[Theme 02]4年目編
41
黒土から夜空へと舞い上がる監督の姿に、感動と同時に戦慄が走った。
『最高っす!ここからも頑張ります!』
ビールまみれではしゃぐ正也の大声にすら、何か底知れぬ迫力を感じてしまう。
プロ野球史上最長の連覇記録に並ぼうとしていたウォルラスを圧倒し、まだ秋の気配も遠い間に頂点へと駆け上がったその威力。
日本一になるには、彼らを倒さなければならない──昨年のような番狂わせが起こらなければ──。
対する瑛たちのリーグはまだ首位争いの真っ只中で、連日のようにヒリつく試合が続いている。
ハリアーズらしい打線の爆発はなかなか起こらず、ほとんどがロースコアの投手戦だった。
二軍での調整を経た瑛に一発が増えたことは、チームとしてもかなり大きな後押しとなっているはずだ。
その証拠に、今年の終盤戦ビジュアルでは拓真と並んでほぼど真ん中に配置されている。
相変わらず不機嫌そうなその表情も、これはこれで雰囲気があるように見えてきた。
「あのー、ちょっと写真お願いしてもいいですか?」
お馴染みのスポットでビジュアルを見上げていると、背後から声をかけられた。
そこにいたのは背の高い女性で、顔の半分ほどありそうなサングラスをかけている。
はるかがピンときたその瞬間、女性も同じように目を瞬かせた。
「ひょっとして、月城さんですか?真凛のお友達の!」
「あ…はい」
「わー、びっくりー!私、モデルのエリって言います。真凛と同じ事務所なんですー」
自分が一方的に知っているだけだと思っていたので、彼女の方からそんなふうに言われたのには驚いた。
「会ってみたかったんですー。へえ、ちっちゃくてかわいー!」
明らかに悪意が込められたその物言いにも。
「ええと…写真、ですか?」
「あっ、いいですいいです!ミュージシャンの方に頼むなんて失礼ですから。普通に一般の方かと思っちゃって、すいません」
「あはは。普通に一般人なので大丈夫ですよ」
ここまであからさまだといっそ清々しい気がして、肩の力が抜けていった。
「…お好きなんですか、ハリアーズ」
どうやらエリの方は、警戒を解いてはいないらしい。
「はい。エリさんも、でしたっけ…?」
「はい!日坂君のファンなんです♡」
エリは一気に声を弾ませて、壁面の瑛を見上げた。
「二軍まで応援に行って、一緒に写真も撮ってもらっちゃって…幸せでした…♡」
──なるほど…あれをそう表現するんだ…
エリが言っているのはもしかしなくても、二軍本拠地で恒例のあのイベントのことだろう。
遠巻きに見ていたその列の中に彼女を見つけた時は肝が冷えた。
また彼女が瑛に触れようとして、瑛が苦しむようなことがあったらと思うと。
スタッフも傍にいたし、瑛自身が何か言葉をかけて跳ね除けていたようだったので、ほっとしたのを覚えている。
「ねえ、月城さん」
「はい?」
「ひょっとして知り合いだったりします?日坂君の」
──日坂君の幼馴染の人ですか?
鷺嶋の球場での、絶妙な質問をふと思い出す。
「日坂君、ジャズとかピアノが好きだしー。月城さんもハリアーズファンだったら、接点あったりするかなって」
おそらく彼女は、はるかと瑛の間に何らかの接点があることは、既に確信しているんじゃないかと思った。
“会ってみたかった”とは十中八九、はるかそのものへの興味などではなく、そういう意味だろう。
「…なんなら、日坂君がオフにフラれた元カノって月城さんのことだったりして」
──やっぱり。
あれは春季キャンプ中の出来事だったので、彼女が“匂わせ”をし始める頃にはその話題は聞かなくなっていたはずだ。
瑛に関することはほとんど調べが付いていて、その中にはるかとの関係性も見出しているのだろう。
「それかー、日坂君が高校時代に片想いしてた先輩、とか?」
「まさか。どっちも違いますよ」
にこりと笑って、そう答えた。
エリははるかのその言葉を100%真に受けた訳ではなさそうだが、ぱっと顔を綻ばせた。
「ですよね!だって日坂君みたいな彼氏、私だったら絶対手放したくないですもんー!」
「はは…」
「モデルの仕事も辞めたっていいし、栄養士の資格とかとってー、日坂君のこと全力でサポートします♡」
つい最近までのはるかなら、そんな言葉に揺らいでいたかもしれない。
だけど今は、不思議なほど静かな心で受け流すことができた。
「本当にお好きなんですね。日坂選手のこと」
「え?はい、もちろん!」
顔を上げて、サングラスの奥の瞳を真っ直ぐに見据える。
「大事な戦いが、続きますね」
「え…ああ、優勝、もうすぐですもんね!」
「いいえ。日本一です」
──強くなります。わたし。胸を張ってあの人の隣にいられるように
真凛との約束に、やっと少し近付けるだろうか。
「精一杯見守っていましょうね。ファンとして」
言葉に詰まったままのエリに会釈をして、はるかは歩き出した。
「なんでだよ。本当のこと言ってやればよかったのに」
瑛の帰宅後にその話をすると、凡そ予想通りのリアクションが返ってきた。
「うん。本当のこと言ったよ」
「はあ…?」
「わたしは瑛くんのこと振ってないし、“片想い”させた覚えもないから」
グシャ、と耳障りな音がして、瑛の手の中でペットボトルが無惨な姿に変わった。
「ズルい。かわいい。何なの?」
「ええ?」
ぎゅっと眉を寄せた瑛の表情は、昼間に見たビジュアルに似ているようで少し違う。
あの後エリがまた別の人に頼んで写真を撮ったのかどうかは知らないが、その様子がSNSに載ることはなかった。
