[Theme 02]2年生編
57
昼休み、はるかが職員室を出ると、廊下はとても賑やかだった。
修学旅行のお土産を交換する2年生たちの姿を、微笑ましく眺める。
一学年抜けた校内は、いつもよりなんとなく静かな気がしていたのだ。
「…そう、野球部の」
階段を降りようとしたところで、つい“野球”というワードを拾ってしまう。
「マジか、日坂君ってそんなかんじなんだ」
「え、ていうか彼女いるじゃん?3年に」
まさかの話題に、はるかはその場を動けなくなってしまった。
はるかの存在に気付かない女子生徒たちは話を続ける。
「うそー!言ってよ!」
「ごめん、知ってると思ってたし、そんなガチだと思ってなかった…」
「もう…で、誰?マネージャーとか?」
「いや、うちの野球部女子マネいないよたぶん。なんか吹部の人、途中で辞めたっぽいけど」
「あー、あのめっちゃかわいい人?結局ああいうのに行っちゃうのか…なんかショック」
“ああいうの”とはどういうのだ、と出ていきたくなる気持ちをぐっと堪える。
よく考えたら遠回りをすれば、この階段を使う必要はない。
これ以上盗み聞きするよりそうしよう、と踵を返そうとした時だった。
「いやー、マジで感じ悪いよね」
「吉村とか泣いてたらしいよ。席近いのに、超きまずいよね」
「マジ?かわいそうすぎるわ」
どうやら話が聞き捨てならない方向に進み始めた。
はるかは罪悪感を覚えつつも、しばらくそこで聞き耳を立てることにした。
「はい、これ」
翌日の昼休み、瑛から修学旅行のお土産を渡したいと呼び出されいつだったかのベンチに赴くと、瑛ははるかの顔を見るなり海の生き物たちが描かれた袋を差し出してきた。
一応、真上の部屋の窓を確認する。幸い開いてはいないようだ。
「じ、実は…」
はるかも、後ろ手に隠していたものをおずおずと差し出す。
それは瑛が手にしているものとまったく同じ袋で。
「え…?」
「わたしも、去年瑛くんにお土産買ってたの。渡せるかわかんなかったけど…で、結局渡せなかったんだけど。なんだかんだでそれからずっと渡しそびれちゃってた」
それが一年越しに、瑛の手に渡った。
「腐るものじゃないけど、なんかごめんね?」
「いや、嬉しい。見ていい?」
「うん!わたしも…」
袋の中を覗き込んで、手が止まった。
それは瑛も同じで。
笑いがこみ上げる中ふたりが手に取ったのは、同じデザインで色違いのマフラータオルだった。
「ふふふ、そんなことある?」
「はは。去年もあったんだ、これ」
少し長めのタオルいっぱいに描かれたジンベエザメを眺めながら、瑛は少し頬を染めてはにかんでいる。
その横顔を見ていると、尚更信じられないような気がしてしまう、昨日の話。
「…なんて、ご歓談のところ申し訳ないのですが…」
「ん?」
「瑛くんが、告白しようとする女の子を、冷たくあしらっているというのは本当ですか」
はるかにそんなことを聞かれるのは予想外だったのか、瑛は珍しくぽかんと口を開けた。
そしておそらくこの反応は、肯定と捉えて間違いないだろう。
「昨日、2年生の女の子たちが話してるの聞いちゃってね。泣いちゃった子も、いるんだとか…?」
「…まあ、冷たくあしらってることにはなるんだろうけど、泣いたとかは知らねえ」
「…」
「それよりごめん、そんな話聞きたくなかったよな」
瑛は真っ直ぐに、はるかに心配の目を向けた。
──ああ、ちゃんと優しさは持っているのに、なんともったいない。
「どちらかというとわたしとお付き合いしていることについて、“結局ああいうのに行っちゃうのがショック”と言われていて、どういうのだよ!とは思いましたが」
「はあ?何だそれ、どこのどいつだよ」
「瑛くんは将来、女の子のファンができたら。そしてその子が、キャンプ地でサインください!って言ってきたら、どうするつもりですか?」
思い浮かべると若干モヤモヤとするが、努めて冷静に問いかける。
瑛は至極当然といった様子で答えた。
「無視するけど?」
「あああ…」
がくりと項垂れる。
瑛はその様子を見て、眉根を寄せた。
「なんだよ。お前、俺に他の女にヘラヘラして欲しいのかよ」
「そうじゃないけど…」
「ていうか、そういうの一切対応しない選手だって普通にいるだろ」
「知ってる…」
はるかは無意識に、マフラータオルを抱き締めていた。
呑気な顔のジンベエザメに助けを求めるように。
「その…わたしに気を遣ってくれてるのは、すっごくありがたいんだけどね?」
「それもあるし、単純に俺がめんどくさいのもあるから気にすんなよ」
「うん…そんな気もした…でもね、やっぱり瑛くんにはみんなに愛される選手になっていただきたい」
瑛は尚も、不愉快そうな顔を浮かべている。
もはや分かりやすすぎて笑ってしまいそうだ。
