[Theme 03]3年生編
86
「おい…しっかりクリーンナップで片付けてくれよ…」
ネクストで立ち上がる涼は、勘弁してくれとでも言いたげに冷や汗を浮かべている。
視線の先、二塁の瑛の眼差しが、陽炎に揺れていた。
──さあ、そろそろ男になってもらおうか。
ちらりと監督を見遣る。
監督もまた、瑛を見ていた。
その手が示すサインを受け取った後、打席に視線を移した。
苦虫を嚙み潰したような顔に思わず苦笑したのは一瞬、すぐに高峰バッテリーの様子に全神経を研ぎ澄ませる。
彼らの意識が打者との勝負に集中したのを、空気で感じとった瞬間、駆け出した。
スタンドのどよめきを他所に、土埃の中で身体を起こす。
もう一度、打席の男に視線を投げかけた。
「瑛が走った…!」
「あいつ、祥太に見せ場とられてムキになってんのか?」
「足の割に盗塁のイメージねえけど…なんかあいつのプレッシャーすごいな」
「プレッシャーかけんならもっと早く…」
ベンチにも動揺が漂う中、直哉はそっと呟いた。
「たぶん、あれは相手にっていうより…」
敵わないな、と素直に思った。
今のチームになってからは特に、頭一つも二つも抜けた実力を持っている瑛が主将に選ばれなかったことを、チームメイトの誰もが“そりゃそうだ”とか“どう考えても器じゃない”なんて言うけれど。
肝心な戦いの場において、そのプレーでチームを引っ張る彼こそが真のリーダーだと、直哉はいつだって感じていた。
自らに盾突く存在を4番打者に仕立て上げ、大一番の打席に立つ者に腹を括らせ。
リーダーというよりはむしろ、“黒幕”と言った方が彼には似合うかもしれない。
甲高い音が上がる。
飛距離は十分、コースも悪くない。
一振りですべてを持っていった昨年は未だに出来過ぎだったと思うけれど、“黒幕”自身が逆転のランナーになるというのも、なかなか憎い展開だなと思った。
8回の裏、正也には代打が送られた。
正也のバカ正直さを活かす方針か、はたまた拓真自身の性格か、どんな場面でも常に攻めの姿勢を貫くリードが拓真の特徴だった。
打者の心理を読み解き、揺さぶりもかけながら緻密に組み立てていくのが涼のリード。
戦略の特性上、どうしても球数が増える──はじめは単に打ち込まれすぎて球数が膨れ上がっていたのだが──。
最終回は2年生ピッチャーに任せることとなった。
“せめて最後に俺にも見せ場を!”と騒いでいたが、彼にはこの先も活躍してもらう必要があるのだ。
打席で変に無茶をされても困る。
本塁打に相次いで逆転打を喰らったところで、高峰の“秘密兵器”はマウンドを降りた。
三番手となるピッチャーは多彩な球種を操り、エラーが絡んだ出塁もあったもののこの回を0に抑えた。
彼もまた2年生であり、この投手層の厚さは後輩たちにとってさらなる脅威となるだろう。
「よっしゃ、頼んだぞ!俺の気合も持っていけ!」
「正也先輩、痛いです」
「涼のヤローは頼りないけどな、ウダウダ言いながらやる時はやる男だからな!さっきみたいに!」
「はあ…」
「うるっせえなこのバカ!そこで黙って見てろ!」
大騒ぎでバッテリーを送り出してもなお、正也はフェンスから身を乗り出していた。
「…行きたかったか、最後まで」
去り際に瑛が尋ねると、正也は一瞬、呆れたような顔をした。
「当たり前だろ!でも…これからだからな!」
悔しさを一ミリも隠せていない顔で笑って、思い切り背中を叩かれた。
「いって、本気かよ!さっきもこれだったのか?信じらんねえ!」
「んなわけねーだろ!お前みたいに畜生じゃねえんだよ!」
「瑛先輩、いつまで遊んでるんですか。行きますよ」
冬真にさえ呆れられ、スタンドからも笑い声が上がった。
──まったく、何から何まで決まんねえな、今年は。
それはきっとそこに彼女がいないせいだと、理不尽に結論付けることにした。
クローザーとしてマウンドに上げられるだけあって、彼は正也よりよっぽど立ち上がりが安定している。
入学当初から、先輩である正也の暑苦しい絡みを適当にあしらっていたというのだから、精神力もそこそこだろう。
──それでも、誰しも普段通りでいられるわけがないのが、この場所だ。
ツーアウトまで来たところで、4番の痛烈な当たり。
点差はわずか1点、ここを抜かせるわけにはいかない。
突き進む白球にバックハンドで喰らい付き、空中で身を翻した。
視線がぶつかる。
この球を、一塁で待つ祥太のミットへ──
はち切れそうな鼓動が、耳元で響く。
組んだ手にこれ以上ないほどの力がこもり、きりきりと痛いくらいだ。
けれどその痛みすら感じないほどに、意識が、身体中の神経が、その画面の向こうへと研ぎ澄まされている。
塁審の手が、拳を結んだ。
一塁ベースへと頭から飛び込んだまま、動けなくなった高峰の主砲。
そして鷺嶋の球児たちが、一斉に駆け出していった。
歓喜の輪の中心に、瑛がいる。
チームメイトたちにもみくちゃにされながら戸惑い気味に、だけど笑っていた。
その姿を画面越しに見ていることが、ふいにどうしようもなく──悲しくなった。
「おい…しっかりクリーンナップで片付けてくれよ…」
ネクストで立ち上がる涼は、勘弁してくれとでも言いたげに冷や汗を浮かべている。
視線の先、二塁の瑛の眼差しが、陽炎に揺れていた。
──さあ、そろそろ男になってもらおうか。
