[Theme 02]4年目編
39
──それとこれと、結局何の関係があったんだろう。
翌朝目覚めて一番に浮かんだのは、そんな疑問だった。
東峰にいるならぜひ、と珍しい人物からの誘いに応じて来てみれば、あのとんでもない配信がはじまって混乱しかなかった。
それがどうも瑛と、はるか自身にとって意味のあることだったんだと彼らは言いたげだったけれど。
「なあ。明日さ、試合来てよ」
はるかが帰宅すると、瑛はちょうど家を出るところだった。
昨夜のことでお叱りを受けるのを覚悟していたはずが、瑛が口にしたのはそんなセリフだった。
「明日…?」
「ん。席なら用意するから」
はるかはスケジュールの許す限りかなりの頻度で球場に赴いているが、瑛の方からそんなふうに言ってくるのははじめてのことだった。
「それは、自分で…」
「もういい席ねーぞ。イベントだから」
「うん?ああ、オープンルーフ…!」
「そー。いい感じに見える席あんだけど、どう?」
明日の試合はドーム型の球場の屋根を開き、夜空の下で行われる予定だった。
はるかもすぐにそれを思い出し、胸が高鳴る。
だけどあいにく明日はサポートメンバーとしてのレコーディングの予定が入っており、終了時間が読めない状況だ。
「頑張っても途中からになっちゃうし、もったいないよ…」
「途中からでいいよ。でも日が暮れる頃には、来て欲しい」
はるかの信条として、できない約束はしたくない。
それでもその時の瑛を見ていると、そのお願いは何としても叶えてあげなきゃいけないような気がした。
「わかった。それじゃあ、お言葉に甘えます。代わりに何かしら買います!」
「いいって。着いてからのことは、また連絡入れとくな」
所謂“関係者席”とやらにお世話になるのも、今回がはじめてになる。
ハリアーズに捧げるお金は自分で稼ぐ。試合を観るのももちろん自分のお金で。
はじめて本拠地を訪れる前から徹底してきた誓いだ。
それに、自分を“関係者”のカテゴリーに当てはめるのは、どうにもふさわしくないように思ってしまうのだった。
大きな手が、はるかの頭を撫でた。
その手はそのまま首筋へと滑り落ちる。
「ありがとな」
細められた瞳に息を呑むとすぐ、口付けが降ってきた。
翌日、レコーディングを終えたはるかが球場に駆け込んだのは4回裏、ハリアーズの攻撃だった。
ビジョンに映し出されたスコアを見ると、初回で1点を先制した後は両チームともに“0”が並んでいる。
現在も既にランナーなしでツーアウト、カウントはワンボール・ツーストライク。
はるかが状況を把握している間に鋭いストレートがミットに飛び込み、また一つ“0”が連なった。
──真っ直ぐの三振、敵ながら痺れる…!
5回表に向け、ハリアーズ選手たちがそれぞれのポジションに駆け出していく。
二、三塁間のほぼ定位置にも、瑛が姿を現した。
ハリアーズ側のピッチャーもテンポよくアウトを重ねていき、今夜は熾烈な投手戦となっているようだ。
そうなると初回の先制はかなり大きい。次の攻撃ではそろそろ追加点が欲しいところだ。
「はっ」
平行カウントの後、短く響いたバットの音。
しかしそこは佑人の守備範囲。その打球は危なげなくグラブの中に収まった。
あっという間の5回表が終わり、バッターが打席へと歩いていく。
瑛もバットを手に、ネクストへと向かった。
そこでふと、瑛が天を仰いだ。
つられるように視線を動かすと、大きく開いた屋根の向こうに空が広がっていた。
まるで大きな窓のよう。
マジックアワーの幻想的な色彩の中に、満月が浮かんでいた。
ゲートをくぐった瞬間から試合のことで頭がいっぱいで、オープンルーフのことをすっかり忘れていた。
瑛がせっかくこの景色を見せようと、ひとりで使うには贅沢過ぎる席を用意してくれたというのに。
──思い出させてくれてありがとう、瑛くん!
