[Theme 01]3年目編
14
駅ビルのガラス窓いっぱいに掲示されたビジュアルに、足が止まった。
ハリアーズが誇る選手たちの顔ぶれ、ど真ん中には貴文。
先輩たちの陰に隠れ気味だけど、瑛の姿もある。
彼らの傍らには、リーグ優勝へのマジックナンバーが記されていた。
──なんちゃらマジックとか、許さねえからな
高校最後の文化祭の日、寮の部屋で瑛に言われた言葉が、ふとよみがえる。
文化祭や体育祭、修学旅行などなど、イベント事の度につい浮足立って、なんとなく異性を気にしていた同級生たちの空気がひどく懐かしい。
一方ではるかは昔からピアノと、野球と、瑛のことばかりだったなと苦笑する。
──わたしが求めるマジックは優勝マジックだけだよ
あの時も自分はそう答えたんだっけ、そんなことを思い出しながら、スマートフォンのシャッターを押した。
『まあそうですけど、あまり意識せずにね。目の前の試合に勝つだけです』
また一つ減ったその数字について尋ねられると、監督はにこりともせずにそう答えたという。
これは痺れる、そして自分が恥ずかしい。
はるかはぶんぶんと頭を振って、ニュースアプリを閉じた。
間違っても瑛にその話題を出さなくて良かった。
そもそも今となっては、はるかから野球の話をすることはほとんどないのだけど。
──あの頃は、野球の話しかしてなかったのにな。
プロの選手となった彼を前にすると、なんとなくそれは躊躇われてしまうのだ。
もうそこは、自分が踏み込んでいい場所ではないような気がして。
そっとスマートフォンをバッグに戻すと、控えめなノックの音が聞こえた。
すぐに扉が開き、先ほどもはるかをここへ案内してくれたスタッフがお辞儀をする。
そしてその後ろから、すらりと背の高い女性が顔を出した。
「どうも、お待たせしてすいません」
ふんわりと波打つ、ミルクティー色の髪が揺れる。
「はじめまして…じゃ、ないか。篠原 真凛です。改めてよろしくお願いします」
ぱっちりとした印象的な目元は、高校時代、ストリートピアノのそばで出会った時の面影を感じさせた。
「こ、こんにちは…!」
咄嗟に立ち上がったはるかの足が、テーブルに激突する。
「アハハ!緊張しすぎですよ、もう」
大きく口を開けて笑うその表情は、ずいぶん幼く見えた。
「あ、あの…SPの方とかは…」
「え?いませんよ!私と月城さんの二人きりなんで、リラックスしてください」
店のスタッフはいつの間にか姿を消していて、個室の扉も閉ざされている。
真凛の言葉に反して、はるかの心拍数は駆け上がっていった。
「…だいたい、私が月城さんのファンなんですから。堂々としてください!」
「え、ええ…」
「はは。何飲みます?」
ひかりといい真凛といい、“本物”こそ気取らないというのは事実だったのか。
明らかに常人のそれとはかけ離れたオーラを放っているものの、さりげなくメニュー表をこちらに差し出す姿は、気さくなお姉さんといった感じだ。
「び、ビールなど…」
「じゃあ私も。あれ、ここスマホ注文になったんだ」
「わたし、やりますね…!」
真凛は実は神岡出身とのことで、仕事で訪れる機会も多いのだという。
この店はほぼ毎回訪れるほどの行きつけで、そんなところにご一緒していいのかとはるかは恐縮で仕方なかった。
はるかとはじめて出会う少し前にスカウトを受け、東峰でモデルの仕事をはじめたという。
ちなみにあの後一時期地下アイドルも経験したが、今はまたモデル業に専念している。
“若いうちにそういうのもやっておくか”という思いつきで身を投じた世界だったが、あまりにあっさりとセンターを獲ってしまい、早々に飽きたのだという。
「あ、ちなみにこれ内緒で。絶対叩かれる」
あっけらかんと言う様子も、驚きを通り越していっそ清々しい。
「月城さんは、アメリカに行かれてたんですよね?」
「えっ」
「ファンだって言ったじゃないですか。なんで戻ってこられたんですか?」
