[Theme 03]3年生編
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ぐっと屈めた大きな身体を、瞬時に伸ばして打球を掴む。
その姿はトラとかヒョウとか、サバンナの猛獣が狩りをする姿を彷彿とさせた。
思わず唸るような守備はかなりの魅力だけど、あの体格では足腰への負担もかなり大きいだろう。
打席に入れば鋭いスイングで長打を放ち、時には一発もある。
投高打低に傾いた昨今の球界情勢を鑑みれば、レフトや一塁で打撃に専念した方が将来性があるのではないかと思っていた。
そんな、シニア時代に目にした瑛の印象をひょんなきっかけで口にした時、意外な人物がそれに応えた。
「…最初は、レフトだったよ」
冬真には抱え込むのがやっとという重さのダンベルを、軽々と持ち上げながらにして、祥太の声はどこかか細いものだった。
「打撃は最初から頭一つ抜けてたけど、守備はビビるくらい下手くそだった」
「へー、マジか」
隣でスクワットをしている涼も、両手にダンベルをぶら下げている。
「あの人が、“下手くそ”…」
まるで糸でも引いているかのように白球がグラブに収まっていく様を見ていると、とても信じられない話だった。
「けど、何年生の時だったか…急に人が変わったみたいになって、ポジションも変えたいって」
「え…?」
「“一番忙しいところがいい”って言ってた。監督も大概適当だったから“はい、そうですか”って」
ペットボトルのキャップが転がる。
そこへ手を伸ばすのも忘れて、祥太の横顔を見上げた。
「はあ?一番忙しいのはキャッチャーだろ!」
「頭は使いたくなかったんじゃねえの?」
「ショートだって相当IQいるだろ」
「そんな理由で…?なんで急に…」
やっとの思いでキャップを拾い上げる。
涼はまだぶつぶつと何かを呟いていた。
「さあな」
祥太の声は、ひどく冷たいようでいて、少し震えているようにも感じた。
──ふと、気付いてしまった。
この春から同室になった瑛と祥太の間にあまり会話がないこと、あるとすれば祥太が瑛に嫌味のようなセリフを吐き捨てることくらいだった、その理由。
もっとも冬真にとっては“一つの可能性”程度の認識だったが、ダンベルを置いて黙り込んだ涼は既に、確信に近い感覚をおぼえているように見えた。
「…理由は何であれ、選手としてあの場所に立てるのは、戦力になるやつだけだ」
二人の胸中とは裏腹に、祥太は淡々と続けた。
ほとんど独り言のように。
「“そんな理由”ではじき出される程度の価値しか、俺にはなかったんだよ──あの頃はな」
軽やかな音とともに、打球が転がる。
粘りに粘った末にフォアボールをもぎ取っていた冬真が、二塁に進む。
仕事をこなしベンチに戻る仲間と拳を合わせ、打席へと歩き出した。
ネクストの瑛の表情は読めない。
──“読めない”、というのも、妙な話かもしれない。
かつての彼は、もはやそんなものは持ち合わせていないように見えていたのだから。
鷺嶋高校で瑛と再会した時は、悪い夢でも見ているようだった。
きっと関東の強豪校にでも行くのだろうと思っていたから。
訳の分からない理由でポジションを奪われ、戸惑っている間にレギュラーにすら入れなくなり、チームを去った。
中学では学校の野球部に入った。そこでも、鳴かず飛ばずの日々だった。
それでも、野球をやめる選択肢は浮かばなかった。
今の自分でも手が届く範囲で野球を続けられる場所を、当たり前に選んでいた。
心の中では──きっと、いつか。そんな思いがあったから。
日坂 瑛という男は、そんなわずかな希望すらも打ち砕くために現れたような存在だった。
祥太に限らず、1年生のほとんどが、スタンドで見ていることしかできなかったはじめての夏。
一言で言うと、かなり“惜しい”試合だった。
前評判から想定していたよりは、はるかに個々のポテンシャルは高いように見えた。
しかし“あと一本”が出ない打線だったり、投手の勢いはあるものの制球に難のある投球だったり、何かと空回りしている印象があった。
そんな中、異彩を放っていたのはほかでもない、代打で途中出場した瑛だった。
3年生を中心に、どうしても気持ちが入りすぎているチームの空気の中で、彼だけはひどく“静か”だった。