そう思いながら視線をフィールドに戻すと、ちょうど相手ピッチャーがこの回の初球を放つところだった。
ボールが2つ先行する。
3球目は見送り、4球目はファール。
続く5球目、これは鋭い当たりとなった。
「よし」
快音の主は一気に二塁へ。
追加点のチャンスで瑛の打順となった。
大音量で流れる登場曲。
ビジョンに映し出された瑛の姿と、自分のピアノの音が重なる光景は、何度見ても慣れない。
このピアノはちゃんと、打席に向かう彼の背中を押せているんだろうか。
瑛がゆったりとした構えで、マウンドを見据える
真後ろから彼の打席を見るその眺めは、二軍本拠地でのそれを彷彿とさせた。
日に焼けた肌が、炎天下での戦いを物語っている。
太鼓の音に続いたのは、チャンステーマ。
スタンド中が瑛の名前を叫ぶその前に、高く乾いた音が上がった。
打球は勢いよく、大きな大きな放物線を描いていく。
「あ…」
そしてそのまま夜空の向こう、月まで飛んでいってしまった。
──そんなふうに見えた直後、半分残った屋根さえ吹き飛ばしてしまいそうな歓声が鼓膜を揺らした。
ビジョンには“HOME RUN”の文字が踊り、外野席の観客たちが飛び込んだボールを探している様子が映し出された。
瑛がダイヤモンドを回る。
ホームで待つ仲間とハイタッチを交わし、ベンチへと戻っていく背中。
今はそこにない“6”の文字が、重なった気がした。
瑛のホームランの後も相手ピッチャーは大きく崩れることはなく、そのまま3-0で試合終了となった。
夜空を切り取っていた屋根は5回裏終了とともに閉ざされ、今は勝利を祝うイルミネーションが投影されている。
しかしはるかの瞳には、月へと延びてゆく瑛の打球が焼き付いたままだった。
迷いもしがらみも叩き割るような、高く乾いた音とともに。
「放送席ー」
アナウンスに意識を引き戻され、お立ち台に目を向ける。
そこには誰もが予想していた通り、瑛の姿があった。
「初球から狙っていたんでしょうか?」
「あー、はい。正直狙ってました。えー…いけそうなのが来たら、いくぞと」
「狙い通りの見事なホームランでした!」
人前で話す場面がつくづく苦手なようで、視線を泳がせながらぎこちなく答える瑛に、観客からは拍手とともに笑い声が贈られる。
「あー…まあ、そうですね、」
言葉を切った瑛の纏う空気が、ほんの少し変わる。
「月まで連れていきたくて」
しん、と静まり返ったドームに響いた言葉に、はるかは息を呑んだ。
「…そういう気持ちで、打ちました」
「な、なるほど…?ロマンチックですねー!ファンの皆さんを月まで連れていくツーランホームラン!日坂 瑛選手でしたー!」
「ありがとうございまーす」
そそくさとお立ち台を降り、同じく本日のヒーローとなった先発ピッチャーへとバトンタッチする。
彼がインタビューで語った内容は、瑛のせいであまり記憶に残らなかった。
はるかが帰宅する頃には、動画サイトに瑛のホームランのシーンが切り抜かれていた。
ご丁寧に“あの曲”のBGMまでつけられている。
「仕事が細かい…!」
入団直後から“ジャズ好き”のイメージが定着している瑛があのシチュエーションで、あの一言。
分かる人にはピンとくるのかもしれない。
どこの誰とも知らないが、動画を編集した人に感心する。
「眺めはどうだった?」
肩にするりと腕が回って、抱き寄せられる。
硬い胸板の感触に鼓動が跳ねた。
「すごいね。あんなに開くんだね、あの屋根!」
「そうじゃねえだろ」
振り返れば、精悍な微笑み。
その瞳の引力に吸い寄せられるように、視線を返した。
「きれいだったよ。とても」
そしてどちらからともなく、唇を重ねた。
──それとこれと、結局何の関係があったんだろう。
