[Theme 01]1年生編
08
はじめて足を踏み入れたコンサートホールという場所に、どこか緊張を覚えながら客席に向かう。
──“ついた”
“どのへん?”
“見つけてくんねえの?”
“照明すごいから見えないよ!”
「ふはっ」
“夢壊すなよ。まあ結構後ろの方だな”
“そっか。あんまり見ないでね!”
「いや、見るために来てんだっつーの」
「お前、何イチャイチャしてんだよ」
いつの間にかずけずけとスマートフォンを覗き込んでいた正也が、いつもより小さな声で絡んできた。
この男なりにTPOは弁えているらしい。
なぜ二人並んではるかの、吹部のコンクール予選を観なきゃいけないのかは納得いかないが。
「そりゃお前、これから何かとお世話になる吹部のみなさんの応援すんのは当たり前だろ」
「…」
「…うるせえな、お前と同じ目的だよ。そろそろはじまるんだから静かにしろっ」
──一緒にすんな。ていうかうるせえのはお前だろ。
客席の照明が落ちていくのに促され、その言葉は頭の中に留めた。
アナウンスとともに、ステージに部員たちが整然と現れる。
見るなと言われても、人手不足だったというサックスパートの中にはるかの姿を見つけるのはあまりに容易だった。
気合を入れているのだろうか、珍しく髪を後ろでまとめている。
“気合を入れて”演奏する姿なんて、どうしても彼女らしくない気がしてしまう。
ぼんやりとはるかを目で追っているうちに、演奏がはじまった。
1曲目は決められたものを演奏するらしく、いかにも吹奏楽といった曲。
はるかも難なく演奏している様子だった。
問題は2曲目。
思い出されるのは、崩れ落ちる姿、青白い顔。
過去を語る虚ろな横顔。
それでも譜面に向かう、横顔。
ドラムスが特徴的なリズムを刻み、その曲は走りはじめた。
序盤から存分に目立っているサックスパートの中で、はるかの音はごく自然に足並みを揃えている。
ただ、やはりその表情は硬かった。
──なあ、はるか。どうしてお前は、そんなところでサックスなんて吹いているんだ。
瞬きするたびに瞳は揺れ、うっすらと汗すらも浮かべているように見える。
──そんな思いをしてまで。
一度盛り上がった音色が段々と落ち着き、何かがはじまる予感と期待が会場に満ちる。
はるかはあの時のように真っ青な顔で、それでも覚悟を決めたように目を見開いた。
まるでそのフレーズははるかのためだけに存在するかのような錯覚を覚える、力強いソロ。
はるか自身の必死そうな様子とは相反して、伸びやかで堂々とした音色だった。
──どんなに絶望しても、どれだけ自分を縛ろうとしても、お前の魂が“あの場所”を欲してやまないからだろう。
「それがお前の運命だよ」
思わず漏れ出た声は、会場一杯の拍手にかき消された。
その夜、自主練を終えた頃、ちょうど吹奏楽部員たちも学校に戻ったことを聞きはるかを呼び出した。
演奏中顔色が悪かったから、また家まで送ると あながち嘘でもない口実で。
案の定遠慮されたがどうにか譲らなかった。
「お疲れ」
「瑛くんも練習お疲れさま。昼間は来てくれてありがとう」
「ああ。いけたんだって?支部大会だっけ」
「うん。ひとまず迷惑かけなくてよかった…」
そう言ってはるかは大きく息を吐いた。
「…楽しかったか?」
「え…?」
驚き、立ち止まるはるかの目を見つめる。
「もう一度音楽をやってみて、ジャズを演奏して。お前は、どうだった?」
責められているように聞こえてしまうかもしれない、だからできる限りやさしくはるかの手をとった。
「この指で、何を感じた?」
もう一度はるかの目を見ると、そこからは涙があふれていた。
夕陽を受けてきらきらと、星空のように輝いている。
「…たのし、かったよ…わたし。楽しかったの」
「…ああ」
「でも…足りないの。ダメなのに…わたしが、おじいちゃんとおばあちゃんを…お母さんを…!それなのに、わたし…ピアノが弾きたいの…!」
考えるより先に、はるかを腕の中に閉じ込めていた。
「それで、何がダメなんだよ…」
どうすれば、傷付けずに伝えられる?
