[Theme 01]3年目編
20
「あの…すいません。はる…彼女のことずっと“婚約者”って言ってましたけど、勝手に言ってただけです。でも結婚はします。絶対」
年が明け、球春の到来。
キャンプインに先立ち行われた宴会の席で、瑛は先輩たちに打ち明けた。
「薄々そんな気はしてたわ…」
「俺知ってた。はるかから聞いてた♡」
「は?それいつの…」
「なんだよー、じゃあいつプロポーズすんだよー!」
思ったよりすんなりと受け入れられたことが不服でならないが、それ以上にばつの悪い質問を投げかけられてしまった。
「…しました。去年」
「え…」
「その…断られました」
開始早々騒がしい会場の中、このテーブルだけ、一瞬で空気が凍り付く。
「…でもその、マジで今年はOKしてもらうんで。婚約の予約みたいな状態にはなってるんで!!」
「いや、それ何の状態でもねーだろ!」
「フラれた訳じゃねえならとりあえずよかったな!今シーズン気合入れてけ!」
瑛が必死に弁明──まったく弁明になっていないが──するなり、先輩たちは散々な言いぐさで笑い転げた。
先ほどの憐みの視線よりはマシだが、こんなのはもう今回だけにしたい。絶対に。
『こいつプロポーズ断られ男なんで!』
『え、何?プロポーズ…?』
『リーグ優勝じゃ足りないみたいなんで頑張ります』
元選手によるライブ配信でのその会話は、ハリアーズファンに動揺を与えた。
開設したてのアカウントで、早朝に予告もなく行ったため目撃した人間はほんのわずか。
魚拓をとっていた者もいなかったようなのが幸いだったが、やはりSNSでは話題になってしまっていた。
──“日坂、オフに彼女にフラれる”という、最悪なねじ曲がり方をして。
「なんでだよ…」
「まあ、今いると思われるよりセーフなんじゃね?」
「はるか怒ってんじゃないのー?こういうの心配してくれてんでしょ?」
瑛のみならず、球団の情報は隈なくチェックしているはるかのことだ。
当然この話題も耳に入っているだろう。
「…俺も俺で結構傷付いてるんで。これくらいは許されるでしょ」
瑛がそう言うと、先輩たちは呆れたように笑っていた。
その日のメニューを終えスタジアムを出ると、圧倒されてしまうほどの人の圧。
色紙やボールを手に待ち構えている群衆との間は、コーンバーできっちりと区切られているけれど、それでも後退りしてしまいそうになる。
「どーもー、あざすー」
隣を歩いていた佑人は、慣れた様子で人混みへと歩み寄っていった。
彼を見る人々の目が、嬉しそうに輝いている。
「日坂選手ー!」
耳を疑う。
振り返った瞬間、今度は目を疑った。
なぜここに、なんて名前を呼んで問いかけるわけにもいかず。
悪巧みをする子供のような顔をした“彼女”のもとへ、歩き出した。
「応援してます。今季も頑張ってください!」
そう言って、色紙とペンを差し出してくる。
「…そりゃどーも?」
瑛も笑みをこぼして、まずはペンをとった。
「ヒノー!」
黄色い声とともに、女性たちが一気に近付いてくる。
彼女たちはあろうことかはるかを押し退けて、瑛の前を埋め尽くした。
「あ、ちょっと…」
「ドラフトからずっと推してます!」
「私も!日坂選手が好きで、ハリアーズファンになりました!」
色紙とともに口々に押し付けられる言葉に顔をしかめながら、はるかの行方を探る。
ずいぶん離れてしまったらしいその姿は、俯いた一人の少年を気にかけていた。
子供用でもぶかぶかで、ワンピースのようになっているユニフォーム。
その小さな手には、ボールが握られている。
「すいません、割り込みはご遠慮ください!順番で…」
スタッフが呼びかけてくれて、はるかたちとの間に少し隙間ができる。
それに気付いたはるかは、瑛を見上げてそっと──少年の背中を押した。
「わ!あの、えっと…がんばって、ください…!」
たどたどしい言葉とともに、目一杯腕を伸ばして差し出されたボール。
そこには瑛の背番号がプリントされていた。
「…ありがとな。野球やってんの?」
「はい…!セカンド、です!」
「そっか。じゃあ、いつか一緒に二遊間守ろうな」
「わ…!はいっ!!」
サインを入れたボールを渡して、頭をぽんと撫でる。
次の瞬間にはまた、女性たちが雪崩れ込んできてしまった。
少年が転ばなかったか心配だったけれど、すかさずはるかが守ってくれたようだ。
──ざんねん!
