[ad lib]番外編など
Cleanup hitter
「ここのボタンで、高さが調節できますので…」
ネットの向こうのらんらんと光る瞳に見つめられながら、ボタンを連打する。
「これくらいかな?」
マシンから放たれた球ははるかの腰よりも低い軌道を描いたが、見事掬い上げるように打ち返してみせた。
「わあ、お姉ちゃんすごいね!」
「ふふ、ありがとうございます。途中でも変えられるので、打ちづらかったら調節されてくださいね」
「ありがとうございます!ほら、やってみよっか!」
さらに瞳を輝かせて、はるかと入れ替わるように打席に入ってきた少年。
早く打ちたいという気持ちが全身から溢れていたけれど、はるかにぺこりとお辞儀をすることは忘れなかった。
はじめてバッティングセンターに来たという親子。
これは大物になるぞ、とはるかはひとり頷いた。
「おねえさーん、釣銭切れてるんですけどー」
「あ、はーい!」
入り口から聞こえた声で我に返り、回数券の販売機へと急ぐ。
──シフトに入る時に確認したはずなんだけどな…
怪訝に思いながら向かった先で待ち構えていた人物を見て、すべてを理解した。
「久しぶり、元気?」
「…」
へらへらと手を上げた男から、販売機へと視線を移す。
釣銭切れを示すランプは、予想通り沈黙したままだった。
「釣銭切れとのことでしたが…?」
「あれ?見間違いだったみたいだなーゴメンゴメン」
「…こんなところで店員をおちょくっている場合じゃないのでは?」
じとり、と男のにやけ面を見上げる。
この男──元“高峰の4番”、市川 秀人は数日前のドラフトで北の球団から指名を受けたはずだった。
はるかの贔屓と同リーグ、メディアや他球団ファンからは何かとライバル扱いされがちな球団である。
「そんなにハリアーズに来て欲しかったんだ?ゴメンな。こっちのファンに乗り換えちゃえば?」
「乗り換えません!仮契約もまだなのに“こっち”だなんて、まったく…!」
「アハハ、そんな顔してもかわいいだけだよ」
つくづく、何もかもが嫌味な男である。
一方で誰かが販売機に近付く様子が見えると、さりげなく横にずれたあたり意外と最低限の常識はあるのかもしれない。
自動的にはるかとの距離が縮まり、無意識に身構えてしまった。
「…ねえ、なんか好きなキャラクターとかいる?」
降ってきたのはあまりに脈絡のない質問で、思わず顔を上げた。
思いがけず真剣そうな表情がはるかを見下ろしていて、なんとなく適当にあしらうのは憚られ、考えを巡らせる。
「ハリアーくんとか、ハリガネくんとかですね」
「…それはさすがにマズいから、球団マスコット以外で」
「ええ…?うーん…強いて言うなら、ニャンつう?」
「え、なんとか放送局の?子供過ぎない?」
「聞いといてそれはひどいですよ…」
真面目に考えたのに、とうなだれるはるかに秀人は微笑んだ。
またしても、いつものニヤけ面とは違う表情。
「ニャンつうね、了解!」
「…なんでそんなことを…?」
「まあ、いろいろ考えることがあんの、俺も。見知らぬ土地でひとりぼっちだし?」
“見知らぬ土地”。
生まれも育ちも鷺嶋だという秀人が言うそれはおそらく、卒業を待たずに赴くこととなる北の大地のことだろう。
その場所は決して、ゴールでも何でもない。
結果を出さなければ明日の生活も分からないような世界が待っている。
甲子園を懸けた戦いの最中でさえへらへらと笑っていたような男でも、今その胸中には希望だけではない何かが渦巻いているのかもしれない。
そのこととニャンつうがどう関係するのかは、まったく分からないけれど。
「…わたしは、ハリアーズファンである前にプロ野球のファンなので」
「うん?」
「鷺嶋出身のプロ野球選手、もちろん応援しますよ。ハリアーズと、拓真君の次に!」
はるかが笑顔で言い放つと、秀人は瞬きをして、やがてつられるように笑った。
「店長も、表に“市川選手御用達”って書くって言ってましたよ」
「さっそくダシにされんの、俺。まあ実際ガキの頃から来てるしいっか」
「たまには帰ってきてあげてくださいね」
あまりやることがないとはいえ仕事中なので、そろそろ事務所に戻ろうかと時計を見る。
