叫ぶ。
何度見ても阿鼻叫喚の景色の中でも、貴文は晴れやかに笑っていた。


隅に逃げ込んでいた昨年とは違い、序盤から次から次へとビールを浴びせられ続ける。
決勝点を放ったということもあり、インタビュアーやカメラマンも先輩たちに揉まれる瑛の姿を追った。

「寒い!風邪ひくわ!」

誰もが口々に叫ぶ。
今シーズンも今日をもって終幕となり、季節はすっかり秋へと移り変わっていたことを思い知る。

ビールまみれの顔を拭えば、はるかの姿が見えた。
直子のように子供を連れている者もちらほらいるので、決して被害が及ばないよう遠巻きに見ている面々。
その中ではるかは直子たちと言葉を交わしながら、微笑んでいた。

それがまるで、同じ場所にいるのに遠い世界の出来事のようで。
そして、瑛たちを眺めるその瞳が、とてもきれいで。

気付けばはるかのもとへ、真っ直ぐに歩き出していた。

「うそ、瑛くん!?」

ぎょっとしたはるかが、慌てて駆け寄ってくる。

「こらこら!真くんにかかっちゃったら大変でしょ!」

瑛の髪や服から滴る雫が、はるかの服に染みをつくる。
それを咎めようともせずにはるかは、何も言わない瑛の顔を見上げた。

近くで見るとやっぱり、はるかの瞳はゆらゆらと揺れていた。
すべてを失っても消えない光。
いつだって瑛を照らす、あたたかな星のような輝き。


その中に吸い込まれていくように腕を伸ばして、はるかを抱き締めていた。


冷えた身体に伝わるぬくもりと、ほのかに甘い香りと、会場に充満したビールのにおい。


「また、いいもん見れたか?」

問いかけると、はるかが腕の中でこくこくと頷いた。
これでははるかもビールまみれだけど、そんなことは気にも留めていないようだった。


「おいっ!このバカ!!」

思い切り肩を掴まれて、はるかから引き剥がされる。

「何考えてんだよ!はるかびしょ濡れじゃん!サイテー!」
「いてっ!」

振り向いた瞬間、佑人に頭を引っ叩かれた。たぶん本気だった。

「マジでバカじゃねえの…?月城さん、これタオル。足りないと思いますけど…」
「は…!」

達史も瑛に蹴りを入れながら、はるかにタオルを差し出した。
対するはるかは、目を見開いて固まっている。

「わー、ほら!ヒノのせいでびっくりしちゃってんじゃん!」
「あ、えっと、いや、そ、その…」
「月城さん、大丈夫ですか?」

トドメとばかりに、はるかに声をかけたのは貴文。
不意打ちで完全に目が合い、名前まで呼ばれたはるかは、言葉を失ったまま一筋の涙をこぼした。

「えっ、月城さん…?」
「もう!みんなビールまみれで近付いてこないでくださいっ!月城さん余計濡れちゃうでしょ?」
「ヒイ!直子さんすんません…」
「あー…悪いけど、月城さん頼んでいいか?真もそろそろ寝た方がいいだろうし…」
「そうねえ。マコちゃーん、」
「そ、それは申し訳ないです!せっかくの時間ですし、わたしはどうにか…!」

我に返ったはるかが慌てて首を振る。
しかし直子は、あっけらかんと笑った。

「いいのいいの。もうじゅうぶん!」

かくしてはるかは祝勝会から姿を消し、瑛は呆れられたり冷やかされたりでまた頭からビールを浴びる羽目になった。
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