翌朝目覚めて一番に浮かんだのは、そんな疑問だった。
東峰にいるならぜひ、と珍しい人物からの誘いに応じて来てみれば、あのとんでもない配信がはじまって混乱しかなかった。
それがどうも瑛と、はるか自身にとって意味のあることだったんだと彼らは言いたげだったけれど。
「なあ。明日さ、試合来てよ」
はるかが帰宅すると、瑛はちょうど家を出るところだった。
昨夜のことでお叱りを受けるのを覚悟していたはずが、瑛が口にしたのはそんなセリフだった。
「明日…?」
「ん。席なら用意するから」
はるかはスケジュールの許す限りかなりの頻度で球場に赴いているが、瑛の方からそんなふうに言ってくるのははじめてのことだった。
「それは、自分で…」
「もういい席ねーぞ。イベントだから」
「うん?ああ、オープンルーフ…!」
「そー。いい感じに見える席あんだけど、どう?」
明日の試合はドーム型の球場の屋根を開き、夜空の下で行われる予定だった。
はるかもすぐにそれを思い出し、胸が高鳴る。
だけどあいにく明日はサポートメンバーとしてのレコーディングの予定が入っており、終了時間が読めない状況だ。
「頑張っても途中からになっちゃうし、もったいないよ…」
「途中からでいいよ。でも日が暮れる頃には、来て欲しい」
はるかの信条として、できない約束はしたくない。
それでもその時の瑛を見ていると、そのお願いは何としても叶えてあげなきゃいけないような気がした。
「わかった。それじゃあ、お言葉に甘えます。代わりに何かしら買います!」
「いいって。着いてからのことは、また連絡入れとくな」
所謂“関係者席”とやらにお世話になるのも、今回がはじめてになる。
ハリアーズに捧げるお金は自分で稼ぐ。試合を観るのももちろん自分のお金で。
はじめて本拠地を訪れる前から徹底してきた誓いだ。
それに、自分を“関係者”のカテゴリーに当てはめるのは、どうにもふさわしくないように思ってしまうのだった。
大きな手が、はるかの頭を撫でた。
その手はそのまま首筋へと滑り落ちる。
「ありがとな」
細められた瞳に息を呑むとすぐ、口付けが降ってきた。
翌日、レコーディングを終えたはるかが球場に駆け込んだのは4回裏、ハリアーズの攻撃だった。
ビジョンに映し出されたスコアを見ると、初回で1点を先制した後は両チームともに“0”が並んでいる。
現在も既にランナーなしでツーアウト、カウントはワンボール・ツーストライク。
はるかが状況を把握している間に鋭いストレートがミットに飛び込み、また一つ“0”が連なった。
──真っ直ぐの三振、敵ながら痺れる…!
5回表に向け、ハリアーズ選手たちがそれぞれのポジションに駆け出していく。
二、三塁間のほぼ定位置にも、瑛が姿を現した。
ハリアーズ側のピッチャーもテンポよくアウトを重ねていき、今夜は熾烈な投手戦となっているようだ。
そうなると初回の先制はかなり大きい。次の攻撃ではそろそろ追加点が欲しいところだ。
「はっ」
平行カウントの後、短く響いたバットの音。
しかしそこは佑人の守備範囲。その打球は危なげなくグラブの中に収まった。
あっという間の5回表が終わり、バッターが打席へと歩いていく。
瑛もバットを手に、ネクストへと向かった。
そこでふと、瑛が天を仰いだ。
つられるように視線を動かすと、大きく開いた屋根の向こうに空が広がっていた。
まるで大きな窓のよう。
マジックアワーの幻想的な色彩の中に、満月が浮かんでいた。
ゲートをくぐった瞬間から試合のことで頭がいっぱいで、オープンルーフのことをすっかり忘れていた。
瑛がせっかくこの景色を見せようと、ひとりで使うには贅沢過ぎる席を用意してくれたというのに。
──思い出させてくれてありがとう、瑛くん!
