[Theme 01]1年生編
07
「選手の貴重な練習時間をお借りしてしまい、監督のお手も煩わせてしまい誠に申し訳ありませんでした」
翌日、職員室には野球部監督・樫井 に向かって深々と頭を下げるはるかの姿があった。
「いや…気にしないでくれ。それより、もう大丈夫なのか」
「はい。あき…日坂くんも送ってくれて、わたしのせいで寮に戻るのが遅くなってしまい申し訳ございません」
「俺がそうしろと言ったんだ、問題ない。日坂とは、幼馴染らしいな?」
部員以外と話すことに慣れていないのか、樫井は少し落ち着かない様子ではるかに尋ねた。
「日坂くんとは…小学校が一緒でした。ちょうどリトルリーグに入った頃に出会って、当初から機動力と肩の強さに末恐ろしい子だとは思っていましたが、会わない間にバッティングにも磨きがかかっていて驚きました」
「…好きなのか、野球」
「はい!贔屓は神岡 エルビリンクハリアーズ、推しは背番号23・藤堂 貴文 です!」
「お前、何監督に推し宣言してんだよ」
つい拳を握って熱弁していると、瑛が顔を出した。
瑛はそのまま監督と二、三会話をした後、はるかと共に職員室を出る。
「…野球はウォルラスだろ」
「おお、なるほど…日本シリーズで会おう…!」
「嫌味か。こっちまだBクラスだっつーの」
「…よかった」
「ああ!?」
ストレートに贔屓をけなされたのかと思い振り返ると、どうやらそういうことではなかったらしい。
昨夜はあれから、お互い何も言わないまま別れた。
メッセージのやり取りもしていない。
いつも通りの会話ができたことに、はるかは安堵しているようだ。
「…今日も、練習すんの?」
「あ…うん。コンクールで演奏するんだ。部長が、サックスが増えたら絶対やりたいって思ってたらしくて…」
その声はまた、震えている。
「お前、なんで…」
「完全に迂闊だったよ…吹奏楽からジャズに行く人も多いんだから、やる可能性はあるって気付けなかった」
「…」
「ピアノじゃなければ、ジャズじゃなければ、大丈夫だって思っちゃったの」
昼休みの喧騒の中、かき消されそうな声だったのに。
「…最低だよね。大切なものを奪って、自分はぜんぶから逃げ出したくせに…また、音楽をやりたいなんて」
瑛の耳には、はるかの言葉だけがいつまでも響いた。
次々と放たれる白球をグラブに収め、瞬時に投げる。
見えない走者をイメージしながら、その進撃を許さないように。
一日の疲れがピークに近付いてきたところに、なんとも処理しづらい打球が飛び込んでくる。
気力で喰らいつき、身を翻して送球した。
「そこまで!片付けてダウンに入れ!」
「はい!」
樫井の号令で散っていく部員たち。
瑛もすぐそばのネットを引いて歩き始めた。
補修は終わったようで、綻びかけていた部分もしっかり継ぎ足されている。
あまり使わない用具がまとめられているという、グラウンドから少し離れた倉庫のことを思い出す。
視線を向けると、昨日のようにはるかがサックスを抱えて座っていた。
──もっとも、視線を向けるまでもなく、はじめから気付いていたことだが。
昨日のような事態には至っていないようだが、表情は硬く、薄っすらと聞こえてくる音色もはるかにしては心許ない。
それでもはるかは、譜面に向かい続けていた。
「1年の頃のはるかって、どんなだったんすか」
夕食を済ませた後、机に向かう拓真の背中に問いかけた。
「どんな、か…」
「あ、いや…あんま話したことなかったらアレですけど」
「そうだな…この辺じゃ珍しくハリアーズファンらしい」
「ああ…それは今日聞きました。日シリで会おうって煽られました」
「はは。まあ、同じリーグでギスギスするより良いんじゃないか?」
拓真ははるかとそれほど仲が良いわけではないのか、しばらくはその後に続く言葉を探していた。
その様子にどこか安心している自分がいる。
「…ああそうだ、月城はかなり足が速いな」
「…へえ」
それも、あまり良くない理由で既に知っている。
「体育祭の時、なぜか玉入れや綱引きに出たがらなかった代わりに徒競走やリレーに出まくって、見事に無双していたな」
「…!」
「月城、そんなに走るのが好きなのか?」
──それはたぶん、“走るのが好きだから”じゃない。
「あと…帰宅部だったと思うんだが、途中で秋山に誘われて吹部に入った。まあこれは日坂も見てるし知ってるか」
「秋山先輩に?」
「ああ。秋山は入学してからずっと月城を吹部に誘っていたんだが、月城はそれを断り続けていた。あまりにもしつこいから根負けしたのかと思っていたが、もしかしてお前のためか?」
まさかこの男まで、正也と同じようなことを口にするとは。
「…あいつは、応援するならどっちかっつーと演奏なんかしてないでガッツリ観てたいヤツですから」
「はは、言われてみればそんな感じだな。じゃあやっぱり根負けか」
それは違うと、確信ともいえるほどに感じたが言葉にはしなかった。
練習の合間に眺めていた、何度でも譜面に向かうはるかの姿を思い出す。
──執着だよ。ただの
──大切なものを奪って、自分はぜんぶから逃げ出したくせに…また、音楽をやりたいなんて
輝きを潜めた瞳。嘘くさい笑顔。
上手く吹けていても違和感にまみれたサックスの音。
それでもそこに、確かに少女の姿が重なる理由が、ようやく分かった気がした。
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【贔屓】好きな球団のことをそう言ったりします(若い子は言わないかも…?)。