ずっと考えて何も言えずにいたのに、身勝手な言葉が転がり出ていく。
「お前のピアノが人を不幸にするなんて、勝手に決めんなよ。勝手に人を不幸にすんなよ…!」
「…瑛くん、」
「こちとらお前のピアノが好きだから、お前がピアニストになって帰ってきて、俺のためだけにピアノを弾いてくれんのをずっと待ってたんだよ!!」
──だけど、瑛くんとふたりっきりのときはね、
──瑛くんのためだけにピアノを弾いてあげるの。
幼い少女が口にした、大人びた約束。
「待ってる、今でも。信じる未来があるから、しんどい時だってあるけど、野球やれてんだ」
未だに真に受けて、ずっと信じているなんて痛いヤツだなと自分でも思っていたけど、もう何だってよかった。
「…それにお前、ピアノ弾けなくなっても、戦い続けたんだろ。進級テスト受けたってことは、進級する気があったってことだろ」
「それは…」
「十分戦っただろ、お前は。全然逃げてねえよ」
はるかの手が、恐る恐る瑛の袖口を掴むのを感じた。
瑛もより一層、はるかを包む腕に力を込める。
「お前はピアノが好き。音楽が好き。だからやりたい。でも今はちょっと無理。それで良いだろ」
「…うん」
「だいたいお前、そんなに無茶してまで、音楽我慢できてねえわけじゃん」
「う…」
「玉入れや綱引きに出たくねえのは、指をケガしたくねえからだろ?」
「なぜそれを!?」
「どうなんだよ」
腕を緩めて、はるかの顔を見た。
「…うん。そうだよ」
はるかの瞳は揺れながら、静かな光を灯している。
その光を見ていたい。
あの頃と同じ願い。
「やっぱり変わってねえな、はるか」
いつだってその光の中に、自分がいたい。
いつの間にか大きくなっていた願い。
「ねえ、きっとまだまだいっぱい待たせる。何年かかるか、正直見当もつかない」
「…うん」
「でも、待っててくれる?わたしが、ピアニストになること。そして、瑛くんのためだけにピアノを弾くこと」
──“お父さんみたいな”とは、もう言わないんだな。
「…上等だよ。ヤキューショーネンの忍耐力舐めんな」
「今は“高校球児”では?」
「うるせえな。お前の言葉借りてんだよ!」
「え?わたし?」
「…あーくそ。何でもかんでも覚えてんのは俺だけかよ」
「ええ…なんかごめん…」
どちらからともなく離れた身体。
だけど、なんとなく手は繋いだままだった。
________________
■Take Five /岩井 直溥(編曲)
はじめて足を踏み入れたコンサートホールという場所に、どこか緊張を覚えながら客席に向かう。
──“ついた”
“どのへん?”
“見つけてくんねえの?”
“照明すごいから見えないよ!”
「ふはっ」
“夢壊すなよ。まあ結構後ろの方だな”
“そっか。あんまり見ないでね!”
「いや、見るために来てんだっつーの」
「お前、何イチャイチャしてんだよ」
いつの間にかずけずけとスマートフォンを覗き込んでいた正也が、いつもより小さな声で絡んできた。
この男なりにTPOは弁えているらしい。
なぜ二人並んではるかの、吹部のコンクール予選を観なきゃいけないのかは納得いかないが。
「そりゃお前、これから何かとお世話になる吹部のみなさんの応援すんのは当たり前だろ」
「…」
「…うるせえな、お前と同じ目的だよ。そろそろはじまるんだから静かにしろっ」
──一緒にすんな。ていうかうるせえのはお前だろ。
客席の照明が落ちていくのに促され、その言葉は頭の中に留めた。
アナウンスとともに、ステージに部員たちが整然と現れる。
見るなと言われても、人手不足だったというサックスパートの中にはるかの姿を見つけるのはあまりに容易だった。
気合を入れているのだろうか、珍しく髪を後ろでまとめている。
“気合を入れて”演奏する姿なんて、どうしても彼女らしくない気がしてしまう。
ぼんやりとはるかを目で追っているうちに、演奏がはじまった。
1曲目は決められたものを演奏するらしく、いかにも吹奏楽といった曲。
はるかも難なく演奏している様子だった。
問題は2曲目。
思い出されるのは、崩れ落ちる姿、青白い顔。
過去を語る虚ろな横顔。
それでも譜面に向かう、横顔。
ドラムスが特徴的なリズムを刻み、その曲は走りはじめた。
序盤から存分に目立っているサックスパートの中で、はるかの音はごく自然に足並みを揃えている。
ただ、やはりその表情は硬かった。
──なあ、はるか。どうしてお前は、そんなところでサックスなんて吹いているんだ。
