[Theme 02]4年目編
37
敵地での試合を白星で収め、宿泊先で何の気なしにスマートフォンを手に取った。
“シャンプー使っていい?切れてるの忘れてた…”
そんなメッセージに頬が緩む。
シャンプーくらい勝手に使えばいいのに、そういうところがはるからしくて、どうにもいじらしい。
──月城さんは、“こうあるべき”とか、“何が正しいか”とか。そういうのと、いつも戦っているような気がするんです
いつだったかの冬真の言葉を思い出す。
──まずはご自身の気持ちを理解されて、それを月城さんにも話してた上で、月城さんの気持ちを聞かせてもらうのが筋なんじゃないでしょうか
そんなふうに語っていたことも。
結局未だに自分のことで精一杯で、そこから何一つ行動に移せてはいないのだけど。
ただ自然と瑛が自分の気持ちを話す度に、はるかの中で何かが解けていくような、そんな気配を感じていた。
そのうちゆっくり話す時間を作らなければ、と決意を新たにする。
はるかに返事を送った直後、画面に浮かび上がったのはURLだけの不審な通知。
その主が正也であることを確認してから指を滑らせると、自動的にSNSの画面に切り替わった。
『カンパーイ!』
「は?」
いきなり大音量で聞こえてきた声と、グラスの音に驚く。
マナーモードを貫通したそれは、どうやらライブ配信の映像のようだった。
『高校の元チームメイトたちと、飲んでまーす!』
既に酒が回った様子の正也の周りには拓真と千景、冬真の姿があった。
『さっきは高校時代の話とか、甲子園の思い出とかを語ったんですけどー』
『言うほど語ってないけどね』
──シーズン中に何やってんだ、この人たち…しかもさっきもやってたのかよ…
画面をよく見ると、彼がスポンサー契約しているメーカーのアカウントがタグ付けされている。
つまりはPRの一環のはずだが、どう見ても完全にただの飲み会である。
『今からなんと、ゲストをお呼びしちゃいまーす!』
その瞬間、強烈に嫌な予感がした。
そんなはずはないと思いつつも、この男にこのメンバーである。冷や汗が止まらない。
『僕たち鷺嶋野球部のマドンナだったお方です!どうぞ!!』
ぐらりと眩暈がした。
『こ、こんにちは…』
画面は正也と隣の冬真だけを映すようになり、声の主は見えない。
だけど瑛がその声を聞いて、ピンと来ない訳がなかった。
『なんか前情報おかしくない?ていうかシーズン中に何を…?』
『メーカーさんの企画っす!俺一人じゃ無理なんで、みんな呼んじゃいました!』
『僕らもよく分かってなかったけど、人のお金で酒が飲めるっていうから来たよ』
『契約金と発言が見合ってないよ…』
はるかもかなり世間に知られる存在となったが、さすがに声だけで分かるのは瑛だけのようで。
画面を流れていくコメントはどれも、瑛と同じくらい混乱していた。
『ほんとにわたしここにいて大丈夫?』
『冬真も同じこと言ってました!』
『柳木さんたちの時は代打でしたし…』
『園田君は最初から立派な選手だよ!あの伝説の二遊間、一生忘れない…!』
そんなフォローに苛立ってしまう自分の、なんと単純なことか──二“遊”間なので一応自分も含まれているのだけど──。
『この方は僕たちと同じ鷺嶋高校出身の、とある有名人なんです!学年は拓さんたちと一緒で…』
『ちょっと正也、しゃべりすぎ』
画面外から飛んできた千景の言葉通りだ。今すぐ口を閉ざして配信を終了して欲しい。
『すいません!…それで、この方は野球ガチ勢で、僕たち野球部をめちゃくちゃ応援してくださってたんですよー!』
『“ガチ勢”って…やってたわけじゃないんだし』
『球技大会で伝説の試合があったけどね』
『あ、ビール来ました!つ…先輩もどうぞ!』
「マジかよ」
思わず、誰もいない部屋で声を漏らす。
正也はうっかり名前を呼びそうになっているし、その手に取ったグラスはどうやらはるかに渡るようだし、いっそ頭痛までしてくるような気がした。
『改めまして、カンパーイ!』
出だしと同じような、正也の大声。
“とある有名人”なんて言うものだから、コメント欄には彼女の正体を推測する発言が相次いでいる。
それを見てもいない正也たちは、のほほんとグラスを傾けるばかりだ。
『先輩、普段お酒は?』