「選手の貴重な練習時間をお借りしてしまい、監督のお手も煩わせてしまい誠に申し訳ありませんでした」
翌日、職員室には野球部監督・
「いや…気にしないでくれ。それより、もう大丈夫なのか」
「はい。あき…日坂くんも送ってくれて、わたしのせいで寮に戻るのが遅くなってしまい申し訳ございません」
「俺がそうしろと言ったんだ、問題ない。日坂とは、幼馴染らしいな?」
部員以外と話すことに慣れていないのか、樫井は少し落ち着かない様子ではるかに尋ねた。
「日坂くんとは…小学校が一緒でした。ちょうどリトルリーグに入った頃に出会って、当初から機動力と肩の強さに末恐ろしい子だとは思っていましたが、会わない間にバッティングにも磨きがかかっていて驚きました」
「…好きなのか、野球」
「はい!贔屓は
「お前、何監督に推し宣言してんだよ」
つい拳を握って熱弁していると、瑛が顔を出した。
瑛はそのまま監督と二、三会話をした後、はるかと共に職員室を出る。
「…野球はウォルラスだろ」
「おお、なるほど…日本シリーズで会おう…!」
「嫌味か。こっちまだBクラスだっつーの」
「…よかった」
「ああ!?」
ストレートに贔屓をけなされたのかと思い振り返ると、どうやらそういうことではなかったらしい。
昨夜はあれから、お互い何も言わないまま別れた。
メッセージのやり取りもしていない。
いつも通りの会話ができたことに、はるかは安堵しているようだ。
「…今日も、練習すんの?」
「あ…うん。コンクールで演奏するんだ。部長が、サックスが増えたら絶対やりたいって思ってたらしくて…」
その声はまた、震えている。
「お前、なんで…」
「完全に迂闊だったよ…吹奏楽からジャズに行く人も多いんだから、やる可能性はあるって気付けなかった」
「…」
「ピアノじゃなければ、ジャズじゃなければ、大丈夫だって思っちゃったの」
昼休みの喧騒の中、かき消されそうな声だったのに。
「…最低だよね。大切なものを奪って、自分はぜんぶから逃げ出したくせに…また、音楽をやりたいなんて」
瑛の耳には、はるかの言葉だけがいつまでも響いた。
次々と放たれる白球をグラブに収め、瞬時に投げる。
見えない走者をイメージしながら、その進撃を許さないように。
一日の疲れがピークに近付いてきたところに、なんとも処理しづらい打球が飛び込んでくる。
気力で喰らいつき、身を翻して送球した。
「そこまで!片付けてダウンに入れ!」
「はい!」
樫井の号令で散っていく部員たち。
瑛もすぐそばのネットを引いて歩き始めた。
補修は終わったようで、綻びかけていた部分もしっかり継ぎ足されている。
あまり使わない用具がまとめられているという、グラウンドから少し離れた倉庫のことを思い出す。
視線を向けると、昨日のようにはるかがサックスを抱えて座っていた。
──もっとも、視線を向けるまでもなく、はじめから気付いていたことだが。
昨日のような事態には至っていないようだが、表情は硬く、薄っすらと聞こえてくる音色もはるかにしては心許ない。
それでもはるかは、譜面に向かい続けていた。
「1年の頃のはるかって、どんなだったんすか」
夕食を済ませた後、机に向かう拓真の背中に問いかけた。
「どんな、か…」
「あ、いや…あんま話したことなかったらアレですけど」
「そうだな…この辺じゃ珍しくハリアーズファンらしい」
「ああ…それは今日聞きました。日シリで会おうって煽られました」
「はは。まあ、同じリーグでギスギスするより良いんじゃないか?」
拓真ははるかとそれほど仲が良いわけではないのか、しばらくはその後に続く言葉を探していた。
その様子にどこか安心している自分がいる。
「…ああそうだ、月城はかなり足が速いな」
「…へえ」
それも、あまり良くない理由で既に知っている。
「体育祭の時、なぜか玉入れや綱引きに出たがらなかった代わりに徒競走やリレーに出まくって、見事に無双していたな」
「…!」
「月城、そんなに走るのが好きなのか?」
──それはたぶん、“走るのが好きだから”じゃない。
「あと…帰宅部だったと思うんだが、途中で秋山に誘われて吹部に入った。まあこれは日坂も見てるし知ってるか」
「秋山先輩に?」
「ああ。秋山は入学してからずっと月城を吹部に誘っていたんだが、月城はそれを断り続けていた。あまりにもしつこいから根負けしたのかと思っていたが、もしかしてお前のためか?」
まさかこの男まで、正也と同じようなことを口にするとは。
「…あいつは、応援するならどっちかっつーと演奏なんかしてないでガッツリ観てたいヤツですから」
「はは、言われてみればそんな感じだな。じゃあやっぱり根負けか」
それは違うと、確信ともいえるほどに感じたが言葉にはしなかった。
練習の合間に眺めていた、何度でも譜面に向かうはるかの姿を思い出す。
──執着だよ。ただの
──大切なものを奪って、自分はぜんぶから逃げ出したくせに…また、音楽をやりたいなんて
輝きを潜めた瞳。嘘くさい笑顔。
上手く吹けていても違和感にまみれたサックスの音。
それでもそこに、確かに少女の姿が重なる理由が、ようやく分かった気がした。
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【贔屓】好きな球団のことをそう言ったりします(若い子は言わないかも…?)。