[Theme 03]3年生編
79
「ちょっといい?」
午前中の授業が終わるなり声をかけると、鈴井はずいぶん嬉しそうな笑顔でそれに応じた。
声をかけたのは瑛だが、気が付いたら鈴井の先導で渡り廊下に辿り着いていた。
そこそこ人目に付くこの場所で二人でいるのは躊躇われたが、手短に済ませたかったのでそのままそこで口を開いた。
「なんか、ネットニュースのヤツなんだけど…」
「あー、あれね。私も見たわ」
あっけらかんと言う鈴井。
「なんかごめんね、まさかあんなふうに書かれちゃうなんて。私としては勝手に応援してるだけのつもりなんだけどさ」
「…」
「そんなに拡散されてないみたいだから、思ったよりみんなには見られてないっぽいけど…でもやっぱり何人かに言われちゃった。日坂君は大丈夫?」
「…あの、悪いんだけどもうSNSに俺のこと書くのやめてくれない?」
さっそく本題に入ると、いつもは気の強そうな鈴井の瞳が小さく揺れた。
瑛は構わず続ける。
「彼女も良い気しないと思うし。また変な取り上げ方されたりしたら困るし、もうやめて欲しい」
「…ただ応援してるだけなのに、ダメなの…?」
絞り出したようなその声は、震えていた。
「別に、SNSに書く必要ねえだろ」
「私…記事見たなら知ってると思うけど、結構影響力あるアカウントだから。日坂君のこといろんな人に知ってもらえるかなって、思って…」
「は?」
「それに…ドラフトもさ、いろいろエピソードがあった方が話題になりやすいでしょ?日坂君ほどの人ならそんなのいらないかもしれないけど、私なりに何か力になれないかなって…」
健気に瑛のことを思う一心だというように並べられた言葉に、腹の底から嫌悪感が溢れた。
「それに、あんな書かれ方しちゃったのは彼女さんにも申し訳ないけど…でも、応援してくれてる人がいるっていうのを、悪く思うような人なら…日坂君にはふさわしくないと思う」
どろどろと溶岩のように流れていた憤りが、一瞬で凍り付く。
「私なら、こんな大事な大会中にそばを離れたりしない。ちゃんとずっと近くで応援するし、他の人が応援してたって何も思わないよ。プロに行ってからも、このアカウントがあればいろいろ力になれると思う」
「いい加減にしろよ」
そこそこ人目に付く場所でよかったのかもしれない。
さすがに手が出てしまいそうだったから。
「え…」
「俺のことをSNSに書くのはもうやめろ。そう言ってるだろ」
「でも…」
「お前の訳分かんねえ理屈には興味ない。やめろ。それだけだから」
胸糞が悪い。
彼女の好きな缶コーヒーでも飲んで、頭を冷やそう。
そう思って踵を返そうとした瑛を、鈴井の声が引き留めた。
「…言ったよね。結構影響力あるアカウントだって」
「あ…?」
「日坂君のこと、いろんな人に知ってもらうことだってできるし…その逆だってできるんだよ」
顔を上げた鈴井の瞳は、さっきまでのしおらしさなんて嘘のように鋭い。
もっとも、そのしおらしさも胡散臭さいことこの上なかったのだけれど。
「人ってね、本当に簡単に“終われる”んだよ。この情報社会ではね」
「クソ…」
鈴井が去った渡り廊下で、拳を握る。
ようやっと、野球と、はるかのことだけを考えていればいい世界が近付いていたはずだったのに。
数週間前に触れたやわらかな頬の感触が、たまらなく恋しくなった。
スマートフォンのバイブレーションで目が覚めて、思わず飛び起きてしまった。
しかし画面に浮かんでいたのはアラームの設定よりもずっと前の時刻で、ただいつもよりずいぶん早く電話をかけてきたということのようだ。
「おはよう。早いね」
『…ん、ごめん』
何だか歯切れが悪い。
どこか調子が悪いのだろうかと胸騒ぎがする。
『あのさ…なんか、その…クラスの女子と、変な記事書かれたんだけど…』
「おお、そっちか…」
思わずほっと息を吐いたけれど、安心には程遠い話題だった。
『知ってんの…?』
「えっと、うん…SNSって不思議だよね」
『そっか…』
あまりにも申し訳なさそうな声音に、なぜだかはるかの方まで申し訳ない気持ちになってくる。
『ごめんな。俺があいつを放置してたせいで』
「瑛くん…」
『あのさ…全然、俺が言えることじゃねえんだけどさ』
「うん…?」
『もうどうしたらいいと思う?これ…どうすりゃいいんだよ…』
