[Theme 02]4年目編
26
一年かけて分からせてやる。
そうは言ったものの、具体的に何をどうしていけばいいものか、開幕から早くも1ヶ月が過ぎた今でも、瑛は具体的な策を見出せずにいた。
なんせ瑛にとって、自分がはるかだけを愛しているというのは至極当たり前のことであって、疑いようのない“軸”のようなものだから。
例えば自分が“生きている”ということを説明するのが難しいのと同じだ。
呼吸をしている、血が巡っている、そんなことを伝えたところで、それを説明できたことにはならないだろう。
だけどはるかからの愛情は、いつだって確かに感じられた。
それは穏やかな微笑みだったり、抱き締めた時のぬくもりだったり。
それから星の瞳、唯一無二のピアノ。
彼女にあって自分にないもの。
彼女が本当に欲しているもの。
それがどうしても分からなかった。
「そんなこと、僕が分かるわけないでしょう」
遠征先の居酒屋で、冬真は心底呆れたような目を向けてきた。
対戦相手の球団ではないが、二軍本拠地が同じ県にあり、連絡を入れると快く応じてくれた。
その割にはかなり気乗りのしないような表情だが、2年も一緒にいればなんとなく本音は伺い知れた。
「なんかお前、あいつの心理にすげー詳しいじゃん。なぜか…」
「瑛先輩から嫌というほど話を聞かされて、実際の人となりもなんとなく知っていれば自然と分かるようなことだけですよ。むしろそれを瑛先輩が分からないのがヤバいと思います」
「お前…ますます口悪くなったな」
「育成で揉まれてますんで」
瞳の力強さは昔からだが、育成入団から2年で支配下登録を勝ち取ったその面持ちには、なんとなく凄みが増しているような気がした。
「だけどこうやって、こじれる前に人の手を借りてでも何とかしようっていうのは、すごく成長されたと思います」
「…“プロポーズ失敗”は十分こじれてる気するけどな」
「その後ちゃんと話をしたのも正直驚きましたよ」
あまりに上から過ぎるコメントが相次ぐので、さすがに腹が立ってきた。
しかしどれも過去の自分が周りにそう思わせているということなので、ぐっと唾を吞んで堪える。
「月城さんってこう…常に何かと戦ってますよね」
冬真はどこか遠くを見るような目で、そう言った。
「…そうだな。あいつはほんとに、背負うものが多過ぎるというか…」
「あ…なんか、過去にいろいろあったようなことは、なんとなく察してますけど。今のはそうじゃないです」
カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。
冬真の手元にあるのは、果肉の入ったレモンサワー。
どうやらビールはあまり好きではないという。
「月城さんは、“こうあるべき”とか、“何が正しいか”とか。そういうのと、いつも戦っているような気がするんです」
「は…」
短く声が漏れたのは、異議を唱えたいのではなく、ものすごくしっくりくるような気がしたから。
「瑛先輩は、基本的に自分のことしか考えてないじゃないですか」
「おい待て」
「自分がどうしたいか、どう思うか、何が欲しいか。それがルールだし、そのためには手段を選ばない。そういう部分で、月城さんとは正反対だと思います」
「…」
「だけど…お互いへの眼差しは、よく似ていると思います。本当に、おそろしいくらい」
深い色の瞳が、わずかに揺れた。
そして冬真は気を取り直すようにグラスを煽って、串から外した焼き鳥を摘まむ。
「何が月城さんをそうさせているのか、そこから理解していく必要があるのかなと思います。僕は月城さんと直接話したことはそんなにないので、あくまで推測ですけど」
「はあ…やっぱそれって、親のことだったりするのかな」
「まあ、それは絶対にあるでしょうね」
片親という生い立ち。
それは瑛自身にも言えることだけど、それがそれぞれの人生に与えた影響は、まるで違うように感じていた。
「俺は…母親がいなかったこと、何とも思ってこなかったんだよな」
「え、いらっしゃらないんですか…?」
