[Theme 03]3年生編
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「梅干しがない…」
弁当を抱え呆然としている冬真の姿に、わずかに笑みがこぼれた。
「世知辛い世の中だな」
「冬真先輩、梅干し好きなんすか?」
スポーツドリンクを手に近寄ってきたのは、この春入部した一年生。
冬真の新しいルームメイトだったように思う。
「梅干しというか、梅干しがあった跡の赤い部分が…」
「あー、なんか分かる気がします」
瑛の予想に反して、冬真は後輩との関係づくりにはさほど苦労していないらしい。
むしろこういうところで苦労しがちなのは自分だけなんじゃないかと、無意識に瑛自身の“ルームメイト”の背中を眺めてしまった。
金属音とともに放たれた打球が、鋭く土を蹴る。
ライト前へ抜けようとしたその球に、冬真が飛びついた。
土埃を上げて転がった冬真のグラブから跳ねた球を、瑛がすかさず掴み捕り一塁へ送る。
「スリーアウト!チェンジ!」
べっとりと土を纏った冬真がのそりと起き上がった。
「ナイスゲッツー!」
「なんとかな。けど、よく捕った!」
「瑛先輩に救われました…」
ばつが悪そうな冬真の背中を叩いて、ベンチへ急ぐ。
次の回の先頭バッターは瑛だ。
「高原」
マウンドから戻った正也を待ち受けていた、監督の声。
「ここまでだ。しっかりクールダウンをしろ」
「…はい…」
ベンチ裏へと消えていく正也の背中を、じっくりと眺めている暇はない。
『4番、ショート、日坂君』
さすがに器じゃないので、早く誰か覚醒してくれと願う打順。
それでもやっぱり悪い気はするはずもなく、アナウンスを噛み締めながら打席に向かった。
この背中を、ましてや“4番の打席”に向かうそれを、はるかに見せられないのが実に残念だ。
──なんてことを、交流試合とはいえ真剣勝負の場で思い浮かべるくらいには、いろいろと重症だった。
それでもここで立ち止まっているばかりでは、決して前には進めない。
──試合を動かすのは、瑛。お前だ
はるかのいないこの世界でも、この音を響かせ続けようと誓った。
『おはよー』
電波越しの、気の抜けた声が耳元に届く。
自販機の灯りが目にいたいほどの暗闇の中で、そのセリフはとてもちぐはぐに聞こえた。
「はよ。今起きた?」
『んー』
言葉にならない返事を、少しかわいそうにも思う。
それでも電話を切れない自分は、そのうち電話だけでは耐えられなくなってしまうのではないかと、早くも先が思いやられた。
『交流試合お疲れさま。なかなか苦戦したみたいだね…もうお風呂入った?』
「ああ。真っ暗だぞ、こっちは」
『そっかあ。わたしも今から夜がいい…』
これは相当眠そうだ。
さすがに寝かせてあげた方がいいかと思っていると、ごそごそと音がした。
『うーん…ありがとう。瑛くんがいないとわたし、一生時差ぼけ治んないや』
「…はるかのは、ただ寝起き悪いだけだろ」
『えっ、違うよ!…たぶん?』
カーテンを開けたような音がする。
瑛の目の前に広がる景色とは真逆のそれを眺めて、目を細めているのだろうか。
「…学校は、何してんの?」
『ピアノの個人レッスンと、バンド形式でいろんな楽器の学生とやるレッスンと、音楽理論とかの座学が中心かなあ。やっぱり演奏が一番楽しい』
「まあ、そうだよな。授業難しい?」
『うーん…難しいっていうよりは、忙しい、かな。とにかくやることが多い!』
それは、なんとなく想像がついた。
はるかほどの人が、“難易度”で苦労するようには思えなかったから。
『甲子園は観に行きたいなあ。ほんとは県大会だって行きたいんだけど…』
当然のように告げられたその言葉に、どきりとする。
「…サックス用意しとくわ」
『なっ、ダメだよ!?さすがに老害すぎるし!』
「ははっ、まだ1ヵ月で何が“老害”だよ。何度も言うけど社会人になるのは俺が先だからな」
『いやいや、こっちはもう成人してますから!』
くすくすと笑うはるかの声を何度も思い出しながら、ドアを開ける。
この春からの新しい“ルームメイト”──三輪 祥太 が、物言いたげに一瞥した。
「…何だよ」
「いいご身分だな」
「は?」
のそり、と瑛よりも一回りは大きい躯体が動く。
祥太はそのまま瑛と入れ替わるように、部屋を出ていった。
「あーっもう知らねえ!言っとくけどバカって言う方がバカなんだからな!このバカ!」
その直後、ドアの向こうから高校生とは思えない語彙が響いてきた。
外の様子を伺う間もなく、ドアが開かれる。
「うわっ、なんだよお前!そんなとこ突っ立って!」
「…あのな、それどう考えても俺のセリフ」
ノックなど発想にもなさそうな顔をして、正也がずかずかと上がり込む。
「あれ、祥太は?素振り?」
「バット置いて素振りはねえだろ」
「あ、ホントだ。いやー、あっちもこっちも大変ですなぁ!」
「…お前らと一緒にするな」