瞬きするたびに瞳は揺れ、うっすらと汗すらも浮かべているように見える。
──そんな思いをしてまで。
一度盛り上がった音色が段々と落ち着き、何かがはじまる予感と期待が会場に満ちる。
はるかはあの時のように真っ青な顔で、それでも覚悟を決めたように目を見開いた。
まるでそのフレーズははるかのためだけに存在するかのような錯覚を覚える、力強いソロ。
はるか自身の必死そうな様子とは相反して、伸びやかで堂々とした音色だった。
──どんなに絶望しても、どれだけ自分を縛ろうとしても、お前の魂が“あの場所”を欲してやまないからだろう。
「それがお前の運命だよ」
思わず漏れ出た声は、会場一杯の拍手にかき消された。
その夜、自主練を終えた頃、ちょうど吹奏楽部員たちも学校に戻ったことを聞きはるかを呼び出した。
演奏中顔色が悪かったから、また家まで送ると あながち嘘でもない口実で。
案の定遠慮されたがどうにか譲らなかった。
「お疲れ」
「瑛くんも練習お疲れさま。昼間は来てくれてありがとう」
「ああ。いけたんだって?支部大会だっけ」
「うん。ひとまず迷惑かけなくてよかった…」
そう言ってはるかは大きく息を吐いた。
「…楽しかったか?」
「え…?」
驚き、立ち止まるはるかの目を見つめる。
「もう一度音楽をやってみて、ジャズを演奏して。お前は、どうだった?」
責められているように聞こえてしまうかもしれない、だからできる限りやさしくはるかの手をとった。
「この指で、何を感じた?」
もう一度はるかの目を見ると、そこからは涙があふれていた。
夕陽を受けてきらきらと、星空のように輝いている。
「…たのし、かったよ…わたし。楽しかったの」
「…ああ」
「でも…足りないの。ダメなのに…わたしが、おじいちゃんとおばあちゃんを…お母さんを…!それなのに、わたし…ピアノが弾きたいの…!」
考えるより先に、はるかを腕の中に閉じ込めていた。
「それで、何がダメなんだよ…」
どうすれば、傷付けずに伝えられる?
ずっと考えて何も言えずにいたのに、身勝手な言葉が転がり出ていく。
「お前のピアノが人を不幸にするなんて、勝手に決めんなよ。勝手に人を不幸にすんなよ…!」
「…瑛くん、」
「こちとらお前のピアノが好きだから、お前がピアニストになって帰ってきて、俺のためだけにピアノを弾いてくれんのをずっと待ってたんだよ!!」
──だけど、瑛くんとふたりっきりのときはね、
──瑛くんのためだけにピアノを弾いてあげるの。
幼い少女が口にした、大人びた約束。
「待ってる、今でも。信じる未来があるから、しんどい時だってあるけど、野球やれてんだ」
未だに真に受けて、ずっと信じているなんて痛いヤツだなと自分でも思っていたけど、もう何だってよかった。
「…それにお前、ピアノ弾けなくなっても、戦い続けたんだろ。進級テスト受けたってことは、進級する気があったってことだろ」
「それは…」
「十分戦っただろ、お前は。全然逃げてねえよ」
はるかの手が、恐る恐る瑛の袖口を掴むのを感じた。
瑛もより一層、はるかを包む腕に力を込める。
「お前はピアノが好き。音楽が好き。だからやりたい。でも今はちょっと無理。それで良いだろ」
「…うん」
「だいたいお前、そんなに無茶してまで、音楽我慢できてねえわけじゃん」
「う…」
「玉入れや綱引きに出たくねえのは、指をケガしたくねえからだろ?」
「なぜそれを!?」
「どうなんだよ」
腕を緩めて、はるかの顔を見た。
「…うん。そうだよ」
はるかの瞳は揺れながら、静かな光を灯している。
その光を見ていたい。
あの頃と同じ願い。
「やっぱり変わってねえな、はるか」
いつだってその光の中に、自分がいたい。
いつの間にか大きくなっていた願い。
「ねえ、きっとまだまだいっぱい待たせる。何年かかるか、正直見当もつかない」
「…うん」
「でも、待っててくれる?わたしが、ピアニストになること。そして、瑛くんのためだけにピアノを弾くこと」
──“お父さんみたいな”とは、もう言わないんだな。
「…上等だよ。ヤキューショーネンの忍耐力舐めんな」
「今は“高校球児”では?」
「うるせえな。お前の言葉借りてんだよ!」
「え?わたし?」
「…あーくそ。何でもかんでも覚えてんのは俺だけかよ」
「ええ…なんかごめん…」
どちらからともなく離れた身体。
だけど、なんとなく手は繋いだままだった。
________________
■Take Five /岩井 直溥(編曲)