テラコッタの唇がそう動いて、はるかはまっさらな色紙を抱えたまま、少年とともに見えなくなってしまった。
「園田君がやきもち妬いちゃうよ」
ふふ、と小さな笑い声が、広いホールに消える。
宿泊先で球団の食事会場となっているその場所に、今はふたりの他には誰もいない。
マスコミの目を盗んではるかをここに引きずり込むのに協力してくれた先輩たちには、ここでの会話は後で根掘り葉掘り聞かれてしまうだろうけど。
「あいつだって、あれからいくらでも他のやつとコンビ組んでるだろ。チーム違ぇし」
「あら、やきもち妬いてるのは瑛くんの方?」
「んなわけねえだろ。どっちかっつーと嬉しいわ」
瑛を追ってプロ志望届を出し、育成枠でプロ入り。そして今季からいよいよ支配下登録が濃厚とされている、後輩の姿を思い浮かべる。
そんな瑛を、包み込むように見つめるはるかの瞳。
「…あの子供は?」
「え?ああ、あの子ね。わたしの次にあの場所に来たの。瑛くんのユニ着てたから、つい声かけちゃった」
「“彼女です”って?」
「違うよ!“わたしも日坂選手好きだから、一緒に待ってようね”って。お父さんも一緒だったんだけど、お手洗いに行かれた隙にどんどん人増えちゃってね」
その言葉に思い出されるのは、はるかを押し退けた女性たち。
高校時代からはるかに釘を刺されていた通り、押し付けられた色紙には仕方なくサインをしてやったけれど。
「あのさ、これ…」
後ろ手に持っていたそれを、差し出す。
おそらくはるかも先ほど持っていたであろう、球団ロゴが入った色紙に──“月城はるかさんへ”と添えられた、瑛のサインと背番号。
はるかはその瞳を、きらきらと揺らした。
「いいの…?」
「いいも何も、これのためにわざわざこんなとこまで来たんだろ?」
「でも、名前…」
「それはまあ、彼女特権ってことで。苗字変わったらまた書いてやるよ」
「あ…」
顔を赤くしつつ、はるかは色紙を受け取って、たいそう大事そうに抱え込んだ。
あれほどの勢いで迫ってきた女性たちでさえ、サインを手渡した次の瞬間にはまた新しい色紙を取り出して、他の選手に声をかけていたのとはまるで違う。
ファンなんてそんなものだから、今更どうとも思わないけれど。
「あ、あとペン。ごめんな、返せなくて」
ポケットから出したペンを手渡すそぶりで、はるかの手を包んだ。
「…自分のペンで他の女にサイン書かれて、気分悪かったよな。悪い」
すり、と指を撫でると、はるかはきょとんとした表情を浮かべた。
「それは…全然考えてなかった…!」
「え」
「ペン渡したままだったのも忘れてたよー。なんせすごいスリルだったからね…!」
はるかにしては大胆過ぎる行動に度肝を抜かれたけれど、はるか自身も緊張していたらしい。
心配性な割に時々こういう突拍子もないことをしたがるのも、見てて飽きないポイントだった。
「変なネタ出回ってるから、怒ってるかと思った…」
「…え?なにそれ?」
──しまった。
キャンプ地へは今日来たと言っていたので、きっと朝から車を走らせていたはずで。
先ほどの騒動の後すぐにここに呼び出したので、SNSを眺める暇などなかったのだろう。
「フラれたと思われてるならまあいいけど、もう絶対変なこと言っちゃダメだからね!」
という、とてつもなく複雑なお説教をいただいてしまった。
「あの…すいません。はる…彼女のことずっと“婚約者”って言ってましたけど、勝手に言ってただけです。でも結婚はします。絶対」
年が明け、球春の到来。
キャンプインに先立ち行われた宴会の席で、瑛は先輩たちに打ち明けた。
「薄々そんな気はしてたわ…」
「俺知ってた。はるかから聞いてた♡」
「は?それいつの…」
「なんだよー、じゃあいつプロポーズすんだよー!」
思ったよりすんなりと受け入れられたことが不服でならないが、それ以上にばつの悪い質問を投げかけられてしまった。