そう思いながら視線をフィールドに戻すと、ちょうど相手ピッチャーがこの回の初球を放つところだった。
ボールが2つ先行する。
3球目は見送り、4球目はファール。
続く5球目、これは鋭い当たりとなった。
「よし」
快音の主は一気に二塁へ。
追加点のチャンスで瑛の打順となった。
大音量で流れる登場曲。
ビジョンに映し出された瑛の姿と、自分のピアノの音が重なる光景は、何度見ても慣れない。
このピアノはちゃんと、打席に向かう彼の背中を押せているんだろうか。
瑛がゆったりとした構えで、マウンドを見据える
真後ろから彼の打席を見るその眺めは、二軍本拠地でのそれを彷彿とさせた。
日に焼けた肌が、炎天下での戦いを物語っている。
太鼓の音に続いたのは、チャンステーマ。
スタンド中が瑛の名前を叫ぶその前に、高く乾いた音が上がった。
打球は勢いよく、大きな大きな放物線を描いていく。
「あ…」
そしてそのまま夜空の向こう、月まで飛んでいってしまった。
──そんなふうに見えた直後、半分残った屋根さえ吹き飛ばしてしまいそうな歓声が鼓膜を揺らした。
ビジョンには“HOME RUN”の文字が踊り、外野席の観客たちが飛び込んだボールを探している様子が映し出された。
瑛がダイヤモンドを回る。
ホームで待つ仲間とハイタッチを交わし、ベンチへと戻っていく背中。
今はそこにない“6”の文字が、重なった気がした。
瑛のホームランの後も相手ピッチャーは大きく崩れることはなく、そのまま3-0で試合終了となった。
夜空を切り取っていた屋根は5回裏終了とともに閉ざされ、今は勝利を祝うイルミネーションが投影されている。
しかしはるかの瞳には、月へと延びてゆく瑛の打球が焼き付いたままだった。
迷いもしがらみも叩き割るような、高く乾いた音とともに。
「放送席ー」
アナウンスに意識を引き戻され、お立ち台に目を向ける。
そこには誰もが予想していた通り、瑛の姿があった。
「初球から狙っていたんでしょうか?」
「あー、はい。正直狙ってました。えー…いけそうなのが来たら、いくぞと」
「狙い通りの見事なホームランでした!」
人前で話す場面がつくづく苦手なようで、視線を泳がせながらぎこちなく答える瑛に、観客からは拍手とともに笑い声が贈られる。
「あー…まあ、そうですね、」
言葉を切った瑛の纏う空気が、ほんの少し変わる。
「月まで連れていきたくて」
しん、と静まり返ったドームに響いた言葉に、はるかは息を呑んだ。
「…そういう気持ちで、打ちました」
「な、なるほど…?ロマンチックですねー!ファンの皆さんを月まで連れていくツーランホームラン!日坂 瑛選手でしたー!」
「ありがとうございまーす」
そそくさとお立ち台を降り、同じく本日のヒーローとなった先発ピッチャーへとバトンタッチする。
彼がインタビューで語った内容は、瑛のせいであまり記憶に残らなかった。
はるかが帰宅する頃には、動画サイトに瑛のホームランのシーンが切り抜かれていた。
ご丁寧に“あの曲”のBGMまでつけられている。
「仕事が細かい…!」
入団直後から“ジャズ好き”のイメージが定着している瑛があのシチュエーションで、あの一言。
分かる人にはピンとくるのかもしれない。
どこの誰とも知らないが、動画を編集した人に感心する。
「眺めはどうだった?」
肩にするりと腕が回って、抱き寄せられる。
硬い胸板の感触に鼓動が跳ねた。
「すごいね。あんなに開くんだね、あの屋根!」
「そうじゃねえだろ」
振り返れば、精悍な微笑み。
その瞳の引力に吸い寄せられるように、視線を返した。
「きれいだったよ。とても」
そしてどちらからともなく、唇を重ねた。
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※モデルにしている球場はもうバレバレかもしれませんが、実際にはホームランの打球と月が同じ方角に見えることはありません。