そんなはるかを、秀人は少しの間黙って眺めていた。
「その敬語ってさ、店員とお客さんだから?」
「え?まあ、そうですね」
「ふーん…卒業したら、ここは辞める?」
「そうですね。次の人が見つかればいいんですけど…」
少し音の割れたスピーカーから、ホームランのメロディが鳴り響いた。
ちらりと打席を見ると、大学生らしき二人組が嬉しそうに顔を見合わせている。
いよいよ事務所に戻らなければならない。
「じゃあさ、」
再び、視線を戻す。
「次に会う時は、敬語ナシね。もう店員じゃないんだから」
「…プロ野球選手と一般人なら、敬語必須では?」
「ファンでもタメ口のヤツとかいっぱいいるでしょ。ていうかそうじゃなくて。友達として、ね?」
ぽん、と背中を押される。
思ったよりもあたたかい手だった。
「…わかりました。神岡ドームで会いましょう!慰めにいきますね」
「こっちが負ける前提?慰めるってやらしー」
「ええっ!?」
「ほら、あの子たち景品取りに来ちゃうよ」
背中に添えられたままだった手から離れて、小走りで事務所に向かう。
一度だけ振り返って会釈をすると、秀人は見慣れたニヤけ面で手を振った。
数ヶ月後、年始早々ネットニュースに登場したその男の姿に、はるかは絶句した。
やけにしおらしい笑顔で大事そうに抱えているのは、大きなニャンつうのぬいぐるみ。
『はじめての土地で少し心細かったので…こいつに見守ってもらいながら、どんどん活躍して、たくさんの方々に応援してもらえるよう頑張ります!』
──いろいろ考えることがあんの、俺も。
真剣な表情に騙され、こんな策略に利用されてしまうとは。
はるかはスマートフォンを片手に頭を抱えた。
秀人の入寮インタビューのコメントには早くも女性を中心に“初々しくてかわいい!”という声が上がり、チームメイトや対戦経験のある球児たちからは“誰…?”と戸惑いの声が上がったという。
「ここのボタンで、高さが調節できますので…」
ネットの向こうのらんらんと光る瞳に見つめられながら、ボタンを連打する。
「これくらいかな?」
マシンから放たれた球ははるかの腰よりも低い軌道を描いたが、見事掬い上げるように打ち返してみせた。
「わあ、お姉ちゃんすごいね!」
「ふふ、ありがとうございます。途中でも変えられるので、打ちづらかったら調節されてくださいね」
「ありがとうございます!ほら、やってみよっか!」
さらに瞳を輝かせて、はるかと入れ替わるように打席に入ってきた少年。
早く打ちたいという気持ちが全身から溢れていたけれど、はるかにぺこりとお辞儀をすることは忘れなかった。
はじめてバッティングセンターに来たという親子。
これは大物になるぞ、とはるかはひとり頷いた。
「おねえさーん、釣銭切れてるんですけどー」
「あ、はーい!」
入り口から聞こえた声で我に返り、回数券の販売機へと急ぐ。
──シフトに入る時に確認したはずなんだけどな…
怪訝に思いながら向かった先で待ち構えていた人物を見て、すべてを理解した。
「久しぶり、元気?」
「…」
へらへらと手を上げた男から、販売機へと視線を移す。
釣銭切れを示すランプは、予想通り沈黙したままだった。
「釣銭切れとのことでしたが…?」
「あれ?見間違いだったみたいだなーゴメンゴメン」
「…こんなところで店員をおちょくっている場合じゃないのでは?」
じとり、と男のにやけ面を見上げる。
この男──元“高峰の4番”、市川 秀人は数日前のドラフトで北の球団から指名を受けたはずだった。
はるかの贔屓と同リーグ、メディアや他球団ファンからは何かとライバル扱いされがちな球団である。
「そんなにハリアーズに来て欲しかったんだ?ゴメンな。こっちのファンに乗り換えちゃえば?」
「乗り換えません!仮契約もまだなのに“こっち”だなんて、まったく…!」
「アハハ、そんな顔してもかわいいだけだよ」
つくづく、何もかもが嫌味な男である。
一方で誰かが販売機に近付く様子が見えると、さりげなく横にずれたあたり意外と最低限の常識はあるのかもしれない。
自動的にはるかとの距離が縮まり、無意識に身構えてしまった。
