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[Theme 01]3年目編

04

昼下がりの都市高速を走り、はるかの車で空港に向かう。

車体が大きく視点も高いこの車は瑛にとってもかなり運転しやすく、むしろよくはるかに使いこなせているな、と感心してしまった。

今シーズンの開幕とともに日本に帰ったはるかは、基本的に神岡やその周辺を活動の拠点としているが、月に一、二回は都市部で演奏をすることもある。
昨夜は同じメイウッド卒業生との繋がりで、東峰の名門ジャズ・クラブのステージに立った。

観客席には東峰の大学に通う渚や杏里の姿もあったようで、演奏後はちょっとした同窓会気分を楽しんだらしい。

──そして、そこにはある“驚くべき話”が舞い込んできたという。


「演奏吹き替え…?」

エントランスで助手席に乗り込むなり、はるかはその話を切り出した。

「うん。7月からのドラマだって」
「7月って、もうすぐじゃん」
「ね!演奏シーン以外の撮影はもうはじまってるんだって」

はるかの話をまとめるとこうだ。

ライブ終了後、客席で渚や杏里と飲んでいたら、東峰テレビの制作プロデューサーを名乗る人物が声をかけてきた。
彼らは今夏放送予定のドラマを制作していて、それは“持病を抱えたジャズ・ピアニストの主人公”と、“主人公の治療を担当する医師”との恋模様を描いた物語だという。

主人公の演奏シーンでは、手元の映像と音源は実際のピアニストに依頼する予定だが、なかなかイメージに合うピアニストが見つからず。
それ以外の部分から撮影を進めていたが、それもいよいよ限界というところではるかのピアノを聴き、監督もプロデューサーもようやくピンときたというのだ。

「…なんか、すげー話だな…」
「ねー。未だに詐欺だと思ってるけど、文谷君が言うには本物のプロデューサーさんらしい」
「ホントかよ…ていうか、監督とやらは挨拶もなしかよ…」

もちろん元同級生の“そういう”能力を疑うわけではないが、瑛にとっても、詐欺だと言われた方が納得できる話だった。

「で…やるの…?」

動揺がハンドルに伝わらないよう気を付けながら、おそるおそる問いかける。

ちらりと横目に見遣ったはるかの瞳は、輝いていた。

「正直、もっといるでしょ!って思うんだけど…せっかくわたしの演奏を聴いて、これだって思ってくれたなら、やってみたいな」
「…」
「それに、そもそもお仕事選べるような身分じゃないしね!」

けらけらと笑って、窓の外を眺める横顔。

ますます胸がざわついた。



開幕から早くも約2ヶ月が過ぎ、交流戦の時期に突入した。

高校生の夏、この場所に辿り着くためにすべてを懸けて戦い続け、高校球児としての最後の瞬間を迎えたのもこの黒土の上だった。
そんな甲子園球場のマウンドに立つ正也と、敵陣のバッターとして向き合っているというのは、何とも不思議な感覚だった。


正也のチームとの対戦は、勝ち越しという結果に終わった。

チームメイトは慣れない黒土に翻弄され気味な部分もあったが、瑛にとってはまだまだ、土の感覚の方が馴染んでいる気がした。
この感覚も、少しずつ遠のいていくんだろうか。

「遠征の時って、月城先輩どうしてんの?まさか引きずり回してる?」

居酒屋の個室で尋ねられた質問に、眉をひそめる。
薄くはないはずの壁の向こうからは、先ほどから絶えず賑やかな笑い声が響いてきていた。
特有のイントネーションは、まるでテレビの世界のようだ。

「…なんだよその言い方。普通に家にいるか、あっちも仕事してるよ」
「いやー、お前ならやりかねないからな…けど、“仕事”か。先輩、いつも何してんの?」

目の前の男は、まだそのイントネーションに染まってはいないようだ。

「ライブに出たり、家で配信したり…結婚式場とかで演奏することもあるらしいけど」
「へー。配信は俺もたまに観てる!ああいうのっていつ撮ってんの?」
「あれ生だぞ」
「は、マジで!?1時間くらいあるのに…超人…?」

はじめて生演奏だと知った時は瑛も同じようなリアクションをしてしまったが、毎日それ以上の時間練習してきたので、“ピアニストなら誰でもできる”と言っていた。練習と配信ではいろいろと話が違う気がしてしまうのだが、そういうものなんだろうか。

「なんか忙しそうだな。連れてきてんなら、会えるかなって思ったけど」
「“甲子園で同級生対決は見たかった”って悔しがってたな。いても会わせねーけど」
「マジか!俺も、月城先輩に成長した姿を見せたかったなー!」
「フミさんにスリーランやられといて、どの口が…」
「うるせえな!先輩がいたら打たれてねーんだよ!」

正也が成長していたのは事実だった──決して本人には言ってやらないが──けれど、それを上回っていたのがハリアーズ上位打線のベテランたち。
未だ下位打線の瑛も、そこに食い込んでいくために毎日必死だ。


「…ここまで来たら、結婚…するんだよな…?」


まるで高校時代に戻ったかのような空気の中、ふと、正也が呟くように言った。
ビールジョッキの水滴が、ぽとりとテーブルを濡らす。

「ていうか、寮ってただの同棲でも出られるんだな…」
「それは球団によるんじゃねえの?うちは“最低何年”っていうより、“上限何年”って感じだし」
「はーん…いや、それはいいんだよ。順当にいけば、今シーズン終わったら?」

瑛としては、別に今すぐだって構わないし、同棲どころか結婚からのスタートでもまったく問題なかった。

しかしはるかの母・薫からは“結婚のことは改めてよく考えなさい”と言われているし、“ふたりのやりたいことが仕事として成立してから”という言葉に対して、まだ今の自分の状況が十分と言えないことは、瑛にも分かっていた。

「…そうだな。規定でもいけば分かりやすいんだけどな…まあ、そこそこ試合出てチームもリーグ優勝したら十分だろ」
「そこは新人王とか言っとけよ」
「それは大矢オオヤだろ、どう考えても。タイトルにこだわってバランス崩すんじゃ意味ねーって」

両リーグそれぞれ1名しか選ばれないそのタイトルは、ドラフトでも争奪戦となった、大学野球出身の剛腕サウスポーでほぼ間違いないと既に共通認識ができていた。
とにかく一試合でも多く出場すること、今の自分が注力すべきはそこだと、瑛は認識していた。

「そうかー…なんか想像つかねえな。結婚って」

ぽとり、今度は胡坐をかいた足元に水滴が落ちて、ジーンズの灰色が滲んでいく。

「相手もいねえならそりゃそうだろ」
「うっせーな!」

半端に残ってたジョッキの中身を飲み干して、テーブルに置く。
コースターはとっくに水浸しだった。

試合中、空の向こうに厚い雲が見えていたが、とうとう降り出したのかもしれない。
はるかは傘を持って行っただろうかと、瑛とほぼ同じタイミングで旅立ったいとしい存在を想う。

「お前だって…お前と一緒にいてくれる人なんて、月城先輩しかいねーんだから。大事にしろよ。マジで」

心底呆れたような目線を寄越して、正也もジョッキを飲み干した。

それからすぐに次の一杯を注文してからは、また互いのチームの話や、昔の話をしたり、たわいもない話をしながら夜が更けていった。




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【規定】規定打席。打撃ランキングの対象者になるには、一定数(球団の総試合数×3.1)以上、試合で打席に立つ必要があります。つまり規定打席に到達したということは、それだけ多くの試合に出場したということでもあります。

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