ただ、飛んできた打球を処理する。
ただ、投げ込まれた球を打ち返す。
それだけを淡々と繰り返しているような。
圧倒的だった相手校の強力打線よりも、祥太の目にはただ、彼の姿が強く焼き付いた。
訳の分からない理由で奪ったポジションだとも、上級生たちを押し退けて立った打席だとも思えない。
まるでその場所は、はじめから彼のためにあったとでもいえるような。
そこで戦うことが、彼にとって最も自然なことのような。そんな姿だった。
けれども一番腹が立ったのは、彼が誰よりも“強欲”なことだった。
上級生を含めた部員の誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまでバットを振る。
誰よりも長くノックを受けたがる。
誰もが息を呑む一本を叩き出しても、少しも納得のいかない顔を浮かべる。
そしてまた、一人バットを振る。
失った何かを、必死で求め足掻くかのように。
──お前にそんなことされたんじゃ、一生追いつけないじゃねえか。
そうか、いつまでもしがみつこうとする自分に、もうきれいさっぱり諦めろと伝えるために。
そのために、運命は俺をこいつに引き合わせたのか。
ようやく自分はその運命を受け入れた。
なのに、なぜ。
──俺は、お前に打ってもらわねえと困るんだよ
理不尽にすべてを奪っておいて、今更。
──悪い、祥太…頼む
ふざけるな。
俺はもう、受け入れたんだ。
これ以上振り回すな。
これ以上、お前の人生の“被害者”になるつもりはない。
踏み出したスパイクが土を掴む。
唸りを上げる剛速球が、止まって見えた。
ミートの衝撃も、打球音も、沸き上がる歓声も、すべてがここではないどこかの出来事のようだった。
「覚醒の、同点ツーラン…!」
ボストンの夜は深まり、普段のはるかならばそろそろベッドに入るような時間。
だけどこんな試合を前に、眠れるわけがない。
ダイヤモンドを駆ける祥太の姿と、打席に向かう瑛の姿と。
その熱気すら画面越しに伝わってくるかのようで、薄っすらと汗が滲んだ。
ぐっと屈めた大きな身体を、瞬時に伸ばして打球を掴む。
その姿はトラとかヒョウとか、サバンナの猛獣が狩りをする姿を彷彿とさせた。
思わず唸るような守備はかなりの魅力だけど、あの体格では足腰への負担もかなり大きいだろう。
打席に入れば鋭いスイングで長打を放ち、時には一発もある。
投高打低に傾いた昨今の球界情勢を鑑みれば、レフトや一塁で打撃に専念した方が将来性があるのではないかと思っていた。
そんな、シニア時代に目にした瑛の印象をひょんなきっかけで口にした時、意外な人物がそれに応えた。
「…最初は、レフトだったよ」
冬真には抱え込むのがやっとという重さのダンベルを、軽々と持ち上げながらにして、祥太の声はどこかか細いものだった。
「打撃は最初から頭一つ抜けてたけど、守備はビビるくらい下手くそだった」
「へー、マジか」
隣でスクワットをしている涼も、両手にダンベルをぶら下げている。
「あの人が、“下手くそ”…」
まるで糸でも引いているかのように白球がグラブに収まっていく様を見ていると、とても信じられない話だった。
「けど、何年生の時だったか…急に人が変わったみたいになって、ポジションも変えたいって」
「え…?」
「“一番忙しいところがいい”って言ってた。監督も大概適当だったから“はい、そうですか”って」
ペットボトルのキャップが転がる。
そこへ手を伸ばすのも忘れて、祥太の横顔を見上げた。
「はあ?一番忙しいのはキャッチャーだろ!」
「頭は使いたくなかったんじゃねえの?」
「ショートだって相当IQいるだろ」
「そんな理由で…?なんで急に…」
やっとの思いでキャップを拾い上げる。
涼はまだぶつぶつと何かを呟いていた。
「さあな」
祥太の声は、ひどく冷たいようでいて、少し震えているようにも感じた。
──ふと、気付いてしまった。
この春から同室になった瑛と祥太の間にあまり会話がないこと、あるとすれば祥太が瑛に嫌味のようなセリフを吐き捨てることくらいだった、その理由。
もっとも冬真にとっては“一つの可能性”程度の認識だったが、ダンベルを置いて黙り込んだ涼は既に、確信に近い感覚をおぼえているように見えた。
「…理由は何であれ、選手としてあの場所に立てるのは、戦力になるやつだけだ」