「言ってなかったっけ?俺が生まれてすぐに離婚したらしい。理由は聞いてない」
「そうですか…」
冬真は珍しく動揺した様子で、口を噤んだ。
それが瑛にとっては、心底不思議に見えた。
「でも、うちの父さんマジでうるせーからな。一人で十分だったわ」
「…」
「小学校上がったらすぐリトル入ったし、母親がいなくて寂しいとか思う暇もなかった」
「…月城さんとは、いつ頃?」
「それも小1だよ」
練習がない日、放課後児童クラブでいつも一緒にいた。
教室での出来事は何一つ覚えていないのに、幼いはるかの姿だけは、今でも鮮明に思い出せる。
「あの、月城さんがアメリカへ行ったのって…」
「俺が小4の時。たぶん、夏の終わりくらいに」
冬真がはっと、息を呑んだ。
今ので何かが掴めたとでもいうのだろうか。
「あれ、それこそ俺話したことあったか…?あいつが前にもアメリカ行ってたこと…」
「あ…その、はい。ちらっとですけど」
冬真にしては誤魔化すような、歯切れの悪い反応が気になる。
だけど目下の課題に比べれば、些末なことだ。
「あの…すごい勝手な物言いになるんですけど」
「何だよ今更」
「瑛先輩が、寂しいと思う暇もなかったというなら…どうしてそう思っていられたのかを、考えるところからのような気がします」
「え…?」
今、理解しないといけないのは、はるかのことなのに。
「俺のことなんて、今別に…」
「他人を知るには、まず自分からだと思いませんか」
ぐ、と息が詰まる。
釈然としない思いはあるものの、一理も二理もあるような気がしてしまう。
「結局月城さんの心の中は、月城さんと話さないと分かりませんから。まずはご自身の気持ちを理解されて、それを月城さんにも話してた上で、月城さんの気持ちを聞かせてもらうのが筋なんじゃないでしょうか」
「…お前、すげーな…金とれるんじゃねえの?」
「そうですか?じゃあここはご馳走になります」
「げっ」
別に最初からそのつもりではあったけど。
強かさを増した後輩の笑顔に、瑛も苦笑をこぼした。
一年かけて分からせてやる。
そうは言ったものの、具体的に何をどうしていけばいいものか、開幕から早くも1ヶ月が過ぎた今でも、瑛は具体的な策を見出せずにいた。
なんせ瑛にとって、自分がはるかだけを愛しているというのは至極当たり前のことであって、疑いようのない“軸”のようなものだから。
例えば自分が“生きている”ということを説明するのが難しいのと同じだ。
呼吸をしている、血が巡っている、そんなことを伝えたところで、それを説明できたことにはならないだろう。
だけどはるかからの愛情は、いつだって確かに感じられた。
それは穏やかな微笑みだったり、抱き締めた時のぬくもりだったり。
それから星の瞳、唯一無二のピアノ。
彼女にあって自分にないもの。
彼女が本当に欲しているもの。
それがどうしても分からなかった。
「そんなこと、僕が分かるわけないでしょう」
遠征先の居酒屋で、冬真は心底呆れたような目を向けてきた。
対戦相手の球団ではないが、二軍本拠地が同じ県にあり、連絡を入れると快く応じてくれた。
その割にはかなり気乗りのしないような表情だが、2年も一緒にいればなんとなく本音は伺い知れた。
「なんかお前、あいつの心理にすげー詳しいじゃん。なぜか…」
「瑛先輩から嫌というほど話を聞かされて、実際の人となりもなんとなく知っていれば自然と分かるようなことだけですよ。むしろそれを瑛先輩が分からないのがヤバいと思います」
「お前…ますます口悪くなったな」
「育成で揉まれてますんで」
瞳の力強さは昔からだが、育成入団から2年で支配下登録を勝ち取ったその面持ちには、なんとなく凄みが増しているような気がした。
「だけどこうやって、こじれる前に人の手を借りてでも何とかしようっていうのは、すごく成長されたと思います」
「…“プロポーズ失敗”は十分こじれてる気するけどな」
「その後ちゃんと話をしたのも正直驚きましたよ」
あまりに上から過ぎるコメントが相次ぐので、さすがに腹が立ってきた。
しかしどれも過去の自分が周りにそう思わせているということなので、ぐっと唾を吞んで堪える。
「月城さんってこう…常に何かと戦ってますよね」
冬真はどこか遠くを見るような目で、そう言った。
「…そうだな。あいつはほんとに、背負うものが多過ぎるというか…」
「あ…なんか、過去にいろいろあったようなことは、なんとなく察してますけど。今のはそうじゃないです」
カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。
冬真の手元にあるのは、果肉の入ったレモンサワー。
どうやらビールはあまり好きではないという。
「月城さんは、“こうあるべき”とか、“何が正しいか”とか。そういうのと、いつも戦っているような気がするんです」
「は…」
短く声が漏れたのは、異議を唱えたいのではなく、ものすごくしっくりくるような気がしたから。
「瑛先輩は、基本的に自分のことしか考えてないじゃないですか」
「おい待て」
「自分がどうしたいか、どう思うか、何が欲しいか。それがルールだし、そのためには手段を選ばない。そういう部分で、月城さんとは正反対だと思います」
「…」
「だけど…お互いへの眼差しは、よく似ていると思います。本当に、おそろしいくらい」
深い色の瞳が、わずかに揺れた。
そして冬真は気を取り直すようにグラスを煽って、串から外した焼き鳥を摘まむ。
「何が月城さんをそうさせているのか、そこから理解していく必要があるのかなと思います。僕は月城さんと直接話したことはそんなにないので、あくまで推測ですけど」
「はあ…やっぱそれって、親のことだったりするのかな」
「まあ、それは絶対にあるでしょうね」
片親という生い立ち。
それは瑛自身にも言えることだけど、それがそれぞれの人生に与えた影響は、まるで違うように感じていた。
「俺は…母親がいなかったこと、何とも思ってこなかったんだよな」
「え、いらっしゃらないんですか…?」
「言ってなかったっけ?俺が生まれてすぐに離婚したらしい。理由は聞いてない」
「そうですか…」
冬真は珍しく動揺した様子で、口を噤んだ。
それが瑛にとっては、心底不思議に見えた。
「でも、うちの父さんマジでうるせーからな。一人で十分だったわ」
「…」
「小学校上がったらすぐリトル入ったし、母親がいなくて寂しいとか思う暇もなかった」
「…月城さんとは、いつ頃?」
「それも小1だよ」
練習がない日、放課後児童クラブでいつも一緒にいた。
教室での出来事は何一つ覚えていないのに、幼いはるかの姿だけは、今でも鮮明に思い出せる。
「あの、月城さんがアメリカへ行ったのって…」
「俺が小4の時。たぶん、夏の終わりくらいに」
冬真がはっと、息を呑んだ。
今ので何かが掴めたとでもいうのだろうか。
「あれ、それこそ俺話したことあったか…?あいつが前にもアメリカ行ってたこと…」
「あ…その、はい。ちらっとですけど」
冬真にしては誤魔化すような、歯切れの悪い反応が気になる。
だけど目下の課題に比べれば、些末なことだ。
「あの…すごい勝手な物言いになるんですけど」
「何だよ今更」
「瑛先輩が、寂しいと思う暇もなかったというなら…どうしてそう思っていられたのかを、考えるところからのような気がします」
「え…?」
今、理解しないといけないのは、はるかのことなのに。
「俺のことなんて、今別に…」
「他人を知るには、まず自分からだと思いませんか」
ぐ、と息が詰まる。
釈然としない思いはあるものの、一理も二理もあるような気がしてしまう。
「結局月城さんの心の中は、月城さんと話さないと分かりませんから。まずはご自身の気持ちを理解されて、それを月城さんにも話してた上で、月城さんの気持ちを聞かせてもらうのが筋なんじゃないでしょうか」
「…お前、すげーな…金とれるんじゃねえの?」
「そうですか?じゃあここはご馳走になります」
「げっ」
別に最初からそのつもりではあったけど。
強かさを増した後輩の笑顔に、瑛も苦笑をこぼした。