[Theme 01]1年生編
28
「あ、あの…お正月明けから、瑛くんとお付き合いさせていただいて、おります…!」
季節外れのコタツに座り、思い切り下げた頭がゴツンと音を立てた。
「ヒイーッ!アッハッハッハ!」
「…」
「父さん、笑ってやるなよ…フッ」
「瑛くんも笑った…っ!」
「悪い、無理だわ、アハハ!腹いてー!」
みるみる赤くなるはるかを他所に、似た者親子がゲラゲラと笑い転げる。
「あー天才。はるかちゃん天才!」
「あの…」
「高校でばったり会ったんだって?こいつなんも言わねえからびっくりしたわ!」
「父さんだって、新聞はるかに送ってたの黙ってたろ」
「言ってなかったか?それにしてもホント、きれいになったなあ」
駅で豪快に笑いながら言ったそれとは違って、今度はしみじみと言われて頬が熱くなる。
同時に、素直に嬉しくも思った。
「ありがとうございます。瑛くんも、本当に立派な遊撃手に…」
「おいおい、そこはかっこよくなったとか言ってくれよ」
「ハッハッハ、ユニフォーム着たお前にしか興味ねえってよ!」
「はあ!?」
「そ、それは違います…!」
頭をぶつけた時と同じような勢いで、はるかが身を乗り出した。
「瑛くんは、かっこいいです…!いつも、ずっと…!」
時間が止まったような錯覚を覚えたが、点けっぱなしのテレビの音がそれを否定した。
「あああすいません今のなしで…」
「アハハハハ!瑛おめー幸せもんだなあ!」
「ううう…お父さんに向かってわたしはいったい何を…」
「…」
先ほどにも増して真っ赤な顔で崩れ落ちるはるかに、瑛は全身がムズムズした。
三人で夕食を共にした後、ふたりは再び駅へと向かっていた。
はるかはこの日、駅のすぐそばのホテルで一泊することになっているのだ。
「ホントに一人で大丈夫?うちでもよかったのに」
「大丈夫だよ。貴重な親子水入らずなんだから、お父さんとたくさんお話ししてあげて!」
「もう腹いっぱいだわ…」
「ふふ。でも、地元でホテルに泊まるって、不思議なかんじだなあ」
瑛ははっとして、はるかの顔を見た。
この街は間違いなくふたりにとっての地元だけど、はるかにはもう、帰る家がない。
その事実を、改めて突き付けられた気がした。
「…なあ、今日さ」
「うん」
「楽しかった…?」
ゆらりと、月の光が揺れる。
細い雲が流れていった。
「…うん。楽しかったよ」
その瞳は月を閉じこめて、輝きをそのままに、瑛を包んだ。
「ピアノを“弾こう”と思って弾くのって、やっぱり難しくて。いろんなこと考えちゃうんだ、たいていはきっと余計なことを」
「…うん」
「だけど…どうやって弾いてたかなんて、かんたんなことだった」
そう言うとはるかは、思いきり瑛の胸の中へ、飛び込んだ。
「好きだから」
鼓動が跳ねる。
「ピアノが好きだから。音楽が好きだから。弾いてて楽しいから」
「…」
「そうだよね?瑛くん」
顔を上げたはるかの瞳は、生まれたての星のように燃えていた。
「大事なこと、教えてくれてたのに…忘れちゃってたわけではないんだけど。でも、素直にそう思えるまで、だいぶ時間かかっちゃったな」
遠くに車の音が聞こえて、はるかは離れていってしまったけど、いつまでも熱が消えない。
「呼び起こしてくれてありがとう。瑛くん」
今度は瑛が、はるかを抱きしめた。
「わっ!瑛くん、まったく人のこと言えないけど、外ですよ!」
「あー…もう勘弁してくれよな」
「おーい!瑛くんーっ」
「なあ、こんなんでキスの一つもできねえの?俺」
「なっ、ええっ!?」
何度でも赤くなる、はるかの頬を撫でる。
見開いた大きな目が落っこちそうだ。
「なんかそろそろ限界なんだけど。こないだはスカートでバット振るし。今日の服もかわいいし」
「瑛さん…?」
「久々に“はるかのピアノ”が見れて…いや、それには断じて変な気持ちにはなんねえけど。とにかくすげーかわいいことばっか言ってくるし」
「あの、」
「なあ、部屋まで送らせてくれるよな?」
その言葉の意味を、5秒かけて理解して。
「だ、だだダメだよ!!何言ってんの!そもそも君はフロントまでしか入れませんし!泊まるのも保護者の同意書いりますし!!」
「うちだったら何とかなったのに…」
「なりませんよ!?もう!!」
やっとの思いで瑛の腕の中から抜け出して、はるかは息を整えた。
未だ熱のこもった視線を寄越してくる瑛に、小さな声で囁く。
「…な、何とかならないということは、まだその時ではないということで…」
「ならないことはないんだけどな」
「ならないんです!…それで、何とかなる時が、その時であり…?」
「…」
「つまり…!然るべき時がきっとあるので、神さまにお任せして今はがまんしてください…!」
