[Theme 03]3年生編
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午後の授業中、はるかから返事が届いて驚いた。
教師不在の自習中なので、躊躇いなくポケットからスマートフォンを取り出す。
向こうでは日付が変わった頃だろうか、さては決勝のリアタイから完全に生活リズムが狂ったのではなかろうかと、こっそり笑みをこぼした。
“県大会終わってお疲れなのかな?”
“大学の人たちと出たライブ、友達が動画撮っててくれたからこんなのでよければ…”
そんなメッセージに続いて、再生画面が現れた。
街中の小さなステージに立つ5人組。
トランペットとサックス、ウッドベースにドラムス、そしてキーボードの前には、はるか。
衝動的にイヤホンをつけて、再生ボタンを押した。
トランペットの男がはるかに目配せをすると、軽やかな音色がはじまりを告げた。
晴天に映える、トランペットの爽やかな音色と、少し複雑なドラムス。
そこに花を添えるようにさりげなく、はるかのピアノが跳ねた。
サックスも加わり、メロディにより厚みが増す。
穏やかなウッドベースも相まって、彼らの演奏にはどこかやわらかい空気が漂っていた。
ところがトランペットのアドリブを皮切りに、少しずつ空気が変わる。
よくよく聴くと同じ曲の中で、所々リズムが切り替わっている気がした。
一転してエネルギッシュなトランペットの音色に寄り添って、じゃれ合うようなピアノの音。
動画を撮っている“友達”とやらもノッているのか、画面が揺れはじめた。
アドリブのバトンが、サックスに渡る。
はるかに腕を回していたその姿が嫌でも思い出されて、無意識に顔が強張った。
その音色は嫌味なほどに艶やかで、またしても空気が塗り替えられていく。
男の視線は執拗にはるかに絡み付き、はるかもまた視線を返していた。
その視線の、冷たさにぞくりとする。
実際は“冷たい”というほどでもなく、若干呆れているだけだったのだけど。
はるかからは専ら穏やかで、あたたかな視線を一心に向けられる瑛にとってそれは、まるで見たことのないもので。
はるかにしては控えめに感じられていたピアノが、だんだんとサックスに噛み付くように主張をはじめる。
そんなやり取りを、ただ画面越しに見ていることしかできない状況に、腹の底がぐつぐつと煮え滾るような感覚をおぼえた。
聴衆のボルテージも上がっていく中、ふとサックスの音が消えた。
せり上がった勢いをそのままに、はるかのピアノが踊り出す。
どこか悩まし気にも見える表情とは裏腹に、その指先は水を得た魚のように爛々と鍵盤を駆け巡った。
それはどこか、幼い頃を彷彿とさせるような音色と、姿。
違う顔を見せたり昔に戻ったり忙しいな、そう思いながら、耳も目も釘付けだった。
拍手に包まれながら演奏はテーマへ戻り、はじめよりもずいぶん賑やかにそれぞれの音が重なる。
一曲の間にいろいろな感情が次々と沸き起こっていたのに、音が止むとそのすべてがあっという間だったように感じた。
いろんな意味で、衝撃のシーンの連続。
一貫して思ったのは、とにかく“メンバー全員が楽しそう”ということだった。
単純すぎて小学生の感想のようだけど、彼らがまだ瑛とさほど変わらないような歳の学生たちであることを踏まえると、それだけでも感心してしまう。
まして、演奏中にも徐々に増えていた観客たちが大きな拍手で彼らを見送るのを見ていると。
音楽の世界をよく知らない瑛からすれば、既にプロのミュージシャンと何ら変わりないのではないかと思えた。
野球のようにリーグがある訳でもないから、そもそも一体何をもって“プロ”とするのかは分からないけれど。
不意打ちでとんでもないものを見せられたものだなと思いながら、イヤホンを外した。
“めちゃくちゃカッコいい。早く生で聴きたい”
なんとも月並みなメッセージしか返せないことがもどかしい。
渚に見せて何と言うか聞いてみようか、そう思いかけてすぐにやめる。
きっともうすぐにでも、はるかのピアノが日本でも知れ渡ってしまいそうな気がしたから。
画面に浮かび上がった文字に、自然と胸が高鳴った。
よく考えなくても瑛は授業中のはずで、今こうして返事が来ているということは、授業中に動画を観たということで。
送った自分まで罪悪感のようなものを感じたけれど、今はそれよりも。
──見なよ、みんなのあの顔。この歓声。やめられないでしょ?
あのライブの後、圭がそんなことを耳打ちしてきた。
一度ステージに上がり、スポットライトを浴びるという経験をした者は皆、その感覚に病みつきになる。
それはミュージシャンに限らず、役者やアイドル──ステージに立つ表現者ならば誰しも。
いつかそんな話を聞いたことがあった。
拍手や歓声を受けることで脳内に快楽物質が分泌されるという、科学的なメカニズムも存在するとか何とか。
はるかにもなんとなく、その感覚は分かる気がする。
──だけど、あくまで“なんとなく”だ。
他の何人の観客よりも、たった一人──瑛に求められたい。
瑛がこのピアノを欲してくれることこそが、一番の幸福だと、たった今理解した。
そうか。だからわたしは──
深く息を吐いて、瞼を閉じた。
その日はずいぶん久しぶりに、よく眠れた気がした。
午後の授業中、はるかから返事が届いて驚いた。
教師不在の自習中なので、躊躇いなくポケットからスマートフォンを取り出す。
向こうでは日付が変わった頃だろうか、さては決勝のリアタイから完全に生活リズムが狂ったのではなかろうかと、こっそり笑みをこぼした。
“県大会終わってお疲れなのかな?”