出会ってから今まで、聞いたことのないほどに力のない声だった。
ともすれば泣いているんじゃないかと心配になったけれど、どうもその様子はなさそうだ。
『もうSNSに俺のこと書くのはやめろって言ったんだけど…お前を終わりにするぞって脅された』
「はい?」
『インフルエンサー?だから、俺を知ってもらうためだったんだとか…プロ行っても力になれるとか…ちゃんと近くで応援するとか。そんなセリフ並べといてこれだよ』
怖いこと考える人がいるものだなあ。
──なんて思って瑛の身を案じるだけが、自分という人間だと思っていた。
「“ちゃんと近くで応援する”ですって…?」
『ああ…』
「瑛くんのこと、こんなにしょんぼりさせといて…?」
『え、』
「そんなやつ、ファンの資格なし!」
拳を握り締め、声を荒らげる。
「もっと言うと、彼女の資格も、なし…!!」
『はるか…?』
「かと言って、わたしにはそんな資格があるんでしょうか…」
自分で言って不安になってしまいつつ。
「…嫌だ。瑛くん、わたし嫌だよ!そんな人がいるの…!」
そんなことを鼻息荒く叫んでも、どうしようもないのは分かっているけれど。
吐き出さないと耐えられないほどに、その感情は強く沸き起こった。
『…うん』
それを受け留めた瑛の声は、なぜだか少し嬉しそうだった。
『うん。分かった。何か手を考えるよ』
「え…」
『いや、マジでどうすりゃいいのかわかんねえけど。冬真とか、正也の方が俺よりマシなこと考えそうだな…あと渚とか?』
次々と挙げられた名前に、頬がほころぶ。
「…頼もしいね、みんな」
『ああ…変なヤツに時間使ってる場合じゃねえんだけどな…』
「え?夏が終わるまではいいよ!」
『は…?』
「現状、とりあえず瑛くんにとって不利になるような発信はしないってことでしょ?それならいいよ。今は何よりも試合に集中して!それくらい、我慢するから」
『あのなあ、』
最初の力ない声から一転、諭すような声音にどきりとする。
『はるかが嫌な思いしてて、集中できるわけねえだろ。はるかのために使う時間なら、邪魔でもないから。言ったろ?』
申し訳ないな、と思う以上に。
なんて心強いんだろうと、思った。
「ちょっといい?」
午前中の授業が終わるなり声をかけると、鈴井はずいぶん嬉しそうな笑顔でそれに応じた。
声をかけたのは瑛だが、気が付いたら鈴井の先導で渡り廊下に辿り着いていた。
そこそこ人目に付くこの場所で二人でいるのは躊躇われたが、手短に済ませたかったのでそのままそこで口を開いた。
「なんか、ネットニュースのヤツなんだけど…」
「あー、あれね。私も見たわ」
あっけらかんと言う鈴井。
「なんかごめんね、まさかあんなふうに書かれちゃうなんて。私としては勝手に応援してるだけのつもりなんだけどさ」
「…」
「そんなに拡散されてないみたいだから、思ったよりみんなには見られてないっぽいけど…でもやっぱり何人かに言われちゃった。日坂君は大丈夫?」
「…あの、悪いんだけどもうSNSに俺のこと書くのやめてくれない?」
さっそく本題に入ると、いつもは気の強そうな鈴井の瞳が小さく揺れた。
瑛は構わず続ける。
「彼女も良い気しないと思うし。また変な取り上げ方されたりしたら困るし、もうやめて欲しい」
「…ただ応援してるだけなのに、ダメなの…?」
絞り出したようなその声は、震えていた。
「別に、SNSに書く必要ねえだろ」
「私…記事見たなら知ってると思うけど、結構影響力あるアカウントだから。日坂君のこといろんな人に知ってもらえるかなって、思って…」
「は?」
「それに…ドラフトもさ、いろいろエピソードがあった方が話題になりやすいでしょ?日坂君ほどの人ならそんなのいらないかもしれないけど、私なりに何か力になれないかなって…」
健気に瑛のことを思う一心だというように並べられた言葉に、腹の底から嫌悪感が溢れた。
「それに、あんな書かれ方しちゃったのは彼女さんにも申し訳ないけど…でも、応援してくれてる人がいるっていうのを、悪く思うような人なら…日坂君にはふさわしくないと思う」
どろどろと溶岩のように流れていた憤りが、一瞬で凍り付く。
「私なら、こんな大事な大会中にそばを離れたりしない。ちゃんとずっと近くで応援するし、他の人が応援してたって何も思わないよ。プロに行ってからも、このアカウントがあればいろいろ力になれると思う」