なぜかずっと敬語で、意味が分かるような分からないような言葉を並べるはるか。
逆効果なんだけどな、と思いつつ瑛はそっと頭を撫でることにした。
「わかんねえけど、わかった」
「それはよかった…?」
「明日また迎えに来るから。もう変なこと言わねえから、勝手に先帰るなよ?」
こくこくと頷くはるかはまだ真っ赤で、少々いじめすぎたかもしれない。
「…おやすみ。なんかあったら連絡しろよ」
「うん、ありがとう。おやすみ」
翌朝、駅舎に響き渡る笑い声は、デジャヴのようだった。
「あのじいさん、そんなこと言ってたのか!」
「そうなんです、心配なので飲み過ぎないように見張っててください!」
「ああそうだな、はるかちゃんが帰ってきてピアノ弾くとこがなかったら困るからな!」
瑛の記憶の限りでは、裕士がカナリアに行っているところは見たことがなかったが、いつからか行くようになったのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、電車の時間が近付いてきた。
「あ!そうだった、ゴールデンウィークの東峰 ドームの試合、チケット当たったんだけどふたりとも一緒に行くか!」
「は?」
起きてからろくに聞いていなかった裕士の言葉に、はじめてまともに耳を貸す。
「ウォルラス戦だからはるかちゃんはあんまりかもしれないけど、タダで観れるならさ!テレビのやつではじめて当たったんだよ!」
「い、いいんですか…!?そんな貴重なチケット…!」
「ちょうど3枚あるから!瑛も最後の2日は休みだろ?泊まりになるだろうから俺からも連絡するよ。おじいちゃんとおばあちゃんでいいのかな?」
「…」
「はい!ありがとうございます!」
はるかはこれでもかと目をきらきらさせて、すごい勢いで頷いている。
瑛はその横顔を眺めながら、無意識に口角が緩んだ。
「じゃあまた連絡するから!気をつけろよ!」
「はい!お世話になりました!」
「おー」
改札を抜けて、ホームへと辿り着いても尚、はるかはふくふくと無邪気に喜んでいた。
すごいね、やったね、と何度も口にしている。
小躍りでもしそうなその手を、引き寄せて指を絡めた。
「…はるかの言う通りだったなあ」
「ん?なにが?」
──一緒に泊まるんなら、それはもう“然るべき時”ってことでいいよな?
耳元で囁くと、はるかは声にならない悲鳴を上げて、昨夜ぶりの真っ赤な顔で瑛を見上げるのだった。
「あ、あの…お正月明けから、瑛くんとお付き合いさせていただいて、おります…!」
季節外れのコタツに座り、思い切り下げた頭がゴツンと音を立てた。
「ヒイーッ!アッハッハッハ!」
「…」
「父さん、笑ってやるなよ…フッ」
「瑛くんも笑った…っ!」
「悪い、無理だわ、アハハ!腹いてー!」
みるみる赤くなるはるかを他所に、似た者親子がゲラゲラと笑い転げる。
「あー天才。はるかちゃん天才!」
「あの…」
「高校でばったり会ったんだって?こいつなんも言わねえからびっくりしたわ!」
「父さんだって、新聞はるかに送ってたの黙ってたろ」
「言ってなかったか?それにしてもホント、きれいになったなあ」
駅で豪快に笑いながら言ったそれとは違って、今度はしみじみと言われて頬が熱くなる。
同時に、素直に嬉しくも思った。
「ありがとうございます。瑛くんも、本当に立派な遊撃手に…」
「おいおい、そこはかっこよくなったとか言ってくれよ」
「ハッハッハ、ユニフォーム着たお前にしか興味ねえってよ!」
「はあ!?」
「そ、それは違います…!」
頭をぶつけた時と同じような勢いで、はるかが身を乗り出した。
「瑛くんは、かっこいいです…!いつも、ずっと…!」
時間が止まったような錯覚を覚えたが、点けっぱなしのテレビの音がそれを否定した。
「あああすいません今のなしで…」
「アハハハハ!瑛おめー幸せもんだなあ!」
「ううう…お父さんに向かってわたしはいったい何を…」
「…」
先ほどにも増して真っ赤な顔で崩れ落ちるはるかに、瑛は全身がムズムズした。
三人で夕食を共にした後、ふたりは再び駅へと向かっていた。
はるかはこの日、駅のすぐそばのホテルで一泊することになっているのだ。
「ホントに一人で大丈夫?うちでもよかったのに」
「大丈夫だよ。貴重な親子水入らずなんだから、お父さんとたくさんお話ししてあげて!」
「もう腹いっぱいだわ…」
「ふふ。でも、地元でホテルに泊まるって、不思議なかんじだなあ」
瑛ははっとして、はるかの顔を見た。
この街は間違いなくふたりにとっての地元だけど、はるかにはもう、帰る家がない。
その事実を、改めて突き付けられた気がした。
「…なあ、今日さ」
「うん」
「楽しかった…?」
ゆらりと、月の光が揺れる。