「あることも、ないことも言われてしまう世界だから。近付いてくる人の中には、ごく一般的な常識すらも持ち合わせてない人もいる。わざわざ敵を作るようなことは、しない方が身のためだとわたしは思う」
「…」
「最近、カナリアのおじさんが紹介してくれて、時々プロの方のレッスンを受けさせてもらってるんだけど…今はちょっとしたことでSNSで炎上しちゃったり、マスコミだけじゃなくて動画の人とかでもいろいろ言う人がいたりして、昔より大変だって聞いたんだ」
はるかほどではないが世間に疎い瑛でも、“炎上”という現象を目にしたことは何度かあった。
それは芸能人だけでなく、スポーツ選手が対象になっていることもあった。
「…なんて、“相手の子を思って”というより瑛くんの身が心配でこんなこと言ってるわたしも、大概人としてアレなわけですが…」
毅然と語り掛けていたはるかが、突然力なく眉を下げた。
「ていうかごめん。やっぱり、さすがにこれは余計な口出しというか…人から聞いた話で何言ってんだというか…」
「分かった」
俯いた顔を隠す、長い髪をはるかの肩にかけながら、瑛は囁いた。
「まあ正直、ああいうのにいちいち付き合ってやる暇も気力も、やっぱりねえんだけど…最低限、摩擦がないようには気を付ける」
「…うん。ある程度気を付けたら、あとはプレーで黙らせればいいとは思うよ」
「ははっ、そうだな」
冷たい風が吹く。
はるかの手元で、ぱたぱたとタオルが揺れた。
瑛の膝の上でも、同じようにジンベエザメが泳ぐ。
「こういうのも、今のうちなんだろうなあ」
はるかが呟くと、瑛は不思議そうに視線を落としてきた。
「…ふふ。もう来月だからさ、大学のオーディション。こんなふうにのんびりもしてられないね」
ごまかすように笑って、雲一つない空を見上げる。
空だけ見ればあたたかそうな景色だが、空気はツンとするほどに冷たい。
「今年の年末は…時間ないよな」
「うん…ごめんね。あ、でもね、お母さんも一緒なの。春からはマンション引き払って、こっちに移るって!」
「そうか。よかったな」
「うん!おじいちゃんおばあちゃんも喜んでた。ほんとの娘みたいに、心配だったからって」
「…けど、春からなら、入れ違いだな」
「まあ、契約のタイミングがあるから完全に移れるのは春だけど、実質年明けからはほとんどこっちにいる話で動いてるよ」
短い間だけど、オーディションが終わったらできるだけ一緒に過ごしたい。
そう語るはるかを、瑛は包み込むように見つめた。
昼休み、はるかが職員室を出ると、廊下はとても賑やかだった。
修学旅行のお土産を交換する2年生たちの姿を、微笑ましく眺める。
一学年抜けた校内は、いつもよりなんとなく静かな気がしていたのだ。
「…そう、野球部の」
階段を降りようとしたところで、つい“野球”というワードを拾ってしまう。
「マジか、日坂君ってそんなかんじなんだ」
「え、ていうか彼女いるじゃん?3年に」
まさかの話題に、はるかはその場を動けなくなってしまった。
はるかの存在に気付かない女子生徒たちは話を続ける。
「うそー!言ってよ!」
「ごめん、知ってると思ってたし、そんなガチだと思ってなかった…」
「もう…で、誰?マネージャーとか?」
「いや、うちの野球部女子マネいないよたぶん。なんか吹部の人、途中で辞めたっぽいけど」
「あー、あのめっちゃかわいい人?結局ああいうのに行っちゃうのか…なんかショック」
“ああいうの”とはどういうのだ、と出ていきたくなる気持ちをぐっと堪える。
よく考えたら遠回りをすれば、この階段を使う必要はない。
これ以上盗み聞きするよりそうしよう、と踵を返そうとした時だった。
「いやー、マジで感じ悪いよね」
「吉村とか泣いてたらしいよ。席近いのに、超きまずいよね」
「マジ?かわいそうすぎるわ」
どうやら話が聞き捨てならない方向に進み始めた。
はるかは罪悪感を覚えつつも、しばらくそこで聞き耳を立てることにした。
「はい、これ」
翌日の昼休み、瑛から修学旅行のお土産を渡したいと呼び出されいつだったかのベンチに赴くと、瑛ははるかの顔を見るなり海の生き物たちが描かれた袋を差し出してきた。
一応、真上の部屋の窓を確認する。幸い開いてはいないようだ。
「じ、実は…」
はるかも、後ろ手に隠していたものをおずおずと差し出す。
それは瑛が手にしているものとまったく同じ袋で。
「え…?」
「わたしも、去年瑛くんにお土産買ってたの。渡せるかわかんなかったけど…で、結局渡せなかったんだけど。なんだかんだでそれからずっと渡しそびれちゃってた」
それが一年越しに、瑛の手に渡った。
「腐るものじゃないけど、なんかごめんね?」
「いや、嬉しい。見ていい?」
「うん!わたしも…」
袋の中を覗き込んで、手が止まった。
それは瑛も同じで。
笑いがこみ上げる中ふたりが手に取ったのは、同じデザインで色違いのマフラータオルだった。
