[Theme 02]2年生編
61
階段を下りて少し歩いた先にあったその部屋は、意外にもかなりシンプルだった。
一日のほとんどをピアノの部屋で過ごしているのだろう、生活感もあまりなく、家具店のディスプレイのようだ。
机の横の本棚を埋めるプロ野球や高校野球関連の本だけが、部屋全体のスタイリッシュな雰囲気に対し明らかに浮いている。
あたたかそうな毛布がきれいに畳まれているベッドに、はるかを座らせる。
フローリングの床に膝をついて、細い腰に腕を回しながら、少し見上げるように顔を近付けていく。
はるかがぎゅっと目を閉じたのと同時に、唇を重ねた。
何度も口付けながら、ブラウスのボタンに手を伸ばすと、はるかが息を呑んだ。
「…嫌?」
「…あ、明るい…」
レースのカーテン越しに広がる、やわらかな日差し。
はるかの真っ赤な顔がよく見えるし、これからこの手で暴くものもそうであって欲しいから、瑛としてはこのままの方が都合が良いのだけど。
「お風呂まだだし…バッティングセンターでちょっと汗かいたし、やっぱり、」
その続きが言葉になる前に、厚手のカーテンを閉めた。
遮光性能が高いのか、一気に光が遮られて少し驚いたけれど、それでもやはり真昼なのでうっすらと明るかった。
「…母さんたち、いつ帰ってくんの?」
「結構遅くなるって言ってたけど、でも…」
「じゃあ、遠慮はいらねえな」
「はい…?」
遠慮なんて、する余裕は最初からなかったのかもしれない。
ぐったりと枕に顔を埋めるはるかに覆いかぶさって、腕の隙間からやわらかな胸に手を伸ばそうとすると、するりとかわされてしまった。
長い髪と白い背中だけが、カーテン越しの微かな明かりに照らされる。
瑛は渋々といった動作でその隣に横たわり、寒くないように毛布をかけた。
「…強き者よ」
「は?」
枕のせいでくぐもった声が聞こえる。
「本当の強さは、弱き者の心を知ることですよ…」
「何言ってんだよ」
「アスリートとインドア一般人の体力が同じだと思わないでいただきたい…!」
素っ頓狂なセリフと、消え入りそうな声と、真っ赤な耳と。
瑛は思い切り笑ってしまった。
「そんな運動神経してて“一般人”はねえだろ」
「“インドア”は否定しないんだ…否定できないけど…」
「大学生のうちに鍛えといてくれ」
「こ、このために!?不純すぎる動機…!」
もごもごと言いながら、瑛がかけた毛布を手繰り寄せるはるか。
その手は机の上のスマートフォンに向かった。
「一体いま何時なんだろ…っ!!」
重たそうなまぶたが、一気に開かれる。
つられて画面を覗き込むと、甲子園で裕士が撮ってくれたふたりの写真の上に、英語だらけの通知が浮かんでいた。
──“Congratulations!”
「わ、わあ…」
書き出しだけで完全にネタバレ状態だったが、すぐさま本文を開く。
そこにははるかがメイウッド音楽大学に合格したこと、そして一部の学費が免除される奨学生に選ばれたことが記されていた──瑛にはよく分からなかったが、はるかがそう解説してくれた。
現地時間で午前0時を回ったタイミングでシステムから送信されていたらしく、ふたりが家族のいない部屋でこっそり事に及んでいた間に、そのメールは届いていたようだ。
「急激にものすごく申し訳ない気持ちが…」
「やったな、はるか」
スマートフォンを落としそうになるほどの勢いで抱き締められ、耳元で囁かれた声は少し震えていた。
「おめでとう」
その言葉には、きっと計り知れないほどさまざまな思いが込められているのだろうと、噛み締めるようにはるかは頷いた。
しばらくそのままぼーっとして、我に返って服を着ても外はまだ明るく、春が近づいていることを悟る。
薫たちが帰ってくるまではまだまだ余裕がありそうだったけれど、“自主練があるだろうから”と、瑛は帰り支度を促されてしまった。
「それに、その…いろいろと隠ぺい工作が…」
「それは手伝うよ、俺の責任でもあるし」
「でも…寮に持って帰るわけにいかないでしょ…?」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの声で言うはるかに、それは確かにと頷く。
なんだか申し訳なさが残って、そっと頭を撫でた。
「…ほんと、どうなっちゃうんだろう。一緒に暮らしたら…」
「え?」
「まあ、その頃には…瑛くんも大人になって落ち着いてるかもしれないよね。はは…」
乾いた笑いをこぼすはるかのその予想は、確実に裏切ることになるだろう。
「瑛くん」
玄関のドアを前に、はるかが瑛を見上げる。
「行ってくるよ」
今まさにここを出ていこうとしているのは、瑛なのだけど。
「…ああ。待ってる」
ふたりはそう言い交わして、そっと触れるだけのキスをした。