“大学の人たちと出たライブ、友達が動画撮っててくれたからこんなのでよければ…”
そんなメッセージに続いて、再生画面が現れた。
街中の小さなステージに立つ5人組。
トランペットとサックス、ウッドベースにドラムス、そしてキーボードの前には、はるか。
衝動的にイヤホンをつけて、再生ボタンを押した。
トランペットの男がはるかに目配せをすると、軽やかな音色がはじまりを告げた。
晴天に映える、トランペットの爽やかな音色と、少し複雑なドラムス。
そこに花を添えるようにさりげなく、はるかのピアノが跳ねた。
サックスも加わり、メロディにより厚みが増す。
穏やかなウッドベースも相まって、彼らの演奏にはどこかやわらかい空気が漂っていた。
ところがトランペットのアドリブを皮切りに、少しずつ空気が変わる。
よくよく聴くと同じ曲の中で、所々リズムが切り替わっている気がした。
一転してエネルギッシュなトランペットの音色に寄り添って、じゃれ合うようなピアノの音。
動画を撮っている“友達”とやらもノッているのか、画面が揺れはじめた。
アドリブのバトンが、サックスに渡る。
はるかに腕を回していたその姿が嫌でも思い出されて、無意識に顔が強張った。
その音色は嫌味なほどに艶やかで、またしても空気が塗り替えられていく。
男の視線は執拗にはるかに絡み付き、はるかもまた視線を返していた。
その視線の、冷たさにぞくりとする。
実際は“冷たい”というほどでもなく、若干呆れているだけだったのだけど。
はるかからは専ら穏やかで、あたたかな視線を一心に向けられる瑛にとってそれは、まるで見たことのないもので。
はるかにしては控えめに感じられていたピアノが、だんだんとサックスに噛み付くように主張をはじめる。
そんなやり取りを、ただ画面越しに見ていることしかできない状況に、腹の底がぐつぐつと煮え滾るような感覚をおぼえた。
聴衆のボルテージも上がっていく中、ふとサックスの音が消えた。
せり上がった勢いをそのままに、はるかのピアノが踊り出す。
どこか悩まし気にも見える表情とは裏腹に、その指先は水を得た魚のように爛々と鍵盤を駆け巡った。
それはどこか、幼い頃を彷彿とさせるような音色と、姿。
違う顔を見せたり昔に戻ったり忙しいな、そう思いながら、耳も目も釘付けだった。
拍手に包まれながら演奏はテーマへ戻り、はじめよりもずいぶん賑やかにそれぞれの音が重なる。
一曲の間にいろいろな感情が次々と沸き起こっていたのに、音が止むとそのすべてがあっという間だったように感じた。
いろんな意味で、衝撃のシーンの連続。
一貫して思ったのは、とにかく“メンバー全員が楽しそう”ということだった。
単純すぎて小学生の感想のようだけど、彼らがまだ瑛とさほど変わらないような歳の学生たちであることを踏まえると、それだけでも感心してしまう。
まして、演奏中にも徐々に増えていた観客たちが大きな拍手で彼らを見送るのを見ていると。
音楽の世界をよく知らない瑛からすれば、既にプロのミュージシャンと何ら変わりないのではないかと思えた。
野球のようにリーグがある訳でもないから、そもそも一体何をもって“プロ”とするのかは分からないけれど。
不意打ちでとんでもないものを見せられたものだなと思いながら、イヤホンを外した。
“めちゃくちゃカッコいい。早く生で聴きたい”
なんとも月並みなメッセージしか返せないことがもどかしい。
渚に見せて何と言うか聞いてみようか、そう思いかけてすぐにやめる。
きっともうすぐにでも、はるかのピアノが日本でも知れ渡ってしまいそうな気がしたから。
画面に浮かび上がった文字に、自然と胸が高鳴った。
よく考えなくても瑛は授業中のはずで、今こうして返事が来ているということは、授業中に動画を観たということで。
送った自分まで罪悪感のようなものを感じたけれど、今はそれよりも。
──見なよ、みんなのあの顔。この歓声。やめられないでしょ?
あのライブの後、圭がそんなことを耳打ちしてきた。
一度ステージに上がり、スポットライトを浴びるという経験をした者は皆、その感覚に病みつきになる。
それはミュージシャンに限らず、役者やアイドル──ステージに立つ表現者ならば誰しも。
いつかそんな話を聞いたことがあった。
拍手や歓声を受けることで脳内に快楽物質が分泌されるという、科学的なメカニズムも存在するとか何とか。
はるかにもなんとなく、その感覚は分かる気がする。
──だけど、あくまで“なんとなく”だ。
他の何人の観客よりも、たった一人──瑛に求められたい。
瑛がこのピアノを欲してくれることこそが、一番の幸福だと、たった今理解した。
そうか。だからわたしは──
深く息を吐いて、瞼を閉じた。
その日はずいぶん久しぶりに、よく眠れた気がした。
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■ライブの曲
On Green Dolphin Street/Bronisław Kaper