「いい加減にしろよ」
そこそこ人目に付く場所でよかったのかもしれない。
さすがに手が出てしまいそうだったから。
「え…」
「俺のことをSNSに書くのはもうやめろ。そう言ってるだろ」
「でも…」
「お前の訳分かんねえ理屈には興味ない。やめろ。それだけだから」
胸糞が悪い。
彼女の好きな缶コーヒーでも飲んで、頭を冷やそう。
そう思って踵を返そうとした瑛を、鈴井の声が引き留めた。
「…言ったよね。結構影響力あるアカウントだって」
「あ…?」
「日坂君のこと、いろんな人に知ってもらうことだってできるし…その逆だってできるんだよ」
顔を上げた鈴井の瞳は、さっきまでのしおらしさなんて嘘のように鋭い。
もっとも、そのしおらしさも胡散臭さいことこの上なかったのだけれど。
「人ってね、本当に簡単に“終われる”んだよ。この情報社会ではね」
「クソ…」
鈴井が去った渡り廊下で、拳を握る。
ようやっと、野球と、はるかのことだけを考えていればいい世界が近付いていたはずだったのに。
数週間前に触れたやわらかな頬の感触が、たまらなく恋しくなった。
スマートフォンのバイブレーションで目が覚めて、思わず飛び起きてしまった。
しかし画面に浮かんでいたのはアラームの設定よりもずっと前の時刻で、ただいつもよりずいぶん早く電話をかけてきたということのようだ。
「おはよう。早いね」
『…ん、ごめん』
何だか歯切れが悪い。
どこか調子が悪いのだろうかと胸騒ぎがする。
『あのさ…なんか、その…クラスの女子と、変な記事書かれたんだけど…』
「おお、そっちか…」
思わずほっと息を吐いたけれど、安心には程遠い話題だった。
『知ってんの…?』
「えっと、うん…SNSって不思議だよね」
『そっか…』
あまりにも申し訳なさそうな声音に、なぜだかはるかの方まで申し訳ない気持ちになってくる。
『ごめんな。俺があいつを放置してたせいで』
「瑛くん…」
『あのさ…全然、俺が言えることじゃねえんだけどさ』
「うん…?」
『もうどうしたらいいと思う?これ…どうすりゃいいんだよ…』
出会ってから今まで、聞いたことのないほどに力のない声だった。
ともすれば泣いているんじゃないかと心配になったけれど、どうもその様子はなさそうだ。
『もうSNSに俺のこと書くのはやめろって言ったんだけど…お前を終わりにするぞって脅された』
「はい?」
『インフルエンサー?だから、俺を知ってもらうためだったんだとか…プロ行っても力になれるとか…ちゃんと近くで応援するとか。そんなセリフ並べといてこれだよ』
怖いこと考える人がいるものだなあ。
──なんて思って瑛の身を案じるだけが、自分という人間だと思っていた。
「“ちゃんと近くで応援する”ですって…?」
『ああ…』
「瑛くんのこと、こんなにしょんぼりさせといて…?」
『え、』
「そんなやつ、ファンの資格なし!」
拳を握り締め、声を荒らげる。
「もっと言うと、彼女の資格も、なし…!!」
『はるか…?』
「かと言って、わたしにはそんな資格があるんでしょうか…」
自分で言って不安になってしまいつつ。
「…嫌だ。瑛くん、わたし嫌だよ!そんな人がいるの…!」
そんなことを鼻息荒く叫んでも、どうしようもないのは分かっているけれど。
吐き出さないと耐えられないほどに、その感情は強く沸き起こった。
『…うん』
それを受け留めた瑛の声は、なぜだか少し嬉しそうだった。
『うん。分かった。何か手を考えるよ』
「え…」
『いや、マジでどうすりゃいいのかわかんねえけど。冬真とか、正也の方が俺よりマシなこと考えそうだな…あと渚とか?』
次々と挙げられた名前に、頬がほころぶ。
「…頼もしいね、みんな」
『ああ…変なヤツに時間使ってる場合じゃねえんだけどな…』
「え?夏が終わるまではいいよ!」
『は…?』
「現状、とりあえず瑛くんにとって不利になるような発信はしないってことでしょ?それならいいよ。今は何よりも試合に集中して!それくらい、我慢するから」
『あのなあ、』
最初の力ない声から一転、諭すような声音にどきりとする。
『はるかが嫌な思いしてて、集中できるわけねえだろ。はるかのために使う時間なら、邪魔でもないから。言ったろ?』
申し訳ないな、と思う以上に。
なんて心強いんだろうと、思った。