「…しました。去年」
「え…」
「その…断られました」
開始早々騒がしい会場の中、このテーブルだけ、一瞬で空気が凍り付く。
「…でもその、マジで今年はOKしてもらうんで。婚約の予約みたいな状態にはなってるんで!!」
「いや、それ何の状態でもねーだろ!」
「フラれた訳じゃねえならとりあえずよかったな!今シーズン気合入れてけ!」
瑛が必死に弁明──まったく弁明になっていないが──するなり、先輩たちは散々な言いぐさで笑い転げた。
先ほどの憐みの視線よりはマシだが、こんなのはもう今回だけにしたい。絶対に。
『こいつプロポーズ断られ男なんで!』
『え、何?プロポーズ…?』
『リーグ優勝じゃ足りないみたいなんで頑張ります』
元選手によるライブ配信でのその会話は、ハリアーズファンに動揺を与えた。
開設したてのアカウントで、早朝に予告もなく行ったため目撃した人間はほんのわずか。
魚拓をとっていた者もいなかったようなのが幸いだったが、やはりSNSでは話題になってしまっていた。
──“日坂、オフに彼女にフラれる”という、最悪なねじ曲がり方をして。
「なんでだよ…」
「まあ、今いると思われるよりセーフなんじゃね?」
「はるか怒ってんじゃないのー?こういうの心配してくれてんでしょ?」
瑛のみならず、球団の情報は隈なくチェックしているはるかのことだ。
当然この話題も耳に入っているだろう。
「…俺も俺で結構傷付いてるんで。これくらいは許されるでしょ」
瑛がそう言うと、先輩たちは呆れたように笑っていた。
その日のメニューを終えスタジアムを出ると、圧倒されてしまうほどの人の圧。
色紙やボールを手に待ち構えている群衆との間は、コーンバーできっちりと区切られているけれど、それでも後退りしてしまいそうになる。
「どーもー、あざすー」
隣を歩いていた佑人は、慣れた様子で人混みへと歩み寄っていった。
彼を見る人々の目が、嬉しそうに輝いている。
「日坂選手ー!」
耳を疑う。
振り返った瞬間、今度は目を疑った。
なぜここに、なんて名前を呼んで問いかけるわけにもいかず。
悪巧みをする子供のような顔をした“彼女”のもとへ、歩き出した。
「応援してます。今季も頑張ってください!」
そう言って、色紙とペンを差し出してくる。
「…そりゃどーも?」
瑛も笑みをこぼして、まずはペンをとった。
「ヒノー!」
黄色い声とともに、女性たちが一気に近付いてくる。
彼女たちはあろうことかはるかを押し退けて、瑛の前を埋め尽くした。
「あ、ちょっと…」
「ドラフトからずっと推してます!」
「私も!日坂選手が好きで、ハリアーズファンになりました!」
色紙とともに口々に押し付けられる言葉に顔をしかめながら、はるかの行方を探る。
ずいぶん離れてしまったらしいその姿は、俯いた一人の少年を気にかけていた。
子供用でもぶかぶかで、ワンピースのようになっているユニフォーム。
その小さな手には、ボールが握られている。
「すいません、割り込みはご遠慮ください!順番で…」
スタッフが呼びかけてくれて、はるかたちとの間に少し隙間ができる。
それに気付いたはるかは、瑛を見上げてそっと──少年の背中を押した。
「わ!あの、えっと…がんばって、ください…!」
たどたどしい言葉とともに、目一杯腕を伸ばして差し出されたボール。
そこには瑛の背番号がプリントされていた。
「…ありがとな。野球やってんの?」
「はい…!セカンド、です!」
「そっか。じゃあ、いつか一緒に二遊間守ろうな」
「わ…!はいっ!!」
サインを入れたボールを渡して、頭をぽんと撫でる。
次の瞬間にはまた、女性たちが雪崩れ込んできてしまった。
少年が転ばなかったか心配だったけれど、すかさずはるかが守ってくれたようだ。
──ざんねん!