黒土から夜空へと舞い上がる監督の姿に、感動と同時に戦慄が走った。
『最高っす!ここからも頑張ります!』
ビールまみれではしゃぐ正也の大声にすら、何か底知れぬ迫力を感じてしまう。
プロ野球史上最長の連覇記録に並ぼうとしていたウォルラスを圧倒し、まだ秋の気配も遠い間に頂点へと駆け上がったその威力。
日本一になるには、彼らを倒さなければならない──昨年のような番狂わせが起こらなければ──。
対する瑛たちのリーグはまだ首位争いの真っ只中で、連日のようにヒリつく試合が続いている。
ハリアーズらしい打線の爆発はなかなか起こらず、ほとんどがロースコアの投手戦だった。
二軍での調整を経た瑛に一発が増えたことは、チームとしてもかなり大きな後押しとなっているはずだ。
その証拠に、今年の終盤戦ビジュアルでは拓真と並んでほぼど真ん中に配置されている。
相変わらず不機嫌そうなその表情も、これはこれで雰囲気があるように見えてきた。
「あのー、ちょっと写真お願いしてもいいですか?」
お馴染みのスポットでビジュアルを見上げていると、背後から声をかけられた。
そこにいたのは背の高い女性で、顔の半分ほどありそうなサングラスをかけている。
はるかがピンときたその瞬間、女性も同じように目を瞬かせた。
「ひょっとして、月城さんですか?真凛のお友達の!」
「あ…はい」
「わー、びっくりー!私、モデルのエリって言います。真凛と同じ事務所なんですー」
自分が一方的に知っているだけだと思っていたので、彼女の方からそんなふうに言われたのには驚いた。
「会ってみたかったんですー。へえ、ちっちゃくてかわいー!」
明らかに悪意が込められたその物言いにも。
「ええと…写真、ですか?」
「あっ、いいですいいです!ミュージシャンの方に頼むなんて失礼ですから。普通に一般の方かと思っちゃって、すいません」
「あはは。普通に一般人なので大丈夫ですよ」
ここまであからさまだといっそ清々しい気がして、肩の力が抜けていった。
「…お好きなんですか、ハリアーズ」
どうやらエリの方は、警戒を解いてはいないらしい。
「はい。エリさんも、でしたっけ…?」
「はい!日坂君のファンなんです♡」
エリは一気に声を弾ませて、壁面の瑛を見上げた。
「二軍まで応援に行って、一緒に写真も撮ってもらっちゃって…幸せでした…♡」
──なるほど…あれをそう表現するんだ…
エリが言っているのはもしかしなくても、二軍本拠地で恒例のあのイベントのことだろう。
遠巻きに見ていたその列の中に彼女を見つけた時は肝が冷えた。
また彼女が瑛に触れようとして、瑛が苦しむようなことがあったらと思うと。
スタッフも傍にいたし、瑛自身が何か言葉をかけて跳ね除けていたようだったので、ほっとしたのを覚えている。
「ねえ、月城さん」
「はい?」
「ひょっとして知り合いだったりします?日坂君の」
──日坂君の幼馴染の人ですか?
鷺嶋の球場での、絶妙な質問をふと思い出す。
「日坂君、ジャズとかピアノが好きだしー。月城さんもハリアーズファンだったら、接点あったりするかなって」
おそらく彼女は、はるかと瑛の間に何らかの接点があることは、既に確信しているんじゃないかと思った。
“会ってみたかった”とは十中八九、はるかそのものへの興味などではなく、そういう意味だろう。
「…なんなら、日坂君がオフにフラれた元カノって月城さんのことだったりして」
──やっぱり。
あれは春季キャンプ中の出来事だったので、彼女が“匂わせ”をし始める頃にはその話題は聞かなくなっていたはずだ。
瑛に関することはほとんど調べが付いていて、その中にはるかとの関係性も見出しているのだろう。
「それかー、日坂君が高校時代に片想いしてた先輩、とか?」
「まさか。どっちも違いますよ」
にこりと笑って、そう答えた。
エリははるかのその言葉を100%真に受けた訳ではなさそうだが、ぱっと顔を綻ばせた。
「ですよね!だって日坂君みたいな彼氏、私だったら絶対手放したくないですもんー!」
「はは…」
「モデルの仕事も辞めたっていいし、栄養士の資格とかとってー、日坂君のこと全力でサポートします♡」
つい最近までのはるかなら、そんな言葉に揺らいでいたかもしれない。
だけど今は、不思議なほど静かな心で受け流すことができた。
「本当にお好きなんですね。日坂選手のこと」
「え?はい、もちろん!」
顔を上げて、サングラスの奥の瞳を真っ直ぐに見据える。
「大事な戦いが、続きますね」
「え…ああ、優勝、もうすぐですもんね!」
「いいえ。日本一です」
──強くなります。わたし。胸を張ってあの人の隣にいられるように
真凛との約束に、やっと少し近付けるだろうか。
「精一杯見守っていましょうね。ファンとして」
言葉に詰まったままのエリに会釈をして、はるかは歩き出した。
「なんでだよ。本当のこと言ってやればよかったのに」
瑛の帰宅後にその話をすると、凡そ予想通りのリアクションが返ってきた。
「うん。本当のこと言ったよ」
「はあ…?」
「わたしは瑛くんのこと振ってないし、“片想い”させた覚えもないから」
グシャ、と耳障りな音がして、瑛の手の中でペットボトルが無惨な姿に変わった。
「ズルい。かわいい。何なの?」
「ええ?」
ぎゅっと眉を寄せた瑛の表情は、昼間に見たビジュアルに似ているようで少し違う。
あの後エリがまた別の人に頼んで写真を撮ったのかどうかは知らないが、その様子がSNSに載ることはなかった。