『家ではたまにしか飲まないけど、誰かとお酒飲むのは好きかなあ。仕事の打ち上げも、プライベートで飲むのも』
『それ分かるなあ。僕もひとりじゃそんなに』
『なんか先輩らしいっすね!』
『でも、こんなふうにみんなとお酒飲んでるのは、すごい不思議な感じだなあ』
やけにトークを回すのが上手い正也を中心に、かなり普通の会話が繰り広げられる。
コメント欄もいつの間にかただの雑談を楽しむモードに変わっていた。なぜそんなに順応できるのか。
『不思議っていうと、先輩はサックスのイメージだったのに、今は…』
『正也』
『はっ…!べ、別の仕事してるのは、めちゃくちゃ不思議な感じっすね…!』
勘弁してほしい。誰かこいつを黙らせろ。
無口な拓真は画角を外れるともういるかいないかも分からないが、こういう時こそあの頃のように正也の手綱を握って欲しいものである。
『そうだね。この人は当時吹奏楽部で、スタンドで応援してくれてたこともあったんですよー』
『僕がはじめて会った時にはもう辞められてたんですが、一度だけ演奏を聴くことができました』
『ああ、そうそう。どっかの誰かさんのワガママでね?』
心臓が、ぴしりと凍る。
さっきからフォローしてくれていたはずの千景だが、彼の手によって事態は最悪の方向へ向かいはじめたらしい。
『お?お?その話いっちゃいます?』
『うん…?高原君ちょっと待って…』
『この方は僕たちのマドンナだったわけなんですが、中でも誰よりも一番!先輩に憧れていた部員がいましたー!』
待て。頼むから待って欲しい。
瑛の祈りは、画面の向こうの正也には届かない。
『ハリアーズの、H坂選手でーす!』
“日坂やんけ”、“まんま日坂で草”、“ヒノwwwww”と流れていくコメント。
もはや振り切れた感情が凪いでいく。
『H坂選手といえば当時から無愛想、ノリ悪い、野球以外クソの3拍子ですけどもー』
『最近、だいぶ丸くなった方だな』
拓真がようやく喋ったと思ったら、そんなセリフである。
『そんな彼もこのお方の前では、甘酸っぱい青春をこじらせていたわけですよ!』
『フェイクニュース…!本人にあらぬ風評被害が!』
もはや大慌てで否定するはるかだけが、瑛の味方だった。
『冬真の言う通りこの方は途中で吹部を辞めたので、それからはこの方のサックスは聞けないはずだったんですが!どうしても演奏して欲しいって駄々こねて、緊急登板してもらったんですわ!』
『演奏がなくても、ほとんどの試合に応援に来てくれてたのにね。贅沢だねえ』
『改めて考えても、ほんととんでもないですね…』
表情を引き攣らせた冬真の顔が、胸に刺さる。
『まあ実際、そのおかげで俺たちは甲子園に行くことができたわけだしな』
『そんな!5億%選手のみんなの力だよ!』
『多いな』
『鷺嶋を12年振りの甲子園へと導いた、まさに勝利の女神!各球団の始球式にいかがでしょうか!うちのスタッフさん見てますか!?』
『あ、それならうちもー』
『それは…正直魅力的…!』
顔は見えないけれど、“始球式”という言葉に瞳を輝かせているはるかの様子が目に浮かぶ。
それがこんな輩の前に晒されているだなんて、勘弁してほしい。
『じゃあそういうわけで、日坂君の秘密暴露大会でした!』
『正也さん、名前』
『あっ!まあいいだろ!今年はこのスパイクで日本一になって、女の子にキャーキャー言われて調子乗ってる日坂君をギャフンと言わせてやるので、みなさん応援よろしくお願いしまーす!』
唐突にスパイクを掲げ、あまりに強引に締める正也。
その口ぶりでは他の三人もいい気はしないだろう。そんなことはもはやどうでもいいのだけど。
“結局誰?音楽関係?”
“ナギタク空気で草”
“過去一喋る園田をありがとうございます”
それでも尚コメント欄は概ね平和で、ほっとするような複雑なような心境だ。
“青春こじらせてるヒノかわいい”
“これきっかけで繋がったりする?”
“ヒノがキョドりまくって無理そう”
“ていうかナチュラルにハブられる日坂”
──こいつらは俺を何だと思ってるんだ。
それにしても、やられっぱなしは性に合わない。
瑛は終了間際で落ち着いてきたコメント欄に、文字を打ち込んだ。
“先輩、キョドらないので連絡待ってます。”
“本人!?”
“まさかの本人見てたやつ!!www”
“え!!先輩このコメ気付いて!!!”