「ふふふ、そんなことある?」
「はは。去年もあったんだ、これ」
少し長めのタオルいっぱいに描かれたジンベエザメを眺めながら、瑛は少し頬を染めてはにかんでいる。
その横顔を見ていると、尚更信じられないような気がしてしまう、昨日の話。
「…なんて、ご歓談のところ申し訳ないのですが…」
「ん?」
「瑛くんが、告白しようとする女の子を、冷たくあしらっているというのは本当ですか」
はるかにそんなことを聞かれるのは予想外だったのか、瑛は珍しくぽかんと口を開けた。
そしておそらくこの反応は、肯定と捉えて間違いないだろう。
「昨日、2年生の女の子たちが話してるの聞いちゃってね。泣いちゃった子も、いるんだとか…?」
「…まあ、冷たくあしらってることにはなるんだろうけど、泣いたとかは知らねえ」
「…」
「それよりごめん、そんな話聞きたくなかったよな」
瑛は真っ直ぐに、はるかに心配の目を向けた。
──ああ、ちゃんと優しさは持っているのに、なんともったいない。
「どちらかというとわたしとお付き合いしていることについて、“結局ああいうのに行っちゃうのがショック”と言われていて、どういうのだよ!とは思いましたが」
「はあ?何だそれ、どこのどいつだよ」
「瑛くんは将来、女の子のファンができたら。そしてその子が、キャンプ地でサインください!って言ってきたら、どうするつもりですか?」
思い浮かべると若干モヤモヤとするが、努めて冷静に問いかける。
瑛は至極当然といった様子で答えた。
「無視するけど?」
「あああ…」
がくりと項垂れる。
瑛はその様子を見て、眉根を寄せた。
「なんだよ。お前、俺に他の女にヘラヘラして欲しいのかよ」
「そうじゃないけど…」
「ていうか、そういうの一切対応しない選手だって普通にいるだろ」
「知ってる…」
はるかは無意識に、マフラータオルを抱き締めていた。
呑気な顔のジンベエザメに助けを求めるように。
「その…わたしに気を遣ってくれてるのは、すっごくありがたいんだけどね?」
「それもあるし、単純に俺がめんどくさいのもあるから気にすんなよ」
「うん…そんな気もした…でもね、やっぱり瑛くんにはみんなに愛される選手になっていただきたい」
瑛は尚も、不愉快そうな顔を浮かべている。
もはや分かりやすすぎて笑ってしまいそうだ。
「あることも、ないことも言われてしまう世界だから。近付いてくる人の中には、ごく一般的な常識すらも持ち合わせてない人もいる。わざわざ敵を作るようなことは、しない方が身のためだとわたしは思う」
「…」
「最近、カナリアのおじさんが紹介してくれて、時々プロの方のレッスンを受けさせてもらってるんだけど…今はちょっとしたことでSNSで炎上しちゃったり、マスコミだけじゃなくて動画の人とかでもいろいろ言う人がいたりして、昔より大変だって聞いたんだ」
はるかほどではないが世間に疎い瑛でも、“炎上”という現象を目にしたことは何度かあった。
それは芸能人だけでなく、スポーツ選手が対象になっていることもあった。
「…なんて、“相手の子を思って”というより瑛くんの身が心配でこんなこと言ってるわたしも、大概人としてアレなわけですが…」
毅然と語り掛けていたはるかが、突然力なく眉を下げた。
「ていうかごめん。やっぱり、さすがにこれは余計な口出しというか…人から聞いた話で何言ってんだというか…」
「分かった」
俯いた顔を隠す、長い髪をはるかの肩にかけながら、瑛は囁いた。
「まあ正直、ああいうのにいちいち付き合ってやる暇も気力も、やっぱりねえんだけど…最低限、摩擦がないようには気を付ける」
「…うん。ある程度気を付けたら、あとはプレーで黙らせればいいとは思うよ」
「ははっ、そうだな」
冷たい風が吹く。
はるかの手元で、ぱたぱたとタオルが揺れた。
瑛の膝の上でも、同じようにジンベエザメが泳ぐ。
「こういうのも、今のうちなんだろうなあ」
はるかが呟くと、瑛は不思議そうに視線を落としてきた。
「…ふふ。もう来月だからさ、大学のオーディション。こんなふうにのんびりもしてられないね」
ごまかすように笑って、雲一つない空を見上げる。
空だけ見ればあたたかそうな景色だが、空気はツンとするほどに冷たい。
「今年の年末は…時間ないよな」
「うん…ごめんね。あ、でもね、お母さんも一緒なの。春からはマンション引き払って、こっちに移るって!」
「そうか。よかったな」
「うん!おじいちゃんおばあちゃんも喜んでた。ほんとの娘みたいに、心配だったからって」
「…けど、春からなら、入れ違いだな」
「まあ、契約のタイミングがあるから完全に移れるのは春だけど、実質年明けからはほとんどこっちにいる話で動いてるよ」
短い間だけど、オーディションが終わったらできるだけ一緒に過ごしたい。
そう語るはるかを、瑛は包み込むように見つめた。