階段を下りて少し歩いた先にあったその部屋は、意外にもかなりシンプルだった。
一日のほとんどをピアノの部屋で過ごしているのだろう、生活感もあまりなく、家具店のディスプレイのようだ。
机の横の本棚を埋めるプロ野球や高校野球関連の本だけが、部屋全体のスタイリッシュな雰囲気に対し明らかに浮いている。
あたたかそうな毛布がきれいに畳まれているベッドに、はるかを座らせる。
フローリングの床に膝をついて、細い腰に腕を回しながら、少し見上げるように顔を近付けていく。
はるかがぎゅっと目を閉じたのと同時に、唇を重ねた。
何度も口付けながら、ブラウスのボタンに手を伸ばすと、はるかが息を呑んだ。
「…嫌?」
「…あ、明るい…」
レースのカーテン越しに広がる、やわらかな日差し。
はるかの真っ赤な顔がよく見えるし、これからこの手で暴くものもそうであって欲しいから、瑛としてはこのままの方が都合が良いのだけど。
「お風呂まだだし…バッティングセンターでちょっと汗かいたし、やっぱり、」
その続きが言葉になる前に、厚手のカーテンを閉めた。
遮光性能が高いのか、一気に光が遮られて少し驚いたけれど、それでもやはり真昼なのでうっすらと明るかった。
「…母さんたち、いつ帰ってくんの?」
「結構遅くなるって言ってたけど、でも…」
「じゃあ、遠慮はいらねえな」
「はい…?」
遠慮なんて、する余裕は最初からなかったのかもしれない。
ぐったりと枕に顔を埋めるはるかに覆いかぶさって、腕の隙間からやわらかな胸に手を伸ばそうとすると、するりとかわされてしまった。
長い髪と白い背中だけが、カーテン越しの微かな明かりに照らされる。
瑛は渋々といった動作でその隣に横たわり、寒くないように毛布をかけた。
「…強き者よ」
「は?」
枕のせいでくぐもった声が聞こえる。
「本当の強さは、弱き者の心を知ることですよ…」
「何言ってんだよ」
「アスリートとインドア一般人の体力が同じだと思わないでいただきたい…!」
素っ頓狂なセリフと、消え入りそうな声と、真っ赤な耳と。
瑛は思い切り笑ってしまった。
「そんな運動神経してて“一般人”はねえだろ」
「“インドア”は否定しないんだ…否定できないけど…」
「大学生のうちに鍛えといてくれ」
「こ、このために!?不純すぎる動機…!」
もごもごと言いながら、瑛がかけた毛布を手繰り寄せるはるか。
その手は机の上のスマートフォンに向かった。
「一体いま何時なんだろ…っ!!」
重たそうなまぶたが、一気に開かれる。
つられて画面を覗き込むと、甲子園で裕士が撮ってくれたふたりの写真の上に、英語だらけの通知が浮かんでいた。
──“Congratulations!”
「わ、わあ…」
書き出しだけで完全にネタバレ状態だったが、すぐさま本文を開く。
そこにははるかがメイウッド音楽大学に合格したこと、そして一部の学費が免除される奨学生に選ばれたことが記されていた──瑛にはよく分からなかったが、はるかがそう解説してくれた。
現地時間で午前0時を回ったタイミングでシステムから送信されていたらしく、ふたりが家族のいない部屋でこっそり事に及んでいた間に、そのメールは届いていたようだ。
「急激にものすごく申し訳ない気持ちが…」
「やったな、はるか」
スマートフォンを落としそうになるほどの勢いで抱き締められ、耳元で囁かれた声は少し震えていた。
「おめでとう」
その言葉には、きっと計り知れないほどさまざまな思いが込められているのだろうと、噛み締めるようにはるかは頷いた。
しばらくそのままぼーっとして、我に返って服を着ても外はまだ明るく、春が近づいていることを悟る。
薫たちが帰ってくるまではまだまだ余裕がありそうだったけれど、“自主練があるだろうから”と、瑛は帰り支度を促されてしまった。
「それに、その…いろいろと隠ぺい工作が…」
「それは手伝うよ、俺の責任でもあるし」
「でも…寮に持って帰るわけにいかないでしょ…?」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの声で言うはるかに、それは確かにと頷く。
なんだか申し訳なさが残って、そっと頭を撫でた。
「…ほんと、どうなっちゃうんだろう。一緒に暮らしたら…」
「え?」
「まあ、その頃には…瑛くんも大人になって落ち着いてるかもしれないよね。はは…」
乾いた笑いをこぼすはるかのその予想は、確実に裏切ることになるだろう。
「瑛くん」
玄関のドアを前に、はるかが瑛を見上げる。
「行ってくるよ」
今まさにここを出ていこうとしているのは、瑛なのだけど。
「…ああ。待ってる」
ふたりはそう言い交わして、そっと触れるだけのキスをした。