テラコッタの唇がそう動いて、はるかはまっさらな色紙を抱えたまま、少年とともに見えなくなってしまった。
「園田君がやきもち妬いちゃうよ」
ふふ、と小さな笑い声が、広いホールに消える。
宿泊先で球団の食事会場となっているその場所に、今はふたりの他には誰もいない。
マスコミの目を盗んではるかをここに引きずり込むのに協力してくれた先輩たちには、ここでの会話は後で根掘り葉掘り聞かれてしまうだろうけど。
「あいつだって、あれからいくらでも他のやつとコンビ組んでるだろ。チーム違ぇし」
「あら、やきもち妬いてるのは瑛くんの方?」
「んなわけねえだろ。どっちかっつーと嬉しいわ」
瑛を追ってプロ志望届を出し、育成枠でプロ入り。そして今季からいよいよ支配下登録が濃厚とされている、後輩の姿を思い浮かべる。
そんな瑛を、包み込むように見つめるはるかの瞳。
「…あの子供は?」
「え?ああ、あの子ね。わたしの次にあの場所に来たの。瑛くんのユニ着てたから、つい声かけちゃった」
「“彼女です”って?」
「違うよ!“わたしも日坂選手好きだから、一緒に待ってようね”って。お父さんも一緒だったんだけど、お手洗いに行かれた隙にどんどん人増えちゃってね」
その言葉に思い出されるのは、はるかを押し退けた女性たち。
高校時代からはるかに釘を刺されていた通り、押し付けられた色紙には仕方なくサインをしてやったけれど。
「あのさ、これ…」
後ろ手に持っていたそれを、差し出す。
おそらくはるかも先ほど持っていたであろう、球団ロゴが入った色紙に──“月城はるかさんへ”と添えられた、瑛のサインと背番号。
はるかはその瞳を、きらきらと揺らした。
「いいの…?」
「いいも何も、これのためにわざわざこんなとこまで来たんだろ?」
「でも、名前…」
「それはまあ、彼女特権ってことで。苗字変わったらまた書いてやるよ」
「あ…」
顔を赤くしつつ、はるかは色紙を受け取って、たいそう大事そうに抱え込んだ。
あれほどの勢いで迫ってきた女性たちでさえ、サインを手渡した次の瞬間にはまた新しい色紙を取り出して、他の選手に声をかけていたのとはまるで違う。
ファンなんてそんなものだから、今更どうとも思わないけれど。
「あ、あとペン。ごめんな、返せなくて」
ポケットから出したペンを手渡すそぶりで、はるかの手を包んだ。
「…自分のペンで他の女にサイン書かれて、気分悪かったよな。悪い」
すり、と指を撫でると、はるかはきょとんとした表情を浮かべた。
「それは…全然考えてなかった…!」
「え」
「ペン渡したままだったのも忘れてたよー。なんせすごいスリルだったからね…!」
はるかにしては大胆過ぎる行動に度肝を抜かれたけれど、はるか自身も緊張していたらしい。
心配性な割に時々こういう突拍子もないことをしたがるのも、見てて飽きないポイントだった。
「変なネタ出回ってるから、怒ってるかと思った…」
「…え?なにそれ?」
──しまった。
キャンプ地へは今日来たと言っていたので、きっと朝から車を走らせていたはずで。
先ほどの騒動の後すぐにここに呼び出したので、SNSを眺める暇などなかったのだろう。
「フラれたと思われてるならまあいいけど、もう絶対変なこと言っちゃダメだからね!」
という、とてつもなく複雑なお説教をいただいてしまった。
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【球春】プロ野球シーズンの幕開け。キャンプやオープン戦(非公式の調整試合)の時期を含めて言う場合が多いです。
【キャンプ】オフシーズンに球団全体で行われる、合宿形式の練習。秋季と春季の二種類ありますが、だいたい春季の方を指します。一般にも公開されていて、選手にサインをもらえるチャンスもあります。
【支配下登録】一軍戦に出場できる選手として登録されること(育成契約の選手は一軍の試合に出ることができません)。
【ファンなんてそんなもの】そんなことはないです(一部そんな人もいますが…)。