再びコメントが溢れはじめたところで、配信画面はブラックアウトした。
あの様子では、瑛のコメントは彼らの目には入っていないだろう。もちろん、はるかにも。
一見悪ふざけが過ぎるような事件だったものの、きっと彼らなりに発破をかけてくれたのだと、今の瑛には分かった。
それにしてもやり方が悪質過ぎるけれど。
そのうちゆっくり、なんて呑気なことは言っていられない。
シーズンは既に後半戦へと突入しているのだ。
敵地での試合を白星で収め、宿泊先で何の気なしにスマートフォンを手に取った。
“シャンプー使っていい?切れてるの忘れてた…”
そんなメッセージに頬が緩む。
シャンプーくらい勝手に使えばいいのに、そういうところがはるからしくて、どうにもいじらしい。
──月城さんは、“こうあるべき”とか、“何が正しいか”とか。そういうのと、いつも戦っているような気がするんです
いつだったかの冬真の言葉を思い出す。
──まずはご自身の気持ちを理解されて、それを月城さんにも話してた上で、月城さんの気持ちを聞かせてもらうのが筋なんじゃないでしょうか
そんなふうに語っていたことも。
結局未だに自分のことで精一杯で、そこから何一つ行動に移せてはいないのだけど。
ただ自然と瑛が自分の気持ちを話す度に、はるかの中で何かが解けていくような、そんな気配を感じていた。
そのうちゆっくり話す時間を作らなければ、と決意を新たにする。
はるかに返事を送った直後、画面に浮かび上がったのはURLだけの不審な通知。
その主が正也であることを確認してから指を滑らせると、自動的にSNSの画面に切り替わった。
『カンパーイ!』
「は?」
いきなり大音量で聞こえてきた声と、グラスの音に驚く。
マナーモードを貫通したそれは、どうやらライブ配信の映像のようだった。
『高校の元チームメイトたちと、飲んでまーす!』
既に酒が回った様子の正也の周りには拓真と千景、冬真の姿があった。
『さっきは高校時代の話とか、甲子園の思い出とかを語ったんですけどー』
『言うほど語ってないけどね』
──シーズン中に何やってんだ、この人たち…しかもさっきもやってたのかよ…
画面をよく見ると、彼がスポンサー契約しているメーカーのアカウントがタグ付けされている。
つまりはPRの一環のはずだが、どう見ても完全にただの飲み会である。
『今からなんと、ゲストをお呼びしちゃいまーす!』
その瞬間、強烈に嫌な予感がした。
そんなはずはないと思いつつも、この男にこのメンバーである。冷や汗が止まらない。
『僕たち鷺嶋野球部のマドンナだったお方です!どうぞ!!』
ぐらりと眩暈がした。
『こ、こんにちは…』
画面は正也と隣の冬真だけを映すようになり、声の主は見えない。
だけど瑛がその声を聞いて、ピンと来ない訳がなかった。
『なんか前情報おかしくない?ていうかシーズン中に何を…?』
『メーカーさんの企画っす!俺一人じゃ無理なんで、みんな呼んじゃいました!』
『僕らもよく分かってなかったけど、人のお金で酒が飲めるっていうから来たよ』
『契約金と発言が見合ってないよ…』
はるかもかなり世間に知られる存在となったが、さすがに声だけで分かるのは瑛だけのようで。
画面を流れていくコメントはどれも、瑛と同じくらい混乱していた。
『ほんとにわたしここにいて大丈夫?』
『冬真も同じこと言ってました!』
『柳木さんたちの時は代打でしたし…』
『園田君は最初から立派な選手だよ!あの伝説の二遊間、一生忘れない…!』
そんなフォローに苛立ってしまう自分の、なんと単純なことか──二“遊”間なので一応自分も含まれているのだけど──。
『この方は僕たちと同じ鷺嶋高校出身の、とある有名人なんです!学年は拓さんたちと一緒で…』
『ちょっと正也、しゃべりすぎ』
画面外から飛んできた千景の言葉通りだ。今すぐ口を閉ざして配信を終了して欲しい。
『すいません!…それで、この方は野球ガチ勢で、僕たち野球部をめちゃくちゃ応援してくださってたんですよー!』
『“ガチ勢”って…やってたわけじゃないんだし』
『球技大会で伝説の試合があったけどね』
『あ、ビール来ました!つ…先輩もどうぞ!』
「マジかよ」
思わず、誰もいない部屋で声を漏らす。
正也はうっかり名前を呼びそうになっているし、その手に取ったグラスはどうやらはるかに渡るようだし、いっそ頭痛までしてくるような気がした。
『改めまして、カンパーイ!』
出だしと同じような、正也の大声。
“とある有名人”なんて言うものだから、コメント欄には彼女の正体を推測する発言が相次いでいる。
それを見てもいない正也たちは、のほほんとグラスを傾けるばかりだ。
『先輩、普段お酒は?』