ちらりと監督を見遣る。
監督もまた、瑛を見ていた。
その手が示すサインを受け取った後、打席に視線を移した。
苦虫を嚙み潰したような顔に思わず苦笑したのは一瞬、すぐに高峰バッテリーの様子に全神経を研ぎ澄ませる。
彼らの意識が打者との勝負に集中したのを、空気で感じとった瞬間、駆け出した。
スタンドのどよめきを他所に、土埃の中で身体を起こす。
もう一度、打席の男に視線を投げかけた。
「瑛が走った…!」
「あいつ、祥太に見せ場とられてムキになってんのか?」
「足の割に盗塁のイメージねえけど…なんかあいつのプレッシャーすごいな」
「プレッシャーかけんならもっと早く…」
ベンチにも動揺が漂う中、直哉はそっと呟いた。
「たぶん、あれは相手にっていうより…」
敵わないな、と素直に思った。
今のチームになってからは特に、頭一つも二つも抜けた実力を持っている瑛が主将に選ばれなかったことを、チームメイトの誰もが“そりゃそうだ”とか“どう考えても器じゃない”なんて言うけれど。
肝心な戦いの場において、そのプレーでチームを引っ張る彼こそが真のリーダーだと、直哉はいつだって感じていた。
自らに盾突く存在を4番打者に仕立て上げ、大一番の打席に立つ者に腹を括らせ。
リーダーというよりはむしろ、“黒幕”と言った方が彼には似合うかもしれない。
甲高い音が上がる。
飛距離は十分、コースも悪くない。
一振りですべてを持っていった昨年は未だに出来過ぎだったと思うけれど、“黒幕”自身が逆転のランナーになるというのも、なかなか憎い展開だなと思った。
8回の裏、正也には代打が送られた。
正也のバカ正直さを活かす方針か、はたまた拓真自身の性格か、どんな場面でも常に攻めの姿勢を貫くリードが拓真の特徴だった。
打者の心理を読み解き、揺さぶりもかけながら緻密に組み立てていくのが涼のリード。
戦略の特性上、どうしても球数が増える──はじめは単に打ち込まれすぎて球数が膨れ上がっていたのだが──。
最終回は2年生ピッチャーに任せることとなった。
“せめて最後に俺にも見せ場を!”と騒いでいたが、彼にはこの先も活躍してもらう必要があるのだ。
打席で変に無茶をされても困る。
本塁打に相次いで逆転打を喰らったところで、高峰の“秘密兵器”はマウンドを降りた。
三番手となるピッチャーは多彩な球種を操り、エラーが絡んだ出塁もあったもののこの回を0に抑えた。
彼もまた2年生であり、この投手層の厚さは後輩たちにとってさらなる脅威となるだろう。
「よっしゃ、頼んだぞ!俺の気合も持っていけ!」
「正也先輩、痛いです」
「涼のヤローは頼りないけどな、ウダウダ言いながらやる時はやる男だからな!さっきみたいに!」
「はあ…」
「うるっせえなこのバカ!そこで黙って見てろ!」
大騒ぎでバッテリーを送り出してもなお、正也はフェンスから身を乗り出していた。
「…行きたかったか、最後まで」
去り際に瑛が尋ねると、正也は一瞬、呆れたような顔をした。
「当たり前だろ!でも…これからだからな!」
悔しさを一ミリも隠せていない顔で笑って、思い切り背中を叩かれた。
「いって、本気かよ!さっきもこれだったのか?信じらんねえ!」
「んなわけねーだろ!お前みたいに畜生じゃねえんだよ!」
「瑛先輩、いつまで遊んでるんですか。行きますよ」
冬真にさえ呆れられ、スタンドからも笑い声が上がった。
──まったく、何から何まで決まんねえな、今年は。
それはきっとそこに彼女がいないせいだと、理不尽に結論付けることにした。
クローザーとしてマウンドに上げられるだけあって、彼は正也よりよっぽど立ち上がりが安定している。
入学当初から、先輩である正也の暑苦しい絡みを適当にあしらっていたというのだから、精神力もそこそこだろう。
──それでも、誰しも普段通りでいられるわけがないのが、この場所だ。
ツーアウトまで来たところで、4番の痛烈な当たり。
点差はわずか1点、ここを抜かせるわけにはいかない。
突き進む白球にバックハンドで喰らい付き、空中で身を翻した。
視線がぶつかる。
この球を、一塁で待つ祥太のミットへ──
はち切れそうな鼓動が、耳元で響く。
組んだ手にこれ以上ないほどの力がこもり、きりきりと痛いくらいだ。
けれどその痛みすら感じないほどに、意識が、身体中の神経が、その画面の向こうへと研ぎ澄まされている。
塁審の手が、拳を結んだ。
一塁ベースへと頭から飛び込んだまま、動けなくなった高峰の主砲。
そして鷺嶋の球児たちが、一斉に駆け出していった。
歓喜の輪の中心に、瑛がいる。
チームメイトたちにもみくちゃにされながら戸惑い気味に、だけど笑っていた。
その姿を画面越しに見ていることが、ふいにどうしようもなく──悲しくなった。
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【クローザー】チームがリードしている状態で、最終イニングを投げる投手。そのイニングを抑えた時点で勝ちが確定する(=試合が終わる)というわけです。
【バックハンド】打球を体の正面で捕らえる通常の捕球に対し、反対方向にグラブを伸ばして逆手で捕球すること。「逆シングル」。通常の捕球体勢より素早く送球に移れたり、イレギュラーなバウンドに強かったりします。