二人の胸中とは裏腹に、祥太は淡々と続けた。
ほとんど独り言のように。
「“そんな理由”ではじき出される程度の価値しか、俺にはなかったんだよ──あの頃はな」
軽やかな音とともに、打球が転がる。
粘りに粘った末にフォアボールをもぎ取っていた冬真が、二塁に進む。
仕事をこなしベンチに戻る仲間と拳を合わせ、打席へと歩き出した。
ネクストの瑛の表情は読めない。
──“読めない”、というのも、妙な話かもしれない。
かつての彼は、もはやそんなものは持ち合わせていないように見えていたのだから。
鷺嶋高校で瑛と再会した時は、悪い夢でも見ているようだった。
きっと関東の強豪校にでも行くのだろうと思っていたから。
訳の分からない理由でポジションを奪われ、戸惑っている間にレギュラーにすら入れなくなり、チームを去った。
中学では学校の野球部に入った。そこでも、鳴かず飛ばずの日々だった。
それでも、野球をやめる選択肢は浮かばなかった。
今の自分でも手が届く範囲で野球を続けられる場所を、当たり前に選んでいた。
心の中では──きっと、いつか。そんな思いがあったから。
日坂 瑛という男は、そんなわずかな希望すらも打ち砕くために現れたような存在だった。
祥太に限らず、1年生のほとんどが、スタンドで見ていることしかできなかったはじめての夏。
一言で言うと、かなり“惜しい”試合だった。
前評判から想定していたよりは、はるかに個々のポテンシャルは高いように見えた。
しかし“あと一本”が出ない打線だったり、投手の勢いはあるものの制球に難のある投球だったり、何かと空回りしている印象があった。
そんな中、異彩を放っていたのはほかでもない、代打で途中出場した瑛だった。
3年生を中心に、どうしても気持ちが入りすぎているチームの空気の中で、彼だけはひどく“静か”だった。
ただ、飛んできた打球を処理する。
ただ、投げ込まれた球を打ち返す。
それだけを淡々と繰り返しているような。
圧倒的だった相手校の強力打線よりも、祥太の目にはただ、彼の姿が強く焼き付いた。
訳の分からない理由で奪ったポジションだとも、上級生たちを押し退けて立った打席だとも思えない。
まるでその場所は、はじめから彼のためにあったとでもいえるような。
そこで戦うことが、彼にとって最も自然なことのような。そんな姿だった。
けれども一番腹が立ったのは、彼が誰よりも“強欲”なことだった。
上級生を含めた部員の誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまでバットを振る。
誰よりも長くノックを受けたがる。
誰もが息を呑む一本を叩き出しても、少しも納得のいかない顔を浮かべる。
そしてまた、一人バットを振る。
失った何かを、必死で求め足掻くかのように。
──お前にそんなことされたんじゃ、一生追いつけないじゃねえか。
そうか、いつまでもしがみつこうとする自分に、もうきれいさっぱり諦めろと伝えるために。
そのために、運命は俺をこいつに引き合わせたのか。
ようやく自分はその運命を受け入れた。
なのに、なぜ。
──俺は、お前に打ってもらわねえと困るんだよ
理不尽にすべてを奪っておいて、今更。
──悪い、祥太…頼む
ふざけるな。
俺はもう、受け入れたんだ。
これ以上振り回すな。
これ以上、お前の人生の“被害者”になるつもりはない。
踏み出したスパイクが土を掴む。
唸りを上げる剛速球が、止まって見えた。
ミートの衝撃も、打球音も、沸き上がる歓声も、すべてがここではないどこかの出来事のようだった。
「覚醒の、同点ツーラン…!」
ボストンの夜は深まり、普段のはるかならばそろそろベッドに入るような時間。
だけどこんな試合を前に、眠れるわけがない。
ダイヤモンドを駆ける祥太の姿と、打席に向かう瑛の姿と。
その熱気すら画面越しに伝わってくるかのようで、薄っすらと汗が滲んだ。
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【投高打低】投手の能力が高く、打者の能力が低い(=打てない)状況。近年は球界全体がこの傾向にあります。
【ダイヤモンド】ホームベースから一塁、二塁、三塁を結んだ正方形のこと。