細い雲が流れていった。
「…うん。楽しかったよ」
その瞳は月を閉じこめて、輝きをそのままに、瑛を包んだ。
「ピアノを“弾こう”と思って弾くのって、やっぱり難しくて。いろんなこと考えちゃうんだ、たいていはきっと余計なことを」
「…うん」
「だけど…どうやって弾いてたかなんて、かんたんなことだった」
そう言うとはるかは、思いきり瑛の胸の中へ、飛び込んだ。
「好きだから」
鼓動が跳ねる。
「ピアノが好きだから。音楽が好きだから。弾いてて楽しいから」
「…」
「そうだよね?瑛くん」
顔を上げたはるかの瞳は、生まれたての星のように燃えていた。
「大事なこと、教えてくれてたのに…忘れちゃってたわけではないんだけど。でも、素直にそう思えるまで、だいぶ時間かかっちゃったな」
遠くに車の音が聞こえて、はるかは離れていってしまったけど、いつまでも熱が消えない。
「呼び起こしてくれてありがとう。瑛くん」
今度は瑛が、はるかを抱きしめた。
「わっ!瑛くん、まったく人のこと言えないけど、外ですよ!」
「あー…もう勘弁してくれよな」
「おーい!瑛くんーっ」
「なあ、こんなんでキスの一つもできねえの?俺」
「なっ、ええっ!?」
何度でも赤くなる、はるかの頬を撫でる。
見開いた大きな目が落っこちそうだ。
「なんかそろそろ限界なんだけど。こないだはスカートでバット振るし。今日の服もかわいいし」
「瑛さん…?」
「久々に“はるかのピアノ”が見れて…いや、それには断じて変な気持ちにはなんねえけど。とにかくすげーかわいいことばっか言ってくるし」
「あの、」
「なあ、部屋まで送らせてくれるよな?」
その言葉の意味を、5秒かけて理解して。
「だ、だだダメだよ!!何言ってんの!そもそも君はフロントまでしか入れませんし!泊まるのも保護者の同意書いりますし!!」
「うちだったら何とかなったのに…」
「なりませんよ!?もう!!」
やっとの思いで瑛の腕の中から抜け出して、はるかは息を整えた。
未だ熱のこもった視線を寄越してくる瑛に、小さな声で囁く。
「…な、何とかならないということは、まだその時ではないということで…」
「ならないことはないんだけどな」
「ならないんです!…それで、何とかなる時が、その時であり…?」
「…」
「つまり…!然るべき時がきっとあるので、神さまにお任せして今はがまんしてください…!」
なぜかずっと敬語で、意味が分かるような分からないような言葉を並べるはるか。
逆効果なんだけどな、と思いつつ瑛はそっと頭を撫でることにした。
「わかんねえけど、わかった」
「それはよかった…?」
「明日また迎えに来るから。もう変なこと言わねえから、勝手に先帰るなよ?」
こくこくと頷くはるかはまだ真っ赤で、少々いじめすぎたかもしれない。
「…おやすみ。なんかあったら連絡しろよ」
「うん、ありがとう。おやすみ」
翌朝、駅舎に響き渡る笑い声は、デジャヴのようだった。
「あのじいさん、そんなこと言ってたのか!」
「そうなんです、心配なので飲み過ぎないように見張っててください!」
「ああそうだな、はるかちゃんが帰ってきてピアノ弾くとこがなかったら困るからな!」
瑛の記憶の限りでは、裕士がカナリアに行っているところは見たことがなかったが、いつからか行くようになったのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、電車の時間が近付いてきた。
「あ!そうだった、ゴールデンウィークの
「は?」
起きてからろくに聞いていなかった裕士の言葉に、はじめてまともに耳を貸す。
「ウォルラス戦だからはるかちゃんはあんまりかもしれないけど、タダで観れるならさ!テレビのやつではじめて当たったんだよ!」
「い、いいんですか…!?そんな貴重なチケット…!」
「ちょうど3枚あるから!瑛も最後の2日は休みだろ?泊まりになるだろうから俺からも連絡するよ。おじいちゃんとおばあちゃんでいいのかな?」
「…」
「はい!ありがとうございます!」
はるかはこれでもかと目をきらきらさせて、すごい勢いで頷いている。
瑛はその横顔を眺めながら、無意識に口角が緩んだ。
「じゃあまた連絡するから!気をつけろよ!」
「はい!お世話になりました!」
「おー」
改札を抜けて、ホームへと辿り着いても尚、はるかはふくふくと無邪気に喜んでいた。
すごいね、やったね、と何度も口にしている。
小躍りでもしそうなその手を、引き寄せて指を絡めた。
「…はるかの言う通りだったなあ」
「ん?なにが?」
──一緒に泊まるんなら、それはもう“然るべき時”ってことでいいよな?
耳元で囁くと、はるかは声にならない悲鳴を上げて、昨夜ぶりの真っ赤な顔で瑛を見上げるのだった。