『家ではたまにしか飲まないけど、誰かとお酒飲むのは好きかなあ。仕事の打ち上げも、プライベートで飲むのも』
『それ分かるなあ。僕もひとりじゃそんなに』
『なんか先輩らしいっすね!』
『でも、こんなふうにみんなとお酒飲んでるのは、すごい不思議な感じだなあ』
やけにトークを回すのが上手い正也を中心に、かなり普通の会話が繰り広げられる。
コメント欄もいつの間にかただの雑談を楽しむモードに変わっていた。なぜそんなに順応できるのか。
『不思議っていうと、先輩はサックスのイメージだったのに、今は…』
『正也』
『はっ…!べ、別の仕事してるのは、めちゃくちゃ不思議な感じっすね…!』
勘弁してほしい。誰かこいつを黙らせろ。
無口な拓真は画角を外れるともういるかいないかも分からないが、こういう時こそあの頃のように正也の手綱を握って欲しいものである。
『そうだね。この人は当時吹奏楽部で、スタンドで応援してくれてたこともあったんですよー』
『僕がはじめて会った時にはもう辞められてたんですが、一度だけ演奏を聴くことができました』
『ああ、そうそう。どっかの誰かさんのワガママでね?』
心臓が、ぴしりと凍る。
さっきからフォローしてくれていたはずの千景だが、彼の手によって事態は最悪の方向へ向かいはじめたらしい。
『お?お?その話いっちゃいます?』
『うん…?高原君ちょっと待って…』
『この方は僕たちのマドンナだったわけなんですが、中でも誰よりも一番!先輩に憧れていた部員がいましたー!』
待て。頼むから待って欲しい。
瑛の祈りは、画面の向こうの正也には届かない。
『ハリアーズの、H坂選手でーす!』
“日坂やんけ”、“まんま日坂で草”、“ヒノwwwww”と流れていくコメント。
もはや振り切れた感情が凪いでいく。
『H坂選手といえば当時から無愛想、ノリ悪い、野球以外クソの3拍子ですけどもー』
『最近、だいぶ丸くなった方だな』
拓真がようやく喋ったと思ったら、そんなセリフである。
『そんな彼もこのお方の前では、甘酸っぱい青春をこじらせていたわけですよ!』
『フェイクニュース…!本人にあらぬ風評被害が!』
もはや大慌てで否定するはるかだけが、瑛の味方だった。
『冬真の言う通りこの方は途中で吹部を辞めたので、それからはこの方のサックスは聞けないはずだったんですが!どうしても演奏して欲しいって駄々こねて、緊急登板してもらったんですわ!』
『演奏がなくても、ほとんどの試合に応援に来てくれてたのにね。贅沢だねえ』
『改めて考えても、ほんととんでもないですね…』
表情を引き攣らせた冬真の顔が、胸に刺さる。
『まあ実際、そのおかげで俺たちは甲子園に行くことができたわけだしな』
『そんな!5億%選手のみんなの力だよ!』
『多いな』
『鷺嶋を12年振りの甲子園へと導いた、まさに勝利の女神!各球団の始球式にいかがでしょうか!うちのスタッフさん見てますか!?』
『あ、それならうちもー』
『それは…正直魅力的…!』
顔は見えないけれど、“始球式”という言葉に瞳を輝かせているはるかの様子が目に浮かぶ。
それがこんな輩の前に晒されているだなんて、勘弁してほしい。
『じゃあそういうわけで、日坂君の秘密暴露大会でした!』
『正也さん、名前』
『あっ!まあいいだろ!今年はこのスパイクで日本一になって、女の子にキャーキャー言われて調子乗ってる日坂君をギャフンと言わせてやるので、みなさん応援よろしくお願いしまーす!』
唐突にスパイクを掲げ、あまりに強引に締める正也。
その口ぶりでは他の三人もいい気はしないだろう。そんなことはもはやどうでもいいのだけど。
“結局誰?音楽関係?”
“ナギタク空気で草”
“過去一喋る園田をありがとうございます”
それでも尚コメント欄は概ね平和で、ほっとするような複雑なような心境だ。
“青春こじらせてるヒノかわいい”
“これきっかけで繋がったりする?”
“ヒノがキョドりまくって無理そう”
“ていうかナチュラルにハブられる日坂”
──こいつらは俺を何だと思ってるんだ。
それにしても、やられっぱなしは性に合わない。
瑛は終了間際で落ち着いてきたコメント欄に、文字を打ち込んだ。
“先輩、キョドらないので連絡待ってます。”
“本人!?”
“まさかの本人見てたやつ!!www”
“え!!先輩このコメ気付いて!!!”
再びコメントが溢れはじめたところで、配信画面はブラックアウトした。
あの様子では、瑛のコメントは彼らの目には入っていないだろう。もちろん、はるかにも。
一見悪ふざけが過ぎるような事件だったものの、きっと彼らなりに発破をかけてくれたのだと、今の瑛には分かった。
それにしてもやり方が悪質過ぎるけれど。
そのうちゆっくり、なんて呑気なことは言っていられない。
シーズンは既に後半戦へと突入しているのだ。