「…ねえ、なんか好きなキャラクターとかいる?」
降ってきたのはあまりに脈絡のない質問で、思わず顔を上げた。
思いがけず真剣そうな表情がはるかを見下ろしていて、なんとなく適当にあしらうのは憚られ、考えを巡らせる。
「ハリアーくんとか、ハリガネくんとかですね」
「…それはさすがにマズいから、球団マスコット以外で」
「ええ…?うーん…強いて言うなら、ニャンつう?」
「え、なんとか放送局の?子供過ぎない?」
「聞いといてそれはひどいですよ…」
真面目に考えたのに、とうなだれるはるかに秀人は微笑んだ。
またしても、いつものニヤけ面とは違う表情。
「ニャンつうね、了解!」
「…なんでそんなことを…?」
「まあ、いろいろ考えることがあんの、俺も。見知らぬ土地でひとりぼっちだし?」
“見知らぬ土地”。
生まれも育ちも鷺嶋だという秀人が言うそれはおそらく、卒業を待たずに赴くこととなる北の大地のことだろう。
その場所は決して、ゴールでも何でもない。
結果を出さなければ明日の生活も分からないような世界が待っている。
甲子園を懸けた戦いの最中でさえへらへらと笑っていたような男でも、今その胸中には希望だけではない何かが渦巻いているのかもしれない。
そのこととニャンつうがどう関係するのかは、まったく分からないけれど。
「…わたしは、ハリアーズファンである前にプロ野球のファンなので」
「うん?」
「鷺嶋出身のプロ野球選手、もちろん応援しますよ。ハリアーズと、拓真君の次に!」
はるかが笑顔で言い放つと、秀人は瞬きをして、やがてつられるように笑った。
「店長も、表に“市川選手御用達”って書くって言ってましたよ」
「さっそくダシにされんの、俺。まあ実際ガキの頃から来てるしいっか」
「たまには帰ってきてあげてくださいね」
あまりやることがないとはいえ仕事中なので、そろそろ事務所に戻ろうかと時計を見る。
そんなはるかを、秀人は少しの間黙って眺めていた。
「その敬語ってさ、店員とお客さんだから?」
「え?まあ、そうですね」
「ふーん…卒業したら、ここは辞める?」
「そうですね。次の人が見つかればいいんですけど…」
少し音の割れたスピーカーから、ホームランのメロディが鳴り響いた。
ちらりと打席を見ると、大学生らしき二人組が嬉しそうに顔を見合わせている。
いよいよ事務所に戻らなければならない。
「じゃあさ、」
再び、視線を戻す。
「次に会う時は、敬語ナシね。もう店員じゃないんだから」
「…プロ野球選手と一般人なら、敬語必須では?」
「ファンでもタメ口のヤツとかいっぱいいるでしょ。ていうかそうじゃなくて。友達として、ね?」
ぽん、と背中を押される。
思ったよりもあたたかい手だった。
「…わかりました。神岡ドームで会いましょう!慰めにいきますね」
「こっちが負ける前提?慰めるってやらしー」
「ええっ!?」
「ほら、あの子たち景品取りに来ちゃうよ」
背中に添えられたままだった手から離れて、小走りで事務所に向かう。
一度だけ振り返って会釈をすると、秀人は見慣れたニヤけ面で手を振った。
数ヶ月後、年始早々ネットニュースに登場したその男の姿に、はるかは絶句した。
やけにしおらしい笑顔で大事そうに抱えているのは、大きなニャンつうのぬいぐるみ。
『はじめての土地で少し心細かったので…こいつに見守ってもらいながら、どんどん活躍して、たくさんの方々に応援してもらえるよう頑張ります!』
──いろいろ考えることがあんの、俺も。
真剣な表情に騙され、こんな策略に利用されてしまうとは。
はるかはスマートフォンを片手に頭を抱えた。
秀人の入寮インタビューのコメントには早くも女性を中心に“初々しくてかわいい!”という声が上がり、チームメイトや対戦経験のある球児たちからは“誰…?”と戸惑いの声が上がったという。
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※実際の北の球団の二軍本拠地は千葉県にあり、新入団選手が入る寮も千葉です。話がややこしくなるので作中では二軍も北の大地ということにしています(秀人は絶対北の球団だなというイメージを優先しました)。