その言葉に応えることはなく、正也は寝転がってスマートフォンを手に取る。
瑛はまたしても、先が思いやられるなと息を吐いた。
「梅干しがない…」
弁当を抱え呆然としている冬真の姿に、わずかに笑みがこぼれた。
「世知辛い世の中だな」
「冬真先輩、梅干し好きなんすか?」
スポーツドリンクを手に近寄ってきたのは、この春入部した一年生。
冬真の新しいルームメイトだったように思う。
「梅干しというか、梅干しがあった跡の赤い部分が…」
「あー、なんか分かる気がします」
瑛の予想に反して、冬真は後輩との関係づくりにはさほど苦労していないらしい。
むしろこういうところで苦労しがちなのは自分だけなんじゃないかと、無意識に瑛自身の“ルームメイト”の背中を眺めてしまった。
金属音とともに放たれた打球が、鋭く土を蹴る。
ライト前へ抜けようとしたその球に、冬真が飛びついた。
土埃を上げて転がった冬真のグラブから跳ねた球を、瑛がすかさず掴み捕り一塁へ送る。
「スリーアウト!チェンジ!」
べっとりと土を纏った冬真がのそりと起き上がった。
「ナイスゲッツー!」
「なんとかな。けど、よく捕った!」
「瑛先輩に救われました…」
ばつが悪そうな冬真の背中を叩いて、ベンチへ急ぐ。
次の回の先頭バッターは瑛だ。
「高原」
マウンドから戻った正也を待ち受けていた、監督の声。
「ここまでだ。しっかりクールダウンをしろ」
「…はい…」
ベンチ裏へと消えていく正也の背中を、じっくりと眺めている暇はない。
『4番、ショート、日坂君』
さすがに器じゃないので、早く誰か覚醒してくれと願う打順。
それでもやっぱり悪い気はするはずもなく、アナウンスを噛み締めながら打席に向かった。
この背中を、ましてや“4番の打席”に向かうそれを、はるかに見せられないのが実に残念だ。
──なんてことを、交流試合とはいえ真剣勝負の場で思い浮かべるくらいには、いろいろと重症だった。
それでもここで立ち止まっているばかりでは、決して前には進めない。
──試合を動かすのは、瑛。お前だ
はるかのいないこの世界でも、この音を響かせ続けようと誓った。
『おはよー』
電波越しの、気の抜けた声が耳元に届く。
自販機の灯りが目にいたいほどの暗闇の中で、そのセリフはとてもちぐはぐに聞こえた。
「はよ。今起きた?」
『んー』
言葉にならない返事を、少しかわいそうにも思う。
それでも電話を切れない自分は、そのうち電話だけでは耐えられなくなってしまうのではないかと、早くも先が思いやられた。
『交流試合お疲れさま。なかなか苦戦したみたいだね…もうお風呂入った?』
「ああ。真っ暗だぞ、こっちは」
『そっかあ。わたしも今から夜がいい…』
これは相当眠そうだ。
さすがに寝かせてあげた方がいいかと思っていると、ごそごそと音がした。
『うーん…ありがとう。瑛くんがいないとわたし、一生時差ぼけ治んないや』
「…はるかのは、ただ寝起き悪いだけだろ」
『えっ、違うよ!…たぶん?』
カーテンを開けたような音がする。
瑛の目の前に広がる景色とは真逆のそれを眺めて、目を細めているのだろうか。
「…学校は、何してんの?」
『ピアノの個人レッスンと、バンド形式でいろんな楽器の学生とやるレッスンと、音楽理論とかの座学が中心かなあ。やっぱり演奏が一番楽しい』
「まあ、そうだよな。授業難しい?」
『うーん…難しいっていうよりは、忙しい、かな。とにかくやることが多い!』
それは、なんとなく想像がついた。
はるかほどの人が、“難易度”で苦労するようには思えなかったから。
『甲子園は観に行きたいなあ。ほんとは県大会だって行きたいんだけど…』
当然のように告げられたその言葉に、どきりとする。
「…サックス用意しとくわ」
『なっ、ダメだよ!?さすがに老害すぎるし!』
「ははっ、まだ1ヵ月で何が“老害”だよ。何度も言うけど社会人になるのは俺が先だからな」
『いやいや、こっちはもう成人してますから!』
くすくすと笑うはるかの声を何度も思い出しながら、ドアを開ける。
この春からの新しい“ルームメイト”──
「…何だよ」
「いいご身分だな」
「は?」
のそり、と瑛よりも一回りは大きい躯体が動く。
祥太はそのまま瑛と入れ替わるように、部屋を出ていった。
「あーっもう知らねえ!言っとくけどバカって言う方がバカなんだからな!このバカ!」
その直後、ドアの向こうから高校生とは思えない語彙が響いてきた。
外の様子を伺う間もなく、ドアが開かれる。
「うわっ、なんだよお前!そんなとこ突っ立って!」
「…あのな、それどう考えても俺のセリフ」
ノックなど発想にもなさそうな顔をして、正也がずかずかと上がり込む。
「あれ、祥太は?素振り?」
「バット置いて素振りはねえだろ」
「あ、ホントだ。いやー、あっちもこっちも大変ですなぁ!」
「…お前らと一緒にするな」
その言葉に応えることはなく、正也は寝転がってスマートフォンを手に取る。
瑛はまたしても、先が思いやられるなと息を吐いた。