ぐ、と言葉に詰まる。
「…うーんと…もともと、タイミングが来たら恋人と一緒に暮らすって約束してたので…」
「そうなんですね」
しどろもどろな回答をあっさりと受け入れられて、拍子抜けしてしまった。
“タイミングって?”とか、“そんな理由で?”とか、突っ込みどころはいくらでもあっただろうに。
「何してる人なんですか?同じ音楽関係?」
突っ込まれなかった代わりに、またしても難しい質問が投げ込まれる。
なんとなく真凛相手なら、事実を言っても問題ないような気がしてきているが、本人の承諾もなしに打ち明けるのはやはり躊躇われた。
「…肉体労働の、個人事業主…?」
「ああ、野球選手ですか?」
「えええ!?」
思わず大声を上げたはるかに、真凛は腹を抱えて笑いはじめた。
「だって、そんなに言いにくそうにしてる時点で、普通の仕事じゃないでしょ!」
「確かに…」
「それに、ほら。そのスマホ」
かわいらしいネイルが施された指先が示す先、はるかがテーブルに伏せていたスマホを見る。
「ひい…!」
それは一見シンプルなクリアケースだが、片隅にそっと球団マスコットのイラストがあしらわれているのだ。
大学時代からこれなので、特に気にもしていなかった。
「気を付けます…」
「別にそれだけではなんにも思わないですけど。点と点がね」
「線になるわけですね…」
しおしおと肩を落としていると、真凛はまたけらけらと笑った。
「安心してください。絶対誰にも言いません」
「ありがとうございます…」
「で、誰なんですか?」
「えっ!?」
ぐ、と身を乗り出した真凛の瞳は、いたずらっぽく輝いている。
口止め料、ということだろうか。
「…ショートの…日坂選手です…」
「げっ!」
はるかが口を割るなり、真凛は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
一体何事かと、はるかも目を見張る。
「うわー…マジかー…」
「え…あの…もしかして瑛くんと、面識が…?」
「いや。そういうことじゃなくて…」
真凛は言葉を選ぶように視線を泳がせた後、またはるかを見た。
「エリって知ってます?モデルの」
「あ…」
その名前を聞くなり、今度ははるかもつい苦々しい表情になる。
真凛もまた、その様子に頭を抱えた。
「あーもう最悪ー!またやってんなーとしか思ってなかったけど…」
「篠原さん…?」
「あの人のせいで尊敬してる人が嫌な思いしてたなんて、最悪です」
きゅ、と寄せられた、形の良い眉。
ローズピンクの唇が告げた言葉に、はっとした。
「面識ないし、先輩なんでなんにもしてあげられないんですけど…いや、何とかできないかなー!?」
「…篠原さん、大丈夫ですよ」
「ええー?」
「勝手にあんなことしてるだけで、実害ないですし。というか試合観に来てる様子もないので…」
はるかのその言葉には、真凛もああ、と呆れたような声を漏らした。
「それにやっぱり…そういう人がいても動じないわたしになりたいなって、思います」
“女子高生インフルエンサー”の一件では、ただ“嫌だ”と瑛に泣き言を言うことしかできなかった。
そうしているうちに瑛と、瑛の周りの人たちが解決してくれた。
そして今回も自分は、ただ瑛の気持ちを確かめるようなことをして、安心しようとして。
ちゃんと会ったのはほとんど今日がはじめての真凛でさえ、“何かできないか”と頭を抱えてくれたというのに。
「強くなります。わたし。胸を張ってあの人の隣にいられるように」
はるかがそう言うと、真凛は少し驚いたように瞬きをして、微笑んだ。
「月城さん、男前だなあ」
「えっ?」
「ねえ、今度一緒に動画出てくれません?ていうか今更なんですけど、たぶん同い年ですよね?」
それからあれよあれよという内に真凛の動画チャンネルにお邪魔することが決まってしまい、ついでにお互いタメ口で話そうということになったので、恐縮すぎて眩暈がした。
駅ビルのガラス窓いっぱいに掲示されたビジュアルに、足が止まった。
ハリアーズが誇る選手たちの顔ぶれ、ど真ん中には貴文。
先輩たちの陰に隠れ気味だけど、瑛の姿もある。
彼らの傍らには、リーグ優勝へのマジックナンバーが記されていた。
──なんちゃらマジックとか、許さねえからな
高校最後の文化祭の日、寮の部屋で瑛に言われた言葉が、ふとよみがえる。
文化祭や体育祭、修学旅行などなど、イベント事の度につい浮足立って、なんとなく異性を気にしていた同級生たちの空気がひどく懐かしい。
一方ではるかは昔からピアノと、野球と、瑛のことばかりだったなと苦笑する。
──わたしが求めるマジックは優勝マジックだけだよ
あの時も自分はそう答えたんだっけ、そんなことを思い出しながら、スマートフォンのシャッターを押した。
『まあそうですけど、あまり意識せずにね。目の前の試合に勝つだけです』
また一つ減ったその数字について尋ねられると、監督はにこりともせずにそう答えたという。
これは痺れる、そして自分が恥ずかしい。
はるかはぶんぶんと頭を振って、ニュースアプリを閉じた。
間違っても瑛にその話題を出さなくて良かった。
そもそも今となっては、はるかから野球の話をすることはほとんどないのだけど。
──あの頃は、野球の話しかしてなかったのにな。
プロの選手となった彼を前にすると、なんとなくそれは躊躇われてしまうのだ。
もうそこは、自分が踏み込んでいい場所ではないような気がして。
そっとスマートフォンをバッグに戻すと、控えめなノックの音が聞こえた。
すぐに扉が開き、先ほどもはるかをここへ案内してくれたスタッフがお辞儀をする。
そしてその後ろから、すらりと背の高い女性が顔を出した。
「どうも、お待たせしてすいません」
ふんわりと波打つ、ミルクティー色の髪が揺れる。
「はじめまして…じゃ、ないか。篠原 真凛です。改めてよろしくお願いします」
ぱっちりとした印象的な目元は、高校時代、ストリートピアノのそばで出会った時の面影を感じさせた。
「こ、こんにちは…!」
咄嗟に立ち上がったはるかの足が、テーブルに激突する。
「アハハ!緊張しすぎですよ、もう」
大きく口を開けて笑うその表情は、ずいぶん幼く見えた。
「あ、あの…SPの方とかは…」
「え?いませんよ!私と月城さんの二人きりなんで、リラックスしてください」
店のスタッフはいつの間にか姿を消していて、個室の扉も閉ざされている。
真凛の言葉に反して、はるかの心拍数は駆け上がっていった。
「…だいたい、私が月城さんのファンなんですから。堂々としてください!」
「え、ええ…」
「はは。何飲みます?」
ひかりといい真凛といい、“本物”こそ気取らないというのは事実だったのか。
明らかに常人のそれとはかけ離れたオーラを放っているものの、さりげなくメニュー表をこちらに差し出す姿は、気さくなお姉さんといった感じだ。
「び、ビールなど…」
「じゃあ私も。あれ、ここスマホ注文になったんだ」
「わたし、やりますね…!」
真凛は実は神岡出身とのことで、仕事で訪れる機会も多いのだという。
この店はほぼ毎回訪れるほどの行きつけで、そんなところにご一緒していいのかとはるかは恐縮で仕方なかった。
はるかとはじめて出会う少し前にスカウトを受け、東峰でモデルの仕事をはじめたという。
ちなみにあの後一時期地下アイドルも経験したが、今はまたモデル業に専念している。
“若いうちにそういうのもやっておくか”という思いつきで身を投じた世界だったが、あまりにあっさりとセンターを獲ってしまい、早々に飽きたのだという。
「あ、ちなみにこれ内緒で。絶対叩かれる」
あっけらかんと言う様子も、驚きを通り越していっそ清々しい。
「月城さんは、アメリカに行かれてたんですよね?」
「えっ」
「ファンだって言ったじゃないですか。なんで戻ってこられたんですか?」
ぐ、と言葉に詰まる。
「…うーんと…もともと、タイミングが来たら恋人と一緒に暮らすって約束してたので…」
「そうなんですね」
しどろもどろな回答をあっさりと受け入れられて、拍子抜けしてしまった。
“タイミングって?”とか、“そんな理由で?”とか、突っ込みどころはいくらでもあっただろうに。
「何してる人なんですか?同じ音楽関係?」
突っ込まれなかった代わりに、またしても難しい質問が投げ込まれる。
なんとなく真凛相手なら、事実を言っても問題ないような気がしてきているが、本人の承諾もなしに打ち明けるのはやはり躊躇われた。
「…肉体労働の、個人事業主…?」
「ああ、野球選手ですか?」
「えええ!?」
思わず大声を上げたはるかに、真凛は腹を抱えて笑いはじめた。
「だって、そんなに言いにくそうにしてる時点で、普通の仕事じゃないでしょ!」
「確かに…」
「それに、ほら。そのスマホ」
かわいらしいネイルが施された指先が示す先、はるかがテーブルに伏せていたスマホを見る。
「ひい…!」
それは一見シンプルなクリアケースだが、片隅にそっと球団マスコットのイラストがあしらわれているのだ。
大学時代からこれなので、特に気にもしていなかった。
「気を付けます…」
「別にそれだけではなんにも思わないですけど。点と点がね」
「線になるわけですね…」
しおしおと肩を落としていると、真凛はまたけらけらと笑った。
「安心してください。絶対誰にも言いません」
「ありがとうございます…」
「で、誰なんですか?」
「えっ!?」
ぐ、と身を乗り出した真凛の瞳は、いたずらっぽく輝いている。
口止め料、ということだろうか。
「…ショートの…日坂選手です…」
「げっ!」
はるかが口を割るなり、真凛は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
一体何事かと、はるかも目を見張る。
「うわー…マジかー…」
「え…あの…もしかして瑛くんと、面識が…?」
「いや。そういうことじゃなくて…」
真凛は言葉を選ぶように視線を泳がせた後、またはるかを見た。
「エリって知ってます?モデルの」
「あ…」
その名前を聞くなり、今度ははるかもつい苦々しい表情になる。
真凛もまた、その様子に頭を抱えた。
「あーもう最悪ー!またやってんなーとしか思ってなかったけど…」
「篠原さん…?」
「あの人のせいで尊敬してる人が嫌な思いしてたなんて、最悪です」
きゅ、と寄せられた、形の良い眉。
ローズピンクの唇が告げた言葉に、はっとした。
「面識ないし、先輩なんでなんにもしてあげられないんですけど…いや、何とかできないかなー!?」
「…篠原さん、大丈夫ですよ」
「ええー?」
「勝手にあんなことしてるだけで、実害ないですし。というか試合観に来てる様子もないので…」
はるかのその言葉には、真凛もああ、と呆れたような声を漏らした。
「それにやっぱり…そういう人がいても動じないわたしになりたいなって、思います」
“女子高生インフルエンサー”の一件では、ただ“嫌だ”と瑛に泣き言を言うことしかできなかった。
そうしているうちに瑛と、瑛の周りの人たちが解決してくれた。
そして今回も自分は、ただ瑛の気持ちを確かめるようなことをして、安心しようとして。
ちゃんと会ったのはほとんど今日がはじめての真凛でさえ、“何かできないか”と頭を抱えてくれたというのに。
「強くなります。わたし。胸を張ってあの人の隣にいられるように」
はるかがそう言うと、真凛は少し驚いたように瞬きをして、微笑んだ。
「月城さん、男前だなあ」
「えっ?」
「ねえ、今度一緒に動画出てくれません?ていうか今更なんですけど、たぶん同い年ですよね?」
それからあれよあれよという内に真凛の動画チャンネルにお邪魔することが決まってしまい、ついでにお互いタメ口で話そうということになったので、恐縮すぎて眩暈がした。