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[Theme 02]4年目編

25

“帰りました”

試合終了後のロッカールーム、スマートフォンの画面に浮かんだメッセージ。

高校時代、ひとり夜道を歩いて帰るはるかを送らせてもらえない代わりに、こうして帰宅を知らせてもらう約束──というより、ほぼ強制──をした。
はるかが先に卒業して離れ離れになっても、瑛がいつでもはるかの居場所を“見る”ことができるようになっても、それはずっと続いている。
はるかにとってももはや習慣になっていると言っていたが、この時の瑛にとっては、とてつもなく大きな安心材料のように感じられた。

「ヒノ」

帰り際、瑛に続いてロッカールームを出た貴文が、小さな声で呼びかけた。

「さっきの話…彼女さんには?」
「いや…俺も今まで気付いてなかったんで」
「ああ、そうか。できれば、話しておいた方がいいかもしれないな。お前にもしものことがあった時、彼女さんから伝えてもらえればある程度は配慮してもらえるかもしれない」

それに、と続けた貴文は、少し目を細めていた。

「彼女さんに話すことで、何か分かるかもしれないしな」



彼女の“推し”に促されて、というのは何だか癪な気もするが、それは瑛自身もなんとなく感じていたことで。
デーゲームだったのでまだ明るい風景を横目に、家路を急いだ。

扉を開ければ美味しそうな匂いが漂っていて、無意識にほっと息を吐いた。

「おかえりなさい!」

手が離せないのだろうか、声だけが聞こえる。
引き寄せられるように歩を進めると、案の定はるかはキッチンでフライパンを振っていた。

その瞳が瑛の姿を映すなり、はるかはすぐに火を止めて駆け寄ってきた。

「瑛くん、大丈夫…?」
「え?」

貴文のおかげで、“あの時”の動揺は試合前にきっちり落ち着かせたつもりでいたが、はるかには伝わってしまうのだろうか。
唇がそっと開かれる。

「ひょっとして…送球逸れちゃったのが、そんなに…?」

そこから転がり出た言葉に、瑛は唖然とした。

「瑛くんだって人間だから、そんな日もあるよ…!結局あの回は凌いだし、バットで何倍も取り返したんだから!」
「あの…はるかさん…?」
「わ、ご、ごめん…触れて欲しくなかった…?」

そっか、そうだよね、と何やら勝手に縮こまっていくはるか。
次の瞬間には笑いが込み上げて、腹を抱えながらはるかを引き寄せていた。

「アハハハ!めずらしー、はるかが試合の話すんの」
「ごめん…」
「いや、いいんだけど。はは…そうじゃないんだわ」

油断するとまた吹き出しそうになるのを堪えながら、はるかをよりしっかりと抱き込む。
小さなぬくもりと、ためらいがちに背中に回る手の感触に、安心感をおぼえた。

「あのさ、俺…」

はるかの肩に顎を乗せて、口を開く。

「女に触られるの、すげえ嫌かもしれない…」

ぴくり、はるかの身体に力が入った。
すかさず背中をさすって、頭を撫でる。

「はるかは別。はるかには、触れたいし、触れられたい」
「…そっか」
「うん。今日、球場着いた時にさ…」

瑛は後からスタッフ経由でお蔵入りになったと聞かされた、あのインタビューのことを話した。
女性に触れられそうになった瞬間、得体の知れない感覚が全身を駆け抜けて、それからしばらく落ち着かなかったことも。
貴文に話を聞いてもらったことは、何となく言う気になれなかった。

「それは、すごく…怖かったね」

耳元で聞こえた言葉。

それがとてつもなく、しっくりきた。

「…うん、そうだな。怖かったんだ、俺」

ようやく見えた、ざわざわと波立つあの感情の正体を、確かめるように呟く。

「本当に…わたしは、大丈夫なの…?」
「うん。むしろ積極的に触って欲しい」

茶化すように言った瑛だったけれど、はるかはそんな瑛の腕の中を抜け出して、今度ははるかの方から瑛に手を伸ばしてきた。

ソファに座ったままで目一杯背伸びをして、瑛を頭から抱え込むように。
それでも瑛が少し屈むような格好になるけれど、包み込んでくれるぬくもりはずっとずっと大きく感じられた。

小さな手がうなじの辺りを、そして背中を、そっと撫でてくれる。
先ほど瑛がはるかにそうしたように、だけどやっぱり、ずっとやさしい気がした。

「男の人は、平気なんだよね…?」
「そうだな。だから今まで気付かなかったんだろうな」

チームスポーツをやっていると、仲間同士のコミュニケーションとして、自然と身体に触れる機会が多くなる。
帰ってきたランナーはハイタッチで出迎え、時には肩を組んだり、背中を叩いて発破をかけることもある。
優勝の瞬間などは歓喜のあまりハグを交わすことだってあるし、チームメイトと積極的に関わろうとするタイプではない瑛でも、それに何か特別な感情を持ったことはない。

異性の場合はというと、昔から触れるような距離まで近付きたいと思うのははるかだけだったし、周りも自分に近付いてこようとしないのが普通だったので──高3の時には一部例外もあったが──気付くタイミングはなかった。

それ以外の異性といえばあとは母親くらいのものだろうけど、自分にはいなかったのだから。

ゆっくり、ゆっくりと背中を撫でる手が、強張った心をとかしていく。
それに身を委ねていれば、ぼんやりと眠気すら襲ってくるようだった。
子供じゃなんだから、と自分自身に苦笑してしまう。


「瑛くん」


すぐそばで囁いた声が震えていて、はっとした。

「うん…?」

まだしっかりと抱き締められたままで、はるかの表情は分からない。

「…お腹、すいた?とりあえずごはん食べる…?」

だけどなんとなく、腕を緩めて微笑んだその顔とは、違う顔